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Seen06 駒井工業株式会社の憑鬼と戸永古書店の魔女(中)


 鷹尚は実家に戻る予定をあっさり切り替えると、戸永古書店を訪れるべくトラキチを引き連れ田本寺町を目指した。
 件の田本寺町までの移動は順調に順調を極め、西宿里川を訪れた時のような遅延が発生することもないい。私鉄はすんなりと彩座水科駅まで時間通りに到着するし、同駅のロータリーから飛び乗った市営バスも渋滞らしい渋滞に巻き込まれることも無く定時運行で目的へと到着する形だ。
 時刻は、午後2:47。
 ルート案内アプリが示した所要時間通りに、二人は田本寺町本通り前のバスストップに降り立っていた。
 鷹尚・トラキチ共に田本寺町近隣地域を訪れるのは初めてだったが、そこは良くも悪くもこじんまりとした商店街だと言えた。中心部に位置する一部区画は再開発の手が入ったこともあって小綺麗なアーケード街となっているのだが、手が入っていない大多数の商店街に到っては無数のお寺が集まって立ち並ぶ場所だった風情を各所に残している。特に、街中を歩いていると突如として現れる史跡といった類いのものがそれに当たる。
 尤も、それらを「風情」と感じるのは、ある程度歴史に興味を持つ人だけなのかも知れない。
 商店街の中にあって無数の石碑が立ち並ぶがらんと開けた広場だったり、回遊式庭園跡公園だったり、不自然に鉤形に曲がった道「枡形」だったりと、見る人が見れば解るものの興味がなければそれらはただの日常に溶け込むオブジェクトの一つに過ぎない。さらに言えば、無数のお寺が乱立していたのも精々安土桃山時代初期ぐらいまでの話で、今となってはそのアーケード街の内外に点在するいくつかのお寺がその名残を残すだけなのだ。
 観光客が足を運ぶこともあるにはあるがその総数も微々たるものであり、やはり田本寺町とは地元民の為の街という側面が強いのだろう。
 戸永古書店は、そんな田本寺町商店街で再開発が行われたアーケード街の中心部からは少し外れて入り組んだ場所に立地しているようだった。
 そんな田本寺町商店街でこれは特徴的だと感じさせられることは、度々「非常にゆったりとした時間が流れている」ような錯覚に陥ることだろう。
 時間帯によってアーケード街の中心部に掛けて歩行者天国が実施されていたり、もそも早朝・深夜以外の自動車の乗り入れが禁止されていたりする区画があるためか、信号機によって行動を忙しなく規制されることもなく、また自動車絡みの騒音から解放されている点がそれらの印象に強く寄与している筈だ。
 また、アーケード街中心部から外れてあちこち錆付き時代に取り残された感を漂わせる通の往来にも、若者が数多く闊歩していることも特徴の一つとして挙げられるだろうか。こちらは、彩座水科一帯に固まって存在する教育機関へ通学する学生の受け入れとして、下宿や学生寮といったものが数多く存在しているからだろう。
 そんな緩く鄙びた雰囲気を持つ田本寺町商店街の中心部を避けるように外縁部を奥へ奥へと進んでいくと、鷹尚・トラキチコンビはこれまた古く時代掛かった建造物が立ち並ぶ区画の中にとうとう目的の戸永古書店を見付ける。
 古書店なんて単語の響きから、鷹尚はもっとこじんまりとした佇まいを勝手に想像していたのだが、件の戸永古書店は一般的に「個人経営の古書店」という単語から想像されるものよりも大きな敷地面積を備えていた。尤も、併設されたカフェ・ビブリオフィリアとの間に、どちらからもアクセス可能な共用スペースみたいな空間があって、それが戸永古書店一階層の半分ぐらいの面積を占めていたりするので、そのサイズ感は二つの店舗を合わせてのものであるという認識の方が正しいかも知れない。
 取り敢えず、様子を窺うべく遠目に店舗を眺めてみたのだが、カフェ部・古書店部のどちらにもそれなりに客は入っているようだった。特に、どちらからもアクセス可能な共用スペースはその大半が埋まっており、各々書物を片手に思い思いの飲食物を味わっていた。
 共用スペース入口に設置されたスタンド看板に記載された注意書きを見る限りでは、戸永古書店で売られている書籍をその共用スペースに持ち出して試読できるシステムになっているらしい。また、その共用スペースでは、カフェ・ビブリオフィリア側にコーヒーや紅茶、ケーキといった軽食などを注文することが可能らしく、一息つきながら読書を楽しむことができるようだ。なお、スタンド看板の注意書きには「メニューの定食ページ記載のものは、オープンテラスで飲食できません」との記載もあるため、カフェ・ビブリオフィリアとは幅広く食事を提供しているようだ。
 そういう観点で、改めてカフェ・ビブリオフィリアの店構えを眺めてみると、何なら「らーめん」の幟もはためいており「彩座らーめんグランプリ参加店!」「絶品、熟成塩らーめん!」「混ぜそば始めました」といった類のデカデカとした記載も目に付いた格好だった。
 鷹尚はそろそろとそんな戸永古書店の軒先へと近づいていくと、店先にいたエプロン姿の女性店員へと声を掛ける。
「すいません、ちょっといいですか?」
 エプロン姿の店員は古書を載せた手押しの台車を脇に置き、本棚の然るべき場所にそれらを挿入していく作業を行っていたのだが、鷹尚の呼び掛けに嫌な顔ひとつ見せることなく快く答える。
 ちなみに、鷹尚へと向き直ったエプロン姿の女性の店員の胸元にピン留めされたネームプレートには「柊(ひいらぎ)」という名字が記載されていた。見た目から判断する限り、年齢は鷹尚よりもいくつか上だろうか。こういってはあれだが、作業性を重視した全体的に垢抜けない感じの格好で、化粧にしても派手さは一切ない。
「はいはーい、何か探しもの?」
 鷹尚は徐ろに腰に巻いたポシェットから件の封筒を取り出すと、中に封入されていた招待状を柊へと差し出してみる。
「頂いたこの招待状の件で伺わせて貰ったんですけど」
「招待状? ああ、これは確かにうちが発行したものだね」
 招待状を受け取った柊は、すぐにぺらりと裏面を確認した。
「えーと、招待主は……」
 それが何を意味しているかを鷹尚は理解できなかったが、やはりあの綴りは何らかの暗号のようなものなのだろう。そうすると、何の変哲もないように見える眼前の「柊」というこの店員も、所謂「魔女」の一人なのかも知れない。
 ともあれ、招待状の裏面を確認した柊は、感嘆の声を上げて鷹尚をマジマジと見る。
「おぉっと、そうかー。君が噂の不確定因子X(エックス)君か」
「不確定因子X……?」
 怪訝な顔で不穏な単語を鸚鵡返しに呟く鷹尚に、柊はカラカラと笑う。
「あはは、こっちの話だよ。招待状の件は確かに承りました。ちょっと待っててね」
 そう答えるが早いか、柊は打てば響く反応を見せた。まず店の奥まった部分にあるレジカウンターへと視線を向けたのだが、どうやらそこに目的の人物を発見することはできなかったらしい。すると、すぅと息を吸い込み、店内の隅々まで通るほどの大きな声で「店長」を呼んだ。
「店長ー! 店長ー、どこー? 店長の招待したお客さんが来たよー!」
 柊の呼び声が店内に響き渡っても、店長と呼ばれた人物がすぐに姿を現すことはなかった。当の柊はポリポリと頭を掻きながら「ついさっきまで入荷したばっかの古書の整理を一緒にしてたのになー……」とか呟き途方に暮れる。
 鷹尚としては、もし招待者が留守であるならば時間をおいて出直すつもりだった。
 しかしながら、鷹尚がそれを柊に伝えようとしたところで、件の店長が店内に姿を表す。
 店内の1階部分にあたるエリアからは何らかの反応が返ることはなかったのだが、2階へと続く階段の踊り場からひょこっと顔を見せるものがいたのだ。その人物は、一言で言うと西洋人形のように整った外見をしていた。ウェーブ掛かったダークゴールドの髪に青い輪郭の虹彩・瞳孔は黒色、堀が深いとはいえないまでも鼻梁が高く、パッと見で純日本人ではないことが解る容姿だ。
 尤もそんな容姿で立場も伴っているのだからさぞかしピシッとした格好をしているのかと思いきや、実際に鷹尚達の前に姿を見せた店長はそうでもなかった。柊の発言から店長とは言えど現場仕事をしていたのだろうからエプロン姿であるのはまだ納得できるものの、その下に着込む格好はと言えば動き易さを重視したフード付きの黒色パーカーに、ストレッチ性能が売りのややゆったりとしたスウェットパンツだ。
 しかも、随所に金色をあしらった模様や装飾が鏤められているものだから、整った外見とは裏腹にパッと見の様相はどう見てもコンビニ前に屯する女ヤンキーのそれだ。もちろん、日本人離れした顔付きで、且つこと容貌に関してだけ言うのならば小綺麗で品の良さすら感じさせる「店長」と、そこらのコンビニ前に屯する本物とでは明らかな差があるのだから、いうならば良い意味で女ヤンキー(高品位)とするのが適当かも知れない。
 ともあれ、店長と呼ばれた女ヤンキー(高品位)は、鷹尚とトラキチの姿を確認すると、大きくその目を見開きその場に立ち止まる。
「あら、もう反応を返してくれたのね。迅速果断な動き、感服するわ」
 そうして、にこやかに柔らかく目元を緩めた後、鷹尚に向けて歓迎の言葉を続ける。そこには柔らかい物腰と丁寧な口調が伴っていて、容貌と格好のどちらに「言動が引き摺られているか?」を不安に思った鷹尚は内心ほっと胸を撫で下ろす。これでもし店長と呼ばれた女ヤンキー(高品位)が取っ付きにくいオラオラ口調の喧嘩腰だったりしたら、鷹尚としては余りやりとりしたことのないタイプを相手に初っぱなから途轍もないやり難さを感じていたことだろう。
 何よりも、櫨馬地方はパッと見では完璧な外国人ライクだというにも関わらず、所謂民度が非常に低い昔の底辺日本人みたいなのをたくさん見掛けることのできる地域なのだ。こと彩座界隈に置いては比較的少ないものの、地方都市として最大規模の一つである櫨馬市辺りまで南下すれば、それこそ石を投げると該当者に当たるレベルで散見することができる。
 そんな鷹尚の安堵を知ってか知らずか、女ヤンキー(高品位)は両手をまるで花弁がふんわりと開くかの如くゆったりとした動作で広げてみせると、そこに暖かな歓迎の態度を灯して見せる。
「ようこそ、戸永古書店へ」
 そういうが早いか、女ヤンキー(高品位)はくるりと柊へと向き直り戸永古書店・窓口業務を任せる旨を伝える。
「それじゃあ、ひぃちゃん。わたしの代わりに、戸永古書店の店番をお願いできる? 二階に陳列するものは、一旦踊り場脇においておいて貰って構わないから」
「了(りょ)!」
 柊の方も実際に「招待客が来た」場合のことを、予め女ヤンキー(高品位)から話を通されていたようだ。任せて下さいと言わんばかりに胸を張って、二つ返事でその要望を快諾した。
 すると、女ヤンキー(高品位)は柊から招待状を受け取り、その足をカフェ・ビブリオフィリアへと向ける。
「では、こちらへどうぞ、佐治鷹尚君」
 鷹尚は促されるまま女ヤンキー(高品位)の後に付いて、まずは戸永古書店とカフェ・ビブリオフィリアの共有スペースへと進み出る。オープンテラスになっている共用スペースを突っ切ってカフェ・ビブリオフィリアへと向かう形なわけだが、カフェ・ビブリオフィリアサイドのお客さんが戸永古書店・店長の女ヤンキーライクな姿を見てもあからさまに驚いて見せたり怪訝な表情を見せたりしないところを見ると、どうやらその格好で店先に立っているのは有り触れた光景なのだろう。
