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Seen09 美しい鬼と、その血を引くもの


 おかんが真生の名前を口にしたことで、有樹と泰治からは自然と疑惑の視線が真生へと向いた。それらは強く真生に説明を求めるものではなかったものの、おかんの疑いに対する真生の回答を求めた「無言の圧力」にはなったのだろう。
 当の真生は当惑の表情だ。首を強く横に振る形で、疑惑を全力で否定して見せる。てっきり泰然自若とした態度で、淡々と否定するかと思っていたから、真生の態度に動揺が見え隠れしたことは意外だった。
 そして、もう一つ意外なことがあった。依然として、俺へ「当然だ」と胸を張って主張するよう強制力が頻りに訴え続けていることだ。有樹や泰治も真生の精神操作の可能性を疑う状態にある。だから、今更それを俺に主張させたところで話がすんなり進む道理はないのだ。それなのにも関わらず、強制力はついさっきよりも強力な衝動となって俺を襲う。
「とっとっとっ、とーうとーうとーうとととと」
 取り敢えず、抵抗は継続するべきだと思った。この調子だと「当然だ」と胸を張った後、何をぺらぺら口走るか解ったものじゃないからだ。
 ともあれ、俺が相変わらずその状態から回復しないこともあり、携帯電話からはおかんの怒声が響き渡る。
「真生! 真生、聞こえているんでしょう! 電話に出なさい!」
 通話を周囲の人達にも聞かせることのできるスピーカーモードに変更していないにも関わらず、おかんの怒声は真生は疎か有樹や泰治にも届くレベルだ。
 有樹はビクンビクンと痙攣しながらまともな反応を返さない俺の手から携帯電話を引っこ抜くと、それを真生へと差し出す。けれど、真生は携帯電話をマジマジと注視するだけで、それを直ぐさま手に取ることをしなかった。おかんと話すことを躊躇っている様子だ。
 そんな真生の様子を目の当たりにした有樹は、機転を利かせて携帯電話の通話モードをスピーカモードへと変えたようだ。続いて鞄のポケットから小型の集音マイクを取り出し携帯電話の端子へ接続する。部屋の中心へ向かって無造作に鞄を放り、その上へ携帯電話を置けば、相手一人に対してこちらが多人数で対話をできる状況を整えた形だ。
「こんにちわ、香奈恵さん。真生ちゃんの顔色が優れない様子なので、俺や泰治が会話に加わっても構いませんか?」
 有樹の思惑は恐らくおかんの態度を少しでも緩和させようとするものだ。真生相手に厳しい態度で挑もうとするおかんだけど、その場に身内以外の有樹や泰治が居ることを意識すれば、辛辣な態度一辺倒というわけにもいかない。
「……有樹君? 泰治君もそこにいるの?」
 有樹と泰治の同席を確認するおかんの声には戸惑いが見え隠れした。恐らく、それは陣乃の家のことに対して言及する際に、言葉を選ばなくてはならなくなったからだ。電話越しに感じるおかんの雰囲気も心なしか柔らかくなった気がした。
 小さく咳払いした後、改めて真生を名指しするおかんの態度からは、有樹の思惑通り辛辣さがゴソッと削げ落ちる。
「真生、返事をしなさい」
「……なんでしょう、お母様?」
 真生はまだ不請顔をしていたものの、おかんの指名を無視して沈黙し続けるわけにもいかないことを嫌と言うほど解っていたのだろう。小さな溜息を一つ吐き出した後は、観念した様子で口を開いた。
 尤も、真生の存在を確認したおかんからは相変わらず鋭く厳しい口調が向けられる。多少辛辣さが和らいだとはいえ、そこには「厳しく追及する」といった確固たる意志が見え隠れする印象だ。
「あれほど不用意に能力を使ってはならないと厳しく言い付けて置いたと思ったのだけど?」
「お母様の説得が例え承諾し兼ねる内容であっても、お兄ちゃんでは簡単に応じてしまうと思ったから、本心を口にして貰えるよう少し力添えをしただけです。決して、お兄ちゃんに本心とは異なる言葉を喋らせようだとか、目論んだわけではありません」
 おかんを相手に話し始めてしまえば、真生の言動からは完全に躊躇いが消えていた。切れ長の目元に鋭い視線を走らせる真生の表情には、おかんの迫力に押し負けまいとする気迫さえ窺うことができる。すらすらと語る口調こそ丁寧だけど、言葉のあちらこちらにはおかんを牽制する先の鋭い棘が無数に鏤められている感じだ。
 しかしながら、胸を張り「当然だ!」と宣言しなければならない。そんな思考が未だ衝動的且つ断続的に襲ってくる中にあって、俺は少なくともその点については真生が本当のことを語っていないと実感した。
 真生の中に「あわよくば」という気持ちがあったのは間違いないと思って良いだろう。
「……血を分けた言規をサクラ一匹で操った? そんなはずはないわよね。サクラ一匹では真生の力に耐性がある言規を操ることなんてできないものね。……まさかとは思うけど、真生、あなた、言規から力を吸収したのね? 血縁者から許可無く力を吸収することも禁じていたはずよね?」
 どうやら、真生はおかんに厳しく禁止されていたことをいくつかやらかしているらしい。状況証拠も整っているらしく、やっていないと言い逃れすることもできないようだ。
 説明を要求するおかんを前にして、真生はあっさり禁止されていたことを「やった」と白状する。そして、その上で、そうせざるを得なかったこと、俺の許可を得ていたことを主張する。
「お兄ちゃんの手助けをする上で、どうしても力が必要だったのです。だから、お兄ちゃんの許可を得た上で力を貰いました。許可無く力を吸収したわけではありません」
 一部、訂正が必要ではあるものの、大凡その真生の主張は間違っていなかった。
 ちなみに訂正が必要な一部分は、真生が力を必要とすることになった経緯の順序の部分だ。手助けをする上で力が必要だったわけではなく、永曜学園で俺の手助けをしたから力が必要になったのだ。
 ともあれ、真生の主張に誰も反論を口にしないことで、そこには不意に沈黙が生まれた。
 その僅かな静寂の後、おかんが厳かな口調で切り出す。
「真生、母として命令します。蔵元町に戻りなさい」
「嫌です、聞けません」
 真生はきっぱりと、おかんの要求を突っぱねた。
 携帯電話を通した対話でありながら、そこを境に空気が変わったのが解る瞬間だった。
「真生!」
 それは全く関係ないはずの泰治が、思わずビクッと体を震わせるほどのおかんの怒声だった。けれど、有無を言わさぬ迫力を伴ったそんなおかんの怒声を前にして、真生は毅然とした態度でつらつらと戻らない理由について語る。
「あの場所は無数のお呪いが仕掛けられた空間です。例え、今はお母様にそのつもりがなかったとしても、蔵元町に戻ってしまえばあたしは否応なしに大幅な行動制限を加えられることになります。話し合いの場として、蔵元町は相応しくないと思いませんか?」
 おかんに自身の主張の正当性を疑問系で投げ掛けた真生は涼しい顔だ。さらに、真生は主張の正当性を民主主義に委ねる。同意を求めるという形で矛先が向いたのは、有樹と泰治だ。
「ねぇ、フェアではないと思いますよね?」
「尤もだ」
「……」
 打てば響く反応を返した有樹に、視線を外して返事することそのものを躊躇った泰治。二人の態度は、真生に対するスタンスの相違を如実に表していたのだろう。
「泰治さんは、どう思いますか?」
 真生は泰治の事なかれの態度を許さなかった。泰治を名指しすると、再度結論を迫った形だ。
 泰治は眉間に皺を寄せる表情で「勘弁して欲しい」という心の声を態度に表す。けれど、真生が頑として曖昧なスタンスを許さない姿勢であることを理解した後は、喉の奥から絞り出してきたかのような声で渋々答える。
