カンッカンッカンッカンッ……と複数の靴音が通路を行き来していた。所々、照明及び電送系が破壊されているらしく薄暗い箇所を抜けると里曽辺・名護谷の緊張感は一気に増大する。
ドダダダダダッッ……タンッ……タタタンッ……とマシンガンの音がT字路の向こう側から聞こえてきていたからだったが、ひっきりなしに鳴り響く銃声がそれ以上に肌に刺す雰囲気を作り出していたからだ。バチッバチバチ……と時折ヒューズの飛ぶ音が鳴る電送系が密集しているのだろう柱を背にする五〜六人の警備の姿が見て取れた。
ちょうど通路と通路の複合地点になっている一際広い場所に机を複数個横倒しにしただけの簡素なバリケードを作り、警備は全く同様の格好をした孝山側に寝返った警備を迎え撃っていた。
里曽辺の位置からでは敵の位置と数の把握が出来ないながら、里曽辺は躊躇うこともなく一歩を踏み出し、弾丸飛び交うその最中に躍り出て行った。すっと身を屈める様に体勢を取ると柱の脇まで走り唐突に片膝を付く格好で制止、ガバメントを身構える。背後からの接近に一瞬身を強張らせた警備だったが、それが里曽辺だと理解すると安堵にも似る息を吐き出していた。
立て続けに響くハンドガンの銃声。自動小銃のけたたましい銃声の中にありながら一際耳に付く声を響かせて、ガバメントは里曽辺の操作によって意志あるかの如く敵を捉える。格闘能力もさることながら、里曽辺の射撃能力は群を抜いて極まっている。こと、多少の訓練を受けているとは言え射撃のスペシャリストとは程遠い連中から成り立つ警備の中ではそれは尚更だった。
「状況グリーン」
里曽辺が招くジェスチャーを取ると名護谷が後に続いて、複合地点に足を踏み入れた。名護谷はグルリと周囲の状態を見渡すと、柱にもたれ掛かる様に表情に疲労を滲ませた警備にこう問い掛ける。
「敵の状態はどうなっている?」
「敵勢力はMP5で武装、こちらの装備では正直手も足も出ません。……それと警備の中にも離反者がいる様らしく、警備として登録されている人間だからと言って迂闊に信用出来ない状況です。通路で警備と出会しても正直どんな対応を取ればいいのか、対処に困っていますよ」
目に見えて疲労を表情に灯す警備も仕方がないと言えた。こんな具合の室内戦を想定した訓練は基本的には受けていないのだからだ。それも敵か味方か見た目に判断出来ない画一的な警備の格好をした敵が中に紛れ込んでいる可能性も精神的な重荷になっている。
自衛隊の駐屯地域に攻め入って来る相手は当然自衛隊が対処してくれるはずが、敵の鬨(とき)はまさにその組織の内部で上がり、やもするとその隊員の中にも孝山側に寝返った連中が居るかも知れない。
「孝山らしいと言えば孝山らしいやり方だな。どうせ、長期的に何か問題の起こった時のことを考え保険を掛けて置いたんだろう。……とは言え、この分だとかなりの賄賂額が動いていた様だな」
「離反者の数は相当数に上ると言うことか」
里曽辺の問いに名護谷は明確な答えを返さなかった。ただそこに不安だとか言った具合の険しさがない以上、名護谷はこの状況を危機的状況とは捉えていないのだろう。
「……警備は全員ここから退避しろ、警備チームβはラボ付近に接近する不審者に対処!」
「了解しました」
素早く下された命令に従い配置に急ぐ警備を、里曽辺は複雑な表情で眺めていた。
「給料分以上の仕事を体良く押し付けらた格好だ」
「なに口利きぐらいはしておいてやる、退職金と特別手当はガッポリ付けてやるさ」
ぼやく様に嫌味を向けた里曽辺だったが、名護谷に軽く肩をポンポンと軽く叩かれるだけでやり過ごされ、大きく溜息を吐き出したのだった。
特に目的地を決めた上での移動ではなかったのだが、足は自然と孝山が使用したであろうエレベータのある医療ブロックへと向いた。その医療ブロックまで辿り着くと、人影はなくとても隣接区域で戦闘を展開しているとは思えない程に閑散としていた。遠くでは未だ銃声の鳴り響く音を聞き取ることが出来たのだが、既にここの制圧は完了していると言わんばかり。医療ブロックには敵の姿を見て取ることは出来なかった。また、一般の医療従事者の姿も見て取ることが出来ず、今まさに次のブロックへと名護谷が移動しようとした足を踏み出した時、それは起こった。
今の今まで微かな気配さえも存在していなかった柱の影から、躍り出てきたのだ。
