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Seen03 離反


 タンッと千宗の握るライフルが銃声を響かせた。千宗は俯せになる格好でライフルを構え標的を狙ったのだが、その弾丸がハンドガンの時と同様に的へと命中することはなかった。千宗はこれで五ダース近くあったライフル弾を全て使い果たした格好だ。珍しくもプロフェッサーが「銃の才能について実際にこの目にしてみたい」と要望を述べ、この訓練の場に居合わせる中、千宗は千宗自身でライフルを扱い切れるだけの才能がないことを証明した様なものだった。
「無理、……こんなの狙えないよ!!」
 狙い自体は悪くはない。実質、風向きだとか言った具合の障害がなければ、ハンドガン同様に二十センチ円中には集弾出来るのだ。……しかし言うなれば、より精密且つ確実に的を捉えることが要求されるライフルに関して、それらを修正することが出来ないと言うことは「才能がない」と結論付けられてもしようのないマイナス点であった。
「……結果は見ての通りと言うわけか」
 泣き言を言う千宗に追い打ちを掛ける風にプロフェッサーは溜息を吐き、そう感想を述べた。里曽辺も大体がプロフェッサーと同様の感想を持っていた。
 これからも訓練をし続ければ伸びるのかも知れないが、ことそれは今要求されているには合致しないものだ。今日になってプロフェッサーは里曽辺に対し、もう一つ要求を突き付けた。それは才能のあるものを伸ばし、出来るだけ早急にどれか一つでも実践力として使えるレベルに仕上げて欲しいと言う内容の要求だ。
「ハンドガンの様な、ほぼ一定のパターンを持った反動には本人曰く簡単に慣れることが出来るらしいが、ことスナイパーライフルなど周囲の影響を大きく受けるものに関しては才能がない…か」
「はははは……、そうだな、まるっきり才能がない」
「……うぅ」
 声高々に笑うプロフェッサーに対して、自分が情けないのだろう。千宗は複雑な表情をしながら呻く様な声をあげていた。表情には悔しさと言った様なものも明瞭に現れていて、負けん気の強さが表だって出て来た格好だ。
「まぁハンドガンに関して扱えると言うことが解っただけで十二分に収穫だったよ。なにせ始めは射撃に関する能力などないと思っていたからね」
 プロフェッサーはポンポンと里曽辺の肩を叩くとこの場での用事は済んだと言わないばかり、射撃演習場を後にした。ガサッと不意に音がして、プロフェッサーの背中を目で追った里曽辺に飛び込んで来た光景は、プロフェッサーがコンソールの上へと紙切れを一枚置いていく現場だった。
「後で目を通して置いて欲しい。やはり儂の睨んだ通りでな、……予定よりも早く千宗の成果を形で示せと言う浅はかな連中が出て来たのだよ、里曽辺君」
 プロフェッサーは小さく後ろ手に手を振るポーズを見せると、里曽辺へと振り返ることもなく射撃演習場を後にした。
 取り敢えずの射撃訓練を終え、千宗に医療ブロックに行き休憩を取る様に言うと、里曽辺はプロフェッサーが置いていった書類を手に取り、その文面を読み飛ばす様に視線を走らせた。誰の調印もない発行場所の不明瞭な一枚の書類ながら、複数個殴り書きされたサインのいくつかに見覚えがあって、里曽辺は目を留めた。内容よりもまずどこから発行されたものなのかを確認する自身の癖に苦笑いを零しながら、里曽辺はその内容に視点を戻す。
 不意に射撃演習場に入ってくる靴音を耳にして、里曽辺は慌ててその顔をあげる。
「こうして顔を合わせるのは初めて……と言うことになるのかな、里曽辺三等陸佐?」
 里曽辺は一度自分の目を疑った後で、書類のサインに再度視線を落とした。確かにその人物の名前はそこに連なっていて、やもするとこうやって目の前に姿を現してもおかしくはないのだった。
 年齢だけで見るならば、そいつは里曽辺よりも一回りは若い。けれどもその手腕に関して周囲からは絶大な評価を受ける人物で、そして里曽辺よりも高い位に付く幹部候補生である。いや、幹部候補どころか実質幹部と同等の権限は持ち合わせているだろう。なぜならば里曽辺は良いも悪いも様々な噂を耳にしているのだから。
「私は……、同じ組織に属しているのだから知っていると思うが、名護谷と言う」
 立ち居振る舞いに滲む威圧感は相当なものだった。もちろん名護谷には里曽辺に対する敵意なんてものはない。それにも関わらず里曽辺にすらそれを理解させる強烈な威圧感なんてものをまとっているのだから、上層で人の指揮を執る器を生まれながらに備えていると言われても仕方がないのだろう。
「おっと……ここで私に敬語を使う必要はない。見ての通り、ここに来ているのはただの私用であり襟元に階級章が付いているわけでもないからな」
 名護谷は確かに私服姿をしていた。私服と言ってもラフな格好ではなく、スーツに袖を通した正装にも似る装いだ。しかしながら「畏まるな」とは、里曽辺には無理な話でもある。こうして顔を合わせることがまずないにせよ、下手をすると直属の上司と面通しをしているのと同じなのだから……だ。
「書類には目を通して……。あぁ、今……目を通して貰っている最中か。」
 名護谷は里曽辺に「続けて目を通してくれ」と言うジェスチャーを見せると、射撃演習場の立ち位置へと足を向けた。そうしてスーツの胸元からガバメントを取り出すと的に照準を合わせて撃ち放つ。ドガッドガッドガッ……と、フルオートのガバメントのマガジン一つ分を全て撃ち放って、名護谷は里曽辺に対して口を開いた。
