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Seen02 冥吏失踪事件の語り部(上)


 二度あることは三度ある。
 そんな諺宜しく、鷹尚は三日連続で四上宿に居た。いや、正確にいうと四上宿へと向かうタクシーの中に居たという言い方が、今は正しいのだろう。運転手を含めて7人乗車可能なミニバン型個人タクシーの二列目シートに悠々と腰掛ける形である。
 所謂キャプテンシートと呼ばれるタイプのゆったりと腰掛けられる客座を二列目に有し、何ならオットマンを展開させて足を伸ばすこともできるおもてなし席に、鷹尚は申し訳なさそうにちょこんと座っていた。
 ウィンドウシェードで日光を遮り、独立式のエアコンによって車内気温だけでなく鷹尚の座る席周辺が適度に冷やされることによって、温度的な不快感は皆無だと言って良い。さらに言えば、三列目に誰も乗車させていないことで二列目のキャプテンシートを最大限車両後方まで移動させているらしく、それによって生まれる広大な足下スペースも微塵も窮屈さを感じさせることはない。
 もしこれが実家の自家用車だとかいうのならば羽を伸ばして寛ぐこともできたのだろうが、二列目隣のキャプテンシートに白黒篝を乗せ、四上宿へと向かう道中というのだからリラックスしろという方が無理がある。
 ドライバーは見るからに仕立ての良いスーツに身を包む白髪交じりの初老の穏やかそうな男性だ。こちらから声を掛けない限りは基本的に運転手側から話し掛けてこないスタイルらしく、鷹尚の乗車時に「本日、四上宿までのドライバーを勤めさせていただく佐藤です。宜しくお願いいたします」と名乗って会釈をして見せた以降は一言も言葉を発していない。
 一方で、二列目隣のキャプテンシートへと腰掛ける白黒篝は相変わらずだった。無口な佐藤に変わって「場を繋いでいます」とばかりに、ぺらぺらといつもの調子で口を切る。
「いやー、俺も吃驚よ。昨夜の件、話を上に持っていったらさ、すぐにでも鷹尚と面会したいって流れになってなー」
 白黒篝は昨日の今日で、さらに言えば余りにも急で特別な再会となった理由を「上司」の所為と述べた。
 確かに、白黒篝が行った今回の鷹尚へのアプローチは何らかの強制力が働いていないと説明が付かないようなものだ。
 放課後の時間帯を狙い個人タクシーを鷹尚の通う学校の校門近くに横付けて、帰宅途中の鷹尚に直接アプローチするというものだ。しかも、事前の説明は何もない。
 突然、白黒篝に声を掛けられた鷹尚が目を白黒させたのは言うまでもない。
 言ってしまえば、例の四上下館以外で白黒篝と会うこと自体、鷹尚に取って初めての経験だったぐらいだ。
 そして、白黒篝から「乗って乗って。説明は乗ってからするから」と急かされ、その勢いのまま何だか分からない内に個人タクシーへと乗車したことを、鷹尚自身反省していたぐらいだった。これが白黒篝を模した別の何かで「以室商会を狙った罠だったら」と考えるとぞっとしないわけである。
「ま、本来なら場所のセッティングとかも俺が考えないとならないところを上がパパッと動いてくれたんで、実際にはこうして鷹尚を迎えに行くぐらいのことしか手間は掛かってないんだけどさー。強いて言うなら、俺の仕事は事前に何の説明もできていない鷹尚を、要望された通りに所定の場所へと連れていくってことぐらい?」
 白黒篝の言葉に耳を傾けながら、それを意識半分で聞き流しながら窓の外の流れる景色を眺めていた鷹尚がふとあることに気付いた。
「あれ? この角で曲がるってことは、……目的地は四上下館じゃないのか」
 目的地が「四上宿」だということは鷹尚も聞いていたのだが、四上宿という単語で括られる広範囲な地域のどこに向かうかについてまで白黒篝は説明していなかった。そういう事情もあって鷹尚としてはいつも白黒篝と対面する四上下館に向かうのだと勝手に思い込んでいたのだが、どうやらその認識は間違いらしい。
 ぼそりと呟いた鷹尚の疑問に、白黒篝は申し訳なさそうに回答する。
「そういえば、まだ目的地を言ってなかったかー。今回鷹尚を案内するのは四上宿本町(しかみじゅくほんまち)にある旧・中坂邸(なかさかてい)って建物だなー。何でも、あちらとこちらの境の場所として管理されている場所だとか。鬼郷の住人が足を踏み入れても、最小限の塵しか伴わないよう対策が施されてるらしいぜー」
「へぇ、そんな場所があるのか。だったら、いつもの受渡しもそこでやればいいのにな。車で横付けできる場所にある建物なら、荷物の受渡しに関する制約も見直せる」
 白黒篝が軽く触れた旧・中坂邸の概要を聞いた限り、鷹尚がその感想に到るのも尤もだと思える。四上下館と四上宿本町とでは、公共交通機関を用いたアクセスの利便性が段違いなのだ。
 そこに際して「白黒篝側の鬼郷からのアクセスの利便性に差異が無いなら……」といった趣旨の発言を続けようとしたところで、鷹尚は思わずハッとなった格好だった。白黒篝が何の配慮も見せず「鬼郷」という単語を口にしたから素で聞き流したものの「佐藤の居る場でこの会話は問題ないのか?」と懸念を抱いたわけだ。
 そうして、鷹尚が思わず視線を向ける相手は、当然ドライバーである佐藤である。
 しかしながら、当の佐藤は動じる様子一つ見せることは無かった。純白の汚れ一つ無い手袋をはめ、それこそ何事も無かったかのようにゆったりとした動作でハンドル操作を行う。
 白黒篝が口にした内容をただの戯言か何かと理解したものか。