「はッ、簡単に後ろを取らせるなんて甘ち……」
ドゴンッと銃声が鳴り響く。それは孝山のガーディアン「盛村」の言葉が言下の内のことだった。弾丸は盛村の肩先にヒットして、ガシャンッと一つけたたましい音を立ててMP5が医療ブロックの所々に銃弾の爪痕が残るタイルの上へと落ちる。しかしながらその着弾点には血液が滲むことはなく、どうやらケプラー繊維の防弾服を着服しているらしい。
「ぐあぁぁッッ……アァァッ!」
「なめて貰っては困るな。逃げの一手を打つ為だけに、金銭的な損得勘定を重要視する孝山が莫大な金額を掛けて警備を取り込むなどとは浦野だって思いはしないぞ。はは……それともう一つ、取り込んだ警備を前面に出すばかりでそちらから正面切って攻め込んで来る様子がなかったんで「ああ……これは待ち伏せだ」と途中から確信出来てしまった」
ドゴンッドゴンッと続けざまに引き金を引く名護谷の弾丸を、盛村が回避出来るだけの状況にはなかった。胸元……脾腹……太股と敢えて急所を外し撃ち放つ名護谷の真意は盛村から孝山の逃走経路を聞くことなどではないのだろう。
壁際まで追い詰められた盛村はドゴッと蹌踉めく勢いのまま肩を壁へと打ち付けた。そのまま倒れ込んだ盛村は蹲る様に左肩を押さえて苦痛に呻き、荒い息を吐いていた。そんな盛村から僅かに距離を取った位置で名護谷は手早くマガジンを換装するとガバメントを身構え制止する。
「孝山の目的は一体何なのか、お前の知り得る全てのことを洗いざらい話して貰おうか?」
黙り込んだまま、ただ呻き声をあげる盛村に向けて名護谷は容赦することなく撃ち放つ。ドゴンッと銃声が響くと「がああぁぁッッ!!」と言った具合の言葉にならない声が医療ブロックには響き渡った。簡単にくたばることが良いことだとは言わないが、今回ばかりは防弾仕様が仇になった格好とも言えた。
「何だよ。これが選りすぐりのガーディアンの一人だってか?」
苦痛に呻く盛村を横目に盗み見ながら、盛村の様子を一望出来る柱の影で安藤はさも面白くもなさそうにボソリと呟いた。それはちょうど名護谷が盛村に向けて言葉を向けている最中のことで、その微少な安藤の呟きが名護谷の耳へと届くことはない。そこは電送系が完全に破壊されているらしく、また外部からの明かりがその場を照らすことのない柱の影の部分だった。
「はッ、玉石混淆も甚だしいじゃねぇかよッ!」
そのままその場で息を殺していたなら恐らくその場に安藤が居ることを安易に悟られることはなかっただろう。けれども安藤は声を荒げて、その苛立ちを言葉にして盛村に向けて口を開いたのだ。そして、響き渡るは銃声だった。ドゴッドゴッと盛村に向けて弾丸は撃ち放たれていて、後頭部に直撃を受けた盛村は一度ビクンッと身を痙攣させた後、白目を剥いたまま動かなくなる。それが名護谷の持つガバメントの銃声ではないと里曽辺は判断し、慌てて声をあげる。
「下がれッ、名護谷ッ!!」
さすがの名護谷もこの場にもう一人ガーディアンが潜んでいたとは察せていなかった様で、険しい表情をして里曽辺に言われるがまま後退に徹する。元々、盛村にしてもこの場に誰かが潜んでいるのだと名護谷が確信していたわけではないのだ。類い希な推測と洞察力、そして判断能力で「待ち伏せ」があると予測して身構えていたに過ぎないのだ。
「後方支援を任せる」
「……なに?」
名護谷の明確な返答が返るよりも早く、後退する名護谷と前に出る里曽辺が交差した。そうして、医療ブロックの広場を疾走する小刻みなMP5の銃声が生まれる。トントントントン、トタタタタタッ……と、それは里曽辺目掛けて射出されたものではなく、どちらかと言えば牽制の意味合いが強いものだっただろうか。それとも里曽辺に対して、戦闘開始の合図たる鬨の代わりだっただろうか。
背広の形態を取る上下の黒服は……恐らくは盛村同様にケプラー製の防弾仕様だろうか。整髪料で整えているのだろう黒髪の針頭。蒼白いネクタイを締めて黒いサングラスとまるでコーディネイトでもしたかの様な容貌をして、安藤はMP5を身構える格好で里曽辺の前にその姿を現した。
その風貌には似合わないながら、鋭く敵を捉える目つきと的確な照準は並ではなかった。カンッカンッカンッカンッ……と連続的に通路に銃弾の跡が走り、このまま事が運べば弾丸は確実に里曽辺を捉えていただろう。迫り来るその音の直線上からまるでステップでも踏むかの様に僅かに身を翻し、里曽辺は目の色を変えた。