「実際その期日までに千宗にWalkerとして一定の結果が残せる様にして貰いたい」
 カンッとマガジンが床に落ちる音がした。名護谷はすぐにマガジンを入れ替え、再度的へと照準を合わせると、躊躇うことなく引き金を引いた。それは年月がものを言う完成された動作だった。実際、名護谷の弾丸は確実に標的を捉えていて、やもすると一度着弾で開けた穴を、再度通したものもあったかも知れない。
「もちろん、この期日までに里曽辺三等陸佐が長年に渡り積み上げて来たWalkerとしての経験のほとんどを千宗に教えるなんてことが出来ないのは百も承知で、今後とも継続して教育はして貰いたいのだが……、如何せん……お偉方と言うのは目先の結果というものに拘る能のない連中ばかりで、一つ成果を目に見える形で示さないと納得しないんだ」
 名護谷は顎をしゃくって自身が撃ち抜いた標的を指して見せた。そこに「こんな具合にな」と言う言葉を形にして示し出したわけだった。全ては千宗次第と言う状況下の里曽辺には「善処します」と言葉を返すのが精々だった。


 千宗にはライフルを扱わせない方針を決めた里曽辺が、それを格納庫に戻し射撃演習場へと戻る途中のことだった。里曽辺は不意に聞き覚えのある声を耳にしてその足を止めた。ライフルの格納庫がハンドガンのものとは別の場所に位置していることから、里曽辺は普段は訪れることのない電子制御の扉で隔絶されたブロックの奥まった場所へと来ていたのだ。
 ……それはプロフェッサーの声であったのだが、この周辺には会議室は存在しないはずで、またプロフェッサーが普段籠もっている研究室関連の部屋があるわけでもない。
 浦野がこの電子制御の鉄製扉で隔絶されたブロックについて詳細な説明をしていないので、実際には里曽辺もこのブロックの全てを把握しているわけではない。浦野はこのブロックについて「地下演習場に格納庫を始めとした武器の管理に、重要なゲストの為の寝室があるブロック」だと里曽辺には説明をしていた。
 説明を鵜呑みにするのなら、プロフェッサーは誰か重要なゲストとの会談の最中か何かと言うことになり、だからこそ里曽辺は歩き出さねばならぬその足を制止させ、その声に耳を澄ませたのだった。
 このブロックが人の出入りのないブロックであることも、里曽辺のその本来は許されぬ盗み聞きをしようと言う魔を助長した。周囲には人影を窺うことは出来ず、里曽辺は止めた足の踏み出すタイミングを計れない。
「彼女は、……いやあれに性別などないのだから、そう差別化するのはおかしな話なのだが、ふむ……見た目通りの三人称ならばやはり彼女となるのかだろうかね?」
 誰を前にしてもそう態度を変えることはないのだろう。プロフェッサーの言葉付きは里曽辺に対するそれと大差はないものだった。ただそこに重要な会談を設けている雰囲気はなく、やもするとそれは雑談でも交わしているかの様だった。
「三人称など今はどうでも良いことでしょう。……それでどうなんです?」
 もう一人の声は里曽辺には聞き覚えのないものだった。プロフェッサーに対して強い非難を込めた口調と声色で、はっきりとは判断出来ないながら、年齢的には高齢のものではない。どちらかと言えば若々しいものだろうか。
「はは、一体君ともあろう者が何を焦っているんだ?」
 気付けば物音一つないこの廊下はドアを一つ挟んだ部屋での会話を明瞭に聞き取れる場所になってしまっていた。恐らく防音装備などないのだろう。耳を澄ませばコォォォォ……と言った具合の微かな室内空調の音さえ聞き取れる。
「まぁ……いいか。そうだな、肉体的なことを言えば不死身に近い存在だ」
 直感的に「不死身に近い存在」という言葉が千宗を指してのものだと里曽辺は理解した。否応なく里曽辺の聴覚は研ぎ澄まされる。そう直感してしまったことで、プロフェッサーから話される内容が里曽辺自身にも全く関係のないことと言うわけには行かなくなったからだ。
「どんな口径の銃であっても殺せはしないし、複数人に自動小銃で蜂の巣にされたとしてもまずくたばることはない。何せ戦車砲の直撃でもくたばらないんだ。まぁ復元に多少の時間は掛かったがね。……そこいら辺のものでは殺せない」
 一瞬、里曽辺は自身の耳を疑ったのだが、話の内容を聞き間違うはずはない。……僅かな雑音さえも混ざることなく、彼らによって交わされる話の内容は里曽辺の聴覚に明瞭に聞き捉えられているのだからだ。
 驚きは隠せなかった。けれどもそこに理解を示しているもう一人の里曽辺も確かにそこには存在していた。
「ただ精神攻撃と言うのかね。何だその……調査室にいる、あー……名前が思い出せないが、新しく室長になった彼の様な術と呼ばれるものを扱う人間が相手だと圧倒的に不利だと言うことが判明している。後はそうだな、……各所各所に与えるダメージでは殺すことは出来ないが、瞬時に人間を灰にする様な高温などでは人と同様、殺すことが出来る」
 千宗のマイナス材料を口にするプロフェッサーに、聞き覚えのない声の男は苛立ちを隠せない様にこう口を切る。
「それは……対軍隊用兵器にしかならないと言うことですか?」
 わざわざそこに対軍隊用と言葉を用いたことに、すんなりと行かない引っかかりを里曽辺は感じた。千宗がどんな能力を持っていようとも、窮極的には安全を保つための……直接及び間接の侵略に対する防衛組織の一員であるのだ。では、想定としてそこに対軍隊以上の何が存在しているというのか?