「うん、俺も、フェアではないと思うよ」
 その見解を聞き、真生は満足そうにニコリと微笑む。そして、最後に名前を呼んで同意を求める相手は俺である。
「ねぇ、お兄ちゃんもそう思うよね?」
 けれど、俺に反応を返すだけの時間は与えられない。
「サクラの力で言規に何を喋らせても無駄よ、真生!」
 おかんが真生に対して、俺の言葉が俺の意志に反して語られる可能性を言及したからだ。
 けれど、真生も黙ってはいない。おかんの認識に真っ向から反論する。
「お兄ちゃん、お母様の言葉に惑わされないで! あたしはお兄ちゃんの本心が聞きたい」
 おかんが電話の向こうで押し黙り、有樹と泰治、そして真生の注目が俺へと集まる。そこには、俺の言葉を一言一句聞き逃すまいとする真剣な態度が窺えた。この時点でおかんと真生の両者が理解できていないことがある。それは、未だに俺は自分の見解を満足に述べられる状態ではないということだ。
 反応を返さない俺の様子を、真生は答えを決め兼ねているとでも思ったらしい。不安げな表情で俺の顔を窺うように体勢を取ると、縋り付くかのような弱々しい声で同意を求める。
「あたしのこと、忘れちゃってもいいなんて思わないよね、お兄ちゃん?」
 それは同意を求めたというよりも、懇願したといった方が適当だろう。尤も、真生自身、俺が首を縦に振るとは限らないと思っているからこその、その言葉だ。
 じっと俺を直視する真生を眺めていると、頭の片隅にズキンと刺さる鈍い痛みが走ったような気がした。ふと気付くと、過去を手繰る夢の旅でもそうだったように、俺は当時の断片的な記憶をいくつか掬い取っていた。それらはどれも真生の存在を当たり前のように俺が認識していた子供時代のものであり、子供時代の真生に関係したものだった。
 不意に、子供の真生にじっと直視されているような錯覚に襲われる。それは俺が今現在置かれている構図と同じように、子供時代の真生に直視された記憶の中の映像なんだろう。子供時代の真生の姿を今のものと重ね合わせてみると、当時の面影が強く残っているのが確認できて俺は苦笑した。
 このまま、忘れてしまっても構わないか?
 そんなことがあって良いわけがない。俺は首を縦に振るべきだと思った。
 そんな俺の見解を「肯定しろ」と急かすかのように、強制力が「当然だ!」と胸を張るよう働き掛ける。実際には、強制力の働き始めからその主張は一貫して変化していないわけだから、首を縦に振ることに対してどうこうというわけではない。けれど、強制力の主張と、俺の見解とが大まかに一致し始めたことで、強制力の鬱陶しさが際立つ形だった。加えて言えば「強制力に後押しされて」という、俺自身の意志を蔑ろにするかのような状況が癪にも触る。
「まず何よりも、凜を嗾けて俺を操ろうとするこの状況をどうにかしろ! 話はそれからだ!」
 思わずそう声を張り上げようとするものの、当然、俺の口からその言葉が発せられることはなかった。まだ、体の自由を奪われる状態に置かれているからだ。そして、咄嗟に反発しようとしてしまったことで俺は強制力に押し負ける。
「当然だ!」
 平常心の保持から意識が逸れた一瞬の隙を突かれた形だった。しかしながら、強制力によって口走った俺の言葉は「ここしかない」という絶妙のタイミングである。確固たる信念に基づいたものと言わないばかりに胸を張った態度が拍車を掛けて、それはバシッと決まった台詞になった。偶然の産物だとはいえ、それは俺の株を大きく持ち上げる。
「よく言った!」
「いいねぇ、……言規らしくはなかったけどさ」
 自分が一瞬何を口走ったのかが理解できず呆然とする俺に、有樹と泰治からは喝采の洗礼が向いた。
 真生に至っては、胸を張ってそう断言した俺を前にして感無量と言わないばかりだ。ぱぁっと目を輝かせると、タックル宜しく飛び付いてきて、俺の首にするりと腕を回す。
 大喜びする真生の様子を目の当たりにして、俺は強制力に対する真生の関与に疑問を抱いた。真生の言動には態とらしさが微塵も感じられない。真生が本当に強制力へ絡んでいるのなら、もっともっとボロが出ていても何らおかしくない気がするのだ。
 そんなことを考え出すと、不可解なのは「当然だ」なんて俺に胸を張らせて得をするのが真生以外に居ない点だ。真生以外の誰かが意志に反した言葉を俺に喋らせようと画策しているのだとすると、余りにもその目的が不明瞭である。
「真生ママが望まないことはできないけれど、ある程度なら自我を持つこともできるし、自由に行動することもできる」
 不意に、人型サクラの言葉が脳裏を過ぎった。もっと前後に色々な言葉が付随していた気もするけれど、大まかに抽出すればそんな内容だっただろう。
 すると、俺の首筋付近から側頭部に掛けて、へばり付くようにしている凜の存在が浮かび上がる。
 俺に働くこの強制力は「凜の独断かも知れない」と思った。真生の意志から離れたところで「こうあるべきだ」と、凜自身が考え行動しているわけだ。きっと、真生を見捨てることも視野に入れた、魔が差したとしか弁明できない俺の駄目思考を敏感に感じ取ったのだろう。
 真生が俺に働く強制力を察知していないのは、恐らくそんな事情からだろう。
 ともあれ、真生がおかんに対して示した拒否の意志を、俺が肯定し許容したことで部屋を漂う空気は一変する。
 おかんはもうこの流れを受け入れるしかないんじゃないか。そんな楽観的空気が部屋に漂い始めた矢先のこと。
 突然、真生が頓狂な声を上げ、警戒心を剥き出しにする。
「あッ! まずい!」
 真生が警戒を向けた対象物は、俺の携帯電話だ。
 最新機種から二世代型落ちとなる、見た目にも何の変哲もないどこにでもある携帯電話である。加えて言えば、デコレーションなんかに興味もないし、特別改造を加えているといったこともないノーマル品だ。だから、何か真生に取って都合の悪い言葉をおかんが電話越しに語るのだと俺は思った。けれど、いつまで経ってもおかんが口を開くこともない。
 有樹と泰治が物怪顔で顔を見合わせる中、真生が携帯電話に蹴りを入れる。携帯電話は部屋の側壁に勢いよく衝突した後、パンッと一際けたたましく鳴る炸裂音を響き渡らせた。すると、床に転がった携帯電話のレシーバー側からは、何か得体の知れないものが勢いよく溢れ出る。
 それはパッと見、花粉か何かのような粉状のものだった。けれど、あれよあれよという間に大型の鳥の形状をまとい始めると、こともあろうに鋭い爪と嘴を持った猛禽類と思しき大型の鳥そのものに変化する。
 俺も有樹も泰治も、ただただ開いた口が塞がらなかった。部屋の中を漂っていた楽観的空気なんてものは、既に雲散霧消していた形だ。
「最近の携帯電話って奴は物質まで転送できるようになったのか……。いやいや、技術の進歩ってのは凄いね。俺の骨董品とは大違いだな」
 泰治は自身の携帯電話と、俺の携帯電話とを見比べながらボソッとそんな寸感を口にした。もちろん、どんな最新機種であったって、質量を持った物質を、電話回線それも電波で送信なんてできるわけがない。
 猛禽類は横幅にして二メートルはあろうかという翼を広げると、一声咆哮を上げる。そして、こともあろうにそいつは俺を目掛けて飛び掛かってきた。
 目前に迫る猛禽類を紙一重で回避しようとした矢先。俺は改めて体が自由に動かないことを理解した。直感が「こいつはまずいね」と告げる。ぎゅっと全身を硬直させて衝撃に備えるものの、それは苦し紛れに目を瞑るといったお粗末なものであり、防御態勢というには余りにも酷い内容だ。