 白黒篝が口走った「あちらとこちら」だとか「鬼郷の住人」だとか言った単語を、都合良く現の世界の別の地域のものと解釈してくれたものか。
 それとも、そもそも「白黒篝」が何者なのかを心得ているものか。
 尤も、白黒篝が何者かを心得ているというパターンも十分考えられた。冥吏がこちらの世界で打合せ場所を用意したり、移動に際してタクシーを手配したりと言ったことをそれなりの頻度で行うというのであれば、以室商会のように「事情」を知っている人達が他に居ても何ら不思議ではない。
 もちろん、白黒篝がただただ迂闊なだけだったという可能性も十分考えられるのが厄介だった。
 そして、かといって、この狭い車内(自動車としては破格のスペース効率を確保しているミニバンタイプではあるが)で白黒篝に「運転手の佐藤が事情を知っているのか」を尋ねるわけにも行かない。車のタイプがタイプなだけあって静粛性自体はそこまで高くないものの、さすがにひそひそ話を運転席まで届かない声量でやりとりするのは無理がある。
 鷹尚は一人、ばつが悪いといった表情を滲ませると、白黒篝相手に向ける言葉を「気をつけよう」と思うのだった。
 そんな鷹尚の僅かな機微の変化を観光地の不規則な人の動きに気を配る佐藤が感じ取った風はなかったものの、二人が交わす旧・中坂邸の話題を聞いて何か思うところがあったようだ。それまで無言で運転に徹していた姿勢をさらりと一転させると、旧・中坂邸に関しての注釈を口にする。
「僭越ながら車を運転する側から一言言わせていただきますと、旧・中坂邸とは時間指定で自動車の交通が規制される区画の中にある建物です。例えば、今の時間帯だと区画内への乗り入れは公共交通機関であっても禁止されていますので、わたくしが案内させていただくのも本町にある観光案内所横の駐車場までになります。緊急車両であればまた話は変わってきますが、道も非常に狭い区画で行き交えませんから車のサイズの制限もあります。例えそれをクリアできたとしても、余程の早朝か、深夜の時間帯でも無ければ乗り入れはできないと思っていた方が間違いないと思いますよ」
「あ、そうなんですか。そんな場所なんですね」
 何の気なしに返した鷹尚の言葉には、どこか落胆の色が混ざった。口を噤んだ「四上下館に変わる荷の受渡し場所」としての実現性が、佐藤の説明によって薄れたことが原因だろう。継鷹が所有する軽トラを駆使すれば、将来的に一度の取引でより多くの荷の受渡しができると踏んだのだろうが、そう上手い具合にことは転がっていってくれない。
 そして、そうやって以室商会の利益絡みのことに思考が及んだことで、鷹尚はとある一つの嫌な現実を思い出したようでもあった。明らかに低いテンションで、白黒篝に旧・中坂邸へと到る道程が要する時間の確認をする。
「なぁ、その駐車場から旧・中坂邸まではどれくらいの距離があるんだ?」
「えー……と、実を言うとだなー、俺もまだ実際にその間を歩いたことがないんだなー、これが。なんで、どんくらい掛かるのかって言われても……」
 はっきりと明確な時間を答えられない白黒篝に変わって、鷹尚の疑問に答えたのは佐藤だった。
「観光案内所からならゆっくりしたペースで歩いても20分も掛かりませんよ。ただ、入り口が狭い路地の中の入り組んだ場所にあるので、初めて訪れるとなると、解り辛いは解り辛いかも知れませんね。迷わなければすんなり行ける場所なんですけどね。旧・中坂邸の建物自体は、大通りからでも目視可能ですよ」
「あ、そうなんですか。わざわざ、ありがとうございます」
 佐藤に対して感謝の言葉を口にしつつ、鷹尚の表情は冴えなかった。いや、若干青ざめていたといっても過言では無かったかも知れない。佐藤に対して向けた「感謝」も酷く表面的な感情の籠もらないものであったし、観光案内所から旧・中坂邸までの移動に掛かる時間を聞いたところでその表情は露骨に曇った形だ。
 もちろん、佐藤の対応に何かしらの問題があったわけではない。
 鷹尚はインストルメントパネルに備え付けられたデジタル式の時計に目をやると、またも露骨に眉間へと皺を寄せる。まさか、昨日の今日で「まずは話を聞く」場がこうして整えられるとは予想だにしていなかったのだ。
 実際のところ、鷹尚はまだ失踪事件に関して冥吏から話を聞くということに関して、継鷹に何も相談を持ち掛けていなかった。さらに言うのなら、昨日の今日という状況ではありながらそのチャンスが無かったわけでもなかった。
 四上下館で受け渡された荷物を以室商会本店へと持ち帰り、いつも通り「特に問題もなく恙無く受け渡しを終えた」と鷹尚自ら継鷹に報告する機会もあったのだからだ。さらに言えば、本店へと戻った後、そこからさらに自宅へと帰るには余りにも遅い時間だったこともあって、鷹尚はそのまま本店の客間に泊まった形でもある。何なら、朝起床して、祖父である継鷹と朝食のテーブルを囲っても居る。
 さすがにこれで話を切り出すタイミングが無かったとは言えない。
 では、どうして相談を持ち掛けなかったのかといえば、それはやはり「不安」だったからだ。
 鷹尚の目には、祖父であり以室商会を取り纏めている継鷹が積極的に業務を拡大する意志を持っているようには見えない。即ち、その「失踪事件に関して冥吏から話を聞く」という事態を、継鷹が快く思わない場面を懸念したわけだ。やもすると、明確に「駄目だ」と反対されるかも知れない。例え鷹尚が以室商会のことを思った上での行動だったとしても、継鷹が「駄目だ」という判断を下せばそれで立ち消えとなる。