ガンッガンッ……と一際大きく響いた着弾音は里曽辺のいる僅か数センチ横を駆け抜けていった。安藤、対する里曽辺ともに顔色一つ変えることなく、互いの一挙手一投足に全神経を集中している状況は、そこに銃撃戦を展開させているとは思えない。MP5の弾丸が頬を掠めてなお里曽辺は瞬き一つせず、その視線の先の安藤を捉えていた。ガバメントの銃口がその視線を追う様に銃身をあげると、里曽辺同様に瞬き一つ見せなかった安藤に僅かな表情の変化が見て取れた。
狙い撃つ獲物だけを捉える為に特化した里曽辺の目に見据えられて、安藤は思わず苦笑いを零していた。それは確かに苦笑いであり、それ以外には形容のしようのないものだったのだが、……けれどもそこには確かに安藤の嬉々とした感情を垣間見ることも出来たのだ。里曽辺に銃撃が当たらないことを眼前にして、それをさも「そうでなければならない」と確信したかの様な笑みはあまりにも不気味さを持っていた。
安易に引き金を引かない里曽辺の一撃はカウンターでの一撃必殺を否応なく予感させる。現実として里曽辺に弾丸が命中しないことと相まって、常人ならばそこに「恐怖」を感じたとしても何らおかしくはない。名護谷が持つ人を屈服させる威圧感とは異なった肌を刺す雰囲気をまといながら、里曽辺はガバメントの引き金に力を込めた。
緊張の中に存在する研ぎ澄まされた冷静な安藤の……経験という思考は、頻りにMP5と言うマシンガンの狙撃対象周辺への集弾性の高さを訴え、的確に標準を定めた上でMP5から射出される弾丸全てを回避することは不可能だと主張した。それも、反動が大きく少なからず命中対象とのブレが生じるこのMP5は、ともすれば無数の流弾を撃ち放ち、この通路のありとあらゆる……目標範囲外にも銃撃をしているのだから、それに当たらないなど既にそれは人間業ではないのだ。
里曽辺がガバメントの引き金を引くその瞬間が安藤の目には入っていた。肌を刺す嫌な予感に駆られ、安藤は咄嗟にMP5の射撃を止めてサイドステップを踏んでいた。前屈みのポーズを取って、手慣れた挙動でマガジンを換装しながら、ドンッと言った具合の、ハンドガン……それも経口のそう大きくはない特有の銃声に身体を僅かに強張らせながら、しかし確かにその弾丸の進行方向を安藤は確認していた。カンッと一際耳障りな天井後方への着弾音を双方共に聞き取って、再度銃撃戦は展開された。
一撃必殺と成り得る部分は頭部だけだと言わないばかりに、MP5の銃身を額に当てる頭部に重点を置いたガードを取っていつでもMP5を撃ち放てるよう引き金に指を置き、安藤は里曽辺との距離を一気に詰める。
その接近の間にも確かに一度二度と里曽辺のガバメントの銃声は響き渡ったが、安藤は里曽辺の狙いが頭部に絞られていると解っているかの様にそれをMP5の銃身で受け止める。カンッカンッと金属音が二つなり、「予測通り」と言った安藤の口許の笑みが目に付いた。
安藤が狙う箇所はガバメントを握る里曽辺の左腕だった。急所を捉えなくとも構わないのだ。そう……致命傷を負わせられなくとも一向に構わない。腕を掠める、足を掠める、何でも良かった。
里曽辺の胴を捉えようとMP5の銃口が里曽辺へと流れる。その間にも引き金は安藤の手で引かれていて、未だ狙いが完全に定まる前のMP5が近距離下でズガガガガガッッ……と小刻みで一際けたたましい銃声を響かせた。
「へ……へへ、生きた英雄相手に簡単に勝てるとは思っちゃいねぇんだぜッッ!!」
天井から床からドガッドガッドガッ……と着弾音が響き渡るその近距離の間合いの中で、里曽辺の払い手が安藤の内に入ってMP5の銃口が僅かに左方向へと流れる。左の壁側面には無数の銃痕が生まれたが、その射撃もそこから里曽辺の側へと流れることはない。近距離下、それも里曽辺のガバメントは下を向いていた。だから打撃攻撃が来ると踏み、安藤は一気に間合いを開ける為に後退する。
引き金を引いたままの、射撃をし続ける後退でさらなる里曽辺の踏み込みを牽制した安藤だったが、当の里曽辺は予想外の行動を見せていた。MP5が真正面を向けば逃げ場を失う里曽辺には常にその銃口をどうにかずらすことが求められるのだから、一見安藤との距離を詰めなければならない様に見えるのだったが、そこで僅かに後退をして見せたのだ。後退とは言っても、トンッと歩調を合わせる様に僅かに後ろに下がっただけ、どうしてガバメントの銃口が下を向いていたのかを安藤が理解するのはその次の瞬間のことだった。