「ふむ、どうだろうな? それにもう一つのマイナス材料が成功率の低さだ。ゼロコンマでは到底、実用化の目処とは言えんだろう?」
 プロフェッサーは明確な返答を避けて、そう新たに問題点を口にした。そうすることで、まるで自身が携わっている千宗と言う存在はまだまだ改良の余地があると言う科白を暗に、そしてはっきりと言い表したかの様だ。
「……生殖の可能性は?」
「ははは……まさか。性別がないと始めに言わなかったかね?」
 苛立ちを隠さない男の言葉に、プロフェッサーは「落ち着きなさい」と言った意味合いを含めながら返答をした。明らかにその場には険悪に近い雰囲気が漂い始めていたのだが、プロフェッサーがそれを意に介している様子はなかった。そうして水を得た魚の様に、その問いに対する見解を楽しそうに語り始める。
「元々こいつは異種交配で誕生した様な代物だ。自然の摂理に従ったかどうかは知らないが、生殖機能を持ってはいないのだよ。まぁ、人体の形を精巧に模すことが出来るのだから行為の真似事ぐらいは出来るだろうがな」
 聞き覚えのない声の男は一体どんな表情をして、そのプロフェッサーの見解を聞いているのだろうか。
「……それでももし増やすと言うのなら、クローニングが妥当なところだが現行のクローニング技術が通用するのかと言うとまた別の話になってくる」
「要は、私が望むものとしては失敗……と言うわけですか」
 恐らく何かしら言葉をぶつけなければ、まだまだプロフェッサーの見解は続いただろう。「どうしてクローニングが通用するかどうかがはっきりとしないのか?」など、その後に続いただろう見解を予測することは、里曽辺に取ってでさえ容易なことだ。だから、半ば強引に聞き覚えのない声の男はそう切り出したのだろう。それは言葉に区切りを加えた、酷く淡々とした口調だった。まるで「はっきりと結論を述べてください」と、プロフェッサーに刀の切っ先でも突き付けたかの様だった。……やもすると、そんなプロフェッサーに対して、我慢の限界が来ていたのかも知れない。
「はは、失敗とするには少々出来が良すぎるとは思わないかね?」
 プロフェッサーの声色に僅かに真剣味が混ざった気がした。「失敗」だとはっきり言い放たれた言葉に反論をする様な感は否めなかったが、プロフェッサーの失敗を否定した言葉は十二分に納得の行く内容だ。今までのプロフェッサーの説明を聞いていて、誰が「千宗」と言う化物を「失敗作」と罵るだろうか?
「確かに万能ではないし、使用用途も限定されるが、扱い方さえ間違わなければ我々が望む以上の結果を叩き出せる品質は持っている」
「いかなる相手に対してでも抑止力になれなければ意味がないでしょうッ!」
 ドガッと机を叩き付けたかの様な音がした。荒々しく発せられた言葉には、僅かにでも苛立ちを隠した様な配慮は窺えない。
「なぜ君はそんなにまで早急な結果を望む? 一体何を為そうとしているのだね?」
 すっとプロフェッサーはそれまでの表情から態度を一転させた。扉を一枚挟んだ場所で聞き耳を立てる里曽辺が、そこに目つきの鋭さなんてもの感じることが出来たのだから、その部屋の内部の雰囲気は瞬時に変化したはずだ。
「……」
 その淡々とした冷徹なプロフェッサーの質問に、明確な返答をしなかったのは聞き覚えのない声の男の側だった。そして、そこに生まれた一瞬の静寂を打ち破ったのもまたプロフェッサーである。
「ふむ、儂にそれを尋ねる権限はないが同時に君もプロジェクトとして進行している段階の現状を変革させる権限はないのだよ?」
 それは「この話はここで終わりにしておこう」と話を区切る様に切り出した言葉で、そうすることでプロフェッサーは対する男の出方を窺ったのだった。
「……失言でした、申し訳ない。少し頭を冷やしてくることにします」
 カツンカツンと足音が里曽辺が聞き耳を立てる扉の方へと向かって近付いてきて、大慌てで里曽辺はその場から立ち去ろうとその一歩を踏み出した。果たして足音を立てるべきなのか、それとも立てない方が懸命なのか、里曽辺は判断に悩み熟慮する。足音を立てないとは不自然極まりないが、姿を見られることなくこの場から立ち去ることが出来るのなら、その場所にいた痕跡を何一つ残すことなく済ませられるのだ。時間にすればゼロコンマの思考の後で、里曽辺は小さな足音を立ててこの場から立ち去ることを選択した。
 トンッ……トンッと里曽辺が歩み始めると、前方の……ブロック間のちょうど区切りの役割を果たす大きな鉄製扉の向こう側から声が聞こえた。それは怒声にも似た大きな声であり、またその声の主はこのブロックに向かって歩いてくると言う非常にまずい状況の様だった。
「追加として送付された資料についてプロフェッサーと話がある!!」
「孝山様ッ、お待ちください! 現在プロフェッサーは……」
 ブロック間の行き来を監視する役目を負った人間はこの駐在施設には存在しない。それはつまりその声の主を制止する人物が、中央からここまで常にその人物を制止をし続けて今に至ることを意味するわけだ。半強制的な制止の利かない相手が声の主ということになるわけだから、否応なく里曽辺の表情は緊張度を増した。
「どけないかッ!!」
 制止の人物を振り払う為のものだろう荒い声が鉄製の扉越しにもはっきりと聞き取ることが出来て、まるで「半強制的な制止の利かない」ことを実際に証明したかの様だ。ドガンッと勢いよく前方のドアが開け放たれると、里曽辺はすっとそれまで以上に平静を装うことを意識しながら、歩みを止めることなくその男と擦れ違う。
 男は直接的には里曽辺と面識のない「孝山」だった。だからそこに挨拶が交わされる様なこともなく、また互い様子を窺うその目に遠慮をすることもなかった。居丈高な歩き方が特徴的な、中年……小太りの孝山はいつも以上の不機嫌な表情をしていて、擦れ違い様の里曽辺を鋭い目つきで値踏みするかの様に横目に捉えて行った。
 キイィィ……と後方で扉の開く音がして、里曽辺は微かに顔を顰める。そこで交わされていた会話が恐らく聞いてはならぬものだったからこそ、プロフェッサーと顔を合わせることは避けたかった。
