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Seen04 他人の口から強制的に思い通りの言葉を喋らせる程度の能力


 状況は一変した。
 耳を澄ませる。そうすると、真生のいう「物々しい雰囲気をまとった」人達の音はすぐに確認できた。
「先生、こっちです!」
 拾い取ることのできた言葉はあくまで断片的なものだ。けれど、自分の置かれた状況というものを顧みるには、それだけでも十分過ぎる内容だった。俺は思わず、顔を顰める。
「こいつはまずいな」
 有樹、泰治と顔を見合わせると、打てば響くように指針が提示される。
「ひとまず、真生ちゃんの件は棚に置いておいて、この場から離脱するぞ」
「……だな」
 頷き合って対応を確認すれば、後は迅速に行動へ移るだけだ。
 最初に走り出したのは泰治だっただろうか。
 ともあれ、靴音は一方向から近付いくる形で、俺達はその靴音とは反対方向へとひたすら走るだけだ。尤も、有樹辺りは待ち伏せだとか罠といったことも念頭に置いて深読みしていたかも知れない。
 そうして、一斉に走り始めた矢先のこと。ふと、俺はズボンのポケット回りに違和感を覚え、走る速度を緩める。
「言規! 何してる!」
 俺の様子に気付いた有樹からはすぐに注意が向いたけれど、俺はその違和感を無視できない。慌ててポケットへ手を突っ込んでその違和感の理由を確認してしまえば、俺はそこにあるはずのものが存在しないことに気付いた形だ。
「しまった、携帯電話!」
 すぐについさっきの光景が脳裏を過ぎった。
 サクラの一撃を受けて携帯電話が廊下を滑って転がっていった先は、最悪なことに追っ手の声がした方向だ。
 俺が頓狂な声を上げて立ち止まったことで、有樹も泰治も完全に足を止める。
 俺の携帯電話まではここからかなりの距離がある。先ほど耳を澄まして聞いた「物々しい雰囲気を持った人達」の音の方も、まだかなりの距離があるように感じられたけれど、拾いに行ったところで鉢合わせという可能性も捨てきれない。
 携帯電話を拾いに行くことについて二の足を踏む俺に、有樹はそれをすべきと断言する。
「多少の危険を冒すことになっても、今拾いに行くべきだ。在学生の落とし物だというならまだしも、入学式さえ済ませていない新入生の落とし物だぞ? 落としたというには場所が悪いし、登録情報から確実に身元もばれる。ここにあれを残していくと厄介なことになる」
 有樹に発破を掛けられて、俺はようやく一歩を踏み出した。しかしながら、いざ踵を返して携帯電話を拾い上げに行こうとした絶妙のタイミングで、物々しい雰囲気を持った件の「人達」の気配が丁字路の曲がり角までやってきた。
 俺はどうにかその場に踏み止まる。
「あっちゃー、最悪のタイミングだな」
 背後で溜息混じりに泰治が呟いた。
 丁字路に人影が姿を現して、俺は緊張から息を呑む。
 どう対応するべきか。思考をフル回転させるものの、この場に及んで俺の思考はその答えを示してくれない。臨機応変と言えば聞こえは良いけれど、突然対処を求められてもまともな対応ができないなんてままあることだ。
 携帯電話を拾うため、後先考えずに突っ込んでいくべきだったかも知れない。今からでも、そうすべきかも知れないなんて思い始めた矢先のこと。不意に、襟首をグイッと引っ張られた。何事かと背後を確認すると、有樹が襟首を掴んでいるのが確認できる。
「身を隠すのが上分別だ、言規。その顔色で白を切り通そうとするのは、無謀極まりない」
 そうやって力任せに引きずり込まれた先は、夕日の差し込む人気のない教室だった。
 窓硝子にうっすらと映し出された俺の表情は不安一色に染まっていた。ポーカーフェイスでことに当たれるのならばまだしも、有樹が指摘したようにこの表情では疑って掛かられるのが落ちだろう。
「……どうしよう?」
 俺がその意見を窺う相手は有樹である。
 迸る思考演算を駆使し、有樹はすぐさま俺に選択肢を提示してくれる。
「選択肢は四つといったところだ」
 無骨なフォントで風林火山の文字が描かれた扇子を上着の内ポケットから取り出すと、有樹は鋭い目付きで廊下の向こうを睨み見る。この手の状況下では、有樹は自身が最善策と思うものを一番最初に持ってくるのが定例だ。そして、有樹が伴う鋭い目付きは、自身が最善策と信じる一手が攻撃的なものであることを物語っていた。
 再度、俺は緊張から息を呑む。
「一つ、強行突破を試みる。但し、多勢に無勢で旗色が悪い上に、俺にしろ言規にしろ泰治にしろ、腕に覚えがあるタイプじゃない。威力回りを違法改造スレスレまで強化した泰治特製のハンドガンがあるが、そいつをぶっ放すとことが上手くことが運ばなかった時には逆に不利な状況へ追い込まれることになる可能性が高い。やむを得ない場合を除き、使用は許可できない」
 有樹が提案したものとは思えないほど、それは在り来たりな強行策だった。尤も、それを最善策として持ってきたあたり、それだけ逼迫した事態だといえるのだろう。
 俺達に口を挟む間を与えることなく、有樹は扇子の先を俺と泰治へと向け続ける。
「一つ、騙し討ち。幸か不幸か、俺達は永曜学園の制服姿だ。何食わぬ顔をして相手に近付いていって不意を突き、言規の携帯電話を奪取。その後、この場から離脱する。但し、相手の警戒は相当なものだろうし、奪うに当たって激しい抵抗も想定される。そもそも奪った後にも、土地勘のない俺達が逃げ回るというかなり厄介な問題がつきまとう危険な手段だ」
 有樹は敢えて口にはしなかったのだろうけど、ついさっきまで不安一色に染まっていた俺の顔色のこともある。深呼吸をした後「それではここからポーカーフェイスでことに当たるぞ」と要求されて「はい、そうですか」と簡単に切り替えられるはずがない。
 有樹はこれ見よがしに「パンッ」と小気味よい音を立て扇子を閉じた。そして、閉じた扇子の先を靴音が迫る廊下の反対側へと向けて見せて、次の選択肢を口にする。
「一つ、兵法三十六計、逃げるが勝ち。言規の携帯を諦めてさっさと逃げるという手段だ。彼らに携帯を拾われなければ万々歳。もし彼らに携帯を拾われることになった場合は、受験の時、もしくはオープンキャンパスの時に携帯を落としましたと言い張って白を切り通す。尤も、巧く行く公算はかなり低いな。通話記録や行動記録を洗われると高確率でアウトだ」
 三案目を聞いている限りでは、携帯電話を置いていくことはともかく、ここから逃げるという選択肢自体がさもすんなり実行可能なものである印象を受ける。しかしながら、ここから逃げるというのも、既にかなり難易度が高いと言わざるを得ない。聞き耳を立てると、俺達を捜す声が廊下でざわついているのだ。それも、それは一人二人からなるものではない。