 共用スペースを抜けてカフェ・ビブリオフィリアへと続く開き戸を潜ったところで、鷹尚は漂う周囲を漂う空気というものが一瞬にしてがらっと変わったことを理解した。
 カフェ・ビブリオフィリアは凝りに凝った調度品なんかがアクセントとして随所に配置される小洒落た空間ではあるのだが、田本寺町商店街に流れるゆったりとした雰囲気をそのままそっくり取り込み調和させたかのような、庶民的な「匂い」が漂っていたのだ。軽食喫茶を名乗りつつ「彩座らーめんグランプリ」に参加するなど本格的な定食の類いも扱っていることもあってか、珈琲の甘く芳醇な香り一色に包み込まれた、所謂「純喫茶」の雰囲気ではないとことが敷居を高く感じさせず「庶民感」を醸す要因の一つだろうか。
 外観や雰囲気といった部分では「カフェ」を踏襲しつつも、営業実態という観点では寧ろファミリーレストランに近いように鷹尚は感じた。
 尤も、客席数は圧倒的に一般的なチェーン展開のファミリーレストランよりも少なく、通りに面していて景色を楽しむことのできる4〜6人掛け用テーブルの数は4つしかない。後はカウンターテーブルと、少人数用のテーブルがばらばらと複数設置されているだけだ。
 なお、客の入りは悪くなく、ざっと見渡してみる限り昼食の時間を大きく回っているというにも関わらずカウンターテーブル以外の席はほぼ全て埋まっている活況具合だった。店外に入店待ちの行列が並んでいるようなことはなかったが、田本寺町商店街の人気店の一つして挙げて良いのだろう。
 そんなカフェ・ビブリオフィリアの店内へと足を踏み入れるなり、女ヤンキー(高品位)は厨房にいたすらっとした細身の男に声を向ける。
「影島(かげしま)君、奥のSP席テーブル、使わせて貰うね」
 影島と呼ばれた男は厨房の大型フリーザーからロールケーキを取り出し、今まさに鮮やかな藍色のプレートに盛付けようとしているところだったのだが、女ヤンキー(高品位)の呼び掛けに対して打てば響く反応を返す。
「前に話をしていた案件かな? 今日の所は、予約は一件も入っていないからどっちを使って貰ってもOKだ」
 影島は女ヤンキー(高品位)の方へと顔を向けつつ作業の手を一切止めることもなかった。手慣れた作業なのだろう。
 ちなみに、鷹尚がちらっと横目に捉えた影島の名札には、フロアマネージャーという役職の記載があったりもした。
 だからというわけではないだろうが、ぐるりと店内を見渡した後で影島は女ヤンキー(高品位)にこう確認を向ける。
「注文はいつ受けに行けばいいかな? すぐ伺うように手配しようか?」
 その口振りから察するに、SP席に招かれる鷹尚達の注文なんかを必要があれば優先してくれるというわけだろう。
 尤も、エルフィールは「その必要はない」と返す。
「特別な気遣いは不要。注文があれば、都度呼び鈴で合図するわ」
「ん、OK」
 エルフィールと影島とのやりとりから察するに、SP席へと通すお客さんの中には「特別な気遣い」を必要とする相手というのもいるようだった。
 そんな件のSP席とやらが如何ほどのものかと咄嗟に身構えた鷹尚だったが、エルフィールが先導する先は店舗の奥まった箇所に位置するどん詰まりのテーブル席のように見えた。いいや、そこは確かにどん詰まりに位置していて、パッと見ではそこに座席があると把握できないようなカフェ・ビブリオフィリアの最奥部に位置していた。SP席は通路に面しているわけでもなく、何なら寧ろ客を人目から遠ざけるかのような配慮が為されているような構造をしていた。
 当然、コーヒーを味わいながら田本寺町商店街の景色をほっと一息入れつつ眺めることもできないわけで、何を持って「SP席」としているのかを鷹尚は疑問に思ったぐらいだった。もちろん「SP」という省略文字の意味するところが、世間一般で広く用いられる「スペシャル」とは違っている可能性も多分にあるのは確かである。
 尤も、そんな鷹尚の疑問は女ヤンキー(高品位)によってすぐに解消される運びとなる。何食わぬ顔を心掛けていた鷹尚だったのだが、女ヤンキー(高品位)には頭上に疑問符が浮かび上がる様が見て取れたのかも知れない。
「らしくないSP席でしょう? ここはうちで焙煎するタンザニアコーヒーをとても気に入ってくれて足繁く通ってくれる彩座市在住のとあるミュージシャンがご指名でよく予約するテーブル席なの。きっと人目を避けたいからこのテーブル席を指名で予約するのだろうけれど、ルーズリーフと睨めっこしながらほぼ一日滞在するなんてこともあるぐらい。そんな経緯があってSP席と呼ばれるようになったから、鷹尚君やトラキチ君に取っては何の面白味もない席かしらね?」
 鷹尚とトラキチが反応に困っているのを尻目に、女ヤンキー(高品位)はそこで「コーヒー1杯無料チケット」の持参有無を確認する。
「さて、招待状に同封させて貰った「コーヒー1杯無料チケット」は持って来て貰えたかな? まぁ、形式的なものだからなくても構わないのだけど」
 手元にあるかどうかを確認しつつ、その実はどうやら「忘れた」と宣ってもコーヒー1杯ぐらいはサービスしてくれるらしい。尤も、招待状が封入されていた便箋を中身そのままに持参してきているのだから、件の「コーヒー1杯無料チケット」をどこかに忘れてきたなどということは有り得ない。そして、この場でそれを提示しないという選択肢も、鷹尚の常識に照らし合わせて考える限り有り得なかった。
 鷹尚は腰に巻いたポシェットから便箋を取り出すと、その中から「コーヒー1杯無料チケット」を取出し女ヤンキー(高品位)へと差し出す。
「うん、確かに受け取りました。それで、何か希望はあるのかな、以室商会のお二人さん?」
 鷹尚からトラキチと合わせて二人分の「コーヒー1杯無料チケット」を受け取ると、女ヤンキー(高品位)はまず「飲みたい銘柄」の有無を確認した。そうして、そこで鷹尚とトラキチが再び顔を見合わせるのを目の当たりにすると、すぐさまカフェ・ビブリオフィリアとしてのオススメ銘柄なんてものを列挙してくれる。
「特に要望がないのであれば、一押しは癖がなく万人受けする味わいのスペシャルブレンドあたりがいいのかな、……とわたしは思うわ。カフェ・ビブリオフィリアでしか飲めない味を楽しんでみたいのなら、タンザニアコーヒーも物凄く評判がいいわね。豆自体は特別厳選されたものではないメーカー仕入れの汎用だけれど、影島君の焙煎と抽出の癖が妙に合うみたい。ただ、あれは酸味がかなり強いから人を選ぶ味わいだし、鷹尚君達がコーヒー初心者であるのなら余りオススメしないかも」
 そうして、さらさらとオススメの理由を語った後は、テーブルの端に立て掛けられたメニュー表を手に取りソフトドリンク欄のページを開いてみせると「別に希望はコーヒーでなくても良い」と締める。
「もしコーヒーが好みで無いのなら、もちろん注文する飲み物は他のソフトドリンク類でも構わないわ」
 飲み物に対して特にこれという要望のなかった鷹尚はオススメのスペシャルブレンドを選択した。コーヒーを口にしているところを全くといって見掛けたことのないトラキチも、一先ずは鷹尚と同じスペシャルブレンドをチョイスする。
 影島がお盆片手にSP席へとやってきて、テーブルに各々の注文の品が並ぶのを待って女ヤンキー(高品位)が切り出す。
「さて、まずは自己紹介と行こうかな。わたしの名前はエルフィール。ここ戸永古書店の雇われ店長にして、この界隈を勢力下に置き活動する戸永古書店の魔女を統べるものです。以後、お見知りおきを。よろしくね」
 エルフィールと名乗った女ヤンキー(高品位)はそういうが早いか、するりと自然な動作で右手を差し出して見せて鷹尚へと握手を求めた。
 友好的な立ち居振る舞いを持って差し出された手を、握り返すことなくじっと眺め続けることができるわけもない。
 鷹尚は困惑を隠さない表情のまま、一先ず差し出されたエルフィールのその手を握り返すのだった。
 ともあれ、いきなり「戸永古書店の魔女」の親玉が出てきたことに、鷹尚もトラキチも驚きを禁じ得なかった。
 さらに言えば店長イコール親玉と安直な構図にも驚いたし、こう言っておきながら背後に黒幕的な存在がいる可能性も勘繰ったのだが、それら全てを引っ括めて今はこのエルフィールの言葉を信じるしかない。
 鷹尚もトラキチも、この「戸永古書店の魔女」のことを何も知らないのだから、それこそ疑って掛かろうと思えばいくらでも疑う余地なんてものはあるのだ。
 そうまずは相手を知ることから始めなければならない。手を組むに足る信用のおけない相手なのか、将又、相談することすら憚られる危険な勢力なのか。
 そういったことを判断する対話の場として戸永古書店が提示したカフェ・ビブリオフィリアは、相手の拠点であるという点を勘案しても好印象が持てた。
 戸永古書店の店内にも、カフェ・ビブリオフィリアの店内にも、どう見ても一般人にしか見えない客が相当数いる。それは即ち、この対話においてどんなに話が拗れたとしても、すぐにこの場でどうこうということには繋がらない筈だと思えるからだ。
 そんな鷹尚の腹の中を知ってか知らずか、エルフィールはトラキチに対しても同じく自然な動作で右手を差し出し握手を求めた。しかしながら、トラキチはその手を握り返そうとはせず、やや険しい目付きを伴ってマジマジとエルフィールの顔を注視するのだった。
 すると、トラキチはこれみよがしな形ではないながら、仄かに敵意をまとう牽制の姿勢を伴ってエルフィールへと噛みつく。
「あんた、人間じゃないな? 姿形はそれっぽく人間に見えるように整えているけど、それらしく振る舞ってるだけだ。化けてすらいねぇぜ」
 唐突に口を切ったトラキチからそう鋭く指摘を向けられても、エルフィールは一度態とらしく目をまん丸く見開いて「驚いた体」を取ると、再びに目元を細めてこやかに微笑む。そうして、さらりとこう言ってのけた。
「えぇ、トラキチ君のご明察の通り」
 見破られたことを驚いたという風ではなかった。いうなれば、隠すつもりなんてさらさらなく、おおっ広げにしていた筈の部分を「敵意を持って指摘されたことを驚いた」という感じだろうか。
 そんな噛み合わない対応を見せる2人が対峙しあって、十数秒が経とうかという矢先のこと。
 エルフィールに対して鋭い目付きを向けていたトラキチが一転、ビクンッと体を跳ねさせる。半ば無意識の内に、その場から後退ろうとでもしたのだろうか。ソファーに大きく体を押し付ける格好を取りながら、その表情には牙を剥いて威嚇するほどの、先程のものとは比較にならない強烈な敵意を灯す。
 尤も、そんなトラキチの姿勢の背後にあるものを鷹尚は見落とさない。
 敵意の裏に隠したものは、エルフィールに対する「恐怖」だ。
 ともあれ、トラキチから剥き出しの敵意を向けられた側のエルフィールはといえば、愉快と言わんばかり鷹揚にからからと微笑むだけだった。
「ふふ、ごめんなさいね、トラキチ君があんまり熱心に、不用意にこっちを覗き込もうとするからついつい向きになっちゃったわ。そんなにわたしの恥ずかしい部分を見たいのなら……って、見せなくてもいい奥の方を態と見せてあげちゃったわ」
 トラキチとエルフィール。
 この二人の相性が良くないことを、鷹尚はすぐに察した。
 振る舞いというものから客観的に判断する限り、エルフィールはトラキチのことを意に介さないかも知れない。しかしながら、例えそうであっても鷹尚は早々にこの二人のやりとりに割って入るべきだと判断したようだった。
 二人の間に何か新たな火種が生じる前に……だ。
 鷹尚は半ば強引にそこへと割って入る形を取って口を開く。