「プロフェッサーッッ!!」
 孝山が向ける荒い口調など意に介した風はなく、プロフェッサーはそこに存在していることが不自然な見覚えのある後ろ姿に呼びかけをする。プロフェッサーの声色に僅かながら怪訝な調子が混ざったことは否めない。
「……里曽辺君?」
 トンッと靴音を響かせて、里曽辺はその足を止めた。プロフェッサーの呼び止めを無視して歩き去ることほど不自然なことなどない。そうして二つの視線が背中に刺さる中、里曽辺はゆっくりとプロフェッサーへと向き直る。
「盗み聞き、行けないんだ。里曽辺三等陸佐」
「ッッ!?」
 唐突に背後から、それも耳元……里曽辺だけに聞こえる様に話した千宗の声に、里曽辺は驚愕の表情を隠すことは出来なかった。いつの間にここに姿を現して、いつの間に背後に立ったのか、全く気付くことはなかった。背後に立たれたことに関してだけを言えば、里曽辺がプロフェッサー……そして孝山に意識を集中させていたことが原因と受け取れなくはないのだ。しかしながら、里曽辺が身を震わせる程に驚いたのは千宗のその言葉の内容に他ならない。
 どうして千宗がここにいるのかを里曽辺が疑問に思ったのも、その驚愕が冷めて冷静さを取り戻し始めてからだった。考えられる理由としては、里曽辺が休憩を命じた千宗を迎えに行くのが遅れたと言うことになるのだが……。
 千宗は礼儀正しく孝山に対してお辞儀をして見せた。孝山はそんな千宗を冷めた瞳で一瞥をくれて、まるで眼中にないと言う様に、バッと身を翻しプロフェッサーへと向き直って見せるのだった。
「人と同じ様な教育を施せるかどうかが未知数などと言う馬鹿げた話がどこにあるッッ!!」
 懐から十数枚に上る書類の束を取り出した孝山は怒号にも似た口調でそうプロフェッサーに食い付いた。書類をパンッと手の甲で荒々しく叩き付けると、それをプロフェッサー目掛けて投げつける孝山の所行は収まるところを見せない。そうして千宗を指差し、その口調の激しさにさらなる勢いをまして言葉を続けた。ただ里曽辺に取ってそれよりも印象的だったことはプロフェッサーの表情だった。対照的なその顔はより落ち着きを取り戻した様な雰囲気を持っていたからだ。
 敢えて言葉にするなら「ようやく膿が出始めてきたか」と、何かそれを予測さえしていた風だ。
「完全に制御出来なければ意味がないんだッ、もし何らかの間違いであれが我々に牙を剥く様なことが起こったら一体どうするつもりなんだプロフェッサーッ!?」
 孝山の口調は千宗を責め立てるかの様な雰囲気を持っていた。現にそれは千宗に対して向けられたかの様な雰囲気も同時に併せ持っているのだ。だから千宗は孝山をまるで睨み見るかの様に直視していた。まるで壇上の裁判官を見詰める様な目で、判決を待つ罪人の様に、千宗は身動ぎすることなく孝山とプロフェッサーのやり取りを見ていた。
「今からでも遅くはない、完璧な教育を施せッ!」
「教育を施す……かね。今、浦野や里曽辺君が行っているものでは不満なのかね? 孝山君の言う教育と言うものがこちらの意図通りに作用するかどうかは解らないことだと解っても、それでも君は千宗に教育を施すと考えるのかね?」
 プロフェッサーが口にした恐らく予想だにしていなかったのだろうその言葉に、孝山は一瞬……言葉を失った。そうして怪訝な顔で目前にあるプロフェッサーを睨み見る。
「何を言ってる? ……人に対して行う上では、既に確立された教育プログラムがある。そんなことが解らないわけがないだろう?」
 はっきりとした言葉に表されることはなかったが、孝山が言っているその教育と言うものが「人格更正プログラム」だと里曽辺は理解した。確かにそれは孝山の望む「完全な制御」とやらを為すことが出来る。
「それは「人」に対しては……の話だろう? 人とは脳の構造……やもすると思考パターンの違う相手に対してそれは有効かね?」
 プロフェッサーは前屈みのポーズを取ると、ゆっくりとした挙動で孝山が投げ付け床へと散らばった書類の何枚かを拾い上げて行く。その四散した書類の中に、そのことを記載したものでもあると言うのだろうか?
「……あの千宗とか言う娘は人間ではないと言うことかッ、はんッ……馬鹿を言うなッ?」
 不意に……全く唐突に、プロフェッサーは口許をくっと綻ばせて、その表情を笑みで歪ませた。カンッと靴音を響かせて思わず後退ったのは、直接この会話に入り込む余地を持たない里曽辺だった。なぜならば、そのプロフェッサーの表情と言うものが、問いの答えをあまりにも的確に言い表した顔に他ならなかったからだ。
 盗み聞きをする格好になったプロフェッサーと聞き覚えのない声の男との会話を、全て現実のことと否応なく理解させられる笑みがそこには存在していた。それも当然と言えば当然だったのだろう。Walkerを継ぐ生命を、継ぐに足る生命を、わざわざその手で作り出したと言う自負を持って、プロフェッサーはその場に挑んでいたのだから。
「人間かどうかなど本来は関係のないことだ。なぜならば、君らは儂に「計画の実行を遂行出来る力」と注文を付けただけ……。儂は君らに人間を作れと言われた覚えなんぞないんだぞ?」
「人間ではないのか?」
 まるで「そうか」と、納得する様なあっさりとしたものだった。孝山の表情にしても同様に、そこに僅かにでも驚いた様なものを見て取ることは出来ない。人間でないと言うのなら、人間でなくとも構わない。さも、それは大した問題ではない……と、言っているかの様だった。
「半分は霊長類ヒト科の生物だ、……なにせヒトの形をしていないことには「人間社会であらゆる任務を遂行出来る」と言う条件を満たさくなってしまうからなぁ」
「……そんなことはどうでも良い。完全な教育は不可能だと、言うことなんだな?」
 孝山の言葉にプロフェッサーは明確な返答を返さず、孝山に鋭い目つきで対するだけだった。
 論点がずれていると里曽辺は感じた。本来、論争するべき箇所はそこではないはずだと里曽辺は憤りを覚えていた。
「……キチガイめ」
 ボソリと呟く様に侮蔑の言葉を向け、孝山はプロフェッサーに背を向ける。「このことは査問委員会で問題として取り上げる」とだけ言葉を残し、孝山は足早にその場を後にした。恐らくこの後に何が起こり得るのかを、孝山はあらかた予測出来たのだろう。