 相談を持ち掛けるにしても、迂闊なことはできない。継鷹がそれを快く思わなかった場合でも「塵を散らす作業」の延長線上にある事件だと上手く説明し丸め込むことができるように下準備をして置きたいと考えたわけだった。
 そんな経緯で継鷹への相談を一日見送ったことが、こうして事前の相談なしで冥吏と対面する事態へと繋がっていた。そして、叶うのならば失踪事件について冥吏から話を聞く場へと赴く前に、一言継鷹に直接それを断っておきたいと鷹尚は考えたのだが、その時間は取れそうにないという事実を今まさに突き付けられていたところだった。
 登校前、継鷹に今日の予定を確認した時、鷹尚に対しては「やって貰わなければならないことは特にない」と言いながら、自身については「一つ厄介な案件があって、しばらくは遅くなる日が続く。今日の帰りは日を跨ぐ頃になる」と言っていたのだ。
 鷹尚の脳裏を一つの考えが過ぎる。
「手軽に携帯電話で一言メッセージや、メールでも送ったらどうだろうか」
 すると、すぐに「それは危険だ」と自問自答が返ってくる。
 説明を尽くすことが難しい簡易なやりとりでは、継鷹の認識が「それを快く思っていない」状態にあった場合、簡単に不許可へと振れてしまって、しかも後の挽回が不可能となる事態が容易に考えられる。
 そんな悪手を打つぐらいなら「相談なしで話を聞く場に臨む方がずっとマシだ」と鷹尚は判断したようだ。ズボンのポケットから取り出したスマホを、そのままポケットへと仕舞い直す。そうして、キャプテンシートのふかふかの背もたれに背を預けると、不意に「四上宿」の文字が記された大掛かりな看板が窓の外を流れる景色の中に映った。
 すると、街の通りの景色が一変し始めるまでに多くの時間は掛からなかった。農地と複数個の住宅が一塊となった集落が一定間隔で点在する、地方都市のさらにその中の寂れた片田舎という光景だったものが、がらりと雰囲気を変えていく。
 ここまで来てしまえば、四上宿本町にある観光案内所へと到着するまでにもう多くの時間は必要としない。道路の混雑がなく赤信号に停止させられることがなければ、それこそものの5分もあれば到着するだろう。
 そうなると、観光案内所から旧・中坂邸まで徒歩でこちらも最短20分。
 全てが最短でことが進んだ場合、四半刻から足が出る程度の時間で失踪事件の説明をしてくれる「冥吏」とのご対面となる形だ。


 四上宿本町。
 観光シーズンでもないし土日祝日というわけでもないのに、少ないながらも観光客の姿を宿内のあちらこちらに見付けることのできる彩座市きっての本物の観光地の一つだ。
 元々は街道沿いの古い宿場町の一つなのだが、江戸時代には日本海側に接する区画が北前船寄港地の一つとなったことで広範囲に渡って歴史を持つ古い建築物が点在するのが特徴だ。明治時代になると宿場町としては元より、寄港地としての彩座の重要性も大きく低下していったのだが、それでも四上宿本町内をぶらぶらと散策するだけで文明開化の影響を色濃く残したレンガ造りのモダンな建物なんかが目に付くぐらいだ。
 日本海側寄りの区画は北前船寄港地時代から文明開化時代の歴史ある建築物があり、山側寄りの区画にはそれよりも古い宿場町時代の歴史ある建築物が点在していて、独特の雰囲気を楽しむことができる場所として一定の人気を博しているらしい。
 ちなみに、四上下館は山側寄りの宿場町時代の雰囲気を色濃く残す区画である。そして、四上宿が北前船寄港地として栄えて行くと同時に、最も早く重要性を失い廃れていった区画でもある。
 時刻は、まだまだジリジリと太陽が照り付ける感の残る午後4時30分という頃合い。昨日・一昨日とは異なり、まだ夕闇の気配すら漂ってはいない時間帯だということもあって、四上宿本町の往来にもまだまだ数多く観光客の姿を窺うことができた。それでも、四上宿本町に門を構える有名な寺院や、本陣と言ったような観光施設はそろそろ最終入場時間に差し掛かる頃合いでもある。四上宿内に宿やホテルや確保しているのならばともかく、観光ツアーなどでまだまだこの後がある観光客はそろそろドカッと居なくなる頃合いだし、往来を行き来する観光客の数によってフレキシブルに営業時間の対応をしている土産物屋なんかもシャッターを閉め始める頃合いでもある。
 日本海側寄り・山側寄りの観光客の人出が減少を始めると、代わりに中間部に位置する区画が賑わいを見せ始めるのも四上宿本町の特徴だ。景観保護区の指定から外れた区画や、指定されるのがそもそも遅かった区画などで再開発が進み、地元客・観光客を相手にした飲み屋などの明かりが灯るのだ。一つところに留まらない出稼ぎ人向けの銭湯や短期滞在特化の古い旅館などもそっくりそのまま残っていて、中間部は中間部なりの見るべきところが残っているのも四上宿本町で特筆される特徴の一つだろう。
 その中間部の外れ、山側寄りの区画に観光案内所は隣接していた。
 鷹尚と白黒篝を乗せたミニバン型個人タクシーがその観光案内所横の駐車場までやってくると、そこには既にトラキチの姿が確認できた。元々、敷地面積が少ない青空駐車場の上、停車している車がポツンポツンとしか無いことですぐにトラキチを発見できた格好だ。
 ここはタクシーやバスと行った公共交通機関の乗降車時の一時的な駐車と、身体障害者マークを付けた自家用車の利用に限られており、少し離れた場所に観光客向けの市営駐車場がある仕組みなのだ。
 トラキチはその観光案内所横駐車場をぐるっと囲うフェンスに腰掛ける形で、見るからに何をするでもなく「手持ち無沙汰です」といわんばかりだった。