「相談に乗っていただけるという趣旨の手紙を貰ったので、まずは一発藁にも縋る思いで来てみました」
「素晴らしいわね、その若さ故の迷わない行動力。まずは「やってみよう」という精神。やさぐれたうちの娘達にも見習って欲しいぐらい」
 賞賛の言葉を向けられても鷹尚はやや堅い表情を崩さない。そこには、鷹尚がまず最初に切り出しておかねばならない言葉が、恐らく「戸永古書店の魔女」に取って好ましい内容ではないという背景もある。
 鷹尚は一度すぅと息を呑むと、エルフィールを真正面に捉え真摯な態度で口を切る。
「……なんですけど、話を始める前に一つ質問させて貰っても構いませんか?」
 小さく首を傾けて見せるエルフィールは「何かしら?」とそのジェスチャーで問う形を取り、鷹尚はその勢いのまま質問を続ける。
「どうして、俺達が憑鬼を捕まえようとしているのかを知っているんですか?」
 鷹尚とトラキチが憑鬼の対処について冥吏から正式に依頼を受けてから、まだ三日しか経っていない。しかも、憑依先候補者リストを受け取ったのが二日前だ。そのリストを元に駒井工業株式会社の高橋宗次と一悶着合ったのが昨夜だ。
 余りにも、戸永古書店の後天の魔女の動きは早過ぎる
 戸永古書店の後天の魔女は、冥吏と以室商会との関係を一体どこまでどこまで知っているというのだろうか。
 答えを曖昧に濁したり確答を溶けたりする可能性もあると鷹尚は思っていたのだが、エルフィールの対応はその予想を良い意味で裏切る。質問を受けたエルフィールは、合間に一つ考える仕草を挟んだ後ですらすらとそれらに答えたのだ。
「わたし達も冥吏と取引をする間柄だから……と言うのがその答えになるのかな。もちろん、わたし達は以室商会が付き合いを持っているような、上等な冥吏と取引できているわけではないけれどね」
 冥吏と取引を持っているというところまで話を聞いたところで、鷹尚の脳裏には真っ先に鳴橋や白黒篝の顔がふっと浮かんだ。尤も、その可能性はすぐさまエルフィール自身の言葉によって否定されたのだが、冥吏とのネットワークを持つというのならば憑鬼の失踪が定期的に発生していることや冥吏がその対処を現世で取引を持つ勢力に対処をお願いしていることを知り得ていても何らおかしくない。
 エルフィールはさらにこう続ける。
「彩座界隈で冥吏と取引をしているものであれば、大なり小なり必ず今回の、あなた達「以室商会」の件を小耳に挟んでいると思うわ。あの「以室商会」が逃げた冥吏の対応にあたるというだけでも話の種としては申し分ないのに、上級冥吏が半ば強引な手段を持って押し込んだという尾鰭までついたのだから「注目するな」という方が無理のある話でしょう? しかも、噂話を詳しく紐解いていくと、冥吏からの依頼を受けたのは期待のニューカマーだというじゃない」
 一通り、エルフィールの説明を聞いた鷹尚は、何とも苦々しい表情を覗かせる。
「はは、酷い尾鰭ですね、それ。期待のニューカマーどころか、今の所、才能らしい才能も見当たらないただのアルバイトですよ?」
 事実ではない脚色された部分の誇張が酷すぎたことと、もう一つはそもそもの冥吏の認識を改めなければならないかも知れないことを痛感したからだ。
 白黒篝が殊更特殊なのかと鷹尚は思っていたのだが、どうやらその認識は間違いだったらしい。。
 話し好きで噂話を好むタイプの冥吏は、割かし数多く存在しているようだ。
 苦々しい表情を取って否定に回る鷹尚の反応を謙遜と受け取ったかどうかともかく、憑鬼絡みの説明を求められたことに対して、エルフィールは最後にこう結んだ。
「以室商会が「憑鬼の対処に手間取っているみたい」というのを知ったのは、これは本当にただの偶然。たまたま昨晩、佐治鷹尚君達が西宿里川で一悶着起こしているのを、わたし達の魔女の一人がその場に居合わせ遠目に眺めたというだけのこと。そして、わたし達はその事実を知り「これはチャンス」だと思った」
 エルフィールの言葉を額面通りに信じるのならば、憑鬼に対する以室商会の動きは遅かれ早かれ知れ渡ったのだろう。特に、冥吏と関係を持つらしい戸永古書店の魔女に関して言えば、今回はたまたま迅速にそれが知れ渡る格好になったというわけだ。
 だとするならば、後はそれを踏まえた上で招待状へと繋がった「チャンス」の意味合いを引き出すだけだ。
 鷹尚はエルフィールへと面と向かって、その意味合いについて思い当たる節を率直に尋ねる。
「もしかして、魔女というものも冥吏から依頼を受けて憑鬼の対処をしている……?」
 それはエルフィールが戸永古書店の魔女が冥吏と関係性を持つといった辺りで「もしかすると……」と勘繰った内容だった。「相談にのることができます」と書いた招待状という「餌」で、恐らく戸永古書店の魔女は以室商会に対して何らかの働きかけをしたいのだろうから、もし憑鬼の対処に精通しているのならそれは大きなアドバンテージとなる。
 しかしながら、その推察は見事に的を外したらしい。
 エルフィールはふるふると首を横に振ると、きっぱりと告げる。
「いいえ」
 ただ、そうやってきっぱりと言い切った後で、エルフィールは何やら思い当たる節があったらしい。そこで一旦思案顔を合間に挟むと、向けられた質問に対する答えを修正して見せる。
「ああ、でも、そうとも言い切れないのかな。現在進行形では「ない」と断言できるけれど、対処をしたことがあるかどうかで言えば、もう引退したうちの昔の魔女の何人かがその手の依頼を冥吏から受託したことがあったかも。ただ、それは佐治鷹尚君が生まれる以前の、遠い遠い昔の話だけれどね」
 エルフィールの回答を前に、鷹尚は何とも歯痒さを覚える思いだった。
 言及して欲しい部分を的確にはぐらかされたかのような感覚といえば適当だっただろうか?
 エルフィールにそのつもりがなかったとしても、その言い分は過去の経験を踏まえて「憑鬼の対処に精通している」ことを匂わせたようにも受け取れるからだ。
 ここで戸永古書店の魔女の過去の経験やらを踏まえて憑鬼の対処の精通の有無について言及しても良かったのだろうが、鷹尚はあっさりとそれを諦める。それを突いたところで遠回しにしかならないと思ったからだ。鷹尚がその代わりと言わんばかりにエルフィールへと向けてきっぱりと言い放ったのは、余りにも正体不明である戸永古書店の魔女に対して抱く「不信」そのものだった。
「はっきり言います。憑鬼の対処をするにあたって俺達は確かに困っています。相談に乗って貰えるのなら、それはとても有難いことだし、正直凄く助かる。でも「戸永古書店の後天の魔女」とやらの目的が分からないと、とてもじゃないけど相談を持ち掛けることなんてできませんよ」
 何せ、鷹尚の手には上級冥吏がまとめた取扱注意の候補者リストなんてものもある。
 最悪のパターンを邪推するならば、戸永古書店の魔女とやらの目的がその候補者リストだという可能性だって考えられるのだ。迂闊に「では、お願いします」なんて台詞は吐けない。尤も、そういうスタンスで最初に協力関係を築いておいて、相手の欲する見返りとで駆け引きをするというのも一つの手練手管としてはありだろうが、ろくに経験値も無い今の鷹尚にそんな高度な振る舞いができる筈もない。
 すると、エルフィールはうんうんと大きく頷きながら、その主張に対して全面的に同意する。
「ふむふむ、確かに佐治鷹尚君の意見はご尤も。返す言葉もないわね」
 あっさりとその主張を至極当然と言われてしまって、鷹尚はただただ拍子抜けするしか無かった。
 当惑する鷹尚を眼前に置いて、エルフィールはまるで「段取り通りにことが進んでいる」と言わんばかりの振る舞いだった。
「何を企んでいるかも分からず信用のできない相手と手を取り合うことはできない。そう佐治鷹尚君は言いたいわけだ。ふふ、やっぱりあなた達以室商会は、そのスタンスでわたし達「戸永古書店の魔女」と対峙するのね。だとするならば、佐治鷹尚君にはわたし達の目的を正しく理解して貰わなければならないということ」
 さらさらと言葉を兼ねていくエルフィールには、心底愉快そうな表情なんてものも混ざり始める。
 鷹尚は尚更当惑を隠せないでいた。何より、ここでエルフィールがいった「あなた達」という表現には、ニュアンス的に鷹尚・トラキチ以外の別の以室商会の誰かを含めた言葉だった。即ち、戸永古書店の魔女と以室商会との間には、過去何らかのやりとりがあったものと推測される。
 どうやらエルフィールは、以室商会に「戸永古書店の魔女」の目的を正しく理解させることが愉快で愉快で堪らないらしい。なぜ、その心境に至るのかを推察することはできないものの、それまでのものとは一線を画す彼女のまとうアッパー気味のテンションがそれを如実に物語る。
 エルフィールは心得顔でにんまりと微笑む。すると、やや芝居掛かった口調で先程振れた「目的」について言及しようとする。
「それでは、佐治鷹尚君に正しく理解して貰わねばならないわたし達の目的だけれども……」
 そこで一旦言葉を句切って見せたエルフィールは、細めた目元で鷹尚をしっかと捉えこう続けた。
「その第一義の目的は、佐治鷹尚君と友達になること、かな」
 完全に想像の斜め上を行く目的が語られて、鷹尚は完全に拍子抜けした格好となる。一体全体「どんな大層なことを話すのか?」と半ば身構えたからこそ、その落差は激しかった。
 毒気を抜かれた鷹尚は、当惑しながら頓狂な声を上げるのがやっとだ。
「……はぁ?」
「ふふ、いいね、その真意を測りかねて相手を訝るその瞳。困惑しながらも裏側に隠されたものを何とかして見抜き暴こうとする鋭利さも。綯い交ぜに不信感が混ざる様も、堪らないわ」
 その一方で、エルフィールに取ってしてみれば、鷹尚のその反応は期待通りのものだったのだろう。楽しそうにカラカラと笑う。
 茶化された。
 傍目に見れば「そう感じるべきではない」という方が無理のあるやりとりだったろう。
 曇る鷹尚の表情を前にして、エルフィールは悪びれた様子を見せつつ謝罪を口にするものの根本的なスタンスは何ら変わらない。即ち「友達になること」といった言葉に、何ら嘘偽りはないというつもりのようだ。その上で、楽しそうに笑ってしまった理由について言及する。
「あは、わたしの悪い癖が出てしまったかな。気を悪くしたのなら、ごめんなさい。けれど、わたし達はあなた達人間のその手の感情の起伏を何よりも心地よいものとして感じるの。歓喜、悲哀、困惑、落胆、憤怒、苦渋、苦悶、怨嗟、嫉妬、憎悪、愛情、色欲、慈愛……。どれに触れてもわたし達はそれに「美味」を感じる」
 SPテーブルの自席前に置かれたコーヒーカップへと艶っぽい視線を落としてみせる辺り、エルフィールの感じる「美味」とはさながら「珈琲」のように拘りを持って突き詰めようとすると味わい深いものだと言いたかったのかも知れない。
 尤も、エルフィールはそういって見せた後で「美味」と評した感覚について、こう言い直しもする。
「いいえ。きっと「美味」という表現では、わたし達が甘受する状態を正しく言い表せていないのでしょうね。ごめんなさいね、今のわたしの言語能力では上手な表現が見付けられないわ。きっと、この感覚は、あなた達が味わうことのできるものには安易に当て嵌めることのできないものなのだと思うわ」
 似通った部分を持っていて「例え」として用いることのできるものはあるけれど、その全てを言い表し伝えることのできるものはない。
 不意に、どこか物憂げな顔付きを垣間見せたエルフィールからは、感覚を共有できないことに対するそんなもどかしさが滲み出ているかのようだった。