 直後、俺を揺さ振るような衝撃が頭部を襲った。けれど、俺はすぐに異変に気付く。
「……あれ? 痛みがないぞ?」
 自身の身に何が起こったのかを確認すべく状況を確認すると、俺の側頭部にくっついていたはずの凜が離れているのが確認できた。凜は俺の後ろの壁際に居て、猛禽類へと飛び掛からんばかりの体勢を取って激しい威嚇を見せている。
 目を瞑ってしまったことで猛禽類の一撃が誰を狙ったものかを、俺はこの目で見ていない。
 凜が俺を庇ったのかも知れないけれど、恐らく猛禽類の狙いは最初から凜だったのだろう。
 俺を目掛けて突進してきた猛禽類だったけれど、側頭部にくっついていた凜が離れた後はこっちを見向きもしないのだ。そして、凜にも猛禽類の鋭い爪で攻撃された後が僅かに残っていた。
 ともあれ、凜が離れたことで俺もようやく体の自由を取り戻した形だ。同時に強制力も掻き消えたことで、俺は真生に対して確認すべきことが山ほど合ったものの、それらは全て猛禽類の出現によって後回しになる。
「どうなってるんだよ、説明しろ! あれは何だよ?」
「電話回線を使って、お母様がここまで手駒を送ってきたんだよ、お兄ちゃん。電話が繋がっている状態っていうのは、遠く離れた二つの空間をこんな風に術で繋げることができるってこと。こっちに術の触媒でもない限りは、こんな高度なことできないはずなんだけど、予め何か仕組んであったのかも知れないね」
 詰め寄らんばかりの俺の勢いに、真生は壁際に転がる携帯電話を指差して答えた。
 そして、誠育寮の部屋に予め何かを仕組んだ可能性について真生が言及した時、不意に俺の脳裏を過ぎる言葉があった。それは「良くも悪くも背後に気をつけて」と俺に助言した、いつかの妖精さんの言葉だ。
 ぞわっと背筋を駆け抜けてゆく第六感があって、俺は慌てて背後を振り返る。すると、窓際には俺へ助言を向けた時と全く同じサイズと格好をした妖精さんがいた。妖精さんはニコリと微笑むと、俺に向けて小さく手を振って見せる。
「真生、妖精さんがいる! 確信は持てないけど、多分部屋に何かを仕組んだのはこの妖精さんで……」
「ごめん、お兄ちゃん。何を言ってるか良く解らないけど、緊急を要することじゃないなら後でも良い?」
 俺の言葉を途中で遮った真生は、猛禽類と睨み合いを続ける形だ。まさに一触即発を絵に描いたような状態で、双方隙あらば襲い掛かると言わんばかりの体勢だった。
 そうこうしている内に、妖精さんはささっと姿を消してしまった。それは、まるで窓硝子などそこには存在しないかのようだった。すぅっと窓硝子を通過してしまうと、ひょいっと空中に身を投げ出した形だ。
 結局、真生が妖精さんの存在をその目に捕らえることはなかった。真生ならば「妖精さんについて何か知っているかも」という期待があったから、俺は大きく肩を落とす。完全に猛禽類から意識を逸らしていた俺に、真生からは叱責にも似た注意が向けられる。
「具現化する前なら電話回線を切断しちゃえばそれで良かったけど、具現化しちゃったからには物理的に対処しなきゃならないんだよ、お兄ちゃん!」
 俺が肩を落とすその横で、猛禽類という脅威に対し有樹と泰治が真生のサポートに乗り出した。
 泰治は相変わらずまるでそれが当然のことのように胸元からガスガンを取り出すと、手慣れた調子でセーフティを解除しながら真生に猛禽類の対処法らついて尋ねる。
「対処っていうのは、具体的に何をすれば良いの?」
「その辺を飛び回ってる普通の鳥を相手にするのと一緒です。掴まえて縛り上げてしまえば良いかと思います」
「媒介云々の話はよく解らないが、対応策については了解した。凶悪そうな面をしているといったところで、高が鳥一匹。とっとととっ掴まえてしまおう!」
 対処方法について確認し終えると、有樹は打てば響くような反応を返した。泰治と顔を見合わせた後、有樹は猛禽類を掴まえるべく飛び掛かる。ガスガンの照準を猛禽類に合わせる泰治が、それを援護射撃する形だ。
 しかしながら、有樹は鳥に触れることさえ適わなかった。素早い動作で回避されただとか、有樹が目測を誤っただとか、そういうことではない。有樹は鳥へと飛び掛かる体勢のまま、一度途中でピタリと制止してしまったのだ。
 泰治が当惑している間に、有樹は飛び掛かった時の速度以上の勢いで壁際まで吹き飛ばされる。
 制止してから吹き飛ばされるまでの一瞬は、まるでスローモーションでも見ているかのようだった。「しまった、跳ね返された!」という言葉がこれほど似合う場面はそうそうないだろう。
 有樹は壁際まで吹っ飛ばされた後「ドガッ」と鈍い落下音を響かせた。そして、そのままゴロゴロと床を転げ回りながら、小さな呻き声を上げる。
「うぐぐぐぐ……」
 目に見えない力で吹き飛ばされた有樹の状態を心配したものの、有樹が負ったダメージの大半は壁に叩き付けられたことに起因しているようだった。
 不謹慎ながら、俺はホッと胸を撫で下ろした。
「へぇ、意外。有樹さんや泰治さんまでお呪いでの攻撃対象にしちゃうんだ。……形振り構わないんだね?」
 真生の質問は猛禽類に返事を求めたものではなかっただろう。眼前で、咆哮を上げる猛禽類が人語を喋れるとは思えない。だから、その言葉は俺の携帯電話へと向けられたもので、恐らくおかんへと尋ねたものだ。尤も、サクラみたいに猛禽類が人語の意味を理解している可能性自体は、十分あり得る話だ。
 ともあれ、真生がその猛禽類の攻撃を「術」によるものだと明言したことで、俺と泰治は逃げ腰になる。目に見えない力が相手ではそもそも注意の仕様がないというのがその理由だ。まして射程がどれぐらいなのかも解らないから迂闊に近付くこともできない。
 そんな理由から牽制を間に挟む緊迫した睨み合いが展開されるかと思いきや、真生は早々に埒を開けに行った。
「サク……、いや、凜!」
 真生はサクラの名前を呼びかけたものの、途中で凜の存在に目を留め対象を切り替えた。凜は直ぐさま真生の意図を察したらしい。真生の挙動に合わせて、猛禽類との距離をゆっくり詰め始める。どうやら真生は永曜学園で風紀委員相手に展開したような、凜を先行させる手段で攻めるつもりらしい。
 しかしながら、サクラ同様、凜が俊敏な動作で行動してしまえば、勝負は一瞬だった。
 基本的に猛禽類は真生に警戒の比重を置いていた格好で、サクラに匹敵する凜の俊敏さは想定外だったらしい。
 猛禽類の体に触れや否や凜はまるで溶け込むかのように姿を消してしまって、その直後には何かを振り払うかの如く暴れる猛禽類の姿があった。真生の過去の言葉を借りるなら、振り払う間もなく「完全に隙を突いた」のだろう。
 猛禽類の異変を真生は見逃さない。凜に続いて、ささっと猛禽類の懐まで飛び掛んてしまえば、腹部目掛けてボディブローを叩き込む。てっきり「身動き取れなくすること」が真生の目的だと思っていたから、その物理攻撃は意外だった。
 猛禽類はマウントポジションを取って優位に立とうとする真生をどうにか払い除けると、必死になって真生との距離を取ろうとする。尤も、激しく真生を威嚇する猛禽類の動きや反応といったものは、既に鈍重だと言ってしまっていいレベルだ。あの凄まじい凜の影響が、内面からじわじわと猛禽類を襲っている真っ最中なのだろう。
 猛禽類がふらふらと蹌踉めくようになった頃合いを見計らって、真生が命令する。
「さぁ、服従しなさい。大人しく床に這い蹲るの!」
 命令された直後はふらふらと左右に揺れていた猛禽類も、最終的にはペタンと頭を垂れて大人しくなった。