「孝山様、お待ち下さい!」
 遙か後方で浦野の声が響いていた。浦野の制止を払い除け、孝山の足音は去っていった。
 そこに取り残される形で、里曽辺とプロフェッサーが対峙していた。
 プロフェッサーはゆっくりと足を進めて、そうして「ここにいたことは不問に付す、但し何も語るべきことはない」と、そう言わないばかりに里曽辺の横を擦り抜けていった。
「……どうした?」
「名護谷様、孝山様が……」
 後方では名護谷と浦野の会話が行われていた。孝山についてどう対処するのかの検討がこれから始まるだろう。「査問委員会」とはただごとではない。本当に孝山がそんなものを収集出来るのかどうかは不明だったが、出来るのだとしたら確かにこの場に顔を揃える面子はただでは済まない。
「里曽辺三等陸佐、こちらへ」
 名護谷が浦野の後に続いて入った部屋は一面大理石の床の、一面に高級な装飾品の飾られた部屋だった。最後に里曽辺が入室する形で浦野が扉を閉める。中央には赤いカーペットが敷かれていて、長方形の机にはちょうどここに入室した人数分を補える黒色の立派な木製椅子が六つ並んでいた。そういう部屋を浦野が選んだからなのかも知れなかったが当の浦野は部屋の隅に設置されたコンソールへと足を向けるのだった。部屋の隅には中身が空のコンテナが複数個積まれていて、壁に「Fall」と書かれた鉄格子の仕切などがあることから、ここが商談などに使用される部屋だと推察出来た。
「孝山様の追跡を……」
「異種交配と、話していたな?」
 名護谷・浦野の視線がその突然の言葉の発言者、里曽辺へと向いた。特に浦野は言下の内だったこともあって、驚いた表情で里曽辺へと目を向けていた。そして、まるで見せつけるかの様な挙動でワンテンポ遅れて里曽辺へと向き直ったのはプロフェッサーだった。そこに動揺なんてものを垣間見ることは出来ない。
「プロフェッサー。あんたは一体、人間に何を混ぜたんだ?」
「本当に里曽辺君はそれを知りたいのかね?」
 その当事者たる千宗がキョトンとした顔で、里曽辺へと澄んだ瞳を向ける中、里曽辺は険しい表情を取ってプロフェッサーを睨み据えていた。わざわざ「Walker」などと言う下らない称号を継がせる為だけに「化物」を、それも人ですらない生命を作り出した……言うなればキチガイを、里曽辺は険しい目で見ていた。
「ふむ、例えそれを知ったところでどうなるわけではないだろう。千宗は既にそこに存在しているのだし……またそれを知ったから今更、千宗をどうこう出来るわけではない」
 椅子に座らず、わざわざ机に座してプロフェッサーと里曽辺の対話を真摯な目つきで聞いている千宗に気を遣って、里曽辺は言葉を慎重に選んで反論をしようと必死だった。だから咄嗟の言葉は出て来ない……ただそこに熟慮はある。
「里曽辺君が千宗にどんな感情移入をしたのかまでは儂には解らない……が、千宗とは望み必要とされこの世に生み出されたものだ。これ以上の幸せがどこにある?」
「それが端から兵器として生み出されていたとしてもですか? 自身に妄信するだけの正当性もなければ、そんなものはただの傀儡人形に過ぎない。兵器としての運用にはそこに存在せねばならぬ千宗の意志など反映されないでしょうッ?」
 里曽辺には自身が「兵器」ではないと言う自負がある。自身の正当性を妄信するからこそ、ここまで歩き続け、またこれからも……例え僅かな時であろうとも「歩き続ける」と言う自負がある。……意志を持たねばならない。例えそれが妄信の中であろうとも、過ちを過ちと、敵を敵と、正当性を正当性と認識せねばならない。
 兵器とは「正当性」など持ち得ないただの道具でしかない。何をも考えることはない、何をも区別することもない、……それを使用する「者」の思うがままに殺傷を続けるただの道具でしかなく、使用のその意図を理解することがない。
 兵器として成るべく作られた存在と、人間として生まれた存在を兵器として育成した存在は全くの異なるものである。幸せだとか、不幸だとか、そんなことではない。自身の核を持たない存在はどんなに強靱であろうとも、どんなに強大であろうとも、ただの脆弱な存在でしかない。必ず穴を持つ、言うならば人間としての欠陥・欠落だ。
「千宗は千宗自身が納得出来ないことをしようとは考えないだろう。……千宗に完全な教育を為すことが出来ない以上、無理を通せば道理が引っ込む。そしていずれ里曽辺君の前に顔を揃えるだろう千宗の誕生に携わった面々はいずれも自身の正当性を認識している。僅かにも誤った道を進んでいるとは思ってはいない」
 そこには里曽辺が千宗に向けて説明をした「Walker」そのものがある。立ち止まって自らを振り返ることはなく、正当性を妄信し決して立ち止まることもない。だからこそ里曽辺は口を噤んだまま、何も言えなかったのかも知れなかった。
「千宗とは兵器であり、同時に我々の娘でもある。……だからそこに千宗の意志は存在するのだよ」
 里曽辺の反駁が掻き消えたことで、プロフェッサーは小さく頷き満足そうに笑みを零すと、ポンポンと二度その里曽辺の肩先を叩いた。「いずれ理解する時が来る」と、里曽辺は千宗に向けたその言葉をそっくりそのまま返された気がした。
「ところで里曽辺君、千宗の訓練はどこまで行っているのかね?」
 プロフェッサーは千宗の頭をクシャッと撫でて、里曽辺へと問い掛けた。千宗は嬉しそうな表情をしながらも、その問いに里曽辺がどんな答えを返すのかが気になるらしい。一言一句聞き逃さないと言う具合に耳をピクリピクリと動かした。
「……」
 名護谷・浦野・プロフェッサーと、この場に顔を揃える面々を未だ里曽辺は険しい表情で見ていたが、ハッと現況がそんな悠長なことを言っていられる段階ではないことも里曽辺は理解する。だから、咄嗟に返答が口を突いて出ていた。
「そろそろ実践的なことも出来るぐらいには訓練をして来ているつもりだ」
 その里曽辺の言葉を、プロフェッサーは「千宗の試験運用が可能な状態」と受け取った。……おおよそ間違いがないから、里曽辺は満足な反論もままならない。
