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Seen00 connect-


 町立・代栂(よつが)中央高校最高階、四階の下り階段前には携帯電話を片手に一人佇む女子生徒の姿があった。
 時刻は午後の八時半を回り、既に外はうっすらと夜の闇に覆われている。もちろん、生徒玄関にはしっかりと施錠が為されていて、一般の生徒は帰宅している時間帯だった。
「オーケー、集合時刻きっかりだね。中の様子はいつも通り。生徒会の見回りが出張ってる様子はないよ。ところで、今日の活動には何人、集まった?」
 水飲み場の、周囲のものより一際冷えた感の強い壁へともたれ掛かると、彼女は普段のものより一段低いトーンで会話をしていた。時折、何かを確認するように視線を左右の廊下へと向けていたが、そのチェックが済むと決まって彼女の視線は蛍光灯へと向けられた。
 それは節電のためなのだろう。廊下の蛍光灯は疎らにしか灯っておらず、薄暗い印象は否めない。校内の様子を「いつも通り」と、電話の相手に告げた彼女の口振りからは、何度もこの時間帯の校内へと侵入している様子が窺えた。
 そう言った観点から見ると、彼女はこの薄暗さに慣れていると言えたはずなのだが、その彼女もいつもと違う何かを校内に感じていたのかも知れなかった。
「えーと、現時点で校門前に集まったのは俺を含めて六人。だから、秋前(あきさき)を含めて七人か。遅れて来る面子もいるだろうから、最終的には十人前後になるとは思うけど、夜間活動に対する許可の下りてない「ゲリラ活動」にしては集まった方じゃないか?」
 彼女は秋前と呼ばれた。
 電話の相手は同学年の男子で、そして、同じ部活動の仲間だろう。
 秋前の問いに「校門前」にいることを話した男子の携帯からは他にも複数人の話し声が聞こえている。
「まぁ、最近の活動の、出席率の悪さを鑑みると良い方にはなるかね」
 秋前は久し振りに賑やかなものになるだろう部活動の様子を思い浮かべた様で、満足げな笑みを灯した。尤も、感慨深げとまで言ってしまえば、それは言い過ぎになるだろうか。ともあれ、秋前の所属する部活動の、ここ最近の出席率は軒並み酷いものであるようだ。
「ゲリラ活動にしろ何にしろ、うちは夜中の活動が本来のあるべき姿だからな。普段の出席率が悪くても強く文句は言えないわけだけど、この好条件で集まらないなら懲罰もんだ。湿りがちの空模様の中に、久し振りに張り出してきた高気圧のお陰で、見渡す限りは雲もない。降水確率は見事にゼロパーセント、絶好の観測日和だ」
「違いない、違いない」
 秋前はカラカラと笑いながら、電話の相手の話しっぷりに同意した。
 そうは言っても、隣接する櫨馬(はぜま)という都市部の明かりがあり、代栂町住宅街の至る所に灯るオレンジ色の街灯の明かりがあり、観測出来る星の数など高が知れているのは事実である。どんな好条件が整ってたのだとしても、代栂中高校天文部がある一定レベル以下の等級の星々を見ることは叶わなかった。
 ここ代栂町は隣接する櫨馬という都市の、ベットタウンとしての役割を担っている。階層の低いマンションやアパートが所狭しと立ち並び、都市中心部の空洞化と人口の都市部への集中化が全国的に加速する最中にあって、右肩上がりに人口を伸ばし続けて来た街でもある。
 そんな税制面のプラス材料もあるためか、電気代の節約を考える省エネ指向の代栂中央高校とは違い、代栂町住宅街の至る所に灯る街灯は年々その総数を増加させる傾向にある。正確には今まで代栂町で主流だった白色の街灯からオレンジ色のものへと取って代わりつつあるのだ。
 何でも、白色のものよりもオレンジ色の街灯の方が少ない消費電力で明るく、より広範囲を照らすことが出来るらしい。街灯自体の構造上の進化というものもあるらしいが、確かに代栂町住宅街の明るさがどんどんと増していっていることは秋前にも実感出来る範囲の、紛れもない事実だった。
 一頻り笑い終えた後、秋前はふっと真顔を見せて言う。「上の方を狙ってる三年生受験組も、たまには生き抜きに顔見せればよさそうなものなのにねぇ。……代栂で見上げる星空はいずれ、もっともっと寂しいものになっちゃうよ。今ここにある星空は今この一瞬でしか見られないんだからねぇ」
 本当ならば、秋前も今頃は同じ境遇に身を置いていなければならないはずなのだが、早々に進学する大学のレベルを落とし、こうして肩の力を抜いてやっているわけだった。
「追い込みで必死だって、奴ら。今頃はあれだな、鬼気迫る表情で、机にしがみついてるはずさ。もう少し経って、今からやっても「もう無理だ」と悟りの境地を開く様になれば、ちらほら顔を見せるだろ」
 電話越しにそう推察を口にした同級生の男は既にその「悟りの境地」に達しているのだろうか?