反動の強いMP5を……それも常に引き金を引いたままの、最大の反動を受ける状態の中で、照準を正確に合わせるのは非常に難しい。里曽辺がそこまでのことを頭に置いてその挙動を取ったのかはともかく、最初の里曽辺の払い手で想像以上に左にぶれていたMP5に里曽辺の回し蹴りがヒットした。
ガチャァンッと音を立ててMP5は壁の側面に叩き付けられ、安藤自身も体勢を崩した。MP5を拾いに行く時間など与えてはくれぬとすぐ様判断したのか、早々にMP5を諦めると安藤はその武器をハンドガンへと切り換える。
銃口を擡げる里曽辺のガバメントと、そして黒服の胸元から姿を見せる黒塗りのグロッグ26。交差した二丁のハンドガンで、先に火を吹いたのはセーフティのないグロッグだった。里曽辺には安藤がMP5にもう少し固執するかも知れないと言う考えが合ったことが大きいだろう。けれどもフルオート・連射の利く安藤のグロッグとは、まるで事態がこうなることを予測していたかの様でもあった。
MP5と言う広範囲への射撃可能な武器が安藤の手から離れたことで、様子を窺っていた名護谷が後方で安藤へと狙いを定める。それを振り向くこともなく簡単に察知する里曽辺は「手を出すな」と声をあげ、名護谷を制止していた。自身どうしてそんな言葉を口にしたのかはっきりと理解していないながら、安藤が明らかに対自分用の戦闘展開をしていることがその理由の一因だと認識する。弾丸が当たらないことにも驚いた様子もなく、そればかりかそれを前提とした戦い方をしている安藤は、明らかに里曽辺と戦う為だけにここにいる。
トンッと里曽辺は歩幅を合わせる様にステップを踏み、弾道を事前に察知したかの様な回避を見せる。そこに僅かにも無駄な挙動はない。グロッグの弾丸がピッと頬を掠めてもただ一つ目標たる「安藤」だけを睨み見て、里曽辺はガバメントの照準を合わせていた。グロッグのマガジンが空になって、銃口を下げる安藤は里曽辺に弾丸が当たらないことを「満足だ」と言わんばかりの笑みを灯していた。
マガジン換装の隙を付き、里曽辺は安藤の頭部を狙ってガバメントの引き金を引いた。それは安藤の額を確実に捉えた一撃だったのだが、それを振り翳した左腕で受け止める安藤に里曽辺は思わず笑みを零した。ケプラー繊維に守られて弾丸を受け流したのだとは言え、その一撃はかなりの激痛を伴うものだったはずだ。けれども微かにも表情を歪めることもなく、安藤は恍惚にも似る笑みを見せていた。その武者震いにも似た双方の笑みは、相手が自分に相応しいと認識したから漏れたものなのだろうか。
換装の終わったグロッグの遊底を引き、直ぐさま安藤は構え直して撃ち放つ。ドンッドンッドンッ……と立て続けに鳴り響く銃声にも、里曽辺は直撃を良しとはしなかった。円を描く様に安藤の弾丸を回避しながら、時折イレギュラーの様に目標を外した一撃にも当たることはないのだから、里曽辺は安藤がどこを狙って撃ち放っているのかを「見て」、そして「理解」しているのかも知れなかった。そうして反撃による射撃の一発一発を、ケプラー繊維の服をまとう安藤の全身のどこかしらへとヒットさせる。その攻防はガバメントの弾丸が切れるまで続いた。
カチンッカチンッと撃ち放つ弾丸がないことを里曽辺のガバメントが訴えると、安藤の挙動は瞬時に変化した。肉弾戦を仕掛けようと言う腹積もりの様だったが、それは殊の外……呆気なく終わりを告げたのだった。
踏み出したはずの足に力が入らず、意図せず片膝をつく格好で体勢を崩したのだ。笑みが掻き消えた後に残った表情には苦痛を感じた風はなかったが、安藤は思い通りに動かぬ身体に対して顔を顰めて見せて、慌てて次の挙動を取って見せた。里曽辺に隙をついた踏み込みを許さぬ為、グロッグを振りかぶったのだが、それも苦肉の策であることは否めなかった。ただ、ここで里曽辺は安藤に取って甚だ予想外の行動を取って見せた。不用意に距離を詰めることをしなかったのだ。
里曽辺にしてみれば対自分用の戦い方を展開されて必要以上の警戒をした所為もある。……だがそれ以上にそれを躊躇させたもの、……それはそこに際してなお恐怖のない安藤の表情だった。