 ともあれ、物憂げだった表情はすぐに影を潜め、エルフィールは改めてにこやかに微笑んで見せると自ら脱線させた話を本題へと引き戻す。
「話が逸れてしまったから話を元に戻すけれど、今回わたし達はあなた達「以室商会」の協力者になりたい。そして、そのことに関して、今回わたし達が以室商会に対して直接求める対価は何も無いわ」
「……」
 それは余りにも美味し過ぎる話だ。
 得てして美味し過ぎる話には罠が仕掛けられていたり、棘が鏤められてあったりするものだ。
 そして、そんな美味し過ぎる話に鷹尚が警戒感を持つだろうことは、エルフィールも想定の範囲内のようだった。再び、にこやかに柔らかく微笑んで見せると最終的にそれが「友達になりたい」へと到る理由を紐解いていく。
「まぁ、そう言われてもとってもとっても気持ち悪いだろうから、佐治鷹尚君にはわたし達のここでの立場を踏まえた上での思惑というものを話しておく必要があるのでしょうね」
 そこで一旦言葉を句切ると、エルフィールは彩座市に置いて「戸永古書店の魔女」が取る基本的なスタンスというものについて触れる。
「まず最初に、わたし達は鬼郷の化物達に彩座界隈を徘徊されたくないと思っているわ。それこそ、出来ることならば、体を貸し出した愚かな人間もろとも刈り取って、わたし達の大切な大切なお客様に何らかの被害が及ぶ事態が生じる可能性を未然に潰してしまいたいとすら考えてしまうぐらい。彼らは冥吏のルールに従属し、またその管轄下に置かれるもので、わたし達の牽制や警告など意にも介さないでしょうからね。ここ田本寺町商店街の界隈で無用の混乱が生じることを、わたし達は快く思わない」
 エルフィールの言葉の節々には「そのやり方を以室商会は許容しないでしょう?」といった類いの投げ掛けが内在しているように感じられた。そして、恐らくそれは誇張でも脅しでもない。やもすると「戸永古書店の魔女は嘗てそんな方法で逃げた憑鬼を処分したことがあるのかも知れない」とすら思わせ匂わせるほどの言い回しだった。
 エルフィールの言葉を全て真に受けるなら、戸永古書店の魔女とは冥吏の意思など関係なく無用の混乱を未然に防止するため、自身のテリトリーを侵す逃げた憑鬼を抹消していてもおかしくはない。
 そこに至って、鷹尚の脳裏には一つの大きな疑問が浮かび上がっていた。
 次の瞬間。鷹尚はその疑問を率直に、エルフィールへとぶつけていた。
「変な言い方かも知れないけど、あなたは魔族なんでしょう?」
 その疑問の中に滲む思いは「どうして田本寺町商店街に固執するのか?」というものでもある。鷹尚もトラキチも「魔族」に対して詳しい知識を持っているわけではないが、それでも低級なそれを相手にする場合の注意点なんかをそれとなく継鷹からレクチャーされていたりもする。
 今の以室商会が手掛ける範囲で関わる低級魔族は指輪とか首飾りとかいった類いの装飾品に取憑いたり、その持ち主と契約していたものが大半なのだが、基本的にその影響力は一つのものだったり一個人にしか及ばない。鷹尚の浅い経験と知識で言うのならば、エルフィールの言う「彩座界隈を徘徊されたくない」だとか「田本寺町商店街を訪れる大切なお客様に何らかの被害が及ぶ事態を回避したい(意訳)」という台詞は、余りにもスタンスが異なる言い回しに聞こえたわけだ。
 もちろん、トラキチを恐怖に震え上がらせたエルフィールを「低級」なんてところに括れる筈がないことは頭では解っていたのだが、それを差し引いてもなおそのスタンスは異質に聞こえた形だ。
 まさか、エルフィールと何らかの契約を果たした主体が「田本寺町商店街」という組織であるなんてことは有り得ない話だろう。
 エルフィールは淀みなく答える。
「確かにわたしは魔族ではあるけれど、それ以前に戸永古書店の雇われ店長として責任ある立場を拝命させていただいてるわけだし、何より田本寺町商店街の安全と発展を願う組合員の一人ですもの」
 過去に、似たような疑問をぶつけたものがいたのかも知れない。
 その受け答えは「田本寺町商店街」に属する立場にあるものとして、完璧に近い受け答えだった。突き詰めていけば、どこまで行っても異質なものでしか無い筈の「魔族」だというにも関わらず、その本質を一先ず横に置いておいて「田本寺町商店街」ひいては「人間の社会」が科す規律に従うといったわけだ。
 鷹尚がそれ以上何らかの疑問を口にしないことを確認すると、エルフィールは「思惑」についての言及を続ける。
「鷹尚君が憑鬼を処理する過程で悪手を取って対応に失敗した場合、わたし達が危惧する事態に陥る可能性も十分考えられるわ。後々、自分達に火の粉が掛かる事態になる可能性が少しでもあるというのならば、初期段階から関与してそうならないようコントロールすることも危機管理のやり方として十分有りでしょう? 次に、先にも述べたように、わたし達も冥吏と取引を持っている。つまり、ここで冥吏に恩を売って置いて損することは何もないということ。以室商会が取引しているような上層の冥吏は、今のわたし達のことなど歯牙にも掛けていない。けれど、わたし達が鷹尚君の協力者してあり続ければ、いつか彼らのその目に留まることもあるかも知れない」
 すらすらと語るエルフィールの立ち居振る舞いを前にして、鷹尚は強く思った。その口上が嘘偽りのない本音であっても、真っ赤な嘘であっても、恐らくもうそのどちらであるかを看破することなどできない、と。
 どんな切り口から攻めていっても、きっとエルフィールがボロを出すことなどないだろう。さらに言えば、そこに真っ赤な嘘が混じっていたとしても、それはきっと真(まこと)の中に入念に色を消して練り込まれていて然るべき時・然るべき場面でなけければ表面化しないような、……厄介なものなんだろうと鷹尚は感じていた。
 ともあれ、エルフィールが語った二つの思惑に、何ら疑義を挟む余地などなかった。
 以室商会へ協力者を名乗り出るに足る、尤もらしい理由を戸永古書店の魔女は持っている。
 それらを踏まえて、エルフィールはさらに鷹尚へと駄目押しをする。
「そして最後に、以室商会と繋がりを得ることは、わたし達に取って将来的に大きな価値を生むプラスの要因となり得るということ。今現在、わたし達は以室商会との取引を持っていないけれど、……これを機会として少しずつその足掛かりを作っていきたいと思っているの」
 協力者として以室商会と関わった事実を橋頭堡にして、自由に取引を行える間柄に関係性を深めたい。それがエルフィールの目的の一つであるならば、確かに「協力者」として恩を売るという行為は大きな意味を持つかも知れない。
 しかしながら、恩を売る相手が鷹尚である限り、それが突破口になり得ないかも知れないことはエルフィールに伝えておかなければならないだろう。何度も触れているが、鷹尚に以室商会の方針をどうこう決定付ける権限などないため、自由に取引を行える間柄に「戸永古書店の魔女」を加えるという確約は当然与えられない。精々、継鷹にそれとなく働きかけることができる程度だろうか。
「悪いけど、俺はただのアルバイトに過ぎないですし、何の影響力も持っていないに等しいですよ」
 そう言いながら、鷹尚もそれが半ば苦しい言い分であることも理解はしていた。
 ただのアルバイトに過ぎないと言いながら、少なくとも白黒篝といった特定の冥吏に関してはある程度の裁量権を持って「頼まれごとを受けても良い」となっているのだからだ。何の前情報もなく傍目から客観的にそのやりとりを見た場合「何の影響力も持たない」なんて言葉を信用するものなどいないだろう。だからこそ尚更、今の鷹尚が以室商会の方針についてどうこう言う立場にないことは強く主張しておかねばならなかった。
 エルフィールも鷹尚のその言葉を「建前上はそうなっているもの」ぐらいにしか受け捉えていないようだった。寧ろ、さらに一歩踏み込んで来て、何とも荒唐無稽な邪推を口にして見せる。
「もちろん、これを機に今すぐ「便宜を図って欲しい」なんてお願いするつもりは毛頭ないわ。鷹尚君が以室商会を継ぎ、当主となった後でも構わない」
 唐突にエルフィールが語った言葉に、鷹尚はこれ以上ないほどに戸惑う。
「……俺が、以室商会を継ぐ? はは、そんな夢物語。決まっていることなんて、何もないですよ?」
 咄嗟に口を吐いて出たのは空笑いだけだった。
 一方で、エルフィールもそんな鷹尚の反応を眼前に置きながら顔色一つ変えない。
「ふふ、それも承知の上。確定していることが何もないというのはその通りでしょうね。けれど、今の今まで一切の助手を持たずにやってきた以室商会の現当主・佐治継鷹が、あなたをアルバイトとして家業の手伝いに借り出したということは、恐らくそういうことなんだろうと思ってしまうのはわたし達の邪推のし過ぎかな? ふふ、わたし達はその蓋然性が高いのだと見て、ただ先行投資をしようというだけ」
 エルフィールがどこまでを見透かしているのか解らなかったから、鷹尚はそこで押し黙るしかなかった。
 正直、継鷹が以室商会の将来的な方針をどう考えているかは皆目見当も付かない。ただ、その一方で、鷹尚自身は継鷹の代を持って以室商会が終わってしまうなんてことは強く「違う」と思っている。だからといって、鷹尚自身に「自分が後を継ぐんだ!」なんて強い意志があるかと問われれば、そうとも言えなかった。少なくとも、今の段階で「そう考えている」なんて強く胸を張って主張できるような確固たる意志などない。
 それでも「先行投資をする」といったエルフィールがリターンを得る機会に対して即応性を求めないというのであれば、自由に取引を行える間柄になるというのはそう難しい話ではないように鷹尚は思った。もちろん「戸永古書店の魔女」が以室商会に取って害をもたらすような存在ではないことが大前提であることは言うまでもないが……。
 取りあえず「後継者云々の話だけは是が非でも明確に否定しておかなければならない」と、エルフィールが言下の内に反論を向けようとした矢先のことだ。
「わたし達の思惑は大凡そんなところね。それを聞いて貰った上で、ではなぜわたし達が以室商会と「お友達」になりたいかと言えば……」
 さらさらと淀みなく口を切っていたエルフィールが、不意にそこで言い淀んだのだ。
 鷹尚に取っては反論を口にする絶好のチャンスだったわけだが、エルフィールの視線がカフェ・ビブリオフィリアの厨房の方へと逸れてしまっていたことでそれもままならない。
 エルフィールが視線を外したその先を目で追うと、そこには先程店番を任された筈の柊の姿があった。
  柊は申し訳なさそうに縮こまる態度と「困っている」と真摯に訴える態度がそれぞれ半々混ざる表情をしていて、エルフィールが自身に顔を向け気に掛けたチャンスを逃さなかった。両手を胸の前で合わせる仕草を取ると、鷹尚とエルフィールの対話の場にこう割って入る。
「ごめん、店長。話し中のところ本当に申し訳ないんだけど、……ちょっとだけいい?」
「今、大事なお客様の対応中なのよ?」
 やんわりと窘めるエルフィールだったが、そこに有無を言わさぬ拒絶の態度はなかった。即ち、それは「柊の判断において割って入らなければならないのならば、そのまま発言を続けても良い」と暗に言ったに等しい。
 当然、エルフィールがそれを匂わせるから、柊も発言を控えることはなかった。……というよりも、野次馬に来たとでもいうのならばまだしも、自身の判断では対処できない事態が発生したからこそ柊もカフェ・ビブリオフィリアのSP席まで赴いているで間違いない。
 ここで黙って退くわけなどなかった。
「それは分かってるんだけどものいっそまずいのよ、店長」