 そんな猛禽類の様子を目の当たりにして、真生が満足げに微笑む。すると、真生の影が再びどす黒い漆黒色を伴い、まるでそこに穴ができたかのように猛禽類はずぶずぶと沈んでいってしまった。
 後には何も残らなかった。まるで「そこには最初から何も存在していませんでした」と言わないばかりだ。
 唯一、勝利に高揚した真生が、そこに猛禽類との戦いがあった余韻を残すだけである。
「ふふ、討ち取ったりぃー!」
「……真生。反抗期っていうにはちょっと度が過ぎるんじゃないかしら?」
 威勢の良い真生の勝ち鬨が上がると、壁際に転がる俺の携帯電話からは恨めしそうなおかんの声が響いた。
 しかしながら、携帯電話越しに響き渡るおかんの非難を、真生はものともしない。壁際に転がる俺の携帯電話へと向かってゆっくりと歩き出すと、どこか演技めいた口調で話し始める。
「お兄ちゃんがお母様の力の及ぶ地元を離れ、黒神楽という新天地で生活をする。それを知った時、あたしはお兄ちゃんをサポートする司護としての役を担う時が来たんだと思いました。お母様が蔵元町に施したお呪いは、最小構成でもあちこちに弊害をもたらす特異なもの。特異であった蔵元町での形から、自然である黒神楽の形に移行する。あるべき自然な形に戻るのであれば、あたしもそうあるべき役目を果たすべき、そうですよね? お母様は、そう思いませんか?」
 おかんに同意を求めた真生の言動は攻撃的だとさえ思えた。態度と口調はいつもの丁寧さを欠かなかったものの、そこには自身の正当性を確信する強い姿勢が見え隠れする。
「そうでないとお母様が思うのなら、お兄ちゃんや有樹さん、そして、泰治さんを謀ってあたしの記憶を削ぎ落とし、再びこの黒神楽に大々的なお呪いでも作りますか? 後はあたしを力尽くで実家へ連れ戻して封印すれば「はい、元通り」で全てなかったことにできますものね?」
 真生の推察にはおかんに対する侮蔑にも似る非難が混ざった。そして「どうせそんな思惑なんでしょう?」と吐き捨てるかの如くつらつらと語られた推察の内容に、おかんが口を挟むこともない。そんな構図は、おかんが真生の推察を肯定したかのようにも見えた。
「そんな悪逆非道をどう思うでしょうね? なかったことにしてしまうのだから、何も問題はないと考えますか? お兄ちゃんを始めとして、有樹さんも泰治さんも顔を揃えていますよ。ここでそれを尋ねてみては如何ですか、お母様?」
 何の前触れもなく話を振られるような流れになって、俺は俄に緊張が高まるのを感じた。有樹はそれ程でもない様子だったけれど、泰治に至ってはパッと見でも解るほど動揺を態度に表したぐらいだ。
 尤も、その提案をおかんは良しとしない。真生の提案を前にして、おかんは押し黙る。
「……」
 有樹と泰治、そして俺に意見を尋ねるとなれば、結果は火を見るよりも明らかだ。
 尤も、不利な状況だと解っているからこそ、おかんはそうやって返事をしなかったはずだ。
 一向に提案を受け入れる様子を見せないおかんに、真生は別の切り口でさらに提案を続ける。
「こうしませんか、お母様? お母様があたしを屈服させられたら、あたしは大人しくお母様の制限を受けます。でも、あたしがお母様に一言、例えば「私はお腹の黒い血も涙もない冷血女です」と言わせることができたら、黒神楽であたしがお兄ちゃんをサポートすることを許可する。そんなの、どうですか?」
 こともあろうに、それは「道義的にどうか?」という問題の中で不利に立つおかんに対し、力勝負を仕掛ける内容だった。道義を掲げてメインにチクチク攻めれば、十中八九はおかんから譲歩を引き出せたかも知れないのに、それでは満足できないというわけだ。白黒付けるつもりなのだろう。
 開いた口が下がらなかった。尤も、呆然とする俺達の様子など真生は気にした風もない。
 挙げ句「言い忘れていた」と言わないばかりに態とらしく頓狂な声を上げると、勝敗条件について補足するという形を取っておかんを挑発する。真生がおかんに対して抱く不平不満を、ここぞとばかりに当て付けた形だ。
「ああ、そうそう。台詞の最後を「冷血女です」で締め括れるのなら、途中のバリエーションは何でも構いませんよ、お母様。それこそ「私は猫を被った底意地の悪い冷血女です」でも「私は先祖代々まで語り継がれる希代の冷血女です」でも、お好きなようにどうぞ」
 おかんの要求を真生がきっぱり突っぱねた時と同じかそれ以上に、部屋を漂う空気に劇的な変化が訪れた瞬間だった。体感温度で言えば、氷点下まで気温が下がった瞬間だったろう。
「うふふ、後で「こんなはずじゃなかった」って、泣き喚いても許さないから覚悟しなさいね、真生?」
 怒声こそ発せられなかったものの、だからこそ逆におかんからは内に秘めたる烈火のような憤怒が見え隠れした。確認という形を取って「今ならまだ引き返せる」ことをおかんは匂わせたけれど、真生はそれを「あり得ない妥協だ」と切って捨てる。
「子供は親を乗り越えていくものです。どんな困難な道程であってもやり遂げて見せます」
 きっぱりと対決姿勢を明言した後、真生はぷつりと電話回線を切断してしまった。それ以上の対話など、もう意味を成さないと言わないばかりの態度である。電話越しという形ではあったものの、豪快にもおかんへ啖呵を切った真生の表情に後悔などなかった。寧ろ、そこには何かを吹っ切ったような清々しささえ漂った印象だ。ある程度「いつかこうなるだろう」「いつかこうしてやる」という内に秘めた感情が真生の中には燻っていたようだ。
 真生はくるりと振り返って向きを変えると、来るべき決戦に向けての準備を始める。
「言いましたよね? 陣乃について知ることになれば、危険なことに巻き込まれる可能性がありますと。泰治さんも、有樹さんも、もうただの傍観者で居続けることはできません」
 そこで一度言葉を句切ると、真生は有樹と泰治をじっと注視しながらそのスタンスについて確認する。傍観者で居られなくなった有樹と泰治に「ではどうするか?」の選択を迫った形だ。
 苦渋とも当惑とも受け取ることのできる表情で押し黙る二人に対し、真生はそうやって悩むことを許容しない。
「……あたしに協力していただけますよね?」
 同意を求めた真生の強面は、これでもかと言うほど板に付いていた。
 そして、整った顔付きに釣り目がちという特徴から作り出された真生の強面は、おかんを本気で怒らせた時に見ることのできるものと瓜二つだと思った。ここに来てようやく、俺は真生におかんと似通った部分を発見したのかも知れない。
 ともあれ、そこには直情的に「言葉を濁すことは許さない」という確固たる意志を訴えかける確かな迫力が伴った。
 それは泰治を尻込みさせるに十分足るものだ。泰治は苦し紛れに表情を苦笑で歪めると、ふいっと真生から視線を外して俺へと助け船を求める。その目顔からは「冗談じゃないぞ! 何とかしてくれ!」という当惑が滲み出た。
「はは、良く居るよねぇ、こっちが聞きたくもないことを自分からペラペラ話しておきながら、こういうこと言い出す奴って……。なぁ、言規?」
 俺はキッと口を真一文字に結ぶと、泰治の要求を認識しながら押し黙った。言い訳にしかならないことは解っているけど、泰治が「何とかしてくれ」と目顔で訴えたからこそ、俺はそこに口を挟まなかったのだ。
 ただ、どうにかする手段を模索している合間にも、真生は泰治に対する攻めの姿勢を緩めない。泰治の辛辣な皮肉が自分自身に向けられたものだと理解した後も、真生は一歩も引き下がる素振りを見せないのだ。申し訳なさそうに目を伏せ謝罪の言葉を口にするはするものの、すぐに泰治に対する攻めの姿勢を露わにする。