「これでチェックメイトでは芸がなさ過ぎる。立て、……そしてグロッグを構えろ。」
「……ひへへへへ、さすがにWalkerの名前は伊達じゃねぇ。あの地獄の時と同じ様に歩くべき場所を知っている」
一度キョトンとして顔をした安藤だったが、ゆっくりと立ち上がると再び表情に恍惚に似る笑みを灯して見せた。これ見よがしにグロッグのマガジンを換装して見せると、顎を杓って里曽辺にも弾のないガバメントの換装を要求する。
「どこを歩くべきなのかを知ることで銃撃が当たることのない場所を「見る」なんざ、やっぱりあんたは本物の化物だぜぇ、……先頭に立って地獄の底を歩いただけはあるッッ!!」
ガギンッと音を立ててグロックの遊底を引く安藤の一挙手一投足を注視しながら、里曽辺は澄ました顔をして安藤のその言葉に対してこう反論をした。
「俺の名前を、俺の印象を、より強烈なものにする為のそんな作り話をお前がどこで耳にしたかは知らないが、そんなものはただのまやかしだ」
不意に笑みを掻き消す安藤の、その後に残った表情はただの無表情だった。そこには何も残らない。そして……次第次第にそこに、何に対するものなのかも解らぬ怒りの色を灯し始める。
「くっ……くっくく、作り話かい?」
不気味な声。喉の奥底から無理矢理に引っ張り出してきたかの様な、それでいてどこか笑いにも似たその声に、後方で状況を注視する名護谷はゆっくりと銃口を安藤に向けたのだった。
「では、弾に当たらないのはただの偶然だとでも言うつもりなのかいッ? 悪い冗談だぜ、里曽辺三等陸佐ッッ? あんたは俺の眼前で歩いて見せたじゃないか、踊って見せたじゃねぇかッッ!?」
大袈裟な身振り手振りで、それを訴える安藤の意図をそこに見て取ることは出来なかった。いや、言ってしまうなら直接関係ないことの様に見えるその「里曽辺=化物」と言う方程式の否定こそが、その安藤の怒りの真相なのか知れない。
「そうだ、だからWalkerと呼ばれる」
淡々と言い放つ里曽辺に、過敏に反応して否定の言葉を言い放つ安藤。異様な光景だった。
「違うねッ、ならあんたが歩いた地獄の話をしてやろう。誰が何を言おうとあんたは地獄の底を歩いて来たんだぜ。例えそれをあんたが否定しようともその事実は変わることがない。それとも、あんたが歩いたあの場所は地獄ではなかったと言うつもりなのか?」
安藤の口調は「あの」にプロミネンスを置き、そして里曽辺は表情を掻き消すのだった。安藤がやって見せた様な「何も見て取ることの出来ない」無表情を装って、里曽辺は安藤の言葉に耳を研ぎ澄ます。
「ベトナム戦争時のベトナムの惨状と比べたら、まだマシだとでも言うのかいッ? 最近の連中は程度の低い惨状を地獄と呼びやがるが俺が保証するぜ、あそこは地獄だったッ! それもあんたが自分自身の為に作り出した地獄だ」
一度言葉を句切った後で、安藤はその内容をさらさらと切り出した。
「表向きはミサイル制御に使用する電子チップの輸送計画、……が実質はプルトニウムの不正輸出だった。あんたはそれの護衛部隊の実質上の責任者だった、なぁ里曽辺三等陸佐?」
時折、里曽辺に対して同意を求める様な言葉を混ぜていたのだが、それに里曽辺が反応を返すことはなかった。それがただの聞きかじりなのか、それとも安藤自身が現実をその目に見ているのかどうかを里曽辺は躍起になって判断しようとしている様にも見えていた。
「ロシアの大陸横断鉄道を用いる……幾重に情報を偽装した安全な護衛のはずだったが、一転それは国際テログループの強奪目標になっちまった。あまりにも護衛とルートが陳腐だった、……そりゃあそうだ。表向きはそう大したものを輸送していないことになってんだ。厳重な警備なんざつけられるわけがねぇよ」
詳細までを話して見せる安藤に、里曽辺は目の色を変えながら、けれども黙り込んだままその言葉を聞いていた。
「……それを本物の、最新ミサイル制御電子チップ。……言葉が悪いな、お宝の山だと勘違いした馬鹿なゲリラグループが深夜一時過ぎだったかい? 護衛の交代時間を付いて列車を襲撃して来たんだったよな? 情報は筒抜けだった。頭の悪い上層部が貨物列車の運賃を安く済ませようとか考えるから何から何までだぜ。ホント酷い話だったぜ、なぁ?」