 まるでそれが自分の経験談でもあるかの如く、説得力のある口調で言った。
「狙うレベルのことはあるんだけどさ、……正直な話、それよりも何よりも、普段からやっていないって言うのが響いているんだと思うよ。大きな声では言えませんが、あたしとしては無理して頭に知識を叩き込まなきゃ行けないようなレベルを目指す必要はないと思うんだけどね」
「そう言う考え方の奴が多いから、代栂中央は学力レベルが低いって言われるのさ」
 秋前の見解に対し溜息混じりに言葉を返して、同級生の男は自嘲的な苦笑いを零した。
「はは、違いない、違いない」
 それが自分達を指していることをしっかり理解しながら、秋前も再び他人事の様にそれを笑い飛ばした。
 秋前は出来る限り音を立てない様に注意を払って一年の教室の扉を開けると、どこか懐かしい匂いの漂う室内へと足を踏み入れる。そして、硝子窓越し、覗き込むようにして校庭の様子を確認する。しかし、そこに秋前は目的の人物を見付けることは出来なかった。一つ間を置き、仕切り直しと言わないばかり、秋前は呼び掛ける。
「あー……、組原(くみはら)」
「うん?」
 その唐突な呼びかけにも組原と呼ばれた同級生の男はすぐさま反応した。
「いつもの細工のなされたフェンスのトコから入ってきたんでしょう?」
 秋前の言う「細工のなされたフェンス」とはさも出入り口と言わないばかりの大きな穴の開けられたフェンスのことである。ただ、その穴にはきちんと穴のサイズにピタッと填る取り外し可能な取っ手付きの木製の扉が設けられている。大きさ的には大の男が屈んで通ることの出来る穴であり、弓道部の物置があるその脇へと抜けることが出来る穴なのだ。
 いつの頃から存在しているのかも解らないし、誰がそんな便利で有難いものを作ったのかも解らないが、遅刻常連者や秋前のようなゲリラ部活動者に重宝されているの確かだ。
「いや、今回は強攻策。裏側のコンクリ塀を踏み台作って飛び越えてきた。最近、あのフェンスの辺りは何かと監視が厳しいからそっちのがいいだろうと思ってな」
「あー、そっちを使ったか、なるほどね」
 校庭に人影のない理由を秋前は合点がいった小さく頷いた。
「それじゃあ、あたしは道具揃えに演劇部衣装室横の備品倉庫の方へ向かうから、そっちからも何人か荷物持ちにこっちへ寄越してよ。屋上の合い鍵は渡したでしょ?」
「オーケー、副部長」
 そう要求を口にした秋前の表情は確かに天文部の副部長の顔だった。


 ギィッと金属の軋む音を響かせて、天文部備品倉庫の扉は開いた。
 いつもの調子で備品倉庫内へと足を踏み入れる秋前だったが、中へと踏み行った一歩目でその足はピタリと静止する。秋前は目を丸くすると眉間に皺を寄せ、心底「呆れ果てた」という顔をして、開口一番、大きな声を挙げる。
「……何なのよッ、あんた達! 天文部の備品倉庫で一体何やってんのよッ?」
 秋前は「天文部の備品倉庫」といったわけだが、ここは天文部以外の部活動も利用している場所である。実際、備品倉庫には秋前の身長よりも大きいカンバスが白布を掛けられた状態のまま、壁へと立て掛けられていたりする。
 教室二つ分の広さに雑多なものが散乱する備品倉庫。そこで、秋前に「あんた達」と呼ばれた連中は備品倉庫内部の一角にスペースを設けて、見るからにいかがわしい儀式を実行していた。
 丁寧にものを片付けて設けられた備品倉庫のコンクリートの床が見えるスペースには赤々と燃える蝋燭の明かりがいくつもいくつも灯っている。無数に灯る蝋燭の炎が備品倉庫全体へと異様な雰囲気を醸し出していたといって良いだろうか。窓にはこの儀式のために備品倉庫へと持ち込んだのだろう暗幕が、ガムテープで隙間を埋められる入念さを持って掛けられていて、外部の灯りが室内へと差し込まないよう処理されている。
 さらに言えば、アスファルトの床に描かれた魔法陣が蝋燭の炎の中で白く浮かび上がって見えるのが、その異様さを後押ししていただろう。尤も、種明かしをしてしまうとそれは大袈裟なトリックではない。光に照らされると僅かに発光するタイプの塗料を用いて描かれているに過ぎないのだ。
 頭から胸元までをすっぽりと覆うベールのような黒色のフードを被った総勢六人からなるその連中は大きな声を張り上げた秋前の方を一瞥することもなかった。