「最後の一つは、白旗を立てる。……提示しておいてあれだが、建設的ではないな。そんなことをするぐらいなら騙し討ちでも強行突破でもやるだけやった方が良いだろう」
 恐らく、その事実を踏まえて有樹が語ったものが四案目だったのだろう。
「八方塞がりじゃないか!」
「打開策はないのか、軍師殿!」
 俺と泰治に詰め寄られて、有樹は唸る。
 今回ばかりは、その経験値を持ってしても簡単に打破できる状況ではないらしい。それはもちろん、有樹がこの先の展開を読み切れないということがあるのは間違いない。ここは土地勘のない黒神楽という土地であり、永曜学園という不慣れな場所だ。
 しかしながら、ここで打開策を提示してこそ、俺の中学時代にあらゆる場面で知略を振るった副田有樹という男だという期待は強い。
「やはり、俺が推すのは強行突破、それも急襲だな。方法論は、……まずは身を隠し、相手の総数と携帯電話の拾い主をチェックする。その後、迅速に相手へ分断工作を仕掛け各個撃破をするのが常套手段だ。但し、目標は携帯電話の拾い主で、携帯電話の奪回が最優先事項だ。霞咲駅でトリッキーな動きを見せた真生ちゃんにも援軍を頼むという手もあるが……、何にせよ分が悪いのは否めないし、こちらに及ぶ被害も大きいことが予想される」
 有樹は援軍と言った下りで真生へと視線を向けた。しかしながら、この状況下で真生に大車輪の働きを期待するのは難しいと、有樹は判断したらしい。俺と泰治へ向き直って一つ大きな溜息を吐けば、決め手に欠く旨をその態度で示した。
「言うまでもないが、次点は騙し討ちだ。計略で状況を好転させたい。相手の出方を窺いながらの駆け引きが重要になってくる。彼らが俺達の話に聞く耳を持ってくれて、巧く言いくるめられてくれるタイプならば、そちらを足掛かりに攻めることもできるだろう。言いくるめる手が駄目でも、途中から強攻策に打って出れば良いが……」
 最後に言葉を濁した有樹の言わんとするところを、俺はすぐに察した。
 策としては白を切り通すつもりで相手に当たり、雲行きが妖しくなり始めたら強行突破に移行するという場当たり的なものだ。つまり下手な芝居を打つにしろ、役者がきちんと役を演じられなければ、騙し討ちは成立しないことを意味する。
 様々な要因を天秤に掛けた結果として、成功率が低いと思われる騙し討ちよりも急襲という手の方が良策だと、有樹は結論づけたわけだ。
「どちらを選ぶにせよ、被害なく切り抜けるというのは至難の業だろうな」
 心なしか、緊張気味の有樹の横顔が目に飛び込んできて、俺も泰治も自然と顔が強張り始める。
 突然、有樹が自分の鞄の中身を漁り始めた。どうやら、この状況を打開可能なアイテム探しを始めたらしい。
 けれど、有樹の鞄の中から出てくるものはどれも、ウェイバースリントン黒神楽店で購入したパッと見では用途が良く解らないものだった。煙幕弾でも飛び出してくれば一気にこの事態を打開する特効薬になっただろうけれど、当然そんなものが都合良く出てくるわけもない。尤も、ウェイバースリントン黒神楽店で実際に支払いした有樹がその中に特効薬がないことを理解していないはずがない。有樹が鞄の中身に求めるものは、特効薬ではなくあくまでサポートツールである。
「視線誘導なんかに使えそうなものはないのか? やはりもっと色々と購入しておくべきだったな。ダーツの矢に、トランシーバーに……」
「旗色が悪そうだね? 助けてあげようか? あたしなら、打開策を提示してあげられるかも知れないよ?」
 不意に今の今まで黙って様子を窺っていた真生からそんな提案が向いた。
 突然横合いから飛び込んできた提案に、俺達は顔を見合わせる。藁にも縋る気持ちから、助けを求める言葉がすぐに喉元まで出掛かったものの、なにせ相手が相手だ。
 躊躇う俺の様子など目に留めていないかの如く、真生は自信たっぷりの口調で続ける。それはまるで自分が手を貸せば、この事態を打開することなど容易いとでも主張するかのようだ。
「お兄ちゃんは知らないだろうけど、本来あたしはお兄ちゃんをサポートするために存在するんだ。だから、もしもお兄ちゃんがあたしの助けを望むというのなら、手を差し伸べてあげないこともないよ」
 その真生の口振りは、俺に見返りを要求するそれだ。
「何が望みだ?」
 真生は口許に笑みを灯すと、これだけは譲れないという態度を覗かせる。
「して貰いたいこと、聞いて貰いたいことはたくさんあるよ。だけど、まずは、あたしのことを「お前」って呼ばないことかな、お兄ちゃん?」
 余りにも簡単に呑んでしまえる要求が出たことで、俺は拍子抜けする。それは完全に想定外の要求だった。てっきり、こちらの足元を見て、もっと受け入れ難い要求が突き付けられると思っていたのだ。
「どう、呼べばいい? どう、呼んで欲しいんだ?」
「あたしの気分を害しない範囲であれば、お兄ちゃんのお好きなようにどうぞ」
 真生は小首を傾げるようにして俺を見ると、早速その見返りを要求する。
 真っ先に脳裏を過ぎった「お前」という呼びかけの代替案は、霞咲駅での第一印象である「蜘蛛女」というものだった。もちろん、それが真生の気分を害しない範囲にある「言葉」だという認識はない。
 実際に真生が口を切って忠告することはなかったけれど、その目は鋭さを持ち「良く考えて発言すること」を、俺に要求していたこともある。
 俺が言葉に詰まって押し黙ってしまえば、その代わりと言わないばかりに有樹が真生へ尋ねる形で口を開いた。
「その打開策は彼らから言規の携帯を取り戻し、且つこの場から五体満足で離脱することができるものなのか?」
「はい、そうです。有樹さん」
 真生は有樹を見る目に確固たる自信を覗かせていた。
「それは力業? 話し合い? それとも全く別の何か?」
「方法は、……有樹さんみたいにいくつか提示することができますね。でも、あたしならば、そのいずれであってもこの状況をどうにかすることができます」
 真生は力強く断言した。そこに、口から出任せを言っている様子は見受けられない。尋ねれば、真生はその言葉通り方法について複数個をすらすらと提示して見せるだろう。だから、具体的な根拠が真生から示されなかったものの「期待をするな」というのは無理な話だった。まして、頼みの綱である有樹が有用な策を提示できない難局面での助け船なのだ。
「言規!」
 俺の名を呼び決断を迫る声はステレオだった。
 真生の実力は完全なダークホース。この場で何をやらかして、どうやって状況を打破するかも不明。それでも、当の本人がこう言っているのだから、算段はあるのだろう。
 まして「どうにかすることができる」と宣ったその口調には一寸の曇りもない。
 どうする?
