彩座四上で結晶化した塵を処理した翌日のこと。
鷹尚はトラキチを引き連れ、再び彩座四上に居た。さらに言えば、場所も再び件の四上下館である。
尤も、四上下館を再訪した理由は超短期間で塵の結晶化が再度発生しただとか、検証のために日を改めたというわけではない。先日とは異なって今回二人が四上下館へと赴いた理由は、以室商会としての仕事のためだ。
もちろん、鷹尚が受けている「塵を散らす」という作業も「以室商会としての仕事」と見做すことができるため、厳密に言えばその言い方は正しくなかったかも知れない。祖父でもあり以室商会当主でもある継鷹の了解の元で「塵を散らす」という作業を担っているというのも紛れもない事実だったからだ。
それでも「塵を散らす」という作業が鷹尚個人にその全行程を委任する形が取られている以上、以室商会が行う本来のビジネスに直接影響を及ぼさない「サブビジネス」みたいな扱いとするのが適当だったろう。従って、ここでは「塵を散らす」という作業について以室商会が取り扱うビジネスとは分けて考えるものとすることを記しておく。
ともあれ、そういう経緯であったためか、鷹尚にしろトラキチにしろ先日の時のような差し迫った緊張感を伴っては居なかった。
時刻は午後7時を回ろうかという頃合い。まさに黄昏時の時間帯であり、先日同様の薄暗がりが辺り一帯に横たわらんとする光景へと今まさに移り変わろうかという状態だった。
二人は廃屋然とした建物が軒を並べる通りへと続く坂の下に設置されたバス停留所に居た。背もたれもない吹き曝しのベンチに腰掛ける格好で、そして、取り立てて何をするわけでも無かった。さらに言うのならば「バス停留所のベンチに腰掛けている」とは言っても、どうやらそこでバスを待っているというわけでもないらしい。何せ、バスストップに掲げられた運行表では、バスの運行時刻は午後4:45分を持って既に終わっているからだ。
即ち、この停留所にいくら留まっていても、この運行表が正しい限り今夜バスが到着することはないわけだ。にも関わらず、鷹尚にしろトラキチにしろ、ベンチへと腰掛けたまま何をするでもないところを見るにそこでバス以外の何かを待っているのだろう。
昨夜同様、鷹尚は上下ともに学生服姿である。本日も、学校帰りにこの場所へと赴いているようだ。
一方のトラキチにしても昨日の2Pカラーかと見紛わんばかりの着こなしだ。パーカーは柄と色こそ違えど、ハーフズボンに到っては色も含めて寸分違わぬ既製品である。服装に対して、拘りらしい拘りを持っていないのかも知れない。それこそ、ゴテゴテした余計な付随物がなく動き易ければ何でも良いぐらいのスタンスなのだろう。
ともあれ、鷹尚は学生服のズボンのベルトを通して腰に巻いたポシェットから、徐ろにスマホを取り出す。そうして、手慣れた動作でロックを解除すると画面に表示される現在時刻をマジマジと見た後、溜息と共に脱力した。しばらく、何をするでも無くスマホの現在時刻表示を眺めていた鷹尚だったが、特に意味もなく過去の閲覧履歴から自動で受信してくるオススメニュースのザッピングへと移行する。手持ち無沙汰からだろう。
その一方で隣に座るトラキチはといえば、こちらは既に鷹尚以上のだらけモードだった。いいや、だらけモードどころか、腕組をした状態で背中を丸めて器用にバランスを取りながら、その場で仮眠を取っている真っ最中という具合である。
そんな中、ゆらゆらと左右に不安定に揺れていたトラキチが不意にバランスを崩す。睡眠の深度が一定レベルを越えてしまって、一時的にバランス感覚を喪失したのだろう。それでも、転倒する前にバッと勢いよく持ち直し事なきを得るところはさすがである。
「うあ!」
頓狂なトラキチの声が虫の声だけに支配された夕焼けの山中に響き渡る。
一際大きくトラキチの声は山中に木霊したのだが、取り立てて鷹尚は驚いた様子一つ見せることはない。いずれ、そんな風にトラキチがバランスを崩して、急速な覚醒を強いられる筈だと思っていたのだろう。
「おはよう、トラキチ」
トラキチはまだゆらゆらと左右に不安定に揺れながらではあったものの、そのまま睡眠を続けるつもりはないようだ。如何にも寝起きで呂律が回らないという具合ながら、覚醒の挨拶を鷹尚へと返す。
「あー……、おはよう。俺、どれくらいウトウトしてた?」
「ちょうど30分くらいだな」
「もっと長い時間、ウトウトしていた気がするが……、んー、そんなもんか」
まだ完全には覚醒しきっていないのだろう。トラキチは大きな欠伸を一つ噛み殺しながらも、まだ瞼が重いと言わんばかりに目を瞑ったままだった。下手をすると