「ごめんなさい、でももう後には退けませんし、やるからには最善の状態を整えなければなりません。お母様を退けるのには、どうしても泰治さんの協力が必要なんです」
 いつまで経っても一つの助け船さえ出そうともしない俺を、泰治はとうとう恨めしそうな目顔で非難し始めた。
 しかしながら、そうやって俺を非難し続けても、真生の圧力に晒され続けることから逃れることはできない。
 泰治はすぅっと息を呑むと、きっと睨み付けるような鋭い視線を伴って真生へと向き直る。腹を据えたのだろう。そこには意を決した顔付きが滲む。
「いくら何でも相手が悪いよ、真生ちゃん! 香奈恵さんを敵に回すなんて、俺には……」
「泰治さんはあたしが蔵元町に連れ戻されて、封印されちゃっても良いって言うですか? きっと、暗い影の底に一人ぼっちになっちゃいますね。それでも、良いって言うんですね?」
 真生は蔵元町に連れ戻された後の境遇について、泰治の訴えを遮る形で主張した。境遇に対する具体的な内容を言葉にしたことで、傍観者であり続けるという唯一の逃げ道を断った格好だ。
 結局、泰治は言葉の途中で完全に押し黙ってしまった形だった。そこにはついさっき垣間見せた「意を決した顔付き」など、既に見る影もない。そうやって出鼻を挫かれる形で押し負けた時点で、泰治には勝ち目など万に一つも残っていなかったかも知れない。
「……泰治さん。まさか、お母様に荷担するつもりだったりしませんよね?」
 真生から畳み込まれるようにスタンスについて再度確認を求められてしまれば、泰治は一気に浮き足立ってしまう。
「そ、そんなつもりはないよ! でも、だからって人に、それも香奈恵さんに牙を剥くだなんて、俺には……。香奈恵さんには子供の頃から本当にお世話になっているし、何度も色んなことで力になって貰ってるし……」
 しどろもどろになる泰治に、真生が詰め寄る。
「今だけはお母様に勝たなきゃならないんです。お願い、泰治さん、あたしに協力して下さい!」
 蔵元町に真生が連れ戻されるという状況の意味を理解しながら、それでもなお「香奈恵さんを敵には回せないから傍観者で居続ける」とはっきりスタンスを明言できるのであれば、大したものだ。
 但し、その場合は真生が黙って居ないだろうから、ここが修羅場と化すのは間違いない。それを意識すると、俄に永曜学園の廊下で見せた時同様、真生の影がどす黒い確かな輪郭を示し始めた気がした。
 きっと泰治も、永曜学園でのあの場面が脳裏に過ぎったはずだ。
「相手が悪い。それは確かに、泰治の言う通りだ。子供の頃からお世話になってきた人だからね。ある意味、自分の親に噛み付くよりも、ずっとずっと具合が悪い相手だよ、真生ちゃん」
 然無顔の泰治に、助け船は思わぬ場所から出た。
 そうして、横合いから有樹が口を挟んだことで、真生の表情は一気に曇る。
「有樹さんも、あたしに協力しては頂けないということですか?」
 一段低いトーンで有樹にそれを問う真生からは、一気に不穏な空気をまとった印象を受けた。
 有樹の返答如何によっては、サクラ大行進の再現が危惧される状況だ。
 そうは言っても、有樹が示したその見解を非難することはできなかった。必死に頭を捻る俺が助け船を出したところで、同じ轍を踏むことになったのはほぼ間違いないのだ。策略に秀でる有樹がその頭脳を持って、真生を上手く丸め込むことを期待するしかない。
 そして、息を呑んで有樹の対応を窺っていると、あっという間に話はおかしな方向へと進む。
「まさかまさか。他でもない真生ちゃんのたっての願いだ。この副田有樹がそれを断るわけがない。例え相手が神仏だろうが悪魔だろうが、そうだ、希代の天才術士だろうが大恩のある腹の黒い血も涙もない冷血女だろうが、それらに立ち向かうものが愛しの真生ちゃんである限り、この副田有樹は真生ちゃんの側に立ち最後まで戦い抜くだろう」
 俺や泰治が呆気にとられる中、そこに口を挟む間もなく有樹は爆弾発言を続ける。
 尤も、おかんを相手に立ち回ることを良しとした直前の言葉を「あれも爆弾発言だろう?」と問われれば、口が裂けても「違う」とは言えない。しかしながら、有樹が続けた言葉は、それを遙かに凌駕する衝撃を伴う。
「言っただろう、真生ちゃん? 真生ちゃんが一言「お願い」と可愛く強請れば、その頼みを断るなんてことはあり得ないんだ。真生ちゃんが恐い顔して詰め寄ったから、泰治は首を縦には振らなかっただけだよ。もし真生ちゃんから「お願い」と可愛く強請れられて、それでもなお泰治が断り続けるようなら……、その時は泰治が真生ちゃんよりも香奈恵さんを取ったということだね」
 実力行使も辞さないといった強行姿勢を覗かせ始めた真生に、有樹は「それは駄目だ」と打って出た。
 そこまでは良い。問題はそこからだ。
 有樹は言うに事欠き「実力行使などしなくとも、こうすれば快く承諾する」と真生に助言し、泰治の退路をものの見事に断ち切ったわけだ。
 当然、真生は有樹の助言を鵜呑みにして、泰治へ「魔法の言葉」でお願いするだろう。そして、それでもなお泰治が真生の要請を快諾しないようなことがあれば、今度こそ真生は有無を言わさず実力行使という強攻策に打って出るはずだ。
 つまり、それは助け船ではなかった。
 覚悟を決めるための僅かな時間を、泰治に提供しただけに過ぎない。
「……マジかよ、こいつ」
 泰治は額を抑えて空を仰いだ。そして、そのまま重力に引かれるかの如くガクッと力なく項垂れた。
 そんな泰治を尻目に、真生は頬の筋肉を解すように人差し指でクニクニとマッサージをしていた。「魔法の言葉」に向けて準備を整えているのだろう。異様な光景だった。
 有樹は呑込み顔で泰治の眼前に立つと、これが「真理だ」とその肩をポンッと叩く。
「いつかは何かを選ばなくてはならない日が来る。どちらかを選ぶことなどできるはずがない、そう頑なに目を背けようとも、現実はいつも無情だ。この選択はその「プレ」だよ、泰治」
 有樹が泰治の眼前から退くと、今度は入れ替わりに真生が来る。
「お願い、泰治さん、あたしに協力して下さい」
 すぅっと息を呑んだ後、真生が口にした台詞はついさっき泰治へと詰め寄った時と全く同じ台詞だった。尤も、そこには泰治にもう後がないことを示唆した満面の笑顔が伴っている。
 泰治は苦渋に満ちた表情を覗かせると、ふいっと真生から目を逸らす。
「う……、うぅ。畜生、何だって言うんだよ」
 それでも、真生から満面の笑顔が向けられ続けているのは肌で感じていたようで、泰治からは誰に向けるでもない文句が口を付いて出た。泰治は力なく肩を落とした耐性でしばらく唸っていたものの、ふっと全身の力を抜いて溜息を吐くと、早々に抵抗を諦めた。
「解った、解ったよ。……他でもない真生ちゃんのためだ。この円藤泰治、腹を括るよ」
 それはまるで、自分自身に言い聞かせるかのようなか泰治の力ない呟きだった。しかしながら、一度そう断言してしまった後には不承不承なんて表情は掻き消える。毒を食わば皿まで。まさに、その精神だろう。
 真生の協力要請に対して、有樹が当然だと胸を張り、泰治が諦めた表情で陥落した。
 次が俺の番であることは間違いない。なにせ、残っているのは俺だけだ。
 有樹が事成し顔で、泰治が腹を括った決意の灯る顔で、それぞれ俺を見た。すると、最後に真生が俺へと向き直る。
「お兄ちゃん?」
 真生が俺の名前を呼んだ。それは目顔で「解っているよね?」と尋ねる形だ。