 備品倉庫の入り口から遠目に見ても解り難いものの、そのフードは中の顔が透けて見えるぐらいに薄いものである。まして、耳栓でもしていない限りはその秋前の怒声が聞こえないなどと言うことは有り得なかった。
 だから、秋前はその無反応に思わずカチンと来た様子だった。表情には憤怒の色が見え隠れを始める。
「魔術同好会だか研究会だか知らないけどさ、ここは天文部の備品倉庫兼天文部の分室なのよ! 勝手に使われたら困るわけ! 大体、ちゃんと施錠してあったって言うのに、あんた達はどうやって侵入したのよッ? ええッ、言ってみなさいよ、蒲原(かんばら)ッ?」
 怒りの形相で、そう吐き捨ててしまえば、秋前はズカズカとその儀式の輪の中へと踏み行っていって、外観から既に怪しい儀式の中心人物へと近寄っていった。フードを剥ぎ取らないばかりの勢いを持って、ズカズカと儀式の輪の中に割って入る秋前に、儀式の中心人物、蒲原もさすがにそのまま無視を決め込むことは出来ないらしい。
 蒲原は秋前へと向き直ると、その迫力にも物ともしない落ち着き払った対応で、サラリと言い放つ。
「もう少しで一区切りが付く所だから、今は邪魔しないで貰える? 尤も、もう邪魔になってはいるんだけれどね。……あなたの文句はこれが終わった後に聞くことにするわ」
 丁寧な対応の中に確かな棘を混ぜる蒲原の口調は秋前を刺激する。尤も、それ自体は蒲原がいつもする対応と何が変わるというものではないのだが、その蒲原の落ち着き払った口調こそが秋前を刺激する最大の要因だった。言えば「馬が合わない」という奴だ。……犬猿の仲と言ってしまってもいいかも知れない。
「あんた、いい年して、オカルトだの何だの、本当に恥ずかしくないの?」
「人の趣味にどうこう口出しはして貰いたくないわ、誰に迷惑掛けてるわけじゃないでしょう?」
 ただの偏見とも取られかねないギリギリの発言をする秋前に、蒲原は真っ向から正論を返した。
 蒲原には備品倉庫を勝手に使用しているという負い目以外はない。確かにその備品倉庫で著しく常軌を逸した行為を行っていたとは言え、当然、攻撃する点を見誤っているのは秋前の方で、蒲原の受け答えは至極まともな対応である。
 しかしながら、秋前はその蒲原の澄ました態度が気に食わない。
 結果として、そんな蒲原の言い分に秋前の怒りはさらにヒートアップした格好だ。
「天文部に迷惑掛かってんのよッ! ここは天文部の備品倉庫兼分室なのよ!」
 当然ながら、蒲原の趣味そのものが天文部に迷惑を掛けているわけではない。尤も、目下、何かにつけて、……いや、その存在自体が「目障りだ」とさえ感じている節のある秋前にとっては、例え、それが天文部の備品倉庫でなくとも難癖を付けたのだろう。
 秋前の喧嘩腰一歩手前の激しい口調に、蒲原は「呆れ」や「諦め」にも似た小さく短い息を吐き出した。そうして「ヒュンッ」と風切り音を響かせ、蒲原は勢いよく右手を振り上げる。直感からの行動と言うよりも、それは慣れに近いだろう。「パンッ」と小気味の良い音が鳴り響くと、蒲原の胸倉を掴み挙げようと伸びた秋前の腕は払い落とされる形になった。
 後には何とも言えない一触即発の気配が漂った。
「うわッ、姐さん! 何ですか、これ?」
 そんな雰囲気の中、不意に備品倉庫の出入り口から聞き慣れた声が響いた。
 チラリとその出入り口にある面々を横目に一瞥した秋前の目には組原の姿も確認出来た。ゾロゾロと備品倉庫へ荷物運びにやってきたのは秋前の後輩に当たる天文部員がほとんどで、秋前と同年代の部員は組原以外には確認出来ない。
 秋前と目があった組原は「またか」といった具合の呆れた顔をする。尤も、組原が「またか」と呆れた内容は「蒲原の異様な儀式」ではなく、今まさに一触即発と事態が進みかねない秋前と蒲原の睨み合いだ。
「ほら、備品倉庫の出入り口に固まってないで中に入ってくれ。俺達はゲリラ活動中で、見回りに発見されたらまずいってことを忘れるなよ」
 備品倉庫の異様な風景には荷物運びを手伝いに来た面々も、室内へと足を踏み入れることを躊躇っている様子だった。しかし、組原に急かされたことで彼らは一様に恐る恐るという具合にゾロゾロと入室を始める。彼らの感覚で言うと、秘密結社の行う怪しい儀式にでも偶然に立ち会ってしまった感覚なのだろう。呪われてしまうとか、数日以内に悪いことが起きるとか、そういう下手な怪談話みたいに受け止めている面子もいたかも知れない。