名護谷がゆっくりと銃口を降ろして見せた。険しい目つきで里曽辺と安藤を注視しながら、恐らくは「生き残り」の安藤の処遇を里曽辺に委ねた様のだろう。
「ひへへ……そこまでは良かったのな。なんてことはない……起こり得る可能性の、その予測の範囲内だった。プルトニウムが入った四つのアタッシュケースの内の一つがこともあろうにゲリラグループによって強奪さえされなければ、あんな惨事は生まれなかったのにホント愚かな連中だったよな」
恍惚な笑みを灯し、さも楽かった思い出でも話すかの様な口調。
だから里曽辺も、あらかた安藤が何を求めてこの場に姿を現したのかを理解し始めていた。
「……そして地獄が始まったァ」
大きく両手を広げて、安藤の話はさらに熱を帯び始める。
「ゲリラグループは中身が本物なのかどうかを確認する為にアタッシュケースを開けて、そうして運悪くそれがプルトニウムだと理解出来ちまった。それが国際的に暗躍するテロリストの手に渡ってしまう、ひへへへへへ……危惧はそんなことじゃなかった。日本の優良企業が、それも政府のお墨付きを貰った企業様が、プルトニウムを不正輸出したなんて事実が全世界に拡散したならどうなる?」
名護谷も里曽辺もその熱心な説明を遮ることはない。だから「Walker」と言う化物が生まれた場所を再認識出来た。
そして今また、そこで生まれた化物が「Walker」ただ一人ではなかったことを理解させられるのだった。安藤はここに……里曽辺と言う化物が居るこの場所に、化物に成りに来たのだから。恐らくは千宗も孝山も関係などない、安藤は安藤の意志でここに里曽辺と言う基準を持った「化物」に認められる化物になりに来たのだ。
「それも原発に使われるべきはずのものがだぜ、僅かな手を加えるだけで原子爆弾に流用出来る状態だったんだ。全てを闇に葬る必要があった。情報調査室がやる様に全てだッ、何もかも、一切合切。その地域を世界地図から切り取る様に消滅させてでも、その情報が広がる可能性を消さなきゃならなかった」
……そして切り取る様に消滅させた。
里曽辺の目は安藤を見据え、その手はガバメントのグリップをギリギリと締め上げていた。
「そこを拠点に活動していたテログループ三百五十人余り、そして地域一帯の全ての情報伝達手段を遮断、ブロードバンドジャミングを広範囲に展開した後、街二つ村三つを地図から消した。武装したゲリラグループ、わけも理解せず自己防衛として銃を構えた民間人、分け隔てなく区別なくあんたは皆殺しにして火をくべた」
未だ狂った夢は覚めやらぬ。未だ振り返ることなく歩き続けねばならぬ。未だ正当性を妄信せねばならぬ。未だ人を凌駕する化物の、その必要性を認識せねばならぬ。
「限られた短時間の中で、巧妙な爆弾を使い、一斉に各所で発生した広大な山火事が原因に見える様なやり方であんたは任務を遂行した。……拍手喝采ッッ、あんたは英雄だ。その後の調査で死傷者は五万人を越えたらしいぜ、英雄ッ、Walkerッ、里曽辺三等陸佐ッ?」
賛辞の言葉を並べ終え、安藤は不意にその目を閉じた。そうして感慨深げな声をあげる。
「あぁ……目を閉じれば眼前に広がる様だ。手に取る様に何もかも鮮明に思い出せるぜ。深夜に放った盛大な火炎が一気に山間の寝静まった街を包み込んだ、逃げ惑う民衆で溢れかえる避難経路に設置した爆薬はものの見事……あんたの狙い通りに綺麗な爆音を響かせて、ガキも野郎も女も分け隔てなく消し炭に変えた」
目をキッと見開いて安藤は里曽辺にこう問い掛ける。「……あそこは地獄じゃなかったのかい?」と。
声として安藤へと返すことはしなかったが、確かにそこには里曽辺の同意の言葉が漂っていた。あの場所は「地獄だった」のだと、確かに同意が返っていた。
「自らの手で放った炎の中に躍り行って銃撃戦を展開し、……あの灼熱の、焼け焦げた死体が無様に転がる地獄の中をあんたは歩くべき場所を熟知したWalkerとなり、次々と生存者を銃殺していったんだぜ?」
言葉を句切り、安藤は獣の様な目で里曽辺を睨み見てこう言った。
「灼熱地獄の、自動小銃の盛大な喝采の中を、ステップを踏む様に歩き続けた化物だ」
「……俺はお前の眼前で、歩いて見せたのか?」
確認する様に問い掛けた質問に、安藤は明瞭に「Yes!」と返事を返し、里曽辺は大きく息を吐いた。