 柊は心底「参った」という心の内を体現した疲れた顔で、エルフィールに向けてまず一言ぼそりと短い単語を呟く。
「クレーム」
 その一言で、エルフィールの眉間に皺が寄ったのが解る。
 柊の慌てようとか場の空気といったものから鷹尚が俄に感じ取ったことは、それが「ただのクレームではないんだろうな」ということだ。
 そこでエルフィールが制止も催促もしないからか、柊は一度鷹尚とトラキチの様子を窺った後、発生したクレームの内容についてつらつらと語り始める。
「この前、ラッド卿に販売した魔道書のレプリカに対して、契約書に記された文言の解釈上制約が掛けられている範囲がおかしいから交渉させろゴラァってごねる感じのかなり面倒くさそうなクレーム。今、取りあえず契約書の製作を手伝ったたもっちゃんが対処に当たってるけど、変なところで言質取られたりしたらかなりやばそう」
 一通り「誰からの、どのような」クレームなのかの説明を受けたエルフィールは、顕著に影が見え隠れするほど眉間に皺を寄せる度合いを甚だしくする。
「あのクソジジイ、毎回毎回本当に飽きもせず……」
 口を突いて出た言葉にも強い「苛立ち」が滲み、どこか飄々と、そして鷹揚としていたエルフィールの雰囲気がそこを境に瓦解する場面を早くも鷹尚は目の当たりにした形となった。
 尤も、それは良くも悪くもエルフィールに対して鷹尚が好印象を持つ要因の一つとなった。おかしな話だが、古書店店長としての仕事において、そんな「人間らしい」側面を垣間見せたことが人間の社会の規律に則り従っているかのように感じられたのだ。
 もし規則や契約に縛られていないのならば、そしてエルフィールがその気になれば、そんなクレームなどどうとでも良いように片付けてしまえる筈だろう。そうだというにも関わらず「戸永古書店」という確かな制約に縛られ、それを良しとして振る舞うのだから、エルフィールが思惑の中で語った田本寺町商店街に対する彼女のスタンスというものは「ある程度の信用を置いて差し支えないのだろう」と思わせるのだ。
 ともあれ、エルフィールが毎回毎回といったように、そのラッド卿とやらからのクレームは戸永古書店に取って日常茶飯の出来事らしい。
 柊が溜息混じりに愚痴をこぼす。
「いやぁ、あれ、もう趣味でしょ。たもっちゃんが答えに窮して口籠もったり必死になって反論したりするのを、心底楽しそうににんまり微笑みながら侃々諤々やりあってるよ。さっきちらっと覗いてきたけど「保(たもつ)君がその様な主張に到った理由は十分理解した。しかし、この文言・この構文の組立てから保君のいう制約を完全な形で履行させるのは不可能だ。なぜならば、そのロジックを分解していくと……」みたいな、ねっとりした口調と大袈裟な身振りを交えて熱弁を振るってたよ。何なら、全く必要としていない魔道書のレプリカを大枚払って難癖付けるためだけに購入してるまであるね、あれは!」
 愚痴の中にはラッド卿の物真似も含まれていたのだが、その口調には神経質で気難しい癖に対論を楽しむ研究者気質の厄介そうな性分がありありと語られていた。当然、ラッド卿なる人物を鷹尚もトラキチも全く存じ上げないわけなのだが、それは風貌やら容貌といった部分の輪郭がうっすらと浮かび上がる絶妙な物真似だっただろう。
「はぁ……」
 その見解に何ら異論を挟まずエルフィールがただただ溜息を吐くという反応を見せる辺り、それは的確に的を射たものなのだろう。エルフィールは続けざまにやや疲れた表情で天を仰ぐと、柊のその見解を言葉でも肯定して同意を返す。
「楽しんでいるという側面は間違いなくあるでしょうね。彼がたもっちゃんを非常に気に入ってくれていて議論の種になるクレームを好き好んで吹っ掛けているっていうのも、多分その通り。全く、わたしの古い友人の一人ではあるけれど、本当に幼稚でどうしようもない彼の悪い癖の一つだわ」
 古い友人と評しながら心底「呆れ果てた」といわんばかりの侮蔑の色を混ぜたかと思えば、どうしようもないと言いながら一定の理解を示すような素振りを滲ませる辺り、エルフィールに取ってラッド卿とやらはきっと偏にこうだと言ってしまえるような間柄の相手ではないのだろう。
 しかしながら、どうやらそのラッド卿とやらの相手はエルフィールが直々に対応しないとまずいらしい。
 エルフィールは申し訳なさそうな素振りを随所に混ぜながら、有無を言わさぬ気配をまといつつこう言い切る。
「ごめんなさい、佐治鷹尚君。本来ならばわたしがまだまだ色々な疑問に答えなければならない立場なのだけれども、戸永古書店の店長として対処しなければならない厄介事が発生してしまったわ。……なので、ここからは代わりのものにスイッチさせて貰います」
 そういうが早いか、エルフィールは深々と頭を下げた後、すっくと席を立つ。
 すると、鷹尚に何らかの言葉を発する隙を一切与えず、エルフィールは眉をハの字にした柊を伴って足早に戸永古書店へと続く共同スペースへと向かって行った。
 入れ替わりにSP席に姿を現したのは、エルフィールとはまた異なる方向で「古書店」という単語から想像されるイメージに似付かわしくない(ように鷹尚は感じる)容貌をした女の子だった。さらに言えば、大凡「魔女」という単語から想像するイメージ像とも掛け離れたタイプにすら見えた。
 薄いピンク色を混ぜた白色基調の薄手のセーターに、膝上までの長さでふんわりとした広がりを持たせたダークレッドのスカート。そこに合わせた黒色のストッキングや、胸元に銀のネックレスをアクセントにした出で立ちを前にすると、もっと小洒落た流行のファッションエリアなんかに出没しそうなイメージを強く受けるのだ。肩下までの長さで切り揃えられた髪の毛も、奇麗で艶のある明るめのブルネットであり日々入念に手入れが為されていることは想像に難くない。根本から毛先まで変にグラデーションが掛かっているようなこともない。
 その一方で、彼女は服装という観点で見れば垢抜けていて大人びた印象を強く受けるのだが、やや幼さを残す顔立ちだけを見れば鷹尚とそう変わらない年齢のようにも見えた。エルフィールと違って日本人離れした外国人ライクの要素がないことから「やや幼さを残す」という印象を受けているだけかも知れなかったが、まとう雰囲気だとかそういった要素から判断するにしても指折り数えて片手に収まらないほど年齢が離れていることはないだろう。
 開口一番、口にして見せる挨拶にしても、彼女の立ち居振る舞いはものの見事にそんな期待を裏切らない。
「ちーっす、初めまして。わたしは香坂莉央(こうさかりお)。店長に言われてあなたの手伝いに来たわ、宜しくね♪」
 非常に軽いノリと、人懐こさ全開の物腰。
 格好はともかく年齢はそう離れてはいない筈で、且つ、その一方で「魔女」という単語から想像されるイメージからは懸け離れているというのが鷹尚の莉央に対する第一印象だった。
 当然、魔女という単語からどんなタイプの人間を想像するかは十人十色だろう。
 その中で、鷹尚が真っ先に想像した魔女像は、絵本の物語の世界に登場する昔ながらのものだったのだ。即ち、撹拌棒を使ってなみなみと毒々しい色の液体を湛えた大釜を掻き混ぜていて、研究熱心で気難しく何なら気位も高くコミュニケーションに難のあるような魔女像だ。こういうとあれだが、正直なところ、もっと性格的に「陰」よりの子が出てくると勝手に想像していたわけである。
 従って、莉央の軽いノリを前にした鷹尚の反応は”まざまざ呆気にとられて数秒に渡り固まった挙げ句、安堵の息を吐き出した後、申し訳なさそうに苦笑する”という何だかとても失礼極まりない感じとなった。
「……あぁ、うん、宜しくね」
 そんな鷹尚の言動を莉央はどう受け捉えたものだろうか。少なくとも「想像とは違うのタイプが出て来たぞ」という部分は、その鷹尚の表情といったものから察することができたのだろう。
 莉央は相変わらずの軽いノリを纏ったまま、不意に鷹尚へとこんな提案を口にする。
「らしくない感じのが出て来たぞって驚いた? もしあれなら、もっと地味ーな感じのThe・コミュ障っていうタイプの魔女にもチェンジできるよ」
 ここに至って胸の内を顔に出してしまって心底慌てたのは鷹尚だった。確かに想像の斜め上を行くタイプが出て来たは出て来たが、変に堅苦しく事務的だったりコミュニケーションに支障を来すようなタイプよりかは間違いなく良かったと断言できるからだ。
「いや、それは!」
 慌てた鷹尚の様子を前に、クスクスと笑いながら莉央が申し訳なさそうに「冗談だった」と告げる。
「なんちゃってね。戸永古書店の魔女の中には、そっちのタイプの子はいないかな」
 しかしながら、莉央の言葉はそこで終わらなかった。クスクスと楽しそうに笑う表情をすぅっと引っ込めると、影の差した暗い笑みを灯して見せて「もっと冗談で済まないようなタイプの子へのチェンジ」が可能であることを仄めかす。
「まー、全く地味じゃない上に破綻した思考回路を持つThe・コミュ障とか、一緒に何やるにしても気難しくて気難しくてことある事にくどくどくどくど嫌味を吐くようなのが居たりするんだけどねー」
 ボソリボソリと莉央が呟いた言葉に、鷹尚は思わず眉を顰めていた。
 まかり間違ってそんな相手にチェンジされたら「堪ったものじゃない」と内心思ったからだ。尤も、失礼極まりない胸の内を表情に滲ませてしまったことに対して鷹尚が弁解を挟む間も与えず、莉央はさらっと一気に話を進めてしまう。
「さて……と、じゃあ、あたしは何を手伝えばいいのかな? 店長から直々のご指名でもあるし、頑張っちゃうよ?」
 チェンジも可能みたいなことを匂わせる発言をしたものの、実際問題、予定やら何やら戸永古書店の魔女サイドの都合を勘案すると適任者はこの香坂莉央しか居なかったのかも知れない。
 尤も、莉央が既に協力者として手伝いをすることを前提とした話をすることに鷹尚は当惑する。
「え?」
 鷹尚がキョトンとした顔で聞き返したところで、今度は莉央も同じようにキョトンとした顔で固まる。
「え?」
 時間にして十数秒に渡って固まって見せて、恐らく頭の中であれこれと状況整理をした後、莉央は恐る恐るという風に鷹尚に尋ねる。
「……あれれ、もしかして話が全部良い感じにまとまったから、あたしが呼ばれた感じじゃなかったり……?」
 どうやら莉央と名乗った少女は、自身がSP席に呼ばれるに至った経緯を全く把握していないらしい。
 もしかすると、当初はエルフィールが全ての説明を終えた後、良い感じの演出で颯爽と現れて「可愛くて、且つとても有能な協力者」を印象付ける段取りだったのかも知れない。
 ともあれ、エルフィールはもう既に席を外してしまっていて、中途半端のままになった思惑絡みの説明の続きをすぐに行えるものは居なかった。
 何とも言えない空気だけがその場に漂う形となり、莉央と鷹尚はお互い顔を見合わせて気まずそうに苦笑した。


 昨日のカフェ・ビブリオフィリアでのエルフィールとの対話から一日空け、時刻は午前10:00を少し回った頃。
 鷹尚はトラキチを引き連れ、莉央を迎えに行くため初火浦にある私鉄の駅まで出て来ていた。曰く「迎えに来て貰わないと、多分辿り着けない」なんて、莉央が強く訴えたためだ。
 正直な話、初火浦から以室商会本店までのルートに迷うような余地などないと、鷹尚は思っていた。仮に「方向音痴」というパッシブスキルを莉央が取得しているのだとしても、昨今は無料にも関わらず高精度を誇るルート案内アプリが無数にある。古い町だから若干入り組んだ場所もあるにはあるが、大通りに沿って進む限り私鉄の駅と以室商会本店と自分の現在位置との関係を見失うことはまずない筈なのだが、莉央からの返答は「そういう問題じゃない」というものだったのだ。
