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Seen06 second/start-line


 瞬時に眼前に広がった光景を一言で述べるなら「闇」だと言えた。
 暗闇だとかそう言ったレベルのものではない。視界にものとして捉えられるものは何一つないのだ。
 微かに無重力感を感じて多少蹌踉めきはしたが足場は確かであり、しっかりとした土を踏んでいる様な感覚がある。足場がここだけのものではないことを確認する為に、周囲の足場を確認してみると俺の立ち位置の前の方に踝と同程度の高さを持った凹凸があることが理解出来た。……凹凸を軽く蹴ってみるとカンッと金属質の音が響き渡って、俺は取り敢えずこの場に仁王立ちをしている限りでは危険はないと判断した。
 気温はぐっと下がった格好だ。けれども肌寒いと言う程度で凍えるだとかそう言ったレベルにあるわけではなかった。
 風はない。……風の音さえ聞こえない。
 いや……耳を澄まして聞こえる音がない、そう言ってしまっても過言ではないだろう。
 そんな折り、俺は左手に人の気配の様なものを感じて慌てて身構える。向こうも俺の気配を感じ取ったらしく、緊張感を殊更煽るただならぬ雰囲気が瞬時に立ち込めた。身構えたからどうなるわけではなかったが、ただただ諦観するつもりになれないのは確かである。
「誰か……いるのか?」
 鋭く威圧感をまとった刺々しい言葉だった。……けれどもその声には聞き覚えがある。
「室山?」
「正順……か、……正順かよ、何だよ脅かすんじゃねぇよ」
 室山の姿を捉えることは出来なかったが、それでもその室山が安堵の息を吐き出したことが解るほどに、未だ俺の神経は研ぎ澄まされていた。一度高まった緊張感があっさりと解れる様な精神的構造をしていないと言うのもある。神経質だと言えばそうかも知れないが、今回ばかりはそれが好都合に働いた。
「……なぁ、ちょっと待ってくれ。微かに揺れてないか?」
 微かと言った様にそれは感じるか感じないか程度の微少な振動だった。けれどもここがどこかも解らない、ましてそれが何かの予兆なのかどうかも解らないとなれば、用心するに越したことはない。
「どうだろうなぁ、俺にはちょっと解らないな」
 室山の声の聞こえ方から言って、室山との距離がそう離れているわけではないことが理解出来た。そうして声のくぐもった感じとその反射の具合からここがそんなに広い空間ではないことも同時に理解した。
 それともう一つ、ここは恐らく「人間」の世界のどこかであること、俺はそれを確信する。そこに具体的な証拠はないが十中八九間違いはない。だからこそ、この深い闇にも度合いを甚だしく超過した恐怖というものは感じなかった。
「あー……正順さんよ、俺の後ろに壁がある。手触りで言うと石……ってところだな。壁伝いって言い方が正しいかどうかは解んねぇけど、触ってみた感じ……ずーと遠くまで続いているっぽいぜ」
 パンッ、パンッと室山が壁を叩く音が聞こえて、俺は壁に向かい合うように存在しているはずの対の壁を手探りで探索する。足下に存在していた凹凸に蹌踉めきながら、対となる壁にはすぐに行き着くことが出来た。
「足場の方はどうだ? そっちにも凹凸があったりしないか?」
「……この壁から見て一メートル近く離れた場所に凹凸があるな。壁に沿うように存在していると……俺は思う」
 俺は壁に手を付きながら、壁伝いに室山のいる方向へと歩き出す。時折、凹凸の存在を確認する為に壁から手を離してその存在を足で踏んでみたが、確かにそれは室山の言う通りの様だった。
 凹凸は対の様に二つ存在していて、その外と内はほぼ同じ距離を保ちながら長く続いている様に感じられた。
 意を決して、向かいの壁まで勢いを付けて走ってみたがあっさりと向かいの壁へと辿り着くことが出来る。例えて言うのなら「トンネル」と言えば的確だろうか。自動車が通れる様なものではなく、かと言って人が通るものと考えるには少し幅が広い。そしてこの凹凸……。