 しかし、異変など発生するはずがないことを組原は自信を持って言うことが出来た。
 それが証拠にその異様な風景と雰囲気にも、組原は驚いた様子一つ見せることなどない。
 ……種を明かせば、組原はこの手の蒲原の儀式に何度も何度も出会していて、ある程度の耐性が付いているのである。元々、部活動の関係で秋前とセットでの行動が多いためか、何かと蒲原と顔を合わせる機会も多かったわけだ。
 しかし、組原がそう「驚くことじゃない」とあしらう様に対応したから、下級生部員も順次、冷静さを取り戻したのも事実だった。組原までもが一緒になって怖い顔をしていたなら、それこそ、次の日から噂話として語られただろう。
「秋前、……その、俺達はさっさと用具を屋上に運んでしまうからな?」
 秋前が何かしらの返事をするよりも早く、儀式に参加中の黒ずくめの一人が口を開いて答える。
「あー……、勝手に、荷物を端に寄せさせて貰ったけど、置かれてた順番とか弄ってないから、その暗幕の近くに固まってるはずなんだ。用具を運び出す時は暗幕に引っかけないように気を付けてくれな、頼むよ」
 もしも、秋前が「いいえ」と意思表示をすれば、それは即ち「こいつらを備品倉庫から追っ払うのが先決。それを手伝え!」となるわけである。組原にしてみれば、その問いは副部長たる秋前に問い掛けたものだから、秋前から「はい」なり「いいえ」なり、はっきりとした意思表示を貰うのが最善だ。
 しかし、秋前が「いいえ」と言ったから、この蒲原率いる「魔術研究会」を追っ払うのに組原が助太刀するかと言うと、そうとは言えない。どちらかと言えば、組原は秋前と蒲原との間に入って仲裁役をするのがいつものパターンだった。
 魔術研究会の面々にも秋前と組原は二人一組で攻撃と穏和のバランスが取れる存在だと思われていたことだろう。
 改めて、この事態をそう解釈し直してしまうと、組原はその黒ずくめに「それは聞くだけ無駄なことだろ? なるようにしかならないさ」と言われている気がして、暗幕で完全に外部の光を遮断した窓の方へと溜息混じりに向き直った。
「あー、そうか。最後の砦の羞恥心があるから、そんな黒ずくめのローブだか何だかに頭からすっぽり被さってるんだ」
 ヒラヒラと手を振って、小馬鹿にするかのような口調を取る秋前の行動とは裏腹に、蒲原がその挑発に乗ることはなかった。そればかりか、蒲原は秋前の方を一瞥することさえない。
 儀式が架橋に突入しているらしく、蒲原の意識は完全に儀式の方へと向いていた状態だった。
 一人、秋前だけがまるで「馬鹿みたい」に、はしゃいでいた構図が自然とそこには出来上がる。
 さも「プツッ」と何かが切れる音がしたかのようだった。そうなってしまえば、後はトントン拍子。秋前は蒲原が頭からスッポリと被ったフードを剥ぎ取り、その胸倉を掴み挙げて自分の方へと向き直らせる。
「人と話しする時は人の顔ぐらい見るようにしなさいよ! 大体が、あんたはこの備品倉庫の使用許可について頭を下げる立場にあるんだからね! このまま、その、常軌を逸した儀式続けたいなら「お願いします」ぐらい言えっての!」
 怒鳴り散らす秋前の声は間違いなく備品倉庫の分厚い壁を越えて、廊下にまで響いていたことだろう。そろそろ「止めに入る頃合いか?」と呆れ顔をする組原の横で、天文部の下級生同士がしていた話がこの現状を的確に表現していた。
「今日の姐さんは、……また一段と機嫌が悪いですね?」
「騒動の根幹に蒲原さんがいるからな。まぁ、ある意味、いつものことだって。気にしたら負けさ」
 混乱極める備品倉庫に、突然「コンコンッ」と壁を叩く音がその出入り口付近の壁から響いた。
 備品倉庫に顔を揃える面々は一斉にその音のする方を向き、そこに生徒会の腕章を付けた二人組の男を見付けた。
「あー……、お取り込み中のトコに申し訳ないけどさ、ちょっと、あんたら、夜間に活動する際には申請書が必要だって知ってたか? 天文部にしろ、そっちの黒ずくめの同好会にしろ、だよ」
 弘瀬(ひろせ)と名前のある腕章を付けた長身の男の方が扉止めを備品倉庫の出入り口に置き、もう片方の佐々木(ささき)とある方が、天文部・魔術研究会、双方の活動が規定違反であることを高らかに宣言した。
 腕章の端にはきちんと代栂中央高校生徒会の文字が綴られている。
「……生徒会、か」
 秋前は、一瞬、ばつの悪い表情を間に挟むと「言いわけは通用しない」と観念したらしい。