 この状態の打破を真生に頼んでしまったら、済し崩し的に真生という存在を受け入れざるを得なくなるような気がした。しかしながら、そんなことを悠長に思案している時間など俺には残されていなかった。状況は、既に切羽詰まってしまっているのだ。
「ま、真生。携帯を取り返して、ここから逃げる。力を貸して欲しい」
 一度、どもる形にはなったものの、俺は目の前に立つ自称「妹」を真生と名前で呼ぶことを良しとした。一度それを許容してしまったら、少なくともそのラインを元に戻すことはできないことを知りながらである。
 名前を呼び捨てにする安易な代替案ではあったけれど、その呼びかけに真生は満足そうに微笑んだ。そうして、両膝を軽く叩いて「パンッ」と小気味よい音を一つ響かせると、ゆっくりと立ち上がる。その視線は既に廊下の気配を窺っていて、いつ行動を開始してもおかしくはない状態に見えた。
「ああ、そうだ。一応確認するけど、ここで力を使っても良いんだよね? あたしがここで力を使うことを、お兄ちゃんは承認してくれるんだよね?」
 不意に、俺の方へと顔だけを向ける格好で、真生からはそんな意図の不明確な質問が向いた。
 力とはサクラのことだろうか。ともあれ、その質問内容に、俺は呆れ顔を返す。承認するも何も、今の今まで真生は散々俺にサクラを嗾けている。「今更何を言って居るんだ」というのが、俺の本音だった。
 当然、俺の返事はその思いに準じた内容になる。
「ああ、霞咲駅でやったようにサクラを嗾けるも良し、力尽くで取り返すでも良し。手段は問わない! 何でも良い! 取り敢えず、携帯電話を取り返してくれ」
 それは真生の気持ちを鼓舞するため殊更派手に煽った言葉だと言って良かった。質問内容の今更感は、取り敢えず横に置いた形だ。何せ、状況が状況である。「これから相手に対峙する」という場面に際して、真生のやる気を削いでしまっては元も子もない。そこに深い思慮などなかった。真生に何をすることができて、何をすることができないのかを理解していないからこそ、口走ることができた内容だと言って良い。
 そこまで言い終えてしまってから、俺は一抹の不安を感じることになる。
 俺の発言を受けて、真生が覗かせる一連の表情が余りにも象徴的だったからだ。一瞬の、驚きを隠さない顔付き。そして、すぐにそれを覆い隠すように浮かび上がった、鼻歌交じりの機嫌の良さである。立てて加えて、口を切って言う台詞はこれでもかと言うほど、この後の展開を目一杯まで楽しもうとする感情が見え隠れする。
「オーケー、任せておいてよ」
 俺が感じたものと同質の、得も言われぬ不安を泰治も感じ取ったらしい。そんな真生の様子を前にして、慌てた調子で口を挟んでくる。
「ま、待った! 全面対決は可能な限り避けるべきだよ、真生ちゃん! できることなら、なるべく穏便に話し合いで解決したい。相手は一応俺達の進学先の先生と先輩方で、今回は俺達にも非があるんだ。そこは考慮しなきゃ!」
 泰治の主張を聞いた真生は、一瞬不服そうな表情を滲ませた。けれど、すぅっと流し見るように俺の様子を確認した後、その主張をあっさりと受け入れる。恐らく、俺が真生を鼓舞した時の攻撃的な勢いを、既に伴っていないことを確認したからなのだろう。
「……うん、そうですよね。平和的解決が一番スマートですよね。それじゃあ、彼らから自主的に返却して貰うっていうシナリオで行くことにしましょう」
 目に見えて真生の姿勢が変化したことに、俺が安堵の息を吐いたことは言うまでもないだろう。
 ともあれ、真生が平和的解決を図ると明言したことで、一際顔付きに真剣味を伴わせた人物がいる。
 それは、有樹である。
 どういう手練手管を用いて、彼らから自主的に携帯電話を返却して貰うのか。有樹の興味は既にそこへと向いているようだ。尤も、その下りは俺に取っても非常に気に掛かる部分であるのは言うまでもない。
「真生ちゃん、俺達はどう動けば良い?」
「今回は、黙って見ていてくれれば良いと思います」
 有樹の質問に、真生は笑顔で答えた。しかしながら、それを真に受けて、完全な傍観者に徹するというのは無理のある状況だろう。どう転んでも言いように、いつでも加勢、または逃走を図れるように心構えだけはしておく必要がある。
「有樹さん、これ、借りても構いませんか?」
 そう前置きすると、真生は有樹の鞄の中からダーツの矢を取り出した。有樹の鞄の中から迷うことなくそれを取り出す様子は、最初からダーツの矢に目を付けていたと言う風だ。
「ああ、それは構わないが、……そんなもの一体何に使うつもりなんだ?」
 ダーツの矢の使用用途を想像できない有樹からの疑問に、真生はニコリと微笑む。
「これが事態を打開する最重要アイテムになるかも知れませんね」
 含みを持たせたその言い回しは、まるで「見てのお楽しみ」と言わないばかりの口振りだった。
 不意に、真生と有樹の表情に真剣味が灯り、廊下へと向ける目付きにも鋭さが伴った。
 聞き耳を立ててみると、静まり返った廊下には靴音が響き渡るところだった。
 丁字路にぞろぞろと姿を表す連中は、永曜学園の制服に身を包み、袖口には「風紀委員」のワッペンを付ける。見るからにお堅そうな印象を受ける連中だった。
 有樹は真生がどんな手練手管を披露するのか気になるらしい。胸を張って廊下へと躍り出ていく真生の背中を「お手並み拝見」と言わないばかりの真剣な顔付きで眺めていた。まさに、一挙手一投足見逃すまいとする鋭い目付きだ。
「こんばんわ」
 俺達が固唾を呑んで成り行きを見守る中、開口一番に真生が口にしたのは挨拶だった。平和的解決という言葉通り、友好的にことを進めるつもりなのだろう。
 しかしながら、では相手方はと言えば、お世辞にも友好的に話を進めてくれそうな態度ではない。
「ああ、こんばんわ……じゃない! おい、お前! 一体何年何組の生徒だ? 名前は? 窓硝子を破壊したのもお前か? ジャージ姿ということは部活動の帰りか? どこの所属だ?」
 矢継ぎ早に質問が多投されたけれど、真生に答えるつもりはないようだ。
 口許に微少を灯しながら、まるで一つ一つの挙動を見せ付けるかのような緩慢な動作で、真生はゆっくりと相手との距離を詰めていく。それを見ている限りでは、少なくとも俺を相手にして見せた時のように、相手を力尽くでどうこうするというつもりはないように見える。
 尤も、質問に答えず無言で距離を詰めるという不敵な真生の態度が、相手方の警戒を強めたことは言うまでもない。そして、相手方まで後二メートル強という距離まで真生が近付いた時のこと。そこが「限界」と言わないばかりに、相手方の一人が身構える。
 真生はそのラインを見定めようとしていたのかも知れない。相手方の反応を受けて、ピタリと足を止めたのだ。
 不意に、真生がパチンッと指を鳴らす。すると、廊下を灯す蛍光灯がバチッと不吉な音を立てて明滅した。俺達を含め、真生を覗いた全員が、天井へと目を向けた瞬間だったろう。