 コオオオォォォォォォ……と耳に付く音がそのトンネルと思しき空間内に響き始めて、俺は小さく息を飲む。妙な音だった、……けれどもだからと言って聞き覚えがないかと言えばそうでもない。振動にしても確かに体感出来るものになりつつあって、次第次第にではあるが大きくなっていた。
 ゴオオオォォォォォォッッ……と音がけたまましいものへと変化を始めた。
 どんなに鈍くたって理解出来る。それは何かがここに近付きつつある音だ。
 思考はフル回転をしていた。何かがここに迫りつつあることを理解していて、呆然と立ち尽くす様にしているのはその為だ。……ここに無数に存在するパズルの様な因子が一つの線であと少しで繋がりそうだったから、それは尚更だった。
 後少し、……ほんの少しの閃きが足りない。
 ゴオオォォォと一際耳に付く騒音が、けたたましい音圧が一陣の風の様に駆け抜けていった後で、この空間内を包み込んだ。遙か遠く、恐らくこの壁伝いに行けば辿り着けるだろう直線上に目映い光が生まれた。
「電車……だよ、そうだ、こいつはレールだ!」
 凹凸を思いっきり蹴り上げて金属音を響かせると、その閃きは確信へと変わる。
「つーとここは……函館−青森間を繋ぐ青函トンネルか何かだってか?」
「もしもそれらの類だって言うなら、明かりの一つや二つあって然るべきだ。恐らくそんな手入れの必要なものじゃない、もっと「どこにでもある」様な、一般的なトンネルだろう」
 電車と思しき物体はかなりの高速でこちらで迫って来ていた。
 明かりが生まれたことで室山の位置が確認出来たぐらいが電車が俺達にもたらしたプラス面だっただろうか。
「走って逃げても間に合わないだろうな。このトンネル……長いんだろうしな」
 直線上に走って逃げ切れない以上、壁に張り付いてやり過ごすぐらいの方法しか思いつかない。
 もう会話出来ない状態に近いほどの騒音がこのトンネル内を包み込んでいた。身振りで振りでやり取りをして、俺は室山に壁に張り付くように指示をする。電車と思しき光は想像以上の速度で迫って来ていたから、室山のタイミングはギリギリだったのだろう。
 耳を劈く程の騒音だった。頬を痛いほどに壁に貼り付けて俺は強く強く目を瞑っていた。壁から引き剥がされるかの様な一陣の風が駆け抜けて行ったかと思えば、騒音も次第次第に遠ざかって行ってしまった。けれども俺は瞑ったその目をしばらく開くことは出来なかった。
 完全に騒音が掻き消えたことを確認すると、俺は安堵の息を吐きながらペタンとその場に腰を下ろした。
 俺の隣へと室山が歩み寄ってくる気配を感じて、俺はもう一つ深い安堵の息を吐き出した。互い無事らしい。
「……なぁ、死なずに済んだのは運が良かったんだと思うか?」
「適正な判断力と、状況把握の賜だと言って置こうか。……とは言え、人間の範囲の世界に飛ばされたって言うんだから運が良かったと思った方が適当なんだろうさ」
 もしも状況把握が的確に出来ておらず、迫ってくるものが何かも解らず、ここがどんな場所なのかも理解出来ず、レール上で右往左往していたら、考えたくはないことだが身元不明死体にでも成り下がっていたことだろう。
「次の電車が来る前にこのトンネルから出てしまおうぜ、正順。安堵するのはそれからのがいいだろ?」
 ポンッと俺の肩に手を置いて室山が口にした言葉はご尤もな台詞だった。
 俺はもう一踏ん張りと意気込み、立ち上がる。
 俺も室山も歩き出す方向について言及しなかったのだが、出口を目指すに当たって俺達は電車の進行方向とは逆へと歩き始めた。壁に手を付きながら壁伝いに進んでいく格好で、俺が前を、その後ろを付いて歩くのが室山と言う構図である。
「……どうすんだ正順? 結局、天使に会っても網膜視認アルゴリズムに関する情報は手に入らなかったぜ?」