 生徒会へと食って掛かる。
「あー、この際だから、あんた達にも言っておこうか。……またとない良い機会だしね! 申請書出したって、あんた達から解答があるのは一週間以上経過した後の話じゃない? しかも、その間、新たな申請書出せないって、ふざけた話を「はい、そうですね」って受け容れるほどこっちは時間に余裕があるわけじゃないの、解るッ?」
 蒲原のことで頭に血が上り、また、その勢いのまま秋前は食って掛かっているようで、それはまさに喧嘩腰と言わないばかりだった。捲し立てて続ける言葉にも当然、穏やかさの欠片は見当たらない。ここぞと言わないばかり、秋前は溜まり溜まった生徒会に対する不審と鬱憤をぶつける。
「天文部が夜間活動しないで一体いつ活動するって言うのよ? 申請書をいちいち提出してやってたら一週間に一度か、二週間に一度しか、天文部は活動出来ないことになるわけよッ? 大体、観測に足る天気かどうかはその日になってみないことには解らないわけじゃないよッ?」
「それで十分じゃないのか?」
 ぶちまけれた鬱憤を前に、弘瀬は胸ポケットから取り出したメモ用紙にサラサラと何かを殴り書きした。恐らく、規定違反を犯した連中の中で、見落としていた生徒の名前でも記述したのだろう。そんな事務的な対応、そして、さも「そんな些末なこと」と言わないばかりの態度に秋前の視線は完全に弘瀬へと移った。
 そして、それは同時に組原の役目が生まれた瞬間でもあった。
「ほほぉ、そう言う切り返しで来ますか?」
 蒲原からその標的を弘瀬へと変更しようかという秋前を背後から羽交い締めにする要領で組原が制止する。
「ちょい、秋前、落ち着け。下手打つと一ヶ月の活動停止だとか、横暴な処置を受けることになるぞ?」
「やれるものならやってみろって言うのよ! 月夜の晩だけだと思うなよ」
 直接「横暴な処置」と口にしたのは組原だったが、秋前はそれを弘瀬が言ったかの如く反応した。
 そう、その秋前の言葉の矛先は紛れもなく弘瀬だった。
 挑発宜しく捲し立てる秋前に、当の弘瀬もその組原の言葉が自分の意思とばかりに続ける。
「ゲリラ的に部活動をしておいて、そう言う啖呵を切るとはね。秋前天文部副部長さんにも困ったものだ」
 弘瀬は一度お手上げのポーズで首を左右に振って「参った」と言う顔をすると、隣の佐々木に「どうする?」と処遇を尋ねる表情を見せた。
 佐々木も佐々木で「やれるものならやってみろ!」とまで秋前に言われたからには引っ込みが付かない格好だ。
 疲れも乗ったのだろう、小さな溜息混じりに佐々木は弘瀬に返答する。
「ちょちょいと活動停止措置にしたら、頭も冷えるんじゃないっすかね? もう何か色々と面倒だし……」
「おい、そこのチビ。何よ、そのいい加減な見解は?」
 佐々木と名前が書かれた生徒会の腕章をしっかりと確認しながら、秋前は敢えて佐々木を「チビ」と挑発した。
 そこに顔を揃える面々と比較すると、確かに佐々木は頭一つ分、身長が低い。佐々木はその身長についてコンプレックスを持っているらしく、反射的に激しい口調と怒りの形相を持って秋前に反論をする。
「……誰が、チビだってッ? いくら先輩だっていったって、言って良いことと悪いことがあるんじゃないっすかね! ましてこっちは生徒会として、あんた達が規則に違反しているのを注意しに来てるんだぜッ?」
 秋前の方が学年が一つ上の先輩ということもあって、佐々木は喧嘩腰になりながらも乱暴な物言いを避けた風だった。
 しかし、次の秋前の佐々木への対応がその「乱暴な物言いを避ける」最後の我慢を取り払わせる。
「組原!」
 秋前は組原の名前を呼んだだけで、後は当人達にしか通用しない簡素なジェスチャーを持って簡潔に意思の疎通を図った。未だに組原は背後から秋前を羽交い締めにする格好でいる。いわば、密接してるわけなのだ。そんな状況下、小声で話せば良さそうなものなのに、わざわざそこでジェスチャーを用いたからには、余程、重要な指令を秋前が組原に下したことは誰の目にも明らかだった。そして、秋前にその意図があったかどうかはともかく、それら一連の秋前の挙動は佐々木の反論を完全に無視した格好になったわけだった。
 佐々木はその秋前からの仕打ちがどうにも腹に据えかねたらしい。
「おい、テメェッ!」