 運転手の佐藤が駐車スペースにミニバン型個人タクシーを停車させると、トラキチはすぐにそれが鷹尚を乗せた冥吏手配のものだと気付いたらしい。腰掛けていたフェンスから立ち上がると、両手を交差させて点に高く突き上げる格好で大きく伸びをしながらゆっくりと近付いてくる。
 対する白黒篝もミニバン型個人タクシーのスライドドアを開けて降車すると、近付いてくるトラキチに片手を挙げて応える。
「よ、トラキチ、昨日ぶりだなー」
「冥吏も、随分と急な呼び出しをしてくれるもんだな。ここまで短期間の内に、立て続けでこっちに来るなんて初めじゃないか?」
「おう、急な話し過ぎて俺も吃驚しているぐらいだぜー」
 トラキチの「急な」という認識を、白黒篝は全く否定しない。
 即ち、それは白黒篝に取っても想定外の速度で自体が進行したことを示唆していた。さらに言えば、この展開には白黒篝の意志が介在していないだろうことも察することができる。ミニバン型個人タクシーの中でぺらぺら語っていたことは、全て本当なのだろう。
 まずは「話を聞くだけ」という前提条件があったはずなのだが、この分だと白黒篝との口約束は何の役にも立たないかも知れないと、鷹尚が思った瞬間でもあった。
 鷹尚は白黒篝の背中へと疑義の視線を向けるものの、興味の対象を完全にトラキチへと移したこの場のセッティング主がそれに気付くこともない。
 白黒篝はここまで急な話になった経緯を軽い調子でこう説明する。
「何でも、一刻を争うって程ではないにせよ、鷹尚にその気があるのなら正式に募集を掛ける前に依頼先としてねじ込んでしまおうって腹らしいぜー」
 しかしながら、経緯の説明を受けた側のトラキチは露骨に眉を顰めた顔付きで、全く脈絡のない話題を返す。
「四上下館以外の場所に居る白黒篝は、なんていうか、変な感じだな。違和感が凄いっていうか、浮いているっていうか……。もうちょっと何とかならなかったのかっつーか。その、なんだ、悪いものでも食ったんか?」
「おいおいおいおい、トラキチ君。何か言い草がどんどん酷い感じになっていってないかー?」
 鷹尚自身もそう感じていながら敢えて触れていなかった部分に、トラキチは容赦なく踏み込んだ形だった。
 そうなのだ。白黒篝の出で立ちに対するトラキチの率直で辛辣な感想は、鷹尚自身もそう思いながら喉の奥へと押し込めたものだった。それは「違和感」という言葉で表されるものに留まらず、ただそこに居るだけでも悪目立ちすると言ってしまっても良いだろう。
 しかしながら、同時に鷹尚は白黒篝が思いの外、注目を集めなかったことに逆に吃驚したのも事実だった。心情的には、自分の下校を白黒篝が校門前で待っていた段階で不審者として通報されても何らおかしくはないぐらいの感覚だったのだが、結果としてそうはならなかった。
 四上下館以外の場所へと赴くというに当たって、白黒篝は第三者の視線を気にしてか、その出で立ちをラフな甚兵衛姿から見た目にも堅苦しい上下漆黒色のスーツ姿へと切り替えた形だ。尤も、格好だけを甚兵衛姿からスーツ姿に切り替えたところで、他の部分に手を入れないから余計に酷いことになったわけだった。
 そこに加わるものが髪の毛の色だ。どちらが地毛なのか解らない白と黒のメッシュで、さらにそこに褐色を混ぜる。耳朶のピアスも、腰元に携帯していたジャラジャラと音の鳴る用途の良く解らないオブジェクトの束もそのままだ。スーツの襟首から除くワイシャツは髪に混ざるものと同じ褐色で、そこに深紅のネクタイなんてものをビシッと締めるものだから良くも悪くもチンピラにしか見えないという具合だ。しかも、変に着崩すことなく、上から下までピシッと着熟していることが寧ろ逆に「生中なチンピラではないのだろう」という印象を与えるから尚更たちが悪い。
 それでもだ。それでも、白黒篝が通報されるようなことはなかったのだ。
 無論、見て見ぬ振りをされただけかも知れないが、まだ「見て見ぬ振りをしても大丈夫だろう」と思われるレベルに留まってくれていたとも言える。スクールゾーンに不審者がいれば、問答無用で国家権力がすっ飛んできて職務質問の一つや二つ投げかけても何らおかしくはない。
 これは、ここ彩座でも所謂「個性爆発タイプの人間」が増加傾向にあるということの現れでもあるのだろう。
 四上宿本町という場で言うのならば、髪の色・目の色から肌の色まで日本人と異なる外国人観光客もいる。四上宿本町内にあるいくつかの特徴的な建築物がアニメーション内で詳細に描画され舞台として使用されたとか何とかで、度々コスプレ写真の撮影会現場となっているというような事情も背景にはあっただろうか。
 ともあれ、トラキチはそうやって見過ごされてきたのであろう白黒篝の格好のおかしさに対してとうとう突っ込みを入れる。
「俺達もPTOとかいう「空気を読みましょうねー」って類いの人の感覚からずれるところが結構あるからあんまり他をどうこう言えるわけじゃねーけど、取りあえず、白黒篝の今の格好が四上宿の界隈を彷徨くのに向いてない格好だってのだけは自信を持って言えるぜ」
「まじかよ! 商談とかで現地視察するビジネスマンっぽく見えないのか? これでも、どこにでもあるビジネスシーンを演出できるような格好を選んだつもりだぜ?」
「はっはり言うぜ? どこかのチンピラがこれからカチコミに行くために格好だけをそれらしく整えた風にしか見えねぇよ。それでもビジネスマンだって言い張って押し通したいなら、パッと聞いただけじゃ何やってるのか分からない長ったらしくて得たいの知れない横文字の職業を名乗った方がいいな。アドバンスドストラテジカルクリエイティブアドバイザーとか名乗っときゃ「はぁ、そうなんですか? それっぽいですね」って言って貰えるかもな!」