「名前を聞いておこうか?」
「安藤芳章(あんどうよしふみ)だ、室谷(しつや)二等陸尉の下にいた」
「そうか、……俺と共に地獄を歩いた哀れな生き残りか」
タンッと唐突な挙動を取って、安藤は自身の後頭部にグロッグを突き付けた。大きく見開いた目をして引き金に指を置き力を込めて、ともすれば弾丸を撃ち放つギリギリのラインでそれを留める。目の色を変えて、恐ろしい程の集中力を持って、少しずつ少しずつ引き金を引いていた。
「今、本物になって見せるぜ。あんたがくたばる時にはそれ以上の化物が生まれ出でなきゃなんねぇんだよッ!!」
これが俺のやり方だと言わないばかり、そこに名護谷は身震いを覚えた。雰囲気が変わると言うのか……、安藤がまとう気配が変わると言うのか。限界を引き出そうとしていると言えば言葉が良いのだろうか、ともあれ里曽辺に近付く為に安藤が恐ろしい程の集中力を引き出そうとしているのは確かだった。
「人を凌駕する化物となって何を為す? 一介の殺人兵器に身を窶すのか? 化物には意志が必要だ」
安藤は米神に皺を寄せ、額に無数の青筋を浮かべながら、荒い息を吐き始めていた。見るからに異常な発汗をして、ガチガチと凍える様に歯を鳴らす。里曽辺の言葉などその耳には届いていない様、しかし里曽辺は続ける。
「……拠り所を持たない人ですらない化物がどうなるか知っているか?」
「へへ……へへへ、あんたの哲学は尊重するぜぇ。でもなァッ、後塵を拝する……あんたに追いつこうと足掻く俺らは、まずはそこに到達しねぇとならねぇんだよッ! ……知ってるかい? 理想って奴は力がないとほざけねぇんだぜッ!」
くっと目を見開いて、前面に身震いする程の戦意を押し出し、安藤が咆吼をあげる。
「行くぜぇッ、あの地獄で生まれたアーキタイプッ!!」
グロッグが身構えられる。先手を取ったのは安藤で、その第一撃は里曽辺の後頭部を掠めた。ここに来て始めて安藤の一撃が里曽辺に、僅かながらではありながらダメージを与えられた瞬間でもあった。
けれどもその安藤の表情に満足はない。ただただ里曽辺を殺す為の、直撃だけを求める真剣な顔があるだけだ。
嫌な気配がしていた。それをより嫌っていたのは名護谷だったのが、それは里曽辺にも通じる重苦しい気配だ。
「……まずいッ」
そんな直感の命ずるままにガバメントを身構え、里曽辺の援護の為の名護谷は引き金を引いていた。
ドゴッドゴッと肩先を狙った名護谷の弾丸が肩付近に直撃してなお、安藤は顔色を変えることがなかった。まるで名護谷の後方支援など眼中にもないかの様に里曽辺だけに狙いを定めた一撃を続けた。
放たれてからの弾丸を回避するなど出来る芸当ではない。では放たれる以前の弾道を読んでいるのか?
次第に、里曽辺に歩調を合わせる様に安藤も里曽辺の弾丸の回避を始めた。互いが互いの射撃を回避しながら相手を仕留める為の一撃に神経を集中させる異様な緊張の中、名護谷は舌打ちをする。
「くそッ、千宗にマグナムを手渡したのは失敗だったかッ!」
名護谷の狙いは肩先などではなかった。けれども肩先にしかヒットしない。否……逆を取れば肩先にはヒットするのだ。安藤が「Walker」の領域に突入するよりも早く、多大なダメージを与えて置いた方が良い。そう判断した名護谷は思わず顔を顰めた。里曽辺の挙動が一定のパターンに基づかないから、里曽辺に当たる可能性のあるコースに狙えないのも一因だっただろうか。
「あんたは銃口を見ているわけじゃねぇんだ。……かと言って俺の頭の中を読んでるわけでもない」
安藤も里曽辺と同じ様に何かを見始めていると名護谷は理解した。額直撃コースの弾丸を左腕で止めながら、その止める回数も格段に減りつつある。そうして安藤は常に左腕を翳した防御姿勢を取っているわけではない。
自分の額に直撃する弾のコースを「感じて」、そして「予測している」のだ。里曽辺の様な完全な回避をしているわけではないながら、安藤も間違いなく里曽辺の領域に近付きつつあった。
「俺だって狙いはともかく、弾がどこに向かって飛んでいくのかなんて実質わからねぇんだ。でもあんたは何かを見ているんだ、確率とか可能性とか言った不確かなものなのかも知れねぇ……、けどあんたはそれをどうやってか「知る」ことが出来るからWalkerなんだ」