 一際、荒々しい声を張り上げた佐々木に、今まさに携帯を取り出そうと秋前の羽交い締めを解除し掛けた組原の身体が強張った。組原から見れば、秋前という天文部の副部長は平然と殴り合いの喧嘩もしかねない相手なのである。だから、その反応は、……言うなら秋前の処分が停学なりなんなりに発展することを危惧してのものだ。
 しかし、不機嫌な秋前に、組原はその不機嫌故のとばっちりを食らうことになる。
「ちょっと、組原、いつまで止めに入る振りしてあたしの身体に触ってるの? あんまり酷いとセクハラ問題として取り上げるよ」
 既に、秋前と長い付き合いになる組原は「今は何を言っても無駄」と嫌と言うほど解っている様で、ぐっと反射的に切り返しそうになる言葉を飲み込んだ。パッと秋前から手を離すと、ふいっと弘瀬、秋前の両者から距離を取り、ズボンのポケットから携帯を取り出す。
「ちょっと、人の話を聞けや、秋前先輩さんよ!」
「落ち着け喧嘩沙汰は両成敗だ、怪我でも負ったら俺でも見逃せない」
 佐々木を制する弘瀬の言葉は強いものではなかったが、佐々木を思い留まらせるには十分なものだ。
 佐々木が秋前に掴みかかろうものなら間違いなく組原が間に入るだろうし、そうなれば一触即発まで事態が急展開するのは火を見るよりも明らかだ。くっと唇を強く噛む佐々木が冷静さを失っていると判断するや否や、弘瀬は佐々木の前へと一歩進み出て言葉を続ける。
「いい加減、観念しろよ、天文部。活動規約を破った部員はこっちで既に全員確認済みだ」
 組原が何をしようとしているのか、また、秋前が何を指示したのかを佐々木は的確に察したらしい。
 携帯を片手に持つ格好で、組原は弘瀬を注視し固まる。もう一方の秋前も、ギリギリと歯ぎしりでも聞こえてきそうな苦虫を噛み潰した顔で腕を組み、そこに思案顔を滲ませた。
 その何かは言うまでもない、この状況を打開するための「窮余の策」である。
「ふふ、日頃の行いが悪いと何かと大変なようね」
 秋前に聞こえるように調整された声で、そうボソリと呟いたのは他でもない蒲原その人だった。
 秋前の立場から見るなら、蒲原、弘瀬の両者はまさに前門の虎、後門の狼に当たるだろうか。「ふぅ」と短い息を吐いた後、……何か様々な、吹っ切っては行けないものを吹っ切った顔で秋前は再び蒲原へと向き直る。
 再度、組原が秋前を背後から羽交い締めにする格好で止めに入る。
「蒲原さん! 事態をややこしくするような発言は止めて貰えるか!」
 思わず声を張り上げた組原に、弘瀬が溜息一つ吐き出して、その状況を憂えるかの如く同じように声を張り上げる。
「ほらッ、言い争いしていないで、活動準備を取り止めろ! そっちの同好会の連中も、聞いたことのないような言語をボソボソ呟いてないで、こっちに集まって!」
 本当なら「鶴の一声」になってもおかしくはない弘瀬という裁断者の言葉だったが、半ば自棄クソ気味に開き直った面々の前でそれは強い効力を持たない。
「……蒲原、もうちょっと、はっきり、通る声でさっきの科白を言ってくれない?」
「オンキリソ、オンキリソ、レイシ、フワトゥジキタリソ……」
 一オクターブ低いドスの利いた声で要求する秋前など、既に聞いたこともないような言語を喋り出した蒲原の目には映っていなかったらしい。オブラートに包んでそれを的確に表現するなら「話を出来る状態から逸脱した」となり、誤解を招くような的確な表現をすると、それは「完全無視」となった。
「あは、ははは、何かさぁ、もう全部あんたが元凶な気がしてきたわ、あたし」
 何一つ笑えるような「おかしい」事態は起こっていない。だからこそ、その秋前の、吹っ切れたかのようなカラカラとした笑みは備品倉庫にこれでもかと言うほどの不気味さを伴って響き渡ったのだった。
「姐さん、マジ切れか?」
「ヤバイよ、それ。マジ、血見るって!」
 ザワザワとざわつき、やかましさが拡大する備品倉庫の現状に、再度、弘瀬が声を張り上げる。
「言うこと聞かないと、お前等全員、本当に一ヶ月以上の長期的活動停止措置を取るぞ!」
「やれるものならやってみろってな、このタコ!」
 全く予想だにしていなかった方向から罵倒の言葉が聞こえて、思わず広瀬はその方向へと向き直った。
 しかし、広瀬が険しい表情で睨みを利かせてみても、罵倒を口にしたと思しき黒いフードを被った面々は各々の立ち位置から微動だにしなかった。まして、広瀬の位置からはその顔色を窺うこともままならず、そうして動かなければ「ばれることはない」とでも思われているかの様だった。