 トラキチの手厳しい感想を聞いたところで、さすがの白黒篝もがくっと肩を落とした様子だった。いつもの白黒篝だったら「またまたー」とか「それはそれとして」とか宣いながらすぐに復活しそうなものなのだが、今回ばかりはそれなりに勉強をし気合いを入れた上での格好だったのかも知れない。
 何せ、鷹尚に対して「良い話」を持ち掛けて、それが実を結ぼうかという場でもあるわけだ。
 口から魂でも漏れ出し兼ねないほどに脱力し放心状態となった白黒篝の復活にはまだまだ時間を要しそうだった。
 そんな白黒篝の惨状を前にして、その引金を引いた側のトラキチはすっと手を翳して天を仰ぎ見る。白黒篝の余りの惨状から目を逸らしたという言い方もできたかも知れない。
「あー……、こんなところで立ち話するっていうのもなんだし、ボチボチ目的地に向かって出発しようぜ。それか、まだ目的地に足を向けるのには早い時間だって言うんなら、どこか日差しを遮れるところに行こう」
 太陽が完全に沈みきってしまえばすぐに涼しさが張り出してくるのだが、まだまだその場に佇んでいるだけでしっとりと肌が汗ばむだけの気温が周囲には漂っている。
 トラキチの提案によって日を遮るもののない青空平面駐車場から取りあえず移動しようという空気になったところで、佐藤がすっと落胆したままの白黒篝に近付いてきてこう耳打ちする。
「では、白黒篝様。お戻りの際は旧・中坂邸を出発する前に一言声を掛けて下さい。観光案内所横の駐車場まで車を移動させておきます。それか、四上宿に対する自動車の通行制限が解除される時間帯になるようでしたら、旧・中坂邸付近の車が入っていけるところまで迎えに上がらせていただきます」
「ああ! わざわざすいません。俺がしっかり指示しとかないとならないことなのに、何から何まで……。ありがとうございます」
 白黒篝は佐藤に対して頭を掻きながら申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。自身がそういったように、本来ならばそれは白黒篝が佐藤から申し出られる前に忘れず指示をしておかないとならないことだったのだろう。
 白黒篝はその耳打ちを受けて「お戻りの際」にやらなくてはならないことを復唱する。
「それじゃあ、旧・中坂邸を出る前に佐藤さんへ一言連絡入れればいいわけです……ね。分かりました。では後程、また宜しくお願いしますねー」
 そういって踵を返す白黒篝に、佐藤は軽く頭を下げる。
「それでは、行ってらっしゃいませ」
 その二人のやりとりに耳聡しく反応したのはトラキチだ。
 佐藤が離れたタイミングですすっと白黒篝へ近付くと、そのやりとりから連想された邪推を向ける。
「俺達に冥吏失踪事件の話をした後、まだ何処かに出掛ける用事でもあるのか? あぁ、もしかして晩酌用の日本酒でも買いに行く……とかか?」
「まさかまさか。四上宿本町に連れて来られるだけ連れて来られて、じゃあ後は現地解散で好きにしてなーって言われても困るだろー? 中四上(なかしかみ)提灯横丁で呑み直してから帰るなんてことがあるのなら傍迷惑かも知れないが、帰りの送り迎えがあって困ることはないだろー?」
 現の世界の酒に並々ならない拘りを見せる白黒篝だから、そんな邪推も強ち的を射ているかとも思われたのだが、さすがにそこまで分別付けない真似はできないようだ。あくまで「戻りの際」の話は、鷹尚・トラキチの二人を以室商会へと送り届けるためのものだといった。
「今ので、帰りの予約を入れたってことか?」
「ああ、いや、予約を入れたっていうか、そもそも個人タクシー自体は今日一日貸切にして貰ってるのさー」
 そこで一旦言葉を句切ると、白黒篝はふいっと屈んで鷹尚の耳元に口を寄せ「帰りの送り迎え」についてこうぶっちゃける。
「ここだけの話、この後どれぐらい時間を必要とするのか、俺にも皆目見当も付かんのよ。鷹尚に対してどんな話をするのかさえ事前に聞かされてないからなー。なので、佐藤さんには近場でスタンバって貰っておいて、こっちの案件が終わったら迎えに来て貰う手筈になってるわけさー」
 冥吏の至れり尽くせりのそんな対応に、鷹尚は思わず眉を顰める。
 これが普通の対応で無いことだろうぐらい、いくら経験に乏しい鷹尚だからって解らないわけがない。
 白黒篝が「現地解散は困るだろう?」みたいなことを口にしたものの、実際問題、四上宿本町はかなり便の良い場所である方だ。四上宿本町の外れには私鉄の駅もあるし、バスの最終便の時間も四上下館とは比べものにならない。
 それこそ、いつもの四上下館の方があらゆる点で不便で有り、現地集合・現地解散で「困る」場所だ。
 ここに来て鷹尚の脳裏を過ぎるものは「まずは話を聞くだけ」というのが本当に通用するかどうかという不安だった。白黒篝にその意図があるかどうかはともかく、少なくともその実際に失踪事件の説明に当たる「上」の冥吏に「ここまでしてやっているんだ」という意識がないとは言えない。
 一方の鷹尚も「ここまでして貰っているのだから……」という認識が頭を付いて回りそうになって、慌てて頭を左右に振った。
 鷹尚が冥吏の思惑に呑まれてしまわぬよう気合いを入れ直すその横で、一方の白黒篝は徐ろに四上宿と四上宿本町全体を俯瞰する折り畳み式の地図を取り出していた。
 どうやら、そのまま「先導するから、俺に付いてきて」とは行かないらしい。