ところどころ歪な軌道を描きながら、且つ一方方向だけへと移動するわけでもない。けれども安藤と里曽辺の位置関係は互いが円を描く様に推移する。必要最低限の距離を保ち続ける緊張の中では、双方どちらも残弾数など数えてはいなかった。相手に弾丸を直撃させる為だけの行動に全神経を集中させていた。
けれども残弾数が残り僅かなことは理解出来ていた。手に握り持つハンドガンの重さが変わる。それによって撃ち放った直後の反動が変わる。理由は様々だったが理解はしていたのだ。
だから安藤は唐突に距離を詰める為の一歩を踏み出した。より近距離下に里曽辺を置いて、その目的を遂げる為に。肉弾戦では勝ち目がないこともその理由であるし、そして何よりケプラー繊維の防弾服に身を包む以上、結果が例え相打ちの格好でも勝利の目が残っているからだった。
そこに残った結果は実に単純明快なものだった。安藤の接近に合わせて里曽辺も前に出て、そうして里曽辺が先手を打ったのだ。グロッグを握る安藤の右手にガバメントを突き付けて、ゼロ距離。ドゴンッと銃声が響くとあっさり安藤の右手は制御を失い、そうしてただ引き金を引かねばならぬと言う意志に取り憑かれたかの様に照準定まらぬままグロッグは火を吹いたのだ。
安藤の胸元にガバメントが突き付けられて、再度ゼロ距離。まともにストレートで殴られた以上の衝撃に全弾丸を使い果たしたグロッグも安藤の手を離れて床を滑って、勝敗が決する。
「へへ……ひへへへへ、やっぱり一発も当たりやがらねぇのか」
着弾の衝撃に身を任せる様に安藤は床に突っ伏した。ドゴッと衝突の音が鳴り、そのまま壁へともたれ掛かる格好だった。額のガードに当てていた安藤の左腕は骨が砕けているらしく、集中が途切れた今ピクリとさえも動くことはなかった。
「でも安心したぜ。……あんたが引退するとか言う馬鹿げた話を小耳に挟んでね」
「……事実だよ、足を痛めた、Walkerが足を負傷し歩けないなどいい笑い話だろう?」
里曽辺の言葉に、声に出すことのない笑いを含みながら安藤はこう言葉を続けた。それは「引退など出来るはずがない」ことを確信した上での科白だった。
「冗談言っちゃいけない、あんたが引退したら誰が戦場に地獄を呼び込んでくれるんだい? 誰が愚かな敵性組織を震え上がらせてくれるんだい? あんたの次のWalkerがそれをきちんと担ってくれる保証はあるのかい?」
「……これから世界は平和を目指して一つにまとまる方向へと流れていくだろう」
「それ、見せ掛けだけの紛い物だろ?」
間髪入れずに安藤がそう里曽辺へと問い直す。叶わぬ里曽辺の希望的観測をものの見事に否定するその様は、自身が目指したものの必要性を訴えている様にも見えた。
「実施なんか伴わないんだよ。矛盾を解決する理論がねぇんだから……。へへ……グローバリゼーションがソノモンディエルを聞かせてくれるかァッ?」
ゴリッとガバメントの銃口を里曽辺は安藤の後頭部へと突き付ける。それを厭う様子を見せない安藤は既に抵抗が無意味でことを承知していた。それで楽にくたばることが出来るのだと理解していた。
「出来るはずがねぇッ……あんたもそう思うだろ? ひはははは」
楽しそうに言葉を話す安藤に対して、里曽辺は引き金に指を掛け無表情のままその話に耳を傾けていた。
「……化物を殺すことが出来るのは、それ以上の力を持った化物だけだ。あんたがくたばる時にはそれ以上の化物が生まれた時だけだぜ、その中途の礎としてくたばるなら本望、いずれ生まれくるより以上の化物に乾杯ッッ!!」
「……それらは本当に、国ないしそれらを生み出した何かを守る存在なのか?」
そうやって危惧を口にしてみても、安藤からは望む答えなど返らないことは理解していた。誰も彼もが中身のない化物を求めている気がした。
「あんたを殺せないで良かった、こんな無様な俺如きがもしも済し崩しにWalkerを冠してたら、ホントいい笑い話になるところだったぜぇ。次のWalker見習いとやらは、あんたに劣り勝らぬ化物なんだろ?」
答えはやはり返らなかった。右手を大きく掲げ安藤は満足げな顔をして高々と声をあげる。
「来るべき日の為に、乾杯ッッ!!」
「……来るべき日などない」
「いずれ来るんだよ。一年先か、数年先か、百年先かは知らねぇが。だから化物が必要とされる」
ドゴンッ……と、一つ銃声が響き渡ると安藤は動かなくなった。