 しばらく互い口を開かず黙ったままで歩いていたのだが、唐突に室山が口を開く格好で話し始めた。
「また一から出直すしかない。……hard-s'natchみたいにコツコツと手掛かりを拾い集めて行くしかない」
 遙か遠く……この深い闇に包み込まれたトンネル内のものとは明らかに違う仄かな明るさを見付けて、自然と前を行く俺の足は速くなった。「おい、どうしたよ?」と、唐突に歩く速度が変わったことに声をあげた室山だったが、すぐにその理由は解ったようだ。
 全力疾走。まさにそれに近い状態で出口を目指していただろう。
 息が上がることも忘れて、俺と室山はその仄かな星明かりの下に躍り出たのだった。「ハァハァ……」と息切れから来る苦さに胸を押さえながら、俺は大きく深呼吸をした。
「あー……、はは、まずはどうやって櫨馬に帰るのか、その心配をした方が良さそうだなー」
 トンネルを出るとそこには広大な草原が広がっていた。長く長く延びるレールとその横を沿う様に点々と続く電信柱と送電線以外には人工物など確認出来ない。
 夜空には蒼白い満月と無数の星々が輝いていたが、見渡す限り人工の明かりを確認することも出来なかった。遙か右手の方向には高々と聳える山々が窺えたが、左手は広大な草原で人家は疎か街灯の一つさえも見つからないのだ。
「なぁ正順さんよ、ここ……日本国内だと思うか?」
「どうだろう? この線路を歩き続けて駅に辿り着かないことには何も言えないが、日本であることを祈るばかりだ」
 生い茂る植物の関係上、最悪でも日本と同じ様な気候の国か、もしくは日本とほぼ同緯度に位置している場所だろうか。ともあれここが日本国内でないのならば、どんな場所であってもそう大差はない様にも感じられた。
 日本でないと言うのなら、言葉も通じず通貨も違うのだから……、そうだ、大差などない。
「大陸横断鉄道とかだと数十キロ単位で一つの駅が離れていることもあるらしいぜ、正順?」
 立ち止まって夜空を仰ぎ見る室山は自分が置かれる状況というものに呆れ返った様な言葉を漏らした。けれども最悪の場合を考えても始まらないことだけは確かであって、俺は先陣を切って歩き始める。
「そうだったらそうだったで運が悪かったと諦めしかない、駅か民家の様なものを発見するまでは歩き続けるしかない」
「あー……、緊張感が消えたら急激に腹が減り始めたぜ、何か食い物持ってないか?」
 室山の言葉に俺は足を止め、見渡す限り草原と言うこの状況を指して言う。歩数にして十歩も歩いてはいない。
「俺も腹が減った……。食べ物を買う金自体はあるんだけどね、如何せんご覧の通り買える場所が見当たらない」
 だからこそ「先を急ごうぜ」と言う意味合いを含めたつもりだったのだが、果てさて室山はそれを理解したのか。
 一向に歩き出そうとしない室山を尻目に俺は「こっちへ来い」と言う大振りのジェスチャーを取る。
「飢え死には御免だぜ」
 室山はお手上げのポーズを取って、何かを訴えかける様にしていたがそれで何が言いたいのかを俺は理解出来ない。
 ……電車でも止めようと言うのか?
「その意見には俺も同意するよ、……先行ってるぞ」
「なぁ正順さんよ?」
 俺が先を行けば嫌でも付いてくるだろうと、前を向いた俺を室山が呼び止めた。
 俺は溜息一つ吐き出し足を止め、そんな室山へと向き直る。
「何だよ?」
 どうせ言っても始まらないことを言うのだろうと決めて掛かったのだったが、そこにあった室山の表情はさもすっきりとした嫌味のない顔付きだった。ただ真剣な顔付きではないのも確かであって、例によって軽い調子で何か……俺に向けるのと同時に自身にも向けた「労い」の言葉でも口にするのだろうと推測出来た。
「櫨馬に帰ったら、一杯奢ってやるよ」
「はは、……俺もだ、腹一杯飯を奢ってやるよ」




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