 唯一、フードを被っていないのはついさっき秋前にフードを剥ぎ取られた蒲原だけだが、声は男のもので、そうして顔を晒す蒲原が犯人ではないことだけは明らかだった。
 黒フードの面々を一人一人順番に睨み付けながら、弘瀬は尋ねる。
「……ほぉ、出来ないと思うのか?」
 しかし、そこに答えを返すものはなく、皆一様に口を閉ざして、儀式に集中している振りをしていた。
「遅れました、組原先輩! すいません、ちょっと足止め食らって……って、何ですか、これ!」
 それは遅れて備品倉庫へとやってきた天文部員二名が室内へと足を踏み入れた時のことだった。混乱を極める一歩手前の備品倉庫は騒がしく、恐らく、誰が制止の言葉を張り上げても静まり返る状態ではなかっただろう。
 しかし、備品倉庫は静まり返る。
 なぜならば、ふっと蝋燭の火が揺れ、扉止めによって閉まらないはずの扉が「バタァァンッ」と、一つけたたましい音を響かせ閉まってしまったからだ。扉止めを置いた弘瀬が驚いた表情をして、備品倉庫の扉へと向き直った時には部屋の灯りは魔術研究会によって用意された最も巨大な蝋燭一本の、赤々と燃える炎一つだけになっていた。
 ……全て、扉が閉まった時に生まれた風によって掻き消えたとでも言うのだろうか?
 十数本からなる蝋燭が燃えていた時には白く発光していても特に気にならなかったはずの魔法円。
 そう、備品倉庫の床に、白く発行する塗料を用いて直接書かれた、簡素な、半径三メートルにも満たない規模の小さな部類の、それでいて複雑な記号があちらこちらに鏤められた魔法円。
 それが嫌に目に付く様になっていた。さっきよりもずっと、それは白く発行するその明るさを増した気さえする。いや、気のせいなどではないだろう。それは白から青っぽい光へと変色し始めていた。
 その場に居合わせた面子の数人が、……緊張からか、ゴクリと唾を飲み干す。
 室内の不気味さは際立っていた。
 少なくとも、魔術研究会以外の誰もがそこに漂う捉えようのない雰囲気に物恐ろしさを覚えていた。否、魔術研究会に身を置く面々も、その物恐ろしさを感じていたかも知れない。……一概にそれを「物恐ろしさ」とは言えなかったかも知れない、しかし、そこで何か違和感を感じていないものはなかったのだ。
 足の爪先からジワジワと襲ってきて、踝まで這い上がり、そして膝下まで到達する。
 ここにこのまま立ち竦んでいたら、それは間違いなく全身を覆い尽くすだろう。
 誰かが叫び出すのを誰もが待っていたかも知れない。
 誰かが何かを命令するのを誰もが待っていたかも知れない。
 誰も彼も何をするのが最善かなど解らなかったし、何をすればいいのかも解らなかった。
 この儀式を止めることが正しいのか、それとも、このままこの儀式を続行させるのが正しいことかも解らない。
 ただただ、そこに漂う物恐ろしさや違和感を「取り除いて貰いたい」と思っていた。
「おい、誰かッ、電気を付けろ!」
 弘瀬が絞り出すかの様に声を張り上げた。それはまさに「これ以上、この雰囲気を味わうのは耐えられない」と言った類の、苦し紛れのものにも聞こえた。けれども、間髪入れずにそれを制止する蒲原の声が響き渡る。
「止めなさい! 状態が完全に安定するまで横やりを入れては駄目!」
 蒲原がそうやって弘瀬の要求をビシッと退ける声を張り上げたことで、結局、誰も動かなかった。
 しかしながら、必ずしも、蒲原の命令に従ったから「動かなかった」というわけではないだろう。
 備品倉庫の室内では、誰もが足をその場に止めて、思わず見入ってしまう現象が発生していたのである。
「……おいおい、マジ? 何だよ、あれ?」
 苦笑混じりの懐疑の言葉。
 誰かが発したそんな第一声に、それが「幻覚か何か」だと、きっぱり断言してしまうような言葉は続かない。
 誰もが自分自身のその目を疑いながら、同じように懐疑の言葉を続けるのがやっとだった。
「馬鹿げてる。……何の、マジックだよ? こんなことあり得るはずがないんだ」
「何々? ……みんな、一体何を見てるの?」
 天文部の女子の言葉に、佐々木を始めポツリポツリ頷いている面々がいた。
 佐々木に関して言えば、皆が一斉に注視するその方向に何かを見付けることが出来なかった。
「嫌だなぁ、驚かさないで下さいよ、弘瀬さん。何もないじゃないっすか?」