 既に外堀も完全に埋められている。有樹は俺が首を縦に振ることを「当然だろう」という顔付きだ。もしも、その予測を裏切れば、有樹は間違いなく真生の側に立つだろう。それは前後の言動からも簡単に推察できる。一方の泰治は泰治で、この状況から俺だけ逃れるなんて真似は絶対に許さないという目付きだ。もしも、俺だけ逃れることができるというようなことになれば、こちらも見苦しくも俺を道連れにするべく行動するはずだ。
「ああ、解ってる。おかんを相手にするんだろ。俺も今回の件については、おかんが正しくないと思ってる」
 納得できない部分もあるにはあったけれど、今回に限って言えばそれが俺の正直な思いだった。おかんに刃向かうという後ろめたさを感じつつも、真生に正当性があることは否定しようのない事実である。
 今回自分を騙してしまえば、俺は必ず後悔するだろう。
 例え、後々地獄の修練のコースが待っているにせよ、修羅場を見ることになったとしても、この決断で良いはずだ。
「これで足並みは揃ったな。では、俺は持てる知識を総動員して、香奈恵さんを迎え撃つための策を張り巡らせるとしよう。そのためにも、色々と確認しておきたいことがある」
 有樹は俄に瞳へ真剣さを灯すと、おかんのことについて真生へ尋ねる。
「まずは真生ちゃんが知り得る香奈恵さんについての情報を教えて欲しい。俺達が香奈恵さんについて知っていることなんて、普段はおっとり系の美人で怒ると恐い言規の母君という程度だからね。正直なところ、貿易会社に勤務する凄腕のネゴシエーターだなんていうのも、まだ信じられないぐらいだよ」
「それ、同感だな」
 泰治が有樹の率直な寸感に同意すれば、自然とその視線は真生へと集まる。
 しかしながら、真生は小難しい表情を覗かせた後「何を説明すればいいか解らない」ことを告げる。
「有樹さんがどんな情報を必要としているのか解らないので、確認したいことについてあたしに質問をして貰う形が良いと思います」
 真生の提案を聞き、有樹は俺と泰治の様子を窺った。「それで良いか?」と目顔で尋ねた形だ。そうして、異論がないことを確認すると、有樹は早速真生に質問をぶつける。
「それでは早速。言規について「術を操る者の家系」と言っていたけど、それはつまり香奈恵さんも例外ではなく術を使えるということかい?」
「使える、と思います」
 真生の返答は酷く歯切れの悪いものだった。その歯切れの悪さは、あくまでおかんについて詳細情報を提供できないところから来たものらしい。
「けど、それがどんな系統の力か。どれぐらいの威力を持っているか。そういうことは全然解りません」
「具体的なところは真生も解らないんだな。おかんのイメージからは懸け離れているけど、……やっぱり妖怪退治とかしてたのかな?」
 おかんの勝手なイメージ像を想像していたら、真生からその勝手なイメージに対して釘を刺される。
「術者と呼ばれる人達みんなが妖怪や怪異の退治をやっているわけではないよ。降り掛かる厄災を未然に防止する厄除け専門の人達もいるし、対象者をあらゆる攻撃からガードしたりするボディガードみたいな役割の人達もいる。後は、敵対者を呪ったり排除したりするのを能動的に行う人達も居るみたいだね」
 術者というものを一括りにはできないこと説明した上で、真生は続いて「陣乃」についても言及する。尤も、それは自身の見聞ではなく、あくまで又聞きであることを前置きした形だ。
「あたしも人から聞いただけだけど、もともと陣乃という家系は大きな術を扱う派閥の中の一つであって、その中でも人間を対象にした総合的な仕事を受け持っていたみたい。それこそ、さっき簡単に触れた厄除けだったり、ボディガードだったり、人を呪ったりする部分を全般的にね」
「全般的に……か。何にせよ、普段のおかんのイメージからは懸け離れた内容だよな。実際、おかんは術者としてどのくらいの腕前だったんだろうな? 実はそっちがあんまり得意分野じゃなくて、今の職種に鞍替えしたとかね?」
 そんな俺の寸感は願望の混ざった楽観だったかも知れないけれど、尤もらしさを持った内容でもあった。おかんという人間と長年接してきた経験から、口にした言葉だったからだ。有樹や泰治も「その可能性は十分ある」と思っているようで、そこに反論を返さなかった。
「お母様。傍流でありながら、最盛期にはその能力は本家を凌ぐとまで言われたらしいんだ。挙げ句、他を圧倒する能力とその冷酷無比振りは「美しい鬼」なんて通り名まで生んだらしい。勝つ気で行くのは大切だけど、慢心は危険だよ」
 しかしながら、そんな淡い期待は真生によってばっさりと切り捨てられた。
 そのおかん情報が本当ならば、この決戦は俺達が思っているよりもずっと難易度の高いものになることは間違いない。
 ずーんと重い空気が部屋を漂い始めた最中、俺は我慢できずに啖呵を切った真生へ尋ねる。
「なぁ、真生。おかんとやり合うとして、どうやっておかんに負けを認めさせるつもりなんだ?」
 威風堂々、喧嘩を吹っ掛けたのだから、そこには勝算があるはずだ。まして、相手が過去「美しい鬼」なんて名前で呼ばれていたことを知っていたのだから、寧ろ勝利に至る道筋を持っていて然るべきだ。
 万が一、勝算もなくおかんに喧嘩を吹っ掛けたのなら、俺は真生を思い付く限りの罵詈雑言で叱責しただろう。
「お兄ちゃんだって、あたしがどんな力を持っているでしょう?」
「……おかんを、操るのか」
 おかんに負けを認めさせる方法を真生が口に出してしまえば、これほどまでに都合の良い能力が「他にあるのか?」とさえ思えた。確かに、おかんを思うままに操ることができれば、屈辱的なキーワードを喋らせることなど容易いだろう。
 しかしながら、俺はその真生の考えには重大な見落としがあることに気付く。いや、真生自身もそれを理解した上で、その方向性でしか戦えないと腹を括っていたかも知れない。
 端から仕草や言動を見ている限り、真生は頭の回転が速く抜け目もないように見える。けれど、永曜学園での対風紀委員時には割と浅い考えの元で行動した前例もあり、俺はその見落としについて敢えて言及する。
「一つだけ確認して置きたい。血縁者にはサクラの力が効き難いんじゃなかったか?」
「うん、効きづらいよ。あたしと血を分けたお兄ちゃんを頂点にして、その次ぐらいには効きづらいんじゃないかな」
 俺の懸念を聞いた真生は、あっけらかんと答えた。
 やはり、それを理解した上でなお、真生はおかんを操るという考えのようだ。
 ふと、真生のそんな受け答えを聞いたことで、俺にはもう一つ気になることが生まれる。
「……なぁ、もう一つ確認して置きたいんだけど、俺が一番効き難いのか?」
「うん、そうだよ。性別だとか些細な違いはあるけど、元々同じ一つのものだったっていうことが大きいみたい」
 真生はさも「当然じゃない?」という顔をして、その認識を肯定した。
 俺は思わず押し黙っていた。
 おかんをどうにかすることは、そんなに難しいことじゃないかも知れない。ふと、そんな考えが脳裏を過ぎった。
 胸を張り「当然だ!」と宣言しなければならない。衝動的に俺を襲ったあの思考は、後少し何か僅かなきっかけさえあれば俺を容易く籠絡したはずだ。即ち、俺に「当然だ」と胸を張って答えさせただろう。
 相手に影響を及ぼすサクラや凜の力に対し、俺が最も抵抗力を持つと真生は言った。それは即ち、あの時に俺が陥った状態までは、おかんにも容易に影響を与えられるということだろう。
 ついさっき味わったあの実体験を、この場で真生に伝えるべきかどうかを俺は判断に迷う。まぁ、判断に迷うという部分はこの際おいておくとして、俺をあの状態へ陥らせたのは凜なのだろう。
 では、真生の凜に対する認識はどうか?
