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Seen09 エピローグ


 燦々と日光の降り注ぐ代栂中央高校中庭のベンチに腰を掛けて、佐々木は同じく中庭の外れで運動している緒形を眺めていた。時刻は昼休み、緒形はクラスの運動部の連中に混じって、バレーのトスを練習しているらしい。二週間後に控える体育祭に向けてと言うことらしいが、以前の緒形がそうやって積極的に練習に参加していた噂は聞かない。
 尤も、佐々木は以前の緒形を詳しく知らないわけだから、あくまで聞きかじった情報に過ぎないわけである。
「前から緒形を知っていた連中が言うには今と昔であちこち違う点があるらしい。話し方だとか、趣味だとか、嗜好だとか、分野によっては別人になったって言い方も出来るみたいだ。何より、失踪前の緒形よりあらゆる点で積極的になったってのは良く耳にするな」
 緒形のクラスの連中に言わせれば、今現在、こうしてバレーの練習の輪に加わっているのがまさにそれだった。緒形について秋前に好き勝手放題言って貰うと、大雑把な性格になっただとか、激辛党になっただとか、それはそれは様々に具体例を示して挙げてくれる。
「どんな内容だったかまでは覚えてないらしいんだけど、杉代と話した記憶も部分的に残っているみたいで、杉代と一緒に授業をふけて屋上で昼寝してたところを里藤先生に見つかって反省文を書かされたらしい。……全く、以前の緒形じゃ考えられないことだろ」
「記憶や感覚を半分失ったようなものだからな、そこから新たに再構築が為された緒形奈美だと言った方が正しいのだろう。ああやって、日常生活を問題なく送れるように回復したことを好意的に受け止めた方が良い」
 緒形が元の状態へと戻らなかったことは「あまり思い悩むな」と佐々木は諭された。確かに、回復しない可能性もあったのだから、こうやって日常生活を送る緒形の状態を好意的に受け止める方が精神衛生上、宜しいだろう。尤も、佐々木が本当に言いたいことは緒形が元に戻らなかったことではない。
「正直、何かとしっくり来ないんだよね。あの一件で校舎の至るところに描く羽目になった記号の清掃に、蒲原が自ら協力を買って出たって辺りもそうなんだけど、あー……、蟠りが残ったというか、少なくとも、穴が開く前の日常が戻ってきたって感じはしないね」
 佐々木の寸感をオフサルモはさも「当然だ」と笑い飛ばす。
「くく、日常を日常と感ずる観測者たる祐太自身が変わってしまったのだから、変化が起こる以前の日常など永久に戻ってはこない。そればかりか、これから祐太の日常は今以上に崩れるだろう」
 オフサルモの言う様に、佐々木は自分が変わったことを認識していた。しかし、それ以上に、緒形の中の寄生種の一件で力に覚醒した蒲原と杉代が自分同様に変化したことを佐々木は認識せずにはいられなかった。尤も、二人に劇的な変化があったからこそ、オフサルモは佐々木に二人の行動に注意を払うことを事件解決後、真っ先に命じたのだろう。しかしながら、自分以外には日常生活が戻ることを佐々木が期待し、また、信じていたことも事実で、オフサルモとの認識の間に確かな溝があるわけだった。
「蒲原と杉代の行動に注意を払いつつ、色々と覚えて貰うことがあるって言ってたあれだろー?」
 同時に、オフサルモはこれから様々な理由で忙しくなることを佐々木に明言していた。
「まずは声に出して意思疎通をしなければならない現状をどうにかしようと思う」
「ああ、それは全く持ってその通りだ」
 独り言をブツブツと呟く、下手をすると声高らかに行っている現状はオフサルモの話す様に真っ先に改善すべき点だった。しかも、佐々木自身に独り言を話している「つもり」がないのがまた、質が悪いのだ。既に、このオフサルモとの会話のお陰で佐々木は何度も「危ない人を遠巻きに眺める奇異の目」で見られていた。
「おお、居た居た! オッス、佐々木クン」