 コンビニと薬局、ちょっと外れたところに喫茶店と牛丼チェーンなどあるだけの簡素な私鉄の駅前まで来ると、周囲をきょろきょろと見渡すまでも無く鷹尚は莉央の姿を見付けることができた。
 莉央は一階建ての私鉄の駅前に設けられたベンチに腰掛けていて、鷹尚・トラキチの姿を見付けるなりすっと手を挙げ自己主張する。
「やー、お迎えご苦労様」
 労いの「ご苦労様」という言葉に対して、トラキチは酷く辛辣な反応を返す。
「全くだぜ。はっきり言うけど、初火浦の駅前から以室商会本店までのルートで、辿り着けないほど迷うなんて高レベルのパッシブスキル「方向音痴」があっても滅多にできねぇ芸当だからな」
 莉央の「迎えが無いと辿り着けない」といった文面をそのまま真に受けるとするならば、確かにそんな反応になっても何らおかしくないのだが、本心は「別のところにあるんじゃないか」という思いが鷹尚にはあった。
 昨日、戸永古書店の魔女が協力を申し出るに到った説明を、店長から莉央が受け継いだ後のこと。
 協力を申し出るに到った理由が「友達になりたい」であることをエルフィールから突き付けられた旨、鷹尚は簡潔に莉央へと突き付けた。そうして、続けざまにその「なぜ?」に対する答えをまだ返して貰っていないことを告げたのだが、莉央はこういったのだ。
「実際にその目で見て貰った方がいいと思うな」
 そして、昨日の今日というわけである。
 それを示唆するかのように莉央はトラキチの辛辣な言葉に対して、何とも曖昧な態度を見せる。
「あはは、まぁ、道案内系のアプリで行き方とかも調べるだけは調べて見たんだけど、確かに普通なら「迷う」ような場所じゃあないよね。そこに関しての「じゃあ、なんで?」って辺りはおいおい説明するけど、とりま、こんなところで話し込んでないで以室商会本店に向かおうよ」
 昨日のそれがあるからか、莉央の態度は「百聞は一見にしかず」を地で行ってるようにしか見えなかった。恐らくは、以室商会本店へと辿り着くまでに、その目で見ることのできる「何か」を示してくれるのだろう。だとするならば、身構え緊張しても今がまだ「その時・その場所でない」というのなら、どうしようもない。
 鷹尚は莉央からの提案に素直に頷くと、水先運内をするべく以室商会本店へと足を向ける。
「それじゃあ、行こうか。うちまで来ればお茶ぐらいは出すけど、ゆっくり歩くと時間にしてここから大体15分くらいかな。もし、それまでに何か飲みたいとかあるんだったらここで買っていった方が良いよ」
「そこはまぁ、多分、大丈夫かな。もし辿り着けない場合でも、ここまで戻ってくればいいわけだし」
 莉央は何とも気に掛かることを口にしたのだが、急かすように背を押され鷹尚がそこに何かしらの口を挟むことはなかった。
 そんなこんな初火浦にある私鉄の駅から以室商会へと向かって歩き出し、ちょうど折り返し地点ぐらいまてせは来ただろうかという矢先のことだ。以室商会へと向かう道すがら、莉央が切り出す。
「鷹尚クンが知っているかどうかは解んないけど、実は戸永古書店の魔女って以室商会から出禁を食らってるみたいなんだよねー」
「へぇ」
 そんな具合に相槌を打った後、鷹尚は唐突にその足を止めて莉央の顔をマジマジと見遣る。
 莉央は自身をマジマジと注視する鷹尚をやや怪訝な目付きで見返すだけで、そこに冗談をいった風はなかった。
 それは鷹尚に取って初耳となる内容で、同時に心底吃驚させられた内容だった。
 基本、継鷹が不在の時の店番はシロコが担当しているのだが、場合によっては鷹尚が担当することもある。鷹尚の手伝いにシロコが適任で駆り出される場合もあったりするからだ……にも関わらず、出禁になっている相手がいるなんて話を一切耳にしたことが無かったのだから、その鷹尚の反応もある意味当然だっただろう。
 もし、商品を売れない相手が居るのならば、店番をする可能性がある鷹尚の耳にその情報が入っていないなんて余りにもおかしな話だ。
 鷹尚の視線はその真偽を問うべくトラキチへと向けられるのの、そこに返るものは首を左右に振る「知らない」といったジェスチャーだった。鷹尚にしてみれば、もしそれが本当に存在するのだとして「まだ以室商会歴の短い自分はともかく、トラキチが知らないなんてことが有り得るのか?」という思いだ。
 だから、鷹尚は思わず莉央に聞き返していた。
「それ、本当の話? 戸永古書店側で何か勘違いしてたりしないか?」
 鷹尚の言葉の節々には疑義を呈するニュアンスが滲み出ていたのだが、対する莉央はその存在を断言する。
「間違いないよ、今も戸永古書店の魔女の出禁措置はしっかりと続いているよ」
 何を持って「間違いない」という言葉に繋がっているかは取りあえず置いておくとしても、微塵も揺るがない莉央の様子を鑑みるに確信を持つに到る何かを持ち得ているのだろう。
 一方で、出禁なんてものの存在を一切把握していない鷹尚は、動揺を隠しきれない。
「出禁なんてあったんだ……」
 まだまだ「以室商会について知らないこと・教えられていないことは無数にあるんだろうな」とぼんやり思っていたとはいえ、こういう形でその一つの例を知り得ることになるとは夢にも思っていなかった筈だ。
 そんな鷹尚の動揺を余所に、莉央は自身の属する戸永古書店の魔女が出禁に到った経緯を説明してくれる。即ち「以室商会に出禁が存在する」というのは確度の高い情報のようだった。
「あたしが魔女になる前のゴタゴタらしいから、最低でも今から5年以上は前の話になるのかなぁ?」
「5年以上前の、ゴタゴタ……」
 それだけの年月を遡ることになると、以室紹介の当時の事情なんてものは鷹尚に取って知る由もないスケールの話となる。尤も、トラキチサイドでいうならば優に5年以上前から猫又として以室商会に飼われているのだから、出禁の話を知らないのはそもそもこの件に関わっていないから……と見るのが妥当な線だろうか。
 マジマジと莉央に向けていた視線をふいっと外すと、鷹尚は以室商会本店へと向かって再び歩き始める。もちろん、鷹尚の注意というものは、莉央の話に釘付けになる形ではあったのだが……。
「うちらのイキッた先輩魔女の一人が、えーと、……なんだっけ? ちょっと名前はあやふやなんだけど、ソドクコウドウだかエンコウだかいう取扱いの難しいちょいヤバアイテムを以室商会が仕入れることができるって情報を掴んでさ、あたし達にも「売って貰えませんかぁ?」って感じで掛け合ったのがまず発端」
 発端となったとされる「ソドクナントカ」というちょいヤバアイテムも、ここに来て鷹尚が始めて聞く名前のものだった。鷹尚はその目でトラキチに「知っているか?」を問うものの、ここでも返る答えは首を横に振るといったアクションだけだった。
 名前がうろ覚えに過ぎず、後半部分がかなり大胆に間違っているのだとしても、莉央の記憶がはっきりしているであろう「ソドク」の部分で既にその名前から連想されるものは何もなかった。もちろん、以室商会本店の店先に並ぶものの全てを、たまにしか店番に立たない鷹尚が全て把握しているわけもない。
 しかしながら、店頭にあって「扱いが難しいもの」については継鷹から注意を受けているのも事実なのだ。
 そうすると、その「ソドクナントカ」は普段「店頭には並んでいないものの可能性が高い」と鷹尚は思った。そして、もしそうであるならば、基本的にそれらは偏に継鷹の管轄なのだ。だとするならばゴタゴタ含めて継鷹がさらりと片付けてしまっていて、トラキチが何も把握していないといった辺りもしっくりと辻褄が合う。
 そんな鷹尚・トラキチのやり取りを知ってか知らずか、莉央は出禁に至る過去の経緯の説明を続ける。
「発端がちょいヤバアイテムっていうこともあったと思うんだけど、そもそも以室商会からは「何企んでるか分からん信用できない相手には売れない。けぇーれけぇーれ!」みたいに門前払いされたらしく、そこから一悶着って流れだったらしいよ」
 正直な話、一悶着という言葉に鷹尚は不穏な響きを感じずにはいられなかった。
 継鷹が好戦的な性格でないことは鷹尚も十分知っているが、それでも身に掛かる火の粉を払うような場合はその限りではない。さらに言えば、実際に見に掛かる火の粉を払わざるを得なくなった場面を何度か目撃しているし、その際の圧倒的で、相手に付けいる隙を与えず徹底的に戦力を削ぐやり方を知ってもいる。
 当時の戸永古書店の魔女がどんな手段で一悶着に挑んだかは解らないが、もし出禁絡みの話が本当ならばそれはそれは「それなりに」激しい衝突だったのだろう。
「一悶着ねぇ」
 その時のことを想像して、思わず重々しい言葉で吐き出した鷹尚だったが、一方の莉央のノリは軽い。
「そう一悶着。門前払いされたところで大人しく退いておけば良いのにさ、何でもうちらのイキッた先輩魔女が無理矢理勝負を吹っ掛けたらしいよー。「こっちが勝ったらアイテムを安値で叩き売って貰う権利を得る。もし仮にこっちが負けたら今後出禁でも何でも好きにすればいい」みたいなルールで! その時は、何が何でも以室商会ルートでそのちょいヤバアイテムを手に入れたかったんだろうね」
「結果は?」
 その一悶着の顛末を問うた鷹尚に、莉央はまるで他人事であるかのようにカラカラと笑いながら答える。
「何かねー、もう言い訳なんかできないぐらいに「こてんぱんにやられました、めでたし、めでたし!」って感じだったって聞いた。で、そこから問答無用で出禁になりましたって流れだって」
 一応、それは自身の属する「戸永古書店の魔女」の話であり、もしも本当に「出禁」が存在しているのだとしたら莉央にも影響が及び兼ねない話だ。にも関わらず、莉央にそれを自分事として捉えている節は微塵もなかった。いいや、あくまでそれは起こってしまった過去の話であり、今更「どうすることもできないもの」として捉えていたのかも知れない。
 ともあれ、莉央とのそのやりとりから「友達になりたい」といったエルフィールの言葉の意味をそれとなく「もしかして……」と察することができるようになって、鷹尚は不意にそこに思案顔を滲ませた。尤も、そこから「ああだこうだ」と事情を推察していく熟考へとは続かない。
 ふいにトラキチが足を止め、莉央の顔をマジマジと覗き込んだからだ。
「おい、さっきから顔色悪いな。どうした? つーか、完全に血の気が引いた顔してるぜ、お前?」
 トラキチの口調は莉央を心配するものというよりも、相手に取って都合の悪い事項を鋭く指摘するかのような刺々しいものだった。一方で、莉央も「しまった」という立ち居振る舞いだ。
 自身の不調を見抜いたトラキチに向けて、苦笑交じりの顔で莉央は称賛の言葉を向ける。
「おー、顔色には出ないように心掛けたつもりだったんだけど見抜かれちゃうか、やるなぁ、トラキチクン」
「よっぽどの節穴でも無い限り、見落としちゃくれないと思うぜ?」
 トラキチは呆れたといわんばかりの調子で切り返していたが、莉央の額にぶわっと脂汗が滲んだ辺りからそこにはさすがに「心配する」毛色が混じるようにもなる。
 そして、そんなやりとりの傍らで、莉央の不調を見抜けなかった鷹尚は何とも言えない顔をする。捉えようによっては、言わばトラキチから「お前の目は節穴だ」と言われたに等しいのだから、それもやむを得ないだろう。