 俺や有樹はその明滅を真生が何かをした結果だと確信したものの、風紀委員は顔を顰めながらもそれを「ただの偶然」と結論づけたようだ。何をしたかまでは解らない。けれど、視線を天井に誘導し何かを仕込んだのは間違いないと思った。
 風紀委員の対応にも、真生は不敵な表情を一切変化させない。そして、有樹や泰治に対する時と同様、非常に丁寧な物腰で何事もなかったかのように話し始める。
「不躾で申し訳ありませんが、先ほど拾って頂いた携帯電話を返却して頂けませんか? それ、あたしのお兄ちゃんのものなんです」
 風紀委員はお互い顔を見合わせた後、そんな真生の要求をきっぱりとはね除ける。
「まずはこっちの質問に答えてくれないか。話はそれからだよ」
 ただ、風紀委員側に取り付く島がないかと言えば、そうでもなかった。真生の口調が丁寧で、パッと見そこに反抗的な態度を確認できないからだろう。
 そこには、真生と風紀委員が睨み合う構図が生まれる。両者一歩も引かない姿勢を前に、真生が風紀委員の質問に答えない限り「何も進展しないだろう」と思われた矢先のこと。真生の要求を聞き入れる奴が風紀委員の中に居た。
 それはたった一人だけではあったものの、その一人が問題になった形だ。そいつは俺の携帯電話を拾い上げ、今もその手に持つ男だったのだ。
 男は辿々しく話し始めると、手に持つ携帯電話へ視線を落とし、真生の要求通り返却を申し出る。
「ああ、うん。これのこと、かな? はは、もちろん、返却させて貰うよ。あるべきものをあるべき場所に返す、その橋渡しをこの俺がやる。これこそまさに、委員会活動を通して得ることのできる至上の喜びの一つだね。まして、その過程でこんな美しいお嬢さんとお近づきになれるのだから、俺は今、最高の気分だよ」
 返却を申し出た身内の男へと、風紀委員の面々が向ける視線はどれも強く訝るものだった。
 俺達が傍目に見ていた限りでは、すらすらと流暢な言葉で真生にお世辞を向けた彼の言動に不審な点はない。軽薄な印象を強く受けたものの、こういう手合いは少なからずいるわけだ。風紀委員のワッペンを付ける面子の中に居たというぐらいが、唯一の違和感だったろうか。
「須永(すえなが)? ……なんか、お前、いつもと違うぞ? そんなこと言うような奴だったけか?」
 その須永の言動を「普段と違っていてどこかおかしい」と思うのは、恐らく普段の彼を知っている人達だけだ。そして、風紀委員の面々は、その「普段の須永」を知っているからこそ、怪訝な表情で彼を見、そう指摘していた。
 須永と呼ばれた男に、真生が何かをしたのだと思った。
 そんな推察を肯定するように、真生はその申し出に笑顔で会釈を返す。
「ふふ、ありがとうございます」
 穿って見ると、それはまるで、そうなることが解っていたかのような態度に見える。
 但し、ことはそう簡単に運ばない。返却を申し出た男以外の面子は「返さない」という意志をはっきり示していたからだ。返却を申し出た男は、あっという間に回りの面子に詰め寄られる形となる。
「おい、須永! お前、何を言ってるんだよ? まだ相手の素性も確認していないんだぞ! 返却なんてできるわけないだろう!」
「いいや、返却するべきだね。そこは正しく線引きされるべきだ。携帯電話を楯に彼女を足止めして、色々聞き出そうだなんて、やり方として間違っている。それは本来模範となる俺達がやっていいことじゃない。いいか、そもそも模範とは見ならうべき手本のことだ。では、永曜学園に取っての模範とは……」
 一貫して返却を主張する須永だったけど、その理由は徐々に聞き手が首を傾げるおかしな方向へと飛躍していった。その主張に至る理由が、せめて首尾一貫していれば、まだ須永の意見に賛同するものも居たかも知れない。けれど、須永の主張が支離滅裂気味になるにつれ、その言葉を真摯な態度で聞くものは純減する。
 須永が発端となった風紀委員内の内輪揉めを、真生は神妙な顔付きで傍観していた。成り行きを注視していたという言い方の方が適当かも知れない。
 顔を顰めた風紀委員の一人が、とうとう率直に須永の言動を「おかしい」と指摘する。
「というか、お前、何かおかしいぞ?」
「そんなことはない。至って普通だ。いつも通りだよ。もしも、いつも通りであるはずの今の俺を君らがおかしいというのであれば、君らの方がおかしくなっているんだろ! 俺をいつも通りという言葉で縛り付けて、何を企んでいるんだ!」
 その指摘に須永は強い口調で真っ向から反論した。けれど、その反論へと至ったところで、メッキは剥がれてしまったと言って良い。誰が見てもその言動は狂気じみていた。
 風紀委員の面々は、怪訝な表情で顔を見合わせる。
「取り押さえろ」
 結論はすぐに出た。
 風紀委員の内の一人がボソリと呟いてしまえば、そこに反対意見を口にする者などいなかった。
「うわぁーッ、離せ! 離せー!! 俺は、俺は彼女に携帯電話を返却するんだ! 返却しないとならないんだ!」
 錯乱気味に暴れ始めた須永は、背後から羽交い締めにされる形で抑え付けられる。すると、すかさず風紀委員の一人が須永の手から俺の携帯電話を強引に剥ぎ取ってしまった。
「止めろ! 携帯電話を返却しないと大変なことになるぞ! 彼女の背中に純白の翼が見えないのか? 彼女は天使だ! 地獄に堕ちることになるぞー!」
 既に須永の言動は支離滅裂を逸し「幻覚でも見てるんじゃないか?」と思えるレベルへ到達していた。
 風紀委員が須永の錯乱原因を突き詰めようとする時、真っ先に追及の手を向けるのは真生である。
「お前、須永に何をした?」
「……催眠術って奴か?」
 誰かがボソッと呟いた。それは真生へと尋ねたものに過ぎず、あくまで根拠のない推測から出た単語に過ぎない。けれど、その単語は風紀委員達の中で勝手に一人歩きを始めて、急速に真実味を帯びていった。真生に対する物恐ろしさや恐怖といったものが、その真実味を尤もらしいものへと変えたのだろう。
 ただ、須永の状態を目の当たりにした俺が、真っ先に想像したのも風紀委員同様催眠術の類だった。恐らく、催眠術そのものではないにしろ、効能的に催眠術とそう違わない何かが真生の手によって実行されたのだろう。
 人を操る能力というものを目の当たりにして俺は背筋に冷たいものが流れるのを覚えた。
 風紀委員から真生へと向く警戒心は、そこを境にぐぐっと度合いを甚だしくする。
 それを知ってか知らずか。当の真生は相変わらず質問に答えようとはしない。相変わらず、ニコニコと微笑むだけだ。尤も、今となってはそんな笑顔も、逆に相手へ恐怖を与える以外のなにものでもない。
 真生はしれっとした顔で、須永の主張へ理解を求める。
「須永さんが返却すると言ってくれているのですから、それでいいじゃないですか?」
「馬鹿言いやがれ! 何だか良く解らんが、お前ら全員、今から反省室行きだからな! みっちり扱いてやる!」
 当然ながら、そこに返る言葉は辛辣な反発だ。
 真生は唇をへの字に結ぶ。そこには憮然とした表情が覗いた。
 風紀委員からの辛辣な反発が「想定外だった」とでも言うつもりなのだろうか?