「さてと、それでは佐治鷹尚御一行様、こちらでございます……とか宣いたいところなんだけれどもー。俺も四上宿本町側に来ることは滅多にないからさー、実はどっちがどっちなのか土地勘がさっぱり分からないっていうね。さっきも言ったけど、俺にしても急な話し過ぎて全く下準備ができてないんだなー、これが」
 白黒篝は旧・中坂邸までの道案内をスムーズな流れで対応できないことについてそんな言い訳を口にした。尤も、そこに焦りの色は無く、開き直りに近い「まぁ、しゃーない」といった感情が見て取れる。……とはいうものの、そこに余裕があるかというとそんなこともない。
 白黒篝は案内所脇の看板に記された周辺散策マップと手持ちの地図とを交互に見遣って大きく唸り始める。尺度が違うとか、表示している範囲が異なるとかで、位置関係の把握に四苦八苦しているようだ。
 すると、眉間に皺を寄せる白黒篝の手持ちの地図をトラキチがふいっと横から覗き込んだ。
「その旧・中坂邸というのは四上宿本町のどの辺りにあるんだ?」
 白黒篝はトラキチの問う「どの辺り」という曖昧さに対して、これでもかというほど答えに窮したらしい。小難しい顔をして押し黙ると、ただただ手にした地図をトラキチによく見えるよう広げて見せる。
 一方のトラキチは、上から下までさらりと地図を眺めただけで手早く旧・中坂邸の大凡の場所を把握したようだ。
「高札場よりかは観光案内所寄りの場所で、旅籠通りがある区画の奥まった隘路の中にあるっぽいな」
 トラキチのさらに横から白黒篝が持つ地図を鷹尚も覗いてみたのだが、そこには旧・中坂邸の正確な位置が記載されているわけでは無かった。地図の中には「旧・中坂邸」という名称の記載はなく、識別された一つの建造物として記されていなかった形だ。代わりに、大きなブロックで描かれた「旅籠の町並み」という中に、赤丸で別途追記されている。
 そして、トラキチが「奥まった隘路の中」といったようにその赤丸は通りに面しているのではなく、旅籠の町並みを示す大きなブロックの中程に追記されていた。
 トラキチが大体の位置関係をさくっと把握して見せたことで白黒篝はそれまでの小難しい顔付きを一転させ、いつもの軽い調子を取り戻す。
「お、この近辺はトラキチの庭だったりする感じかな? だったら、俺に代わってさくっと道先案内してくれよ。いいのか、土地勘のない俺に任せちまうと20分足らずで到着する筈の場所に、1時間掛かっても辿り着けないなんて事態になり兼ねないぜー?」
 送迎者が「それを言うのか?」と思わないでもないが、道先案内に対して迷わずに済ます自信がないというところは白黒篝の紛れもない本音だったろう。
 しかしながら、トラキチもトラキチで旧・中坂邸のある正確な位置関係までは分からないらしい。
「いや、居心地の良い場所じゃないから何か用事でもないと俺も特別近付かない区画だ。土地勘があるって言えるほど知っている場所じゃないぜ。そりゃあ、歩いたことがあるかないかで言えば、あるにはあるが……」
「十分十分。連れて行ってくれよ。さすがに近場まで行ってしまえば後は俺が案内できる筈……だと思う。なにせ、その旧・中坂邸から鷹尚を迎えに出たんだからなー。尤も、通りですぐに佐藤さんの個人タクシーに拾って貰ったんで、旧・中坂邸近隣以外の四上宿本町の地理についてはさっぱり分からんけどな」
 渋るトラキチだったものの白黒篝が「近くまででも良い」と粘ったことで、その要求を受け入れる。
「分かった。旧・中坂邸に近い旅籠通りまでは俺が案内してやる。白黒篝に任せて四上宿本町内を延々と迷い歩きたくはないからな」
「はは、済まねぇ。まぁ、……なんだ。実際問題としてー、じゃあ旅籠通りから旧・中坂邸までスムーズに行けるのかと言われると、多少そこから迷う可能性がないとも言えないわけだけどなー。げふんげふん」
 トラキチが要求を受け入れた次の瞬間、白黒篝の口からは聞き捨てならない台詞が漏れ出る。
 トラキチがその真意を確認するべく視線を白黒篝に向けるものの、その発言者もほぼ同じタイミングでふいっと視線を逸らた。わざとらしく咳払いをして白黒篝が「煙に巻きたい」感を演出してしまえば、トラキチの口からは「心底呆れた」と言わんばかりに溜息が口を突いてて出た。
 近くまででもいいと粘っておきながら、いざトラキチがそれを渋々受け入れたところで発言を覆す辺りは確信犯だったのだろう。尤も、自信がないことを開き直る白黒篝へと、この場で白い目を向けたところで事態が好転するわけじゃなし。
 トラキチが「近くまで」道案内をすることが最善策であることを変わりがない。
 そんな折り、げんなりした顔付きをするトラキチに鷹尚が素朴な疑問を向けた。
「四上宿本町にあるのに居心地の良い場所じゃないって、一体どんなところなんだ?」
 それが四上下館に対する評価ならば、感覚的にその「居心地悪さ」がどういうものか理解できる。しかしながら、四上宿本町をパッと眺め見た限り、あの手の雰囲気を持つ空間がこの区画内に存在するとは到底信じられなかったのだろう。
 尤も、鷹尚のその認識もあくまで、四上宿本町の表通りに面した場所を見聞きした上のものでしかない。
 そして、まさにその表通りではない場所で、その「居心地」を感じることができるのだとトラキチは説明する。
「四上下館ほどじゃないにしろ、古くて人の住んでいない木造の建物が所狭しと並んでいる場所だ。あっちと違って外観とかはきちんと手入れされてる様子だけど木造の高い塀が道の両脇を延々と塞いでる感じで、ついでに道が狭いこともあって窮屈感とか圧迫感が凄い場所だ。こういうとあれだが、間違って立ち入ると「あぁ、歓迎されていない」って感じる」