「千宗、孝山克を処分して来るんだ」
「処分?」
 千宗は聞き慣れない言葉だったのだろう、不思議そうな顔をしてプロフェッサーへと顔を上げた。ゴホンッと咳払いをした後でプロフェッサーは「殺す、……と言うことだ」と言い直し、そこで再度……明確な言葉にはしなかったものの「構わないかね?」と言った具合の了解を視線によって里曽辺に求めた。
 この状況に至って頷かざるを得ない里曽辺が首を横に振れるわけもない。その里曽辺の了解を得て、プロフェッサーは名護谷の名前を呼んだ。名護谷にしてもその意図を解ってしまっていて、説明も要さずすんなりとことは運んだ。
「名護谷君?」
「構わない、後処理に関してはこちらで手を回しておこう。もちろん情報調査室あたりに任せて、手際よくやって貰っても構わないがね」
「あそこには味方でも敵でもないグレーゾーンの連中が多すぎる。後処理に関しては名護谷君に一任しよう」
 情報調査室と別の組織の名前が出たことを、プロフェッサーは「悪い冗談だ」と笑い飛ばした。ただ、同時にプロフェッサーが名護谷に対して全幅の信頼を置いていることを、里曽辺はそんなやり取りから読み取っていた。
「千宗、こいつを持っておけ」
 名護谷が背広の内からデザートイーグル.44MAGを取り出し、千宗に向けてそいつを放った。パンッとそれを受け取った千宗はキョトンとした顔をしていたが、それが何かを理解するとニコリと笑みの表情を取って名護谷に向けて口を開いた。
「ありがとう名護谷さん、拝借します」
「ふむ、おかしな敬語だけを覚えていくな」
「はは……我々の体質的なものにも問題があると言うことでしょうね」
 千宗の受け答えに成長の跡を見て取ることが出来たらしい。名護谷と浦野は千宗に複雑な表情を見せながら、そんな会話を交わしていた。
「……このまま行けば、孝山の処分が実質的に千宗を稼働させる最初のミッションと成り得るわけか。はは……これが結果としてお偉方に通るならどれだけ楽なことだろうか」
 孝山の処分を確信する名護谷のその見解は一体どこから来るものだろう。理解を余儀なくされた格好の里曽辺は、足下の大理石の床に映る自身の表情を苦悶のものへと変え一人口を噤んでいるのだった。


 ロビーブロックには複数人の男達が集まっていた。数としてはそう多くはなかったのだがその手には一様にMP5が握られていて、一種異様な雰囲気を漂わせていた。隊列を組み微動だにしないその集弾にロビーブロックを通り過ぎる人々は奇異の視線を向けていたのだが、それが孝山の命令によってそこに隊列をしているのだと知ると「あぁ……」と訳も解らず納得していた。殊更この施設の警備に携わる連中がチラリホラリと目に付いたことも、その納得の一因を担っている。
 自分達には縁のない演習か何かでも、これから始めようと言うのだろう。この施設でビップの扱いを受ける孝山の名前が出ていたことでそんな具合の納得をさせてしまっていた。
 カツンカツンと靴音を響かせて孝山が姿を現すと、隊列を組む集弾の表情には複雑な色が窺うことが出来た。愉悦・苦悶・期待・葛藤、それらは様々だった。そうして孝山がパチンッと指を鳴らすとその中の四人の男が孝山の脇を固める様に歩調を合わせ、残りの連中は始めから役割分担がされていたかの様に一気に四散を始めた。殊更、苦悶や葛藤と言った表情を見せていた連中は、それを押し殺したかの様な顔をして駆けていた。
「フリーズッッ! 全員手を頭の後ろで組めッッ、早くしろッ!!」
 タタタタタンッッ……と威嚇の射撃が天井を駆け抜けると、孝山の息の掛かった警備による施設の制圧作戦が展開された。孝山はその様子を横目に捉えながら歩みを止めることはせず、その足を医療ブロックへと向けた。怒号と悲鳴が飛び交い始めたロビーブロックを後にして、孝山は口許を吊り上げる様に微笑みながらこう口を切る。
「さて、それではここから無傷で帰るとしようか。やはりガーディアンを連れて来たのは正解だったか」
 金の塗装の為された悪趣味なハンドガンを取り出すと、孝山はそのハンドガンのマガジンのチェックを始めた。一見すると孝山の銃は小太りなその体格には似合わず、大きさ・銃身ともに非常に小さくメインアームと言うよりは護身用と言った感じが否めないものだ。金の塗装が為されているだけで特殊な改造が為されているわけではないらしく、マガジンに装填済みの弾丸の種類と弾数の確認だけで孝山はチェックを終了した。
「新顔のWalker見習いには通常弾は利かん。必ず例の弾丸を使用しろ、いいな?」
 ガーディアンと呼んだ四人の内の一人に指を突き付けながら孝山は言う。念を押す様な口振りながら、孝山の表情自体は自身に充ち満ちていた。まるで今から新兵器の対人実験でも行い、そこに残る成果が自分の望み得るものと合致するのかどうかを心待ちに待つ狂った科学者の様な顔付きだ。
「ショットガンでは潰せませんか?」
 ガーディアンの質問を孝山はピシャリと否定する。その理由自体は明確な理由と呼べないものながら、けれども酷い説得力を持っていた。それは恐らく孝山自身がそれを酷く実感しているから……なのだろう。
「ショットガンで潰せる様な生物を、奴らがわざわざ化物と呼ぶとは思えん」
 ロビーブロックに接する医療ブロックへと孝山が到着するのに多くの時間は掛からない。ロビーブロックから四散した連中がMP5で医療ブロックを始めとした隣接ブロックの占拠を手早く済ませてしまったことでさしたる抵抗もないのだからそれは当然だった。
「私は最短ルートで地下駐車場まで出る。ここの地図は全て頭の中に入っているな?」
 ガーディアンは小さく頷くだけの返答もしなかったのだが、孝山はそれを「Yes」の意と取って、言葉を続けた。
「対Walker見習い用弾丸は各マガジンに装填されているだけだ。一人に付き12発のみ。間違っても無駄弾は使うな」
 孝山がエレベータのコンソール前まで来ると不意に、緊張の眼差しでその様子を窺っていた医療ブロック内の一人の人間が行動を起こした。
「止まれッ、一体何事……!」
 ズドオオオォォォンッッ!!
 そのコンソール操作を制止しようとした医療ブロックの警備を一人……それも白衣に身を包んだ一般医療スタッフと一見何の相違もない相手を、ガーディアンと孝山が呼んだ四人の内の一人がショットガンを用いて撃ち殺した。
 孝山は顔色一つ変えることなく話を続け、ガーディアンにしてもそれを当然のことの様に対応する。
「高浦・山薙は私と一緒に来い。安藤・盛村は寝返った警備を率いて連中の足止めに回れ」
 孝山は各ガーディアンの名前を呼んで指示を飛ばすと、医療ブロックの小さなエレベータへと乗り込んだ。すぐに高浦・山薙が後に続き、残った安藤・盛村に対して孝山はこう言葉を続けた。
「手筈通り二箇のエレベータを潰したら、お前達も順次撤退して構わん。もちろん、管制室を占拠してここを潰してしまっても構わんぞ、好きに暴れてくれて構わない」
 ガアアァァァとエレベータの扉が閉まり、ゴォウンとその稼働音がしばらく響いていた。エレベータの現在位置を示す点滅表示が最下層の「B7」を示すのを確認すると、ドガンッドガンッドガンッと銃声を響かせ安藤・盛村は待ちきれないと言わんばかりにその場から立ち去った。後には完全に破壊されたエレベータのコンソールだけが残された。


 ザザ……とノイズが走る様な音がして、浦野がその会話の場から離れた。浦野はポケットの一つから無線機を取り出し、無線の相手とやり取りをしながらその表情を険し手ものへと変える。そこから孝山のことについて何かしらの問題が発生したことを読み取るのは簡単なことだった。
「警備から裏切りが出て孝山様の側の援護に回っている模様。なお相手は自動小銃で武装をしていて、孝山様直属の連中も複数人出て来ていると言う未確認情報も入りました。」
 浦野は無線とのやり取りを続けながら、簡潔に現在置かれる状況についての説明をした。浦野は自身の権限で為すことの出来る対処を口にして、それの影響についても試算した。
「施設内部に災害発生時の緊急隔壁を降ろしますが、……恐らく時間稼ぎにもならないでしょう。医療ブロックなどへの非難警告を出して施設の中央管制室へ戦力を集結させることにします。」
「なら警備にも時間稼ぎの牽制だけをさせた方が良い。こちらに大きな被害が出ない様に後退しながら最終防衛ラインである中央管制室を死守」
 名護谷の言葉に浦野は無線でのやり取りをしながら「了解しました」と言う意図なのだろう、利き腕の掌を見せるジェスチャーを取った。浦野の焦りの表情なんてものを垣間見ることが出来る貴重な瞬間でもあった。
「封鎖は出来ないのかね?」
「中央管制室での緊急コードの承認が得られていません。ラボからの直接的なバイオハザード警報でも可能ですがあれでは私達も移動に支障を来します。完全な隔壁封鎖を行うには封鎖エリアに避難勧告を出す必要もありますし……」
 プロフェッサーの自信を持った問いに、浦野は否定的な見解を述べた。それでは「孝山の逃走を止めることは出来ません」と、はっきり言えない辺りが浦野の立場を表していた。
「ははは……近代装備などたいして役に立たないものだな」
「孝山一匹この地区から外に出さず処分するなど、そう大したミッションじゃないと言うことですよ。なぁ、Walker?」 カラカラと笑うプロフェッサーと、ニヒルな笑みを灯しながら里曽辺に対して「Walker」としての働きを期待する名護谷がそこにいた。
「お言葉ですが名護谷様。状況はいつでも最悪の可能性を考慮しなければなりません。警備から多数の寝返りがあって、その総数を把握出来ない以上、山岳部に逃げ込まれた場合が厄介です。」
 一人シビアな浦野の言葉に対し、唐突に表情を真剣なものに変えた名護谷がこう推測をする。
「……実際、舗装も為されていない道悪の獣道を逃走経路に選択するとは思えない。ここの正面玄関への道路というものは無限軌道の装甲車でさえ訪れにくく、また離れにくい急勾配の坂を選んである。仮に山岳部へ逃げ込むことを端から考慮していたとしても、いざとなればこちらが人海戦術を展開出来ることを孝山は知っている」
 作戦展開の方向性を決定するには、プロフェッサーよりも浦野を説得しなければならないと理解したのだろう。名護谷は浦野に向けてそう説明を始める。実際、プロフェッサーは座席について腕を組み、その二人のやり取りを遠巻きに眺めているだけだった。千宗にしても、千宗が簡単に入っていける様な話が展開されていなかった為に、両腕をブランと垂らして机に頭を投げ出すだらしのない格好をして、借りてきた猫の様に大人しくなっていた。
「まぁ孝山の性格的なものを分析しての結果でもあるが、最もこの場所からの逃走に適し、且つ孝山が利用可能なものを絞り込めば孝山を捉えることが出来ると踏んでいる」
 しばし熟考していた浦野だったが、名護谷の推測を頭の中でシミュレートしてこう口を開いた。全てこの施設に関したことはその頭の中に記憶されているかの様だ。
「……ここの地下駐車場から貨物積載ゲートを通れば、直接山岳部を抜ける国道の境潟(きょうせき)トンネル側壁に出ることが出来ますね。人間を積載して支障のないものでは医療ブロックエレベータに、同じく荷物運搬エレベータ、地下駐車場出入り口エレベータの三箇所があり、全て地下駐車場に出ることが出来ます。こちらがそう簡単に境潟トンネルまでのゲートを隔壁封鎖することが出来ないと孝山様が解っているのなら、この逃走経路の確率は非常に高いと思います」