 ともあれ、思うようにことが進まなかったからであるのは間違いない。
 ふと気付けば、真生の物腰からは柔らかさが掻き消えていた。携帯電話の返却条件を確認しようと口を開く真生の、丁寧な口調自体に変化はないけれど、そこには相手に返答を強要する確かな迫力が伴う。
「皆さんの意見が一致しないと、携帯電話は返却していただけないということですか?」
「当たり前だ! 大体、穏便にことを進めたいなら、穏便にことを進めたいなりの態度ってもんがあるだろうが! 催眠術で須永に「返却します」なんて言わせたところで、お前の思い通りになんてさせねぇよ!」
 尤も、既に風紀委員の面子の態度には取り付く島もない。これから懐柔策を仕掛けても失敗するのは火を見るよりも明らかで、真生が平和的解決という路線を変更するには絶好のタイミングだったかも知れない。
「是非も無し。それなら、皆々様にそう宣って貰うしかありませんね」
 その台詞を言い終わるか言い終わらないかの内に、真生の影は尋常ならざる程の、しっかりとした確かな輪郭を帯びる。それはまるで、漆黒の竹炭で線引きしたかのような確かな輪郭だ。しかも、その漆黒色はあっという間に、真生の影全てに波及する。すると、そこにはごっそり真生の影の形に床を切り取って穴を開けたかのような、異様な影が生まれた。
 誰もが真生に不気味さを感じていた。
「これから一体何が始まるのだろう?」
「これから一体何を始めるつもりなのだろう?」
 そんな強い不安を抱えながら、真生の一挙手一投足を注視していた。
 真生が言い放った方針は、彼らが許容できるはずのない内容だ。そして、それは誰の目にも明らかだ。だからこそ、須永相手に真生が仕掛けたタネの解らぬ催眠術を、彼らは強く警戒していた。真生がその方針を達成させるには、催眠術しかないと思ったからだ。
「ひぃ!」
 そんな息の詰まる様な緊張感が漂う中で、真っ先に廊下に響きを渡った声は悲鳴だった。
「げ、幻覚だよな、これ? なぁ、誰でも良いから、幻覚だって言ってくれよ!」
 続いて響いた声は、誰かに救いを求める懇願にも似た、現実から目を逸らすためのものだった。
 あろうことか、その漆黒色の影の中から、まるでそこに本物の穴があるかのように、サクラがわさわさと這い出してきたのだ。それはまるで「ごっそり真生の影の形に床を切り取って穴を開けた」という認識を肯定するかのようだった。
 一匹ひょこっと顔を覗かせたかと思えば、二匹三匹とその総数はあれよあれよという間に増えていく。
 どうやら、サクラという名前で認識できる個体は一匹ではないらしい。
 眼前で繰り広げられる光景を前に、風紀委員は疎か真生に協力を要請した側である俺の表情までもが引き攣っていたことなど言うまでもない。
 サクラ一匹と霞咲駅で対峙した時でさえ、俺は尋常ならざる衝撃を受けている。それこそ、その光景はトラウマになり兼ねないほどのものだったといっても過言じゃない。今彼らが味わっている確かな恐怖を、俺は否応なしにも理解した。
「あっはっはー、須永の言う通りだ。……こいつは、大変なことになったぜ」
 風紀委員の一人が強張った顔付きで大袈裟に驚いてみせる様子は、腹の底から沸き上がってくるかのような恐怖心をどうにか緩和しようとしたから故だろうか。
「こんな非現実的なことが実際に起こるはずがないよ! 俺はきっと、悪夢を見ているんだ……。本当の俺は、きっとまだ暖かい布団の中にくるまって眠っているんだ。目を覚ましたら、俺はまだ自宅にいて……」
 ふらふらと後退ると、風紀委員の一人が突然身を翻した。眼前で繰り広げられる現実の物とは信じ難い光景から、逃げだそうとしたのだろう。けれど、男は身を翻したところでピタリと制止する。だからといって、仲間のことを思って踏み止まったわけでもないらしい。
 男の顔は恐怖に引き攣り、体は小刻みに震えていた。そして、男は自分の身に今現在降り掛かっている現象について、震える声で端的に訴える。
「体が、動かない」
「逃がさないよ♪」
 楽しそうに言い放つ真生の言葉に、風紀委員の表情には困窮が滲んだ。動揺、敵意に混乱と、風紀委員の感情は入り乱れていたけれど、その一言で逃げだそうとするものは居なくなった。
「……あのジャージ女を取り押さえるぞ」
「合点承知、やられる前にやらないと!」
 逃げられないと解った以上、彼らも黙ってやられるつもりはないようだった。少なくとも、その場に顔を揃える面子の内の複数人は、真生に対する敵愾心を剥き出しにする。いつ襲い掛かってきてもおかしくはないだろう。
 尤も、逆の立場だったら、俺もきっと同じ選択をしたはずだ。例え「勝ち目はない」と、頭で嫌と言うほど理解させられてしまっていようともだ。窮鼠猫を噛むという奴だ。
 彼らに取って厄介なことは、そうやって強い敵愾心を向けられてなお、真生がそれを意に介した様子を見せなかったことだろう。怯む様子の一つ見せることはなく、真生は泰然自若そのものなのだ。そんな様子を見せ付けられるだけでも、彼らの決意は揺らぎ、戦意を大きく削がれたはずだ。
 そして、それを証明するかのような象徴的な出来事が起こる。不意に、真生が何の前触れもなく相手に向かって一歩踏み出して見せたのだ。すると、強い敵愾心を見せていたはずの風紀委員達は強張った顔付きで後退りをした。口先では威勢の良い言葉を吐いたものの、攻めるに当たって尻込みしている姿がこれでもかと露呈された瞬間だった。
 彼らの弱気な反応を前にして、真生は一度キョトンとした顔付きを見せた後、満足そうに微笑んだ。
 真生に彼らのスタンスを試す意図があったかどうかは解らない。彼らが大袈裟に反応したことで、ただ単にその動きを止めただけかも知れない。即ち「挑発」するつもりなど、なかったかも知れない。しかしながら、真生にその意図がなかったのだとしても、それは結果的に挑発の効力を発揮した。
「南無三ッ!」
 気力を奮い立たせて恐怖を封じる克己の声が響き渡れば、風紀委員の中でも一際がたいの良い男が真生へとタックルを仕掛けた。けれど、それは猪突猛進という単語が非常に良く似合う勢いだけのものに過ぎない。
 真生はひらりと身を翻すとそれを難なく回避する。
 男は標的を失い勢い余ってそのまま俺の方へと接近してきたけれど、その状況を「好都合」と考えたらしい。一時は蹈鞴を踏むような体勢を取って見せたが、標的を俺に定め直してからは一気にその速度を上げたのだ。
 しかしながら、男は実際に俺の眼前まで迫りながら、後僅かで手を掛けるという距離まで来て、その足をピタリと止めてしまった。いや、足を止めたという表現は適切ではない。自分の意志に反して「その場でピタリと制止してしまった」という言い方が適当だったはずだ。どうして自分が制止したのか、その男自身が解らない状態だったからだ。
「何だよ、これ! 何が起こったんだ! 全身が石になったみたいだ、体が動かない!」
 何が起こったのかが解らず、不安に怯えるその顔色は真っ青で酷いものだった。
 異変に対する男の主張を聞く限り、どうやら、意志に反して止まっただけではないらしい。完全に、身動きできない状態にあるようだ。尤も、時折ビクッと体を微かに震わせるから、絶えず「体を動かせ!」という指示自体は脳から出されているのだろう。
「なぁ、どうなってるんだよ? おい! ちょっと!」
 次第次第に混乱状態へと陥り始める男の様子を、この場に会する一同はただただ押し黙って注視するだけだった。
 当初は叫き散らすかのようだった男の声も力なく細っていって、やがてぷつりと途切れる。そうすると、場は水を打ったように静まり返ってしまった。
 真生が口を開いたのは、その直後のことだ。まるで「待ってました」といわないばかりのタイミングだった。
「みなさんの動きも、封じさせて貰うことにしますね。ちょこまか動かれるとサクラの手間だし、ここから逃げ出されたりしても厄介ですしね。大丈夫、痛くも痒くもありませんから」
 穏やかな口調でそう言い放った真生の廊下に通る声は、どれほど耳障りだっただろう。その対象から漏れる立場にある俺でさえ思わず身震いしたぐらいだ。真生が「みなさん」という単語で括った風紀委員側が感じたもの恐ろしさは、俺の比ではないはずだ。