 不意に、それまで鷹尚・トラキチから顔を背けていた押し黙っていた白黒篝がその会話に横やりを入れてくる。話題が移り変わって、そろそろほとぼりが冷めたと判断したようだ。
「如何にも冥吏の管理する建物が存在していそうな場所だろー?」
 トラキチに取って、その指摘は目から鱗だったらしい。大きく目を見開くと「意図的にそうしている」とでも匂わせるような発言をした白黒篝に対し合点がいったといわんばかりだ。
 ともあれ、良くも悪くも先導役が決まってしまえば、後はトントン拍子にことは進む。
「ここから私鉄の駅方面に向かって歩いて行って、途中で右手に曲がって中四上の醸造所跡方面へと向かえば近いところまでは行けるな。そこから先は近くまで行ってから、もう一度確認した方が良いな」
 頼りない白黒篝に代わって、先導役を務めたのは当然トラキチだった。保守・点検のために月一ぐらいの頻度で四上宿にある以室商会の支店へと通っていることで、四上宿の地理にはそこそこ明るいのだ。
 トラキチの先導の元、四上宿本町を旧・中坂邸の方向へと進んでいくと四上宿が彩座でも観光の名所として人気がある理由を鷹尚は身をもって体感することとなった。
 それこそ、鷹尚に取っては地元ということもあり特段気にも掛けず、また足を向けるような場所でもなかった。それこそこんな機会でもなければ、四上宿本町をゆっくりと練り歩くなんて機会はなかったかも知れない。
 しかしながら、区画を変える度にタイムスリップをしているかのような感覚に襲われるという斬新な体験を前にして、鷹尚は四上宿という観光名所に対する認識を改めざるを得なかった。歴史に強い興味を持たない鷹尚でさえ、異国情緒が漂う風景の中を散策するのは刺激を感じるものだったのだ。
 私鉄の駅がある区画は異国情緒が漂う北前船寄港地時代の面影を強く残す。
 レンガ倉庫群やレトロ感を漂わせる西洋建築物、和洋折衷を織り交ぜた独特な風景。
 そして、そこから「旅籠通り」へと足を向けると江戸時代に栄えた宿場町時代の面影が強く残る町並みが延々と続く。
 四上下館の寂れた雰囲気とは異なり完全に観光地然とした雰囲気が漂う中を歩いていると、ふっとここに居る目的を見失いそうになって鷹尚は再び頭を左右に振って気合いを入れ直した。
 休日でもないというのに、四上宿には歴史ある建造物を見て回ろうとする観光客の姿があちらこちらに目に付いたのだが、旧・中坂邸への入り口を探すため「旅籠通り」で脇道に逸れて隘路に入ってからはそれもパタッと途切れる。
 トラキチが言ったように、隘路を奥へ奥へと進んでいくと両脇を木製の高い塀によって囲われるようになり、そこは確かに強い圧迫感・窮屈感といったものが漂う空間だった。そして同時に、確かにその場所こそが目的地の近隣区画だった。
「おお、ここだここだ。この狭い路地を左に入って行ったところに、旧・中坂邸への入り口があるぜー」
 ようやく見覚えのある路地に出会したらしく、白黒篝の足取りが急に軽快になる。
 見覚えのある路地にまで辿り着いてしまえば、白黒篝の先導で旧・中坂邸がへと辿り着くまでに多くの時間は必要としなかった。旅籠通りの区画に埋もれ隘路を右に左に……と進んでくと、先細った通りの奥まった部分に旧・中坂邸がその姿を現す。
 それは二階建ての擬洋風建築だった。
 レンガ造りの塀でぐるりと囲まれているが、建築物本体の外壁には漆喰が使用されており基調は白色であるようだ。至ってシンプルな造りで西洋建築物に見るような塔がいくつも付いた外観などではなく、屋根は全体に渡り日本瓦が敷かれている。玄関口にもアーチやコーナーストーン・列柱といった類いの装飾もなく、特徴と言える特徴は屋根の両脇と中央部に設けられた三角ペディメントだろう。
 その一方で、建物自体の大きさは相当であり、横に長い長方形の構造の中にはぱっと見いくつの部屋があるのか想像できない程だ。特に横長の方は、周囲の一般的に日本家屋が3〜4軒が軽く収まるほどである。
 一言で言い表すなら「モダンでシックな外見のシンプルな擬洋風建築」とするのが適当だろうか。
 そして、ぱっと見の外観だけから判断するのならば、到底人が住居として使用しているとは思えない状態だとも言えた。レンガ造りの塀にも外壁にも植物の蔦がこれでもかと伸び絡まっていて、旅籠通りにある日本家屋のように手入れされている感が全くないところが、その認識を後押しする要因だろうか。加えて言えば、中から漏れる明かりもない。
 それでもその擬洋風建築物が目的の場所だと言うのは、玄関前に立て掛けられた高さ1mサイズの看板から明らかだった。そこには癖のない奇麗な文字で「旧・中坂邸」「本日貸切」「歓迎・以室商会」と書かれていたからだ。
 看板は何度も書いたり消したり出来るタイプのもので色合いからいうとミニサイズの黒板に近い。看板の両脇には植木鉢が設置されていて、看板の半分程度のサイズの背の高さを持つ植物が赤白黄の奇麗な花をいくつも咲かせている。こういうとあれだが、小洒落たレストランやモダンな個人経営の喫茶店などの店先で良く見掛ける類いのあれだ。
 白黒篝は小走りで旧・中坂邸への玄関口へと近付くと、重厚な造りの木製の開き戸に手を掛ける。そうして、そのまま力任せに開き戸を開けようとしたところでハッと我に返った。
「おっと、このやり方じゃ駄目なんだった」