 凜の出現時「サクラと違う部分は色と大きさ」と話していたところを見る限り、凜の人を操る能力がサクラと異なっていることを知らないんじゃないかと俺は思う。凜の力がサクラよりも強大なのか、それとも血縁者に対し強い効果を発揮するだけなのかは判断できない。けれど、少なくとも、真生が行使する力に対して最も抵抗力を持っているはずの俺に、胸を張らせて意志に反する主張を喋らせる一歩手前まで凜は陥らせてくれたのだ。
「泰治さんは泰治さんの持てる力を全て投入して、徹底的にお母様の行動力を奪って……」
 真生はそんな俺の意図を知ってか知らずか、おかんとの決戦に向け泰治に発破を掛けていた。そして、それまでハキハキと喋っていた真生が急に言葉を詰まらせた瞬間のこと。カクンと真生の体勢が崩れた。すぐに持ち直しはしたものの、真生の表情は優れない。
「大丈夫かい、真生ちゃん?」
 慌てて駆け寄った泰治に支えられながら、真生は問題ないことを告げる。
「大丈夫です。けど、お母様から力の供給を遮断されちゃいました」
 苦笑を返す真生だったけれど、それは明らかに作ったものだと解る覇気のないもので「供給の遮断」とやらがかなりの影響を及ぼしたことは想像に難くない。ただ、全く想定していなかったものかと言えば、それもあり得ない話だろう。なにせ、これから「決戦!」という状況だ。
「香奈恵さんにしてみれば、真生ちゃんに力の供給を続けることは自分に盾突く相手に力を貸すようなものだもんね」
「決断したから「はい、停止」と行かない大掛かりなものだったので、正直こんな迅速に遮断してくるとは考えていませんでした。完全に先手を打たれた形ですけど、こんなことすればお母様にもかなりの反動があるはずなんですけどね……」
 供給の遮断自体は事前に予測はしていたけれど、その迅速さが想定外だったと真生は説明した。
 おかんに降り掛かる反動がどの程度の影響を及ぼすのか、俺には皆目検討も付かない。けれど、真生にはそれを供給遮断の回避材料だと目論んでいた節があり、少なくとも不意打ちという形で先行を許したのは間違いない。
「何か弊害はあるのか?」
 有樹の質問に、真生は神妙な顔付きで訴える。
「大ありです、有樹さん。サクラの能力を使うことも制限されてしまいますし、そもそもサクラ自身の能力もガクンと落ちてしまいます。後は、力の供給先をお兄ちゃん一人に頼ることになるので、余り力を使い過ぎるとお兄ちゃんが昏倒しちゃいますね。そうすると、すぐにあたしも共倒れになりますね」
「大きいな、それ」
「結構、大打撃じゃないか」
 おかんに先手を打たれたことを悲観する有樹と泰治を尻目に、俺は一人ふるふると震えていた。「力を使い過ぎるとどうなるか?」に言及した真生の口から、さも「当然」と言わないばかりに俺の昏倒なんて言葉が出たからだ。
 当然、それは初耳の内容であり、看過できる内容ではない。
「俺が先なのかよ! つーか、良いか、一つだけ、これだけは先に言っておくぞ! 手加減してください」
 俺の必死の訴えを聞いた真生は、分別顔で苦笑する。
「ギリギリまでは今ある力を効率よく使っていくよ。今のお兄ちゃんからの供給じゃあ、すぐに底を突いちゃうからね。それこそ、お母様からのサポートがあるつもりで力を使えば、あっという間だと思う。少なくとも、永曜学園でやったようなサクラ大行進はもうできない」
 真生の俺を気遣うしおらしい態度は「俺からの力の供給については期待していない」と言わないばかりだ。できないことの具体例を挙げた真生の言葉に誇張はなかっただろう。恐らく、俺の昏倒の現実味はかなり高いと思われる。
 何とも言えない気持ちに駆られる俺を余所に、泰治は険しい顔付きで真生へ俺達の置かれた状況について再確認する。それは不利な状況に陥った原因を、真生の認識の甘さにあったことを確認する内容だ。
「力押しの「ガンガン行こうぜ」っていう作戦は、香奈恵さんに先手を打たれて封じられたっていう認識でいいね?」
「はい、そうなります」
 真生は一段低い声のトーンを隠そうともせず、申し訳なさそうに泰治の見解を肯定した。
 泰治に真生を厳しく叱責するつもりなどなかっただろう。しかしながら、結果的に重苦しい雰囲気が横たわってしまったことは事実だ。そんな矢先のこと。さも「それがどうした」と言わないばかり、絶妙のタイミングで有樹が気を吐いて見せる。そこには目に見えて気落ちする真生を励ます意図があっただろう。
「はッ! だったら尚更、俺達のサポートが重要になってくるわけだ。なぁ、泰治?」
「そういうことになるのかな。……そういうことになるんだろうなぁ」
 苦笑いの泰治はともかく、有樹の方は相変わらずだ。ともあれ、真生の能力に制限が付くという不利な状況を前にして、目に見えて士気を落とすかとも思ったものの、有樹にしろ泰治にしろ大きな動揺は見られなかった。寧ろ、有樹に至っては「ここが腕の見せどころだ」とでも思っているかのような、気力の漲りようだ。
「決戦は、……明日になるのかな? もし、そうなら、最後の晩餐かも知れない。今夜は何か旨いものでも食べたいね」
 ボソリと呟く泰治の見解を聞き、真生は首を横に振った。そして「今夜こそが決戦になる」という見解を示す。
「時間はあまりないと思います。来ますよ、間違いありません。お母様なら今からでも来ます。お母様が軽く準備を整える時間を考慮しても、恐らく、今夜が決戦になるかと思います」
 真生から具体的な根拠について言及されることはなかったけれど、その口調には強い確信が混ざった。
 そして、束の間の休息を望む泰治には申しわけない気もしたけれど、俺もその認識には概ね同感だった。あまり時間がないという認識に立ち、俺は早速有樹に今後の方針について尋ねる。
「だろうね。さっきのおかんの様子だと、今夜が決戦になると思う。今から構えておいて損はないはずだ。さて、軍師殿。それを踏まえた上で聞きたいね。どういう策略でおかんを迎え撃つ? それとも、先手を取る気で行くか?」
 有樹は小難しい顔をしたまま、俺を横目で流し見ると「少し時間をくれ」と目顔で答えた。思うところがあって「即断できない」という印象だ。そうして、有樹は心有り顔のまま今後の方針案について語り始める。一度話し始めてしまえば、すらすらと淀みなく進んだものの、有樹自身その方針案に迷いを感じていることは明らかだった。