 尤も、この件に関して言うのならば、鷹尚を攻めるよりもトラキチの感覚が優れていたというのが適当だった筈だ。莉央が自身の言葉で「顔色には出ないように心掛けた」といったように、少なくとも声色に不調の様子を感じさせることは微塵も無かったのだからだ。且つ、水先案内するべく以室商会本店に向かって先頭を歩く鷹尚に、そんな莉央の不調を見抜けと言うのは酷な話でもある。
 莉央は莉央で確かに「顔色に出ないよう」心掛けていたようだ。「見抜かれちゃったかぁ」と言わんばかりに、苦笑を混ぜると一気に不調であることを隠さなくなる。
「何のこれしき、何も問題はないよ、にやり……ってな具合に強がっちゃったりしたい所なんだけど、これはちょっと想像以上だねー。あー、……もう駄目かも」
 そういうが早いか、莉央はふっと瞑目して見せた後で、へなへなとその場へとしゃがみ込む。
 鷹尚の目に飛び込んできたのは、眉間に皺を寄せ両目を瞑った状態で額に大粒の脂汗を浮かべる莉央の横顔だった。
 この状態をよく隠し通そうとしたものだと半ば感心しながら、鷹尚は急速に顔色を悪化させた莉央を前に「どうしたものか」と押し黙る。
 見るからにあたふたと浮足立つ鷹尚を横目に捉えた後、トラキチがその間に割って入り莉央にこう問いかける。
「後200メートルも行けば以室商会に到着するが、……それでも持ちそうにないか? どうする、引き返すか?」
 常識的に考えれば、……後200mも歩けば以室商会に到着するのだ。肩を貸すなり何なりしてでも、取りあえず以室商会まで連れて行って体調が回復するのを待つというのが最善策のように思える。
 トラキチの性格ならば、問答無用で莉央に肩を貸し以室商会まで連れて行っても何ら不思議ではなかった。しかしながら、それをしなかったところを見ると、それが最善策ではない可能性をトラキチは疑ったようだ。「体調不良が顔色には出ないよう心掛けた」といった発言から察するに、そうなるに到った要因を、莉央が把握し何らかの理由で話さなかったように感じたのかも知れない。
 ともあれ、トラキチからそう確認を向けられた莉央は、力強く首を左右に振った。
「ここまで来て「行かない」なんて選択肢はないよ。這ってでもいく」
「あれなら、背負ってやっても良いぜ?」
 トラキチは鷹尚と顔を見合わせ一つ溜息を吐いた後、莉央にそんな提案を向けた。まるで我が儘を言うかのようにぶんぶんと首を振る様を見て、こうと決めたら何を言っても聞く耳を持たないタイプかも知れないと感じたのだろう。
 ともあれ、トラキチから「背負ってやってもいい」と提案されたことに対して、莉央は再び「必要ない」と首を左右に振る。その上で、莉央はその不調は別の手段を用いることで対処できるという。
「大丈夫、これはきちんと手順さえ踏めば何とかできる問題。だから、まずは、ここであたしを歓迎して貰っても良いかな?」
 莉央の口から出た思いも寄らぬ要望に、トラキチは心底面食らったようだ。
「はぁ? 歓迎? ……どうすりゃいいってんだ? B級グルメグランプリで取り上げられた初火浦名物・特濃ソース掻揚げ丼でも買ってくれば良いか? 結局予選落ちしたけど、あれはいいものだぞ。高確率で食後胸焼けするのが玉に瑕だが、丼の半分ぐらいまでは「これは旨い!」と胸を張って言えるぜ」
 しんしながら、トラキチの口から頓狂な声が出て当惑した様子を滲ませたのは喋り始めのほんの初期段階だけだった。莉央の要望を自分なりに大雑把に理解した後は、トラキチ自身が思う歓迎の一つの具体例を上げて「どうだ?」と聞き返していた。
 すると、次に面食らう側に立たされたのは要望を口にした莉央の方だった。呆気にとられるように一度ピタッと固まった後、苦笑交じりにトラキチに当てこする。
「あはは、急激に体調が悪化した今の状態でそんなもの食べたら、口からキラキラと七色に輝く魔法の物体を吐き出しちゃうかもね……」
 トラキチはトラキチで当てこすりを気に掛けた様子は微塵もない。それを当てこすりだと十二分に理解した上で、それを笑い飛ばす。
「はは、魔女は口から七色に輝く魔法の物体を吐き出せるのか。そいつはいいな。素晴らしい一発芸じゃねぇか!」
 俄にバチバチと火花が散るかのような雰囲気を纏い始めたトラキチと莉央の様子を、取りあえず鷹尚は黙って窺っていた。これ以上急速に険悪なムードになるようならば、エルフィールの時のように無理湯やりにでも割って入るべきなのだろうが、その踏ん切りが付かないで居たという言い方が正しかったかも知れない。
 何はともあれ、ただ一つ言える確かなことは、例え七色に輝こうか輝かまいが、そんな一発芸は見たくないということだ。
 そうして、あてこすりを華麗に笑い飛ばされたからというわけではないだろうが、莉央は一旦そこに深呼吸を挟んで間を取ると自身の気持ちを切り替えるべく長い長い息を吐く。
 ここで新たな当てこすりを向けたところで、トラキチは恐らく意に介しはしないだろう。もっと具体的に喧嘩を吹っ掛けるような形を取って皮肉を向ければ話は別だが、それは莉央の望むべく形でないことは言うまでもない。
 苦笑いの体をすっと引っ込めてしまえば、莉央は仕切り直しと言わないばかりに「歓迎」といったその中身を具体的な形として言い換える。
「言葉で良いから、あたしを歓迎して欲しいんだ。「ここに居てもいいよ」って、以室商会関係者に許可して貰うことが必要。多分、それだけで大分楽になる筈だから」
 歓迎の意味するところを莉央から聞かされたトラキチは、改めて鷹尚と顔を見合わせた。そこに灯るトラキチの表情は、どちらかという莉央から提示された内容でこの状況を本当に打破できるかどうかを疑う類いのものだったろう。
 ともあれ、鷹尚が小さく頷いて見せて莉央の要求に応えることを促すと、トラキチはすぅと息を吸い込み歓迎のポーズを取る。
「いらっしゃい、ようこそ初火浦へ。まぁ、何もない田舎町だけど、存分に楽しんで行ってくれよ!」
 本心という部分まで染め上げることが難しいのは言うまでもない。しかしながら、例えそうであっても、そこには表面上に現れ出る言動として確かに「歓迎」のポーズがしっかりと提示された形だった。
 勢い任せに歓迎のポーズをやりきった後で、トラキチは半信半疑の顔で莉央へと尋ねる。
「……こんな感じか?」
「ふぅ、ありがとー、かなりマシになったー」
「マジかよ、こんなんでいいのかよ……」
 本当に寸劇と見紛うレベルのやりとりが「確かな効果を発揮したのか?」を訝るトラキチだったのだが、そこを境にしてぐぐっと莉央の顔色に赤味が灯ったのも事実だった。
 それでもまだいくらか納得いかないといった顔をしていたトラキチだったものの、少なくとも傍目には莉央が調子を取り戻した風であるからそれ以上はどうこう言うつもりもないようだった。
 その実、莉央がまだ万全の状態でなかったとしても、その素振りを見せることはないだろう。
 トラキチは莉央の体調不良がいつからだったのかを尋ねる。
「あー……、いつからだ? 少なくとも初火浦の私鉄の駅に居た時は、そんな素振りは全く感じられなかったぜ」
 莉央は振り返って、ついさっき通り過ぎた十字路を指差して言う。
「あの交差点を過ぎた辺りからかな。一気呵成に来たねー。それまではちょろっと違和感を覚えるくらいだったんだけど。私鉄の駅付近をうろちょろするのは許すけど、以室商会本店がある区画付近に進入することは断固として許さんって強い意図を感じた、かな」
 莉央が示した十字路に、鷹尚・トラキチの二人が何かを感じ取ることはできなかった。まして、その十字路付近に行き来に際して、二人が莉央がいうような違和感だったり「不調に襲われる」と言ったようなことに見舞われたことは一度もない。何なら、近所の誰かが不調になって道端で座り込んでいたという話も聞いたことがない。
 即ち、それは莉央にだけ影響を及ぼすものなのだろう。言い方を変えれば、莉央が属するものに対して影響をする「何か」とした方が適当かもしれない。
 言うまでもない。
 それが莉央達に科せられた「以室商会の出禁措置」であるのは一目瞭然だった。
 初めて以室商会が敷いたと思しき「出禁措置」を目の当たりにして、鷹尚とトラキチはどんな反応をしたものか解らなかったのだろう。ただただ押し黙って、莉央が次に見せるだろう何らかの反応を待っていた。
 尤も、莉央は莉央で二人の様子など気にかけた風はなかった。思案顔を合間に挟むと、じっと十字路に視線を向けたままブツブツと独り言を口にする。
「事前に聞いていた限りでは「以室商会の門前ぐらいまでは楽に行ける」って話だったけど、体験談を聞き出すために通した袖の下が十分じゃなくて話半分を掴まされたか……。まぁ、あたしの抵抗力じゃ、ここらが限界だったってだけの話かも知れないけど」
 急激な体調不良から「歓迎」というプロセスを経て一気に持ち直した莉央をマジマジと眺めつつ、そのままでは埒が明かないと感じた鷹尚が口を切る。
「魔女に対する出禁っていうのは、呪術的な方法で物理的に近付けないようにするやり方だったのか」
「あたしも実際にこの身で体感するまで半信半疑だったけど、確かに呪術的な出禁措置を敷いているんだねぇ。見事だよ。というか、あたしなんて魔女になる前も魔女になってからも、一度も以室商会に関わったことないのにこうしてしっかり「戸永古書店の魔女」の一人として出禁の網に引っかかるものなんだね。本当に、見事な仕掛け。ぐぅの音も出ない」
 莉央の口からは以室商会が敷いた出禁措置の緻密さに対する感服の言葉が漏れ出た。恐らく、それは意図して口にしたものではなくて、心底感嘆したからこそ無意識的に漏れ出た称賛の言葉だったろう。そこには、如何にして出禁措置を敷いているのかに対する並々ならぬ興味の色も滲み出る。
 そうすると、ついさっきまで体調不良で苦しんでいた様子はどこへやら。莉央は、境となった十字路付近に好奇の視線を向け、ジロリジロリと周囲の様子を隈無く窺う。
「どうやって戸永古書店の魔女を判別しているんだろ? んー、気になるな」
 莉央は完全に好奇心に取憑かれてしまった様子だ。
 少なくとも、今この瞬間においては「以室商会本店に向かう途中」という事実がスッポリと頭から抜け落ちていたのは間違いない。
 莉央の好奇の視線はさらに十字路付近に雑多な存在するものの隅々へと向けられた。それは、何の変哲もない電信柱だったり、道路に描かれた「止まれ」の路面標示だったり、竹垣に貼られた宗教勧誘のポスターだったりしたのだが、そのどれもが莉央に取ってしっくり来るものではないようだ。
「どこが境か解らないぐらい凄く自然に以室商会が定めたテリトリー内へと進入していったけど、どっかに境を示す目印ぐらいはおいてある筈だと思うんだけど……」
 臆面もなく好奇心を前面へと押し出しジロジロと通りの様子に鋭い目線を向ける莉央を前にして、鷹尚・トラキチはどんな反応を返していいものか解らなかったようだ。ただただ黙ってその動きを目で追っていた。
 鷹尚にしろトラキチにしろ、別段以室商会へと急がなければならない理由があるわけでもなかったという背景もあっただろう。
 尤も、すぐに本来の目的を見失い掛けていることに莉央が気付いてハッと我に立ち返ったことで、不意に発生した不測の脱線はどうにか最小限に留まったのだろう。
「おっと、ごめんごめん。こういうのは後で一人で勝手にやってどうぞって感じだよねー」
 莉央はパンッと小気味良い音を立て胸の前で小さく両手を合わせると、申し訳なさそうに小さく頭を下げる。それでも、まだまだ後ろ髪を引かれる思いは強く残っているのだろう。何気なく、後に続ける言葉からも出禁の仕組みに対する感嘆の言葉がまだ混じる。