 ともあれ、さも大したことではないという態度でさらりと言って退けた真生には、風紀委員から強い牽制が無数に向いた。けれど、その後ろ側には、真生に対する激しい恐怖が見え隠れもする。
 この場の誰に取っても、眼前の光景が驚愕に値するものであったことは言うまでもない。
「ダーツの矢か? ダーツの矢で、何かしたんだな?」
 不意に、風紀委員の面子の中から指摘が向いた。
 視線を走らせ確認すると、男の影の上には確かにダーツの矢が刺さっていた。タックルを回避した後、真生が男の影を目掛けて放ったものなのだろう。確認すると、先ほど逃走を企てて同じように「体が動かない」ことを主張した別の風紀委員の影にも、確かにダーツの矢が刺さっている。
「ご名答」
 真生はあっさりと、その指摘を正解だと認めた。さも「ばれちゃった」とでも言わないばかり、小さく舌を出して見せると「自分が何をしたのか」についても種明かしをする。
「影の形を縛り付けることで実際の行動に制限を加える方法……、影縫いっていうんでしたっけ? これはそんな奴です。じゃあ、行きますよ」
 真生は手に持つダーツの矢を、相手に対して見せ付けるように振り翳す。すると、風紀委員の面々がビクッと体を震わせ、慌てて真生から距離を取る。
 真生の狙いは最初から、そうやって振り翳すという大袈裟な動作を持って風紀委員の意識をダーツの矢へと集中させることだったのだろう。視線がダーツの矢へと集まった次の瞬間には、真生の足下に居たサクラが風紀委員目掛けて飛び掛からんと行動を開始したのだ。
 後は総崩れだった。慌ててサクラに視点を戻すも、俊敏なサクラの動作に攪乱されて真生本人の接近を許す構図が生まれる。仲間の影にダーツの矢を突き立てられてしまえば、改めて真生の動きに注意を向けるけれど、すぐにサクラの接近でまた意識を持って行かれる。一人、また一人と動かなくなっていけば、あっと言う間に風紀委員は混乱状態に陥った。
 泰治からは驚嘆の呟きが漏れる。
「本当にこんなことができるんだね。というか、真生ちゃんがそれを使えるだなんて……」
 眼前で繰り広げられる光景を、まるで他人事のように呆然と眺めていた矢先。不意に、俺はそれが現実であることを認識させられる。標的を俺に定めて突進してきた男が、俺達に助けを懇願してきたからだ。
「おい、お前! 携帯電話は返す! 返すし今夜のことも見逃してやる。いや、見逃させてください! だから、あの女を止めてくれ! く、蜘蛛が、蜘蛛が俺の太ももを這い上がってくるんだ! でも、体が動かないんだ! どうすることもできないんだ! 頼む、後生だから助けてくれ! たす、たすけ……」
 必死の形相で助けを乞う風紀委員の男の脇腹付近に、サクラの這い上がる様子が確認できて、俺は思わず顔を背けた。
 水を得た魚のように、思うままに力を振るう今の真生に制止の言葉を向ける?
 冗談じゃない。どんなとばっちりが来るか解ったものではない。
 漆黒色の真生の影の中からは、既に二桁に及ぼうかという総数のサクラが出現していた。
 既に、風紀委員は全員、真生によって体の自由を奪われてしまったらしい。仁王立ちの格好でただただこちらを注視しているもの。尻餅をついた状態で壁際まで後退っていって、その体勢のまま一向に立ち上がる気配を見せないもの。風紀委員の体勢自体は様々ながら、誰一人として真生とサクラに対して敵意を剥き出しにしたり、永曜学園廊下を逃げ回ろうとするものはなかった。
 そして、身動きできなくなった彼らがその目に灯したものは、俺達に助けを乞い続けた男の結末である。
「来るな! やめろ、来るんじゃない! やめろ、やめ……、うぎゃあああ!」
 一際高い悲鳴の後、風紀委員の男は無反応になってしまった。
 この場に顔を揃える面々が、一瞬にして顔を引き攣らせた瞬間だった。角度的に言って、他の風紀委員側から男がサクラに何をされたか確認できなかったことも彼らの恐怖を掻き立てただろう。
「サクラー。いいよ、やっちゃって」
 柔らかい口調で真生がサクラの名前を呼ぶと、風紀委員からは一斉に悲鳴上がる。
「影縫いだなんて、そんな非科学的なことがあってたまるか! 嘘だ! 俺は信じないぞ! う、嘘、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
「嫌だ、嫌、来ないで! 来ないでー!!」
「お、お前ら、教師にこんな真似してただで済むと思っているんじゃないだろうな! いいか、顔は覚えたからな。今度会ったら覚……、うぼばー!!」
 有樹にしても泰治にしても、悲鳴を上げる風紀委員達へとただただ哀れみの籠もった視線を向けるだけだった。
 阿鼻叫喚の地獄絵図がそこには広がっていたのかも知れない。
 満足に体を動かせない状況に陥りながら必死に抵抗を試みる時の微かな身動ぎする音に、呻き声だけが廊下を包み込んでいた。やがて、それらの音さえも掻き消えてしまって、廊下を異様な静寂が包み込むようになる。
 そして、恐怖に戦く叫び声が沈静化した後には、もっと酷い光景が待っていた。
 真生は手を叩いて「パンッ」と小気味よい音を出し、風紀委員へ注目するよう指示を出す。すると、さっきの場面を再現するかのように、真生は改めて要求をし直す。
「それでは、皆さんにもう一度確認しますね。不躾で申し訳ありませんが、先ほど拾って頂いた携帯電話を返却して頂けませんか? それ、あたしのお兄ちゃんのものなんです」
「はい、お望みのままに」
 須永は一歩前へ進み出ると中世の騎士か何かのように傅いて、俺の携帯を真生へと差し出した。
 真生の術中にある風紀委員から、そこに反対の声など挙がるはずがない。だから、既にそれはただの形式的なものに過ぎなかったけれど、俺達が拱手傍観を決め込みそれを制止しようとしないから、儀式は淡々と進んだ。
「ありがとうございます、須永さん」
「いいえ、当然のことをやったまでですよ」
 生き生きとしていたのは須永だけで、他の風紀委員の目付きが虚ろだったことは言うまでもない。いいや、真生が一言「全身全霊を持って賛同してください」と言えば、彼らは狂喜乱舞して拍手喝采しただろうから、目付きがどうのこうのは大した問題ではないかも知れない。
 ともあれ、それは「全員の見解を一致させる」といった姿勢を真生が貫いた結果である。
「ミッションコンプリート。取り返したよ、お兄ちゃん」
 真生は携帯電話を俺へ向けて放り投げると、してやったりという顔付きで「ふふん」と鼻息荒く胸を張る。
「どうかな? 穏便な平和的解決になったよね?」
「どこがだよ! 完全な地獄絵図だよ! というか手練手管なんてあったものじゃない、完全な力業じゃないか!」
 当然、俺の口からは平和的解決という真生の見解に対する反論が吐いて出た。少なくとも、この展開を「平和的解決」などと認識されてしまったら、俺は今後迂闊にその言葉を口にすることはできない。
「もっと巧く行くと思ったんだよぅ。須永さんが返却するっていう意見を表明したら、すんなり「今回は大目に見るか」みたいな流れになると思ったんだもん」
 意外に浅い考えの元、平和的解決に向けた今回の作戦は決行されたらしいことが解った。けれど「巧く行かなかった」という真生の認識に、俺はひとまず安堵の息を吐く。それぐらいの分別は持ってくれているらしい。
 俺はチラッと真生の術中にある風紀委員の様子を横目で確認する。動きがないのは影縫いによって行動を制限されているからだろうけど、虚ろな目付きで空をボーッと眺める様は不気味としか言い様がない。
「まぁまぁ言規、何はともあれ一件落着だ! 手段がどんなに間違っていようが、……終わりよければ全て良しさ! それよりも、さっさとづらかろうぜ?」
 泰治が間に入って制止したことで、俺がそれ以上の非難を真生へと向けることはなかった。
 確かに、少なくとも結果オーライではあるのだ。言い換えれば、それだけが唯一の救いだ。
 いや、結果オーライか?