 そう呟いた白黒篝は旧・中坂邸の重々しい木製扉に右の掌を添える。すると、ぼそぼそと聞き取れない言葉、……いやそもそも言語として認識できない音を口から発し、何か重量のある物体を引き抜くかの如く鈍い動作で右手を引く。
 次の瞬間、旧・中坂邸の重々しい木製扉から青白く発行する複数個の、様々な形状をしたブロック群が姿を表した。
 続いて、白黒篝はそのブロック群へと手を翳し、それを自由自在に動かしいく。原理は解らないものの、白黒篝がぐぐっと引き出すように手を引けばブロックも引き出され、位置を変えて押し込むように手を動かせばブロックも押し込まれると言った具合である。
 不意に、白黒篝が鷹尚やトラキチにも理解できる言語で呟く。
「解錠完了」
 その一連の動作を持って白黒篝は「解錠した」と言うものの、見た目には何が代わったのかは皆目見当も付かない。
 確かにブロック群を動かしてはいたものの、ブロック群の全体像としては何か形状が変わったわけでもないのだ。いや、少なくとも鷹尚やトラキチの目には「変わっていないもの」として映っていたという言い方が正しいか。
 ともあれ、内部構造を変更させたと思しき一塊のブロック群を、白黒篝は再度重々しい木製扉に押し込むように右手を押し出した。青白く発光する一塊のブロック群は溶け込むかのように木製扉へと収まっていく。すると、後には何事も無かったかのように、何の変哲も無い旧・中坂邸の重々しい木製扉が残るだけだ。
 それでも、確かに何かが変わったのだろう。
 白黒篝が重厚な木製の開き戸を解放すると、内部からはゴォゥッと圧の強い重い風が抜けていく。
 外から旧・中坂邸を見る限りでは、内部に明かりが灯っている風には見えなかった。しかし、それは通りに面した部屋が消灯されていただけだったのかも知れない。旧・中坂邸の玄関は天井からポツンと吊された電球によって、きちんと薄暗さを感じないレベルの光量が確保されていた。
 旧・中坂邸の玄関は、外観同様に西洋建築物といった作りだった。
 鷹尚が手を高く天に向かって掲げ挙げて、何ならそこでジャンプをしても触れることの叶わないほどの高い天井。日本家屋のように靴を脱いだり履いたりするためのスペースはなく、そのまま長く続く廊下があるだけだ。内装は至ってシンプルだが白亜で統一されていて清潔感があり、壁の細かなひび割れなんかが年代を感じさせこそすれど草臥れた印象を受けない程度にはしっかりとした造りをしていた。
 それでいて、旧・中坂邸の玄関から漏れ出る空気は、明らかに毛色が違うと分かる。ひんやりと感じるほどの空気なのだが、エアコン等で冷やされた乾いた空気では無く、洞窟や土倉の中といった地形に見ることのできる自然な湿度を含んだ冷たさであるのだ。
 日陰に直立不動で居るだけでもまだまだじっとり肌が汗ばむぐらいの外気温だから、尚更それを強く感じるかも知れないと思うところは確かにある。しかしながら、それを差し引いてもはっきりと違いを感じられるというのは、旧・中坂邸の敷地内が境の場所だからという気がした。
 鷹尚がその敷地内外の差異によって驚いているのとは対照的に、トラキチは白黒篝のその一連の行為に対して感嘆の声を上げた。
「玄関口の、それもこの扉の部分だけ空間の継ぎ目を切り替えているのか? 随分と手の込んだ仕掛けだな」
「まぁなぁ、腐っても冥吏の管理下にある建物だからな。望ましくないものに容易く侵入されるわけにはいかないっつーわけさー。もちろん、逆も然りだけどなー」
 大凡、何が行われたのかを理解しているっぽいトラキチに対して、一方の鷹尚は怪訝な顔付きを隠さない。
「……?」
 そうやって怪訝な顔付きをして中坂邸の玄関をマジマジと見遣る鷹尚の耳元に、白黒篝が口を寄せる。
「この門からでないと、そしてこの開け方でないと、本当の意味での旧・中坂邸内部には進入できないようになっているのさー。例えば、その辺の窓ガラスを破壊して中に侵入しても、そこは旧・中坂邸の形を完全に複写しただけの空間で現と鬼郷の「境の場所」となっている階層には辿り着けないようになっているって塩梅さー」
 ポンと鷹尚の肩に手を置くと、白黒篝は鷹尚の横をするりと抜けて旧・中坂邸の玄関口へと先に足を踏み入れる。そうして、そこでくるりと踵を返して鷹尚側へと向き直ってみせると、白黒篝は深々とお辞儀をして見せる。
「さて、それでは以室商会・佐治鷹尚様。こちらへどうぞ」
 慣れない「様」なんて敬称を口にする白黒篝は、いつもの軽い調子を打ち消し覆い隠すべくそうしたのだろう。
 空気が変わったのを肌で感じ、不意に張り出してきた緊張感からか鷹尚はゴクンと唾を呑む。尤も、鷹尚が針で刺すかのような緊張感を言うほどヒシヒシと感じ取っていたかというとそうでもない。
 そこはやはり、白黒篝の「所為」が大きい。
 いくら「らしくない」雰囲気を今になって醸し出して見せたところで、四上宿本町に置いて白黒篝は八割方「送迎者」としての役目を果たせていないのだ。さらに言えば、キリッとした顔と紳士的な雰囲気を醸してお辞儀をしておきながら、腰元に携帯する用途の良く解らないオブジェクトの束は、相も変わらずジャラジャラと音を立てて場を台無しにしてくれもする。
 そんな不相応な立ち居振る舞いを見せられて、鷹尚波思わず吹き出してしまった。
 一方の白黒篝はばつが悪そうな表情を滲ませていう。
「そりゃあ、まぁ、今更こんなことして見せたってやっぱり様にはならんよなぁ」




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