 佐々木は弘瀬が注視するその先をマジマジと眺めた後「冗談は止めて下さいよ」と笑った。しかし、弘瀬の表情から冗談を言っている雰囲気を見付けられず、佐々木はゴクリと息を飲む。「何か自分には見えないものを見ている」と、そう佐々木は思わざるを得なかった。
 魔法陣の中心に現れたもの。それは半透明の球体だった。いや、最初は半透明だったといった方が適当だろう。
 魔法陣の中心に現れたその半透明の黒い球体は徐々に徐々にその濃さを増していったのだ。
 驚くことさえも忘れてしまったかの様に目を丸くして、その球体を注視する側と、球体を見ることが出来ないことによって状況を理解出来ず、怪訝な表情で周囲の様子を窺う側とに分かれていた。魔術研究会の面々にしても、そう。場は「見える者」「見えない者」で完全に二つに分かれた様だった。
 ただ、偏に、最もこういった経験が豊かであろう蒲原はこの場に顔を揃えた全ての面子の視線を一身に浴びていた。
「……電気を付けろ」
 いつもよりも数段トーンの低い弘瀬の声だった。それが逆に弘瀬の持つ危機感というものを顕著に表していただろう。
 今度は蒲原の制止が入らず、蛍光灯のスイッチに一番近い天文部員が即座に反応する。
「このままこの現象がどんな展開を見せるのか?」
 その結末を見たい欲求に駆られる者もいる。
「このままこの現象に見入っていたら、絶対に、何か起きてはならないことが起きる!」
 そんなヒシヒシとした危機感に身を竦ませる者もいた。
 そして「周囲の連中が何を見ているのか?」を根本的に理解出来ない者がいた。魔法陣の中心に浮かぶ半透明の黒い球体を見ることが出来ない面子である。尤も、彼ら、彼女らが一番、この状況を冷静に、客観的に受け止めていただろう。
 誰も口を開かない静寂の中だからだろう。「パチンッ」と蛍光灯のスイッチを切り替える音が聞こえた。
 そして、それは備品倉庫の明かりが灯ったまさにその瞬間のことだ。「パキッ」と鋭い音が鳴って、魔法陣の中に置かれた四つの鏡のうちの一つに罅が走った。備品倉庫内が蛍光灯の明かりに照らし出されると、魔法陣の中心に現れた黒い球体は掻き消えていた。
 金属の扉がノブも捻らず力任せに開けられるかのような「ガゴッ」と言う鈍い音ともに備品倉庫の出入り口の扉が開いて、魔法陣の中心から巻き起こったかのような旋風が備品倉庫の外へと抜けていった。それは到底、代栂で吹くはずもないような、多量の湿気を伴った生暖かいものだった。
「ドタンッ」
 一つ大きな音が響き渡って、誰もがその音のした方へと向き直った。
 そして、一つ遅れて備品倉庫に大きな声が響き渡った。
「おいッ、緒形ッ! どうしたッ、大丈夫かッ?」
 備品倉庫の床に横たわった緒形は完全に意識を失っている様子だった。目を開いた状態のまま……と言うのが何か良からぬ印象をこの場に顔を揃える面々に与えたわけだったが、少なくとも「生きてはいる」状態であることを真っ先に秋前が確認して、場が混乱を極めることには繋がらなかった。
「保険医はいないだろうから、……救急車、呼んでッ!」
 迅速な秋前の判断に反応したのは組原だ。備品倉庫の外へと躍り出ると携帯を片手に、救急車を呼ぶため消防署へとコールする。続いて、弘瀬が声を張り上げて指示を飛ばす。
「佐々木ッ、職員室に残ってる教師に一応、救急車を呼んだ旨を説明して来い。事情の説明を要求されたら「貧血で倒れたみたいです」とか何とか適当に確答を避けて、なるべく穏便にことが運ぶようにだぞ!」
「そう言うのは弘瀬さんのが得意じゃないっすか!」
 佐々木には適当に受け答えをして教師を言いくるめる自信がないらしい。続ける言葉で弘瀬に対して「その役目は荷が重い」旨を説明するも、結局、佐々木は渋々ながら職員室に足を向ける羽目になる。
 一度、堰を切ってしまえば後はトントン拍子にことは進んだ。
 呆然とする黒フードの連中の中心にあって、一人蒲原だけがどこか恍惚とした表情で、その光景を眺めていた。「何かが起こったのかも知れない」と、そんな淡い期待でも抱いていたのだろうか。ともあれ、そんな蒲原の表情を目に留めて、叱責出来る状態にあるものは備品倉庫の中に顔を揃えた面子の中にはいなかった。




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