 ふと、冷静になった俺の脳裏を過ぎるものは「どうやってこの惨状を収拾するのだろうか?」ということだった。そうは言っても、俺が頭を捻ったところで解決策などポンッと出てくるはずもない。知恵を拝借すべく、俺は有樹に向き直る。
 しかしながら、そこには真生が今回展開した作戦を分析し、アドバイスをする有樹の姿がある。
「結果的には力業になったが、アプローチと着眼点は悪くない。もう少し巧く須永を立ち回らせることができていたら、もっとすんなり話は付いていた可能性が高い。拙かった点を洗い出して次回へフィードバックしていけば、もっともっと巧く立ち回れるようになるだろう」
「でもですね、有樹さん。サクラではこうするべきだっていう意識付けができるだけで、相手を完全に操ることができるわけではないんですよ」
 それを真剣な顔付きで聞き議論を展開する真生からは、手練手管の何たるかを有樹から学習しようとする真摯な姿勢が見て取れた。その向上心は見習うべきものなのかも知れないけれど、今回ばかりは対象が悪い。
 俺はサクラの力を使いながら、同時に計略を弄する真生の姿を想像する。
 今回はあくまで力押しに終始したけれど、これに相手を翻弄する計略が加わったら、どうなる?
 身震いがした。
 相手の自由を奪う力、引いては相手を思い通りに動かすことのできる力を迂闊に使うことがないよう、教え聞かす必要があることを俺は強く意識した。今回のように真生が俺に力の「承認」を求めるのなら、簡単に了解してはならないことを身を持って学んだ形だ。
 俺は実験台となった風紀委員へ向き直ると、心の中で彼らに「ありがとう」の言葉を捧げた。実際にそれを口に出さなかったのは、経緯を追えない彼らに取って俺の謝意はきっと心底意味不明なものにしかならないと思ったからだ。それに、真生の術中にある風紀委員達に何か反応されても、正直対処に困る。
「まぁ、泰治の結う通りだな。今日はもうさっさとずらかることにしよう」
 俺はくるりと踵を返すと泰治の肩へと腕を回した。けれど、永曜学園廊下に展開される惨状をそのまま放置して、さっさと退散しようとした俺の考えは甘かった。
 不意に、俺は肩をガシッと掴まれる。それは予想外の方向から伸びた手だ。慌てて振り返った先には須永が居た。
「お供させていただきます」
 須永は真生に対して見せたような真摯な態度で、俺達に同行を申し出た。
「はぁ? いや、あの、……お構いなく」
 突拍子もないその申し出に、俺は心底対応に困った形だった。しどろもどろになりながらも、俺はやんわりとその申し出を断ったのだけど、須永は「自分も退くことはできない」と強い口調で主張する。
「そうは行きません。俺にも使命がありますから!」
 退けないという結論に至った理由について、須永は「使命」という言葉を使った。
 これ以上の永曜学園探索を諦め誠育寮へ帰ろうかという俺達のお供をすることに、一体どんな使命があるというのだろうか。頭が痛くなる思いだった。
 ともあれ、これ以上、須永と押し問答をしても埒が開かないことを俺は痛感する。
 恐らく、須永はまだ錯乱状態にあるのだろう。須永の耳には使命を頻りに主張する声が聞こえているのかも知れない。真生を純白の翼を持つ天使と評したぐらいだ。幻覚が見えていたり、幻聴が聞こえていたりしても何もおかしくはない。
 ともあれ、淀みなく俺を直視する須永の決意は固いようだ。少なくとも、俺の言葉で須永の申し出を撤回させられるとは思えなかった。そうなれば、須永をこの状態に陥らせている当人に、須永をコントロールして貰うのが最善策だろう。
 俺は真生へと訴える。
「真生! こいつ何とかしてくれ!」
 打てば響く反応で、真生はすぐに須永へと指示を出そうとしてくれたけど、その対処に「待った」を掛ける奴が居た。
 それは、有樹である。
「待った! 真生ちゃんに確認したいことがある」
 同行を申し出る須永と、影縫いを食らったまま未だに微動だにしない面子を一瞥した後、有樹は真生に尋ねる。
「この状態はどれぐらい持続するんだい?」
「放っておけば、須永さんの方は十五分ぐらいで元に戻ると思います」
 真生は須永を一瞥した後、持続時間について「須永の場合」をまず答えた。そのまま、すらすらと他の面子についての持続時間を口にしなかったところを見ると、影縫いの方は相手によって持続時間に斑があるのかも知れない。
 真生は思案顔を覗かせた後、押し黙る。恐らく、持続時間を推し量っているのだろう。
 簡単に答えられそうにはない雰囲気を真生が醸し出したことで、有樹はさらりと質問の内容を変える。
「もし、放っておかなければ、最高でどれぐらいあの状態を持続可能?」
 けれど、有樹が質問の内容を変えてなお、真生は小難しい顔を継続させた。
 具体的に持続時間を示すことができるなら、時間が短ければ控えめに、長ければ胸を張って、真生は「これだけです」とはっきり言うタイプで間違いない。すぐさま「これぐらい」と具体例を示さないところを見ると、実際に試したことがないんだと思った。
「実際に試したことがないので解りません。……けど、多分一日ぐらいならやれるんじゃないかとは思います」
 予想通り、真生は持続時間については率直に「解らない」と言った。そして、その回答の後で「根拠のない予想」として、俺が思っていたよりもずっと短い時間を口にする。
 有効時間について確認した有樹は、記憶の有無についても真生へ尋ねる。
「もう一つ、教えて欲しい。この状態の時の、彼らの記憶はどうなっているんだ?」
「残っていますよ。一時的に忘れさせたり、曖昧なものに変化させることもできるみたいですけど、そもそもやったことがありませんし、できたとしても何かの拍子で元に戻るんじゃないかと思います。ただ、記憶を完全に消してしまうことはできないみたいです」
「真生ちゃん。まずは、彼らにここから帰宅するよう命じて欲しい。そして、帰宅後は布団に入ってぐっすり眠り、今夜体験したことを忘れるように命じて欲しい」
 真生から回答を得た有樹は、すぐさま風紀委員へ次の指示を出すよう真生に要求した。