「まずは相手の出方をみたいというのが正直なところだ。今から対峙する香奈恵さんが、いつも俺達の接してきた香奈恵さんであるなら、十分説得できるはずというのが俺の思いだ。……説得不可能と判断した時点で、強攻策に移行したい」
 おかんの変貌度合いを確認できていないのだから、その場当たり的な作戦も仕方のないことだったかも知れない。まして、俺達の誰もが「美しい鬼」だなんて呼ばれたおかんの横顔を見たことはないのだ。説得可能と判断した有樹の思いが吉と出ると凶と出るか、賭だろう。
「では、まず勝利条件の確認だ。勝利条件は、……香奈恵さんに「参った」と言わせること。即ち、サクラちゃんか凜ちゃんを香奈恵さんに接触させ、操ることだ」
 勝利条件へと話を移した有樹は、例のフレーズが「言い難い」と言わないばかりの素振りだった。有樹がフレーズをオブラートに包んだことに真生は不満顔を覗かせる。けれど、有樹は真生の非難を華麗にスルーした上で「それしかない」として選択した作戦について、行けると太鼓判を押す。
「この方法は十分効果があると思っている。相応の反動があることを承知の上で真生ちゃんへの力の供給を早々に遮断したのは、数にものを言わせた力押しで真生ちゃんに攻め込まれた場合、負ける可能性があることを香奈恵さん自身が認識しているからだと俺は考えている。ただ、真生ちゃんに香奈恵さんを完全に操るだけのサクラちゃんを出現させられるかどうかが肝だな。付け加えると、どれだけの数が必要になるかも現状不明だ」
 そこに、懸念点を付け足すことを忘れない辺りは、有樹らしかった。
 ともあれ、そんな有樹の懸念を払拭できる情報を持っていて、そのまま黙っているというわけにもいかない。それに、凜を猛禽類に対して試用したことで、真生もその効果がサクラよりも強いことを確認しただろう。
「……それなんだけど、凜が突破口になってくれると思う。実を言うと、凜は、無理矢理、俺に口を割らせる寸前まで、俺を追い込んだんだ。真生の力に一番耐性を持っているのが俺だというなら、おかんにはもっと利くはずだろ?」
「お兄ちゃんが言うように、凜は確かにサクラよりも強い力を持っているみたいだね。でも、お母様からの供給が絶たれたことでサクラや凜の能力が低下している今の状況を考慮すると「もっと利く」っていうのは難しいかもだね」
 実体験に基づく俺の楽観を、真生は状況が異なることを理由に否定するしたけれど「凜が切り札である」とあるという認識自体に相違はなかった。
 不意に、漆黒色を伴った真生の影の中から凜が姿を覗かせた。凜の名前が飛び交ったことで自分が呼ばれたと思ったのか、真生が呼び出したかは不明だ。尤も、凜は俺達から注目を浴びていることを理解すると、まるで「恥ずかしい」と言わないばかりにささっと影の中に引っ込んでしまった。
 それでもどうにか懸念が払拭されて、おかんを攻め落とす見通しが立ったことで有樹の言葉にも力が入る。
「真生ちゃんからの情報をまとめた限り、香奈恵さんの攻撃方法は術によるものが主体になると思われる。ただ、香奈恵さんが用いる術の種類は不明で、術については知見がなく対抗策も立てられないのが現状だ」
 おかんが術者の血を引くという点は、俺も未だに信じられない。そんなことを言ったところで、説得に失敗しておかんと対峙することになれば、俺はそれを否応なく理解することになるのだろう。そして、そんな自体になれば、俺は「美しい鬼」と呼ばれたおかんの片鱗も同時に目の当たりにするはずだ。
「真生ちゃんが眉目秀麗な容姿同様に、香奈恵さんの能力も引き継いでいると考えるならば、香奈恵さんの術の種類は自ずと精神操作・精神感応の類だと推測される。そこを考慮すると、香奈恵さんの能力に耐性がない俺や泰治の接近戦は極力避けるべきだと思う。俺と泰治は、あくまで遠距離から香奈恵さんの機動力を奪うことを第一優先とし、然るべきタイミングで囮役に化ける。言規と真生ちゃんは別働隊という形を取って香奈恵さんを急襲し、精神操作によって屈服させる。これが今の情報を元に構築した中で、俺が最善策だと判断した作戦だ。さて、何か質問や反論はあるか?」
 術について知見がなく対抗策が立てられないと言いながら、有樹はしっかり作戦を作り上げてきた。
 おかんの能力を仮定しているところや、俺や真生がおかんの術にある程度の耐性を持っていることを前提にしており、多くの不確実性を孕む内容だったものの、今すぐこれ以上を望むのは酷だろう。
 肝心の真生に異論がないことを目顔で確認した後、俺は無言で首を縦に振った。
「それでは、以上を踏まえて当作戦をコードネーム「ブラック・ゴッド・ダンス」と命名し発動する」
 有樹の大号令に一つ遅れて、俺と泰治の咆哮が黒神楽にこだまする。
「うおおおおおおお!」
 こういう場面では、こんな風に気炎を上げるというのを真生は理解していなかったらしい。真生は一人取り残される形で、状況を飲み込めずオロオロとしていた。それでも、さらにワンテンポ遅れながら右にならえで拳を高く掲げ挙げれば、真生も咆哮をあげる。
「おお!」
 不揃いながらも、そこには一体感が生まれた気がした。
「早速だが、泰治は香奈恵さんの迎撃場所の選定作業に入って欲しい」
 大筋が固まったことで、有樹はすぐにその作戦を展開可能な場所を泰治へ求めた。
「選定って、……その言い方だと、俺が既にいくつか迎撃場所の候補を持ってるっていうことになるんだけど?」
 どうして「選定」という言葉を使ったかを問い掛けた泰治に、有樹は「さも当然」という口調で切り返す。
「どうせ、泰治のことだ。その手のゲームができそうな候補地を、もういくつかピックアップしてあるんだろう?」
「うん、まぁ、悔しいけどその通りだよ。既に黒神楽だけで六カ所ほど場所は抑えてある。了解、有樹が想定する策略にカチッと填る場所を選定して見せるよ」
 そんな有樹の指摘は的を射たものだったらしい。泰治は苦笑しながら「参ったな」と言わないばかりに頭を掻いた。有樹に行動を読まれたことで、きまりが悪いのだろう。ともあれ、泰治からは非常に頼もしい台詞が返った。




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