「でも、出禁の仕組みは本当に凄いなぁ。聞いていたのとは違ったけれど、最初に出禁を言い渡されてからも何だかんだとこっちからちょっかい掛けたらしいし、以室商会が敷いた出禁の仕組みも色々試行錯誤した上で最終的にこの形に落ち着いたのかも」
「……どういうこと?」
 不意に鷹尚が口にした質問に対して、莉央はその疑問が「出禁」の仕組みについて問うたものと理解したようだ。
「んー、あたしが聞いた話では、出禁は「以室商会の店内へあたし達を物理的に入れなくするもの」だって聞いていたんだよね。でも、これは店内への侵入を禁ずるってレベルの仕組みじゃないでしょう? だから、そこからさらに一歩進んで「以室商会がある区画にそもそも近付くんじゃねぇぞ」って感じに後からバージョンアップされたのかなぁって」
「いや、そこじゃなくて。出禁を言い渡された後も、戸永古書店の魔女は何かしでかしたのか?」
 再び、鷹尚から詰められて、莉央はやや答え難そうに口籠もりながら「しでかした」を認める発言をする。
「んー、出禁を言い渡されたは言い渡されたけど、そこはやっぱり一部狡猾であくどいのが魔女っていうものですから。ばれなきゃいいじゃんってノリで何とか出禁を免れる方法はないかなぁって色々やったみたい。後になって「やっぱりそこそこ近所な以室商会で色々取り扱っているのは魅力的だよね。向こうにばれないような上手く騙すやり方で利用しちゃえばいいんじゃない?」っていう話が上がって、……変装とか得意って言うか、何なら性別とか人種まで魔法で偽装できる先輩が実際に試してみました……とかね。魔法で偽装して以室商会からアイテムを買っちゃうおう、みたいな」
「結果は?」
 莉央は両手を広げて見せて、その答えがさっきの自分が置かれた状態にあることを指す。
 即ち「戸永古書店の魔女」という網に掛かる相手の全てに対して以室商会のあるエリア付近へと物理的に近付けないようにする呪術的な出禁措置が敷かれたというわけだ。
「……目に余りあるほどの自業自得だろ、それ?」
 呆れるトラキチを前に、莉央は得意気な顔付きでその指摘に同意する。
「ですよねー」
 清々しいまでに「反論の余地など全くない」と言わんばかりの同意が返ってきて、トラキチは諦観の表情をより甚だしいものにする。本音を言えば「戸永古書店の魔女がやったことなのに、そんな返しをするのか? えぇ、えい?」と躙り寄りたかったかも知れない。
 もちろん、莉央には莉央の言い分もあるだろう。
 何せ自身が属する以前の「戸永古書店の魔女」がやったことだ。自分には「無関係のこと」という意識になるのも詮無いことかも知れない。
 ともあれ、自業自得だとする指摘をカラカラと笑って受け入れると、だからこそ今の「戸永古書店の魔女」の行動に繋がっていると莉央は続ける。
「で、そんな具合に色々やった前科があってちょっとお目こぼしして貰えるようなカテゴリーには含まれていないだろうから、今回は鷹尚君と友達になって段階を踏む正攻法で好感度を上げていきましょうってことなんだと思うよ。店長から、そうとは言われていないけどね。もう代替りしていざこざの原因になった魔女も引退してるし、直接以室商会から目を付けられたわけじゃないあたし達の世代なら突破口になるかも……ってね」
 それまでのやりとりでうっすらと感じ取っていた「先行投資」の意味を、鷹尚はここではっきりと理解する。
 何のことはない。
 以室商会との関係改善を試みたいが、過去に一悶着あった当人である継鷹が相手では取付く島がない。だから、先入観だとか付けいる隙だとかを持つ鷹尚をターゲットにしたというわけだ。冥吏だとか憑鬼だとか他にも都合の良い複合的要因はあったものの、まさにこの事件は戸永古書店の魔女に取って千載一遇のチャンスだったのだろう。
 問題は、鷹尚がここで気前よく、ないし渋々「解った」と頷いたからといって、では継鷹が「それを良しとするか?」ということだ。見るからに鷹尚と同年代であり、そもそも「魔女であることを知らなかった」と言い張れそうな莉央一人を例外扱いするぐらいならばまだしも、戸永古書店の魔女に科した出禁措置が容易に覆るとは到底思えない。
 尤も、親玉であるエルフィールは、莉央を橋頭堡として考えつつも本当に起こり得るかも解らない「代替り」とやらまでをも見越して行動を起こしているのかも知れない。
 何であれ、鷹尚はふっと自身にプレッシャーが向けられている気がして溜息を吐き出さずには居られなかった。
 もちろん、当の莉央にそんな意識はなかったかも知れないのだが。
 ともあれ、鷹尚はその厄介事を、取りあえず今は考えないことにしたらしい。莉央が何の気なしに口にした「引退」という言葉について率直な疑問を向ける。
「魔女にも引退とかあるんだ?」
「ちょうど、あたしが魔女になるくらいの頃かな、そのイキッた先輩魔女は「就職してOLになるんで引退します」っていって引退しちゃったよ。親しくしていたわけじゃないから詳しくは知らないけど、医療機器販売メーカーに就職したとか何とか……」
 対する莉央は「魔女の引退」について、一つの具体例を挙げてみせた。
 ただ、そうは言いつつも、莉央は続ける言葉では「あくまで引退は選択肢の一つである」とも述べる。
「まぁ、引退も人によるけどね。就職しても引退しないで魔女で居続ける人も居るし、魔女になって得た知識や経験を元にこっちを本職にしちゃえっていう人も居るからね。うちらの店長はさ、その辺り結構適当な感じだから。してもいいし、しなくてもいいっていうスタンス? それよりも「自分の幸せを考えた時に最良だと感じる方向に進みなさい」とか言っちゃうタイプで、ルールさえ守っていれば特にうるさいこともないんだ」
 莉央という「戸永古書店の魔女」を通して、彼女も属する等身大の魔女像を知ると次々と疑問が湧いて出る。
 それこそ「ルールを守る魔女」という部分もそうだ。いや、組織的に何らかの活動しているからには規範や規律はあって然るべきなのだが、イマイチ鷹尚はそこが何よりもピンとこなかった。
 莉央はなぜ戸永古書店の魔女になったのか?
 いいや、そこを疑問に思うよりもまず根本的な疑問がある。
 そもそも戸永古書店の魔女とは何を成そうとする者達なのか?
 鷹尚の口から自然と一つの疑問が口を吐いて出た。
「魔女って、何が目的なんだ?」
 鷹尚からの疑問を受けて、莉央はさも「しめしめ乗ってきた」と言わんばかりの心得顔を見せる。
「良いところに気付いたね、鷹尚クン。それ、凄く重要! まずそれは知って貰わないと何も始まらないよね」
 そのまま心得顔の度合いを強めていって、高尚な目的を持ち「こんなことをやってます!」と胸を張って見せでもするのかと思ったのだが、莉央はそこで声のトーンを一段落としてみせると不意にそこに神妙な顔付きを覗かせる。
「今回、鷹尚クンが対処しようとしている憑鬼みたいに人へと取憑く悪魔みたいなのって、実は他にも何種類もいるんだ。店長が言うには、あたし達はその手の「悪魔」に心の隙を突かれて取憑かれたり乗っ取られたり唆されたりする可能性が凄く高かったところを「魔女という形」を与えて前以て防いだ結果なんだって」
 目的を尋ねた鷹尚に、莉央はまず自身の属する「魔女」が一体どんな存在なのかを説明した。
 そこで口を挟むと話が脱線してしまいそうだったから触れなかったものの、鷹尚の中にはまた一つの疑問が生じる。もしその説明が本当ならば、魔女とは「もしかして、なりたくてなるようなものではないのか?」といった類いの疑問だ。
 鷹尚がそんな疑問を口に出すことをしないから、莉央の説明は身振り手振りを交えて軽快に切り替わり続いていく。
「でも、心の隙間やほつれは誰にでも生じる可能性があるし、寧ろ生じることがない人間なんていないって断言できちゃうぐらいには普通のことなんだってさ。ただ、そこにプラスして「悪魔」みたいなのが寄って来易い性質を持っているってなると、ほんの一握りの話らしくて、……店長はその対象者に「魔女」という形を与えているんだ。もちろん、それに適合する全てのものに手を差し伸べられているわけじゃないみたいだし、そういう体質なのにも関わらずそもそも魔女にはなれない星の下に生まれている人っていうのもたくさんいるらしい」
 莉央の説明を聞く鷹尚の胸の内に確かなもやもやが生じていた。それは、戸永古書店の魔女の親玉であるエルフィールは「では、なぜ魔女という形を与えているのか?」と言ったような疑問の数々だ。
 尤も、エルフィールの受け答えなんてものは容易に想像できる。鷹揚とした態度で、何ならカラカラと笑いながらこんな風に答えるのだろう。
「ここ田本寺町商店街の界隈で無用の混乱が生じることを、わたし達は快く思わないわ。だから、わたし達の大切な大切なお客様に何らかの被害が及ぶ事態が生じる可能性を未然に潰してしまいたい」
 きっと、莉央に鷹尚が本当に知りたいことの答えを問うのは酷なのだろう。
 鷹尚が求める「魔女の目的」とは魔女の個々人の活動目的などではなく、そのそもそもの背景部分となるエルフィールが田本寺町に縛られることを良しとしている動機そのものについてなのだからだ。
 だから、鷹尚は口を噤んでただただ莉央の言葉を聞く側へと回っていた。
 そんな鷹尚の胸襟を莉央が知る術はない。説明は淀みなく続く。
 そうして、長々と続いた莉央の説明もついに佳境を迎える。即ち、鷹尚が問うた「目的」にまで辿り着いたのだ。
 もちろん、そこには目的に対する鷹尚と莉央との認識の齟齬が何ら解消されることなく横たわっているのだが……。
「あたし達の目的の一つは、そういった心の隙を突かれて取憑かれたり乗っ取られたり唆されたりする可能性を持つにも関わらず、魔女というピースで隙間を埋めたりすることのできない人達を助けるということ。もちろん、唆すのが憑鬼とか呼ばれる怪異だというのなら、あたし達が払い遠ざける対象には憑鬼も含まれる」
「そっか」
 どうだと言わないばかりに胸を張ってみせる莉央を眼前におき、鷹尚は取りあえず納得したようだった。
 正直なところ、新たに様々な疑問が生じるやりとりではあったのだが、少なくとも今回の憑鬼の件で「協力者」として名乗り出るに到った点に関して言うのならば、鷹尚が「不自然だ」と感じる箇所はなかったからだろう。加えて言えば、戸永古書店の魔女として以室商会との関係改善を図るだとか言った思惑は確かにあるのだろうが、鷹尚・トラキチに対して不穏な裏の顔を持つということはなさそうだという判断なわけだった。
 鷹尚が肯定的な反応を返したことで、一通りの説明を終えた莉央の表情には満足げな雰囲気が滲むのだったが、それも一瞬。そこで不意にふいっと鷹尚から顔を背けると「嫌なことを思い出しました」みたいにテンションをすとんと落としてボソリと呟くように続ける。
「後はまぁ、その、悪い魔女とかとも戦ったりしてるみたいだよ?」
 なぜ、そこでとても「言い難いけど……」と前置きするような雰囲気を醸し出したりしたのかを当初は理解できなかったのだが、莉央が自身の属する「戸永古書店の魔女」の中にも片足を突っ込んでいるのが居ると匂わせたことで、鷹尚は色々と察する。
「いや、まぁ、その、実は身内にも影でこそこそ色々やってて「あんた、もしかしてかなり悪い寄りじゃん?」みたいなのも何人か居たりとか……?」
 それを話し難いことと思うのならば「話題にしなければ良いのに……」と苦笑する鷹尚だったのだが、そこは後々になって不信感を買うぐらいならば最初からゲロって置いた方が良いという莉央なりの判断なのだろう。




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