 その要求は非常に具体的で、この惨状に対する事後処理としては考えられ得る中で最善の内容だったろう。上手く行けば今夜の騒動をなかったことにできるかも知れない内容だ。後は彼らが何かの拍子に、ここで自分の身に降り掛かった惨事を思い出すことがないよう祈るだけだ。入学式後も、しばらく風紀委員に絡むことから距離を置いた方が良いだろう。永曜学園入学前にも関わらず、早速「風紀委員会」という鬼門ができた瞬間だった。
「解りました、試してみますね」
 言うが早いか、真生は「パンッ」と手を叩いて小気味の良いを出す。すると、風紀委員の面々は一斉に音のした方へと向き直った。そうして、わらわらと真生の元へと集ったと思えば、真剣な顔付きをして次の指示を待っているようだ。
 すぅと息を呑み、真生は声を大にして風紀委員に指示を出す。
「それでは皆さん聞いてください、いいですか? 今から帰り支度を整えて自宅に戻ってください。そして、帰宅後は布団に入ってぐっすり眠り、今日この場所で体験した出来事の全てを忘れてくださいね」
 風紀委員の面々は真生の指示に各々顔を見合わせ後、反芻するかのように二度三度と頷いた。ただ、反応は非常に鈍く、本当に真生の指示を理解したのかどうかについては、正直不安が過ぎる。
「それでは皆さん、車に気をつけて、いつも通りの方法で家に帰ってくださいね」
「畏まりました、帰還いたします。さようなら」
 抑揚のない機械的な受け答えだったことはともかく、一人二人と家路についてゆく様子に引っ掛かりはないようだ。例えどこかでスムーズに行かなくなっても、影縫いの効果と違って十五分程度で正気に返るのなら大丈夫だろう。
 ふと、家路につく風紀委員の後ろ姿を眺めていて、俺は気に掛かることがあった。
「影にダーツの矢が刺さっている限り、ずっと動けなくなるというわけでもないんだな」
 その理由を真生に尋ねたつもりはなかったけれど、ぼそりと呟いたその疑問は真生に耳まで届いていたらしい。
「……何の話?」
 小首を傾げる真生に、俺はリノリウムの床に刺さったままのダーツの矢を指差す。
「いや、あいつら影縫いを食らったっていう割には、影にダーツの矢が刺さった状態のままなのに、何事もなかったみたいに動き始めたから……」
「ああ、危ない危ない。有樹さんのダーツの矢、忘れていくところだったよ」
 俺の言葉が言下の内に、真生は床に刺さったダーツの矢へと向かって歩き出した。「今気付いた」と言わないばかりの反応を見せた後、真生がダーツの矢の回収作業に移ってしまったことで、影縫いに対する俺の疑問はうやむやになったと思った。けれど、真生は一番近い距離に刺さっていたダーツの矢を拾い上げたところで、唐突にピタリとその足を止める。
「影縫い。どれぐらいの時間で動けるようになるのか試してみようか、お兄ちゃん?」
 それはまるで「面白いこと思い付いた」とでも言わないばかりの口調だった。同意を求める疑問系で言葉は締め括られたものの、真生に俺の意志を尊重するつもりがないのは明らかだった。真生は返事を確認するよりも早くくるりと身を翻すと、俺の影を目掛けてダーツの矢を放る。
 為す術はなかった。真生が何をしたのかを理解し身構えようとした時には、既にダーツの矢は俺の影へ刺さる直前だったのだ。俺にできることは、影縫いによって身動き取れなくなることに備えて、身を強張らせるぐらいだ。
 綺麗な放物線を描いた後、鋭い「トスッ」という音を立てて、リノリウムの床の上にダーツの矢が刺さる。けれど、いつまで経っても「体が動かない」という状況は襲ってこない。
「あれ、……動く? 問題なく動くぞ?」
 真生が狙いを外したのかとも思ったけれど、ダーツの矢は確かに俺の影が伸びるリノリウムの床の上に刺さっている。
 恐る恐る体の各所を確認する俺の様子を、真生はくすくすと笑いながら見ていた。
「ふふ、影縫いなんて、本当に使えるわけないじゃない」
「はぁ? さっき実際に使って見せたじゃないか! あいつらだって、実際に動けないって言って……」
 状況を把握できずに呆然とする俺に、真生は自身が使った影縫いの原理を種明かしする。
「本当の本当に種明かしをするとね、あれは「自分の影にダーツの矢を刺されたら動けなくなっちゃう」っていう認識を植え付けただけなんだよ。サクラは相手に取り憑かなくても、そこにいるだけで周囲に影響を及ぼすことができるの。相手に取り憑かないと物凄く弱い効果しかないけどね」
「取り憑くって、つまり……」
 真生の説明を整理していくと、サクラを他人に取り憑かせることで、ある程度思いのままに操ることができるとなる。サクラという蜘蛛を真生が行使することによって「何をすることができるのか?」を知った俺は、慌てて周囲にサクラが居ないことを確認した。「俊敏な動作を武器にして物理攻撃を繰り出す生物」といった程度の認識しか持っていなかったサクラに対して、強い警戒が生まれた瞬間だった。
 俺は今になって「力を使う」といった真生の言葉に含まれた本当の意味を、まざまざと思い知らされた格好だ。
「あたしは影縫いっていう言葉を強く印象付けすることと、サクラをとにかくたくさん出現させることで「自分の影にダーツの矢を刺されたら動けない」っていうのを彼らに思い込ませたんだよ。彼らは自分自身の行動を制限してしまうほどの強力な思い込みを植え付けられて、身動きできない状態に陥っていただけ」
 それは確かに、俺達が影縫いという技名から想像するものとは異なるアプローチで相手を動けなくするものだ。
 真生の足下からはサクラがひょいっとその姿を覗かせる。名前を呼ばれたから自主的に姿を現したのか、それとも真生が出現させたのか。ともあれ、俺がサクラの出現にビクッと体を振るわせたのは秘密だ。
 自身の足下に出現したサクラを真生は子犬か何かを可愛がるかのように構いながら、影縫いに対する種明かしを全てサクラの仕業だと締め括る。
「相手の自由を封じる最もポピュラーな例が影縫いだと思ったから、影縫いって言葉を使っただけで技の名前なんて本当は何でも良かったんだよ。それこそスキアソーイングでも、ディエンフォンでも何でもね。彼らの行動を制限していたのはサクラなんだもん」
 途中、良く解らない単語が真生の口から飛び出たけれど、それらは多分漫画か何かに出て来る技の名前だろう。




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