 そこまで説明し終えて、浦野の表情が不意に険しさを増した。だから、何を言うのかと思えば、浦野は現状が非常に切羽詰まったものであること述べるのだった。
「ここから最短ルートで行けるものは……、医療ブロックにあるエレベータ……と言うことになります」
「くっくくく、さすがは臆病者と言ったところか。逃走経路と逃げるタイミングだけは熟知していると言うわけだ」
 場違いな名護谷の笑い声は孝山を侮蔑したものなのか、それとも賞賛したものなのか、或いはその両方の意図を持っていたのかも知れない。そうして次から次へと思慮の回る名護谷の有能な指揮能力だけがより一層際立つ形になっていた。
「貨物積載用の垂直コンベアーを使って千宗を地下駐車場に射出するのが最善策だな。まぁ本来は人間を積載出来る様な仕様ではないがちょうど良いコンテナもある。あれに入れて運搬すれば千宗としてもそう苦にもならんだろう?」
 名護谷の言葉に、浦野・プロフェッサー……そして里曽辺の目が千宗へと向く。コンテナとは千宗が膝を折って小さく丸まれば収まるだろう大きさだった。
「……うん?」
 千宗は視線を感じたのだろうか、ムクリと頭を擡げると自身に目を向ける一同に不思議そうな顔を返した。


 プロフェッサーは「ついでにこいつを持って行け」と言い、試作品だと言うレアメタル製の柄のない長刀を二本千宗に手渡した。もともとこの長刀を自由自在に扱わせようと格闘能力の向上を里曽辺に要求したのだともプロフェッサーは述べたのだったが、今となってはその言葉が里曽辺の心に何かしらの影響を及ぼすこともなかった。
 コオオォォォォォ……と千宗を乗せたコンテナが垂直コンベアーを滑っていく音が室内にはしばらく響いていた。続いてドッシァァァンッッと凄い音が響いたのだが、それを重大な問題が発生したと捉える者はその室内には存在しなかった。
「どうやら……、耐落下衝撃材が地下駐車場に敷かれていなかった様だな?」
「まぁ滅多に使用されることのないルートではありますからね。恐らく予め連絡を入れておくと作業員が衝撃緩和材を敷きに来る仕組みになっていたんだと思います」
 浦野はあっさりとそう言って退けたのだが、里曽辺にはそれがここからの落下速度がどれ程に達して、また衝突エネルギーがどれ程のものになるのかを解って言っている言葉には聞こえなかった。では、コンテナの落下速度がどんなレベルに達しようとも千宗にはそれが何ら障害にならないのだと浦野は端から解っているかの様に里曽辺の目には映った。いつか浦野に問い掛けた「良心の呵責はないのか?」と言うその問いの答えを、明瞭な態度で示し出された気がした。
「さて、Walker「里曽辺健一」の能力をこの目で拝ませて頂こうか?」
 そう里曽辺に同意を求めた名護谷にしても然り。千宗が「人」と呼べる範疇にはない存在だと知っている。
「……名護谷さん、俺は引退間近の身だ。……もう絶頂期の様な能力など残っていない」
 同意に対して否定的な言葉を里曽辺は紡いだ。けれども例えどんな言葉で拒否の意志を示そうとも、最終的には里曽辺が「歩く」ことを選択すると、名護谷は確信している様な口振りでこう問いを続けた。
「ふん、幾千の死体が無惨に転がる地獄の底を歩き続けた生還者が随分と情けない科白を聞かせてくれるのだな?」
 里曽辺が名護谷の問いに対して答えを返すよりも早く、名護谷は次の言葉を紡ぎ出している。迎撃に名護谷自身が出向くつもりなのだろう、入念に背広の内から取り出したハンドガンのチェックとマガジン数をチェックしながら名護谷の視線は確かに「Walker」を眼前で見ることを期待していた。
「それと私を呼ぶ時は名護谷で良い。英雄に「さん」と呼ばれるほどご大層なことをやって来たわけではない。肩書きなど所詮は飾りに過ぎないものさ。……いざとなったら何の役にも立ちはしない」
 名護谷が前線に立つ以上は、確かにそこは里曽辺が銃を握らないわけには行かない状況だった。なぜならば、名護谷とは里曽辺の上司と同等の存在であるのだ。
 客観視をしてみても状況は相手側から攻め込んで来た格好であり、しかもそれは避けようがない。そして状況は自衛の手段として迎撃を必要とし、それを為すべき里曽辺が動かずに済む状況にはないのだ。
「……地獄の底を歩き続けて、疲弊したからこそ歩くのを止めようとしているんですよ」
「くく、それでは何か、Walker見習いに本物のWalkerの闘争を見せることもなく、皆伝を許すのか?」
 名護谷が里曽辺に銃を差し出した。見覚えのあるフォルムに里曽辺は渋面を見せていた。名護谷は小さく首を傾げて見せて「これで問題はないだろう?」と、里曽辺に対して同意を求めて見せて「もちろん、45ACPのガバメントだ」と話すのだった。里曽辺はその名護谷の目を見据える様に見返しながら、渋々そいつを握り取った。




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