 佐々木は名前を呼ばれてビクッと肩を振るわせた。
 それは聞き覚えのある声というよりも、ここ最近、頻繁に付きまとわれている声と言った方が正しい。
「若山に幹門か、お前らもしつこいね、俺は蒲原率いる魔術研究会になんか入会しないって何度も……」
「まぁ、まずは一度、見学に来るだけで良いからさ。生徒会との両立だって、こっちは大幅に譲るしさ。……って、そういうのは蒲原会長から、直接、話を聞いた方が説得力があるな」
 こういうことは強い姿勢ではっきりと断らなければならないと自分に言い聞かせながら、佐々木はいつも対応をするわけだったが、大体その姿勢もその手に扱いに手慣れた若山によって、ものの見事に腰砕けにされるのだった。
「会長、こっちです!」
 人の話を聞かない、いや、敢えて聞き流す幹門との華麗なコンビネーションに、今回もあっさり拒否の姿勢を佐々木は黙殺される。「これ以上の話し合いは不利」と踏むが早いか、佐々木はトンッと大地を蹴って席を立つと、全力疾走でその場から離脱することを選択した。
「あ、おい! 佐々木が逃げたぞ!」
「追えッ! 絶対逃がすな!」
 若山と幹門の怒声が響く中、佐々木は後ろを振り返ることなく疾走し、中庭を後にした。
 佐々木がそうやって中庭から離れてゆく様子を、緒形は怪訝な顔で横目に捉えると「ふぅ」と長い息を吐く。
「ちょっと、休憩するね」
 緒形はそう言ってバレーを練習する輪から抜けると、中庭にある花壇の縁までやって来て、その段差に腰を下ろした。
「緒形さん、良い感じじゃない、メッチャ見違えたって!」
「どう、今からでも遅くないよ? バレー部に入部しない? 特典付けるよ!」
 戯けた調子で、しかし、やんわりと「そのつもりはないです」と緒形は笑う。
「あはは、考えておくよ、……なんてね」
「オッケ、その言葉、忘れんなよ!」
 しかしながら、これからも拒否の姿勢を明確にして置かないと、半ば強引に引き込まれそうな雰囲気がそこにはあって、緒形は微妙に笑えなかった。その言葉が冗談だとすれば、それは半分以上、本気の混ざったものである。
「……そう言えば、緒形さん、運動するって判ってたのに何でホットの缶コーヒーなんて自販機で買ってきたの? 本当に熱いの飲みたいなら運動し終わってから買いに行けばいいしさ」
 全く唐突に、緒形はバレーのトスを一緒に練習する女子の一人にそう尋ねられた。
 何気なく不思議に思ったのだろう、少なくとも、その質問に特別な感情は見て取れない。
「いや、熱々じゃなくて、ちょっと温いくらいが好きだし、運動後のコーヒーも粋なものだよ」
「ふーん、変わってるね。……と言うか、あたしは駄目、胸焼けしそう。まぁ、そう言うのは人それぞれだけど」
 そう寸感を述べて笑って見せると、その女子はバレーの練習へと戻っていった。
 一方、緒形は中庭の茂みに置いた鞄の中から弁当箱を取り出した。
「あちゃー……、来る時に自販機で買った缶コーヒー、温いどころじゃなくて完全に冷えちゃってるよ」
 緒形はガクッと肩を落とすと、唐突にハッと目を見開いて何かに気付いた様だった。
 しかし、気付いたことに対して、緒形は半信半疑の顔で自問自答する。
「……あれ? 温められるよね、缶コーヒー? 嘘だ、……何もおかしなことじゃないよね、そうだ、……温められる」
 支離滅裂なことを真顔で呟くと、緒形は花壇の縁にコトンと缶コーヒーを置いた。そして、緒形はそれに向かって手を翳す。緒形自身、未だにどこか半信半疑の顔付きをしていたものの、そうやって手を翳してしまった後は一転して真剣さを伴っていた。
 一連の動作を終えた後、緒形は花壇の縁に置いた缶コーヒーを手に取って、ニッコリと笑う。
 それは緒形の予想通り、ちょうど良い温度に温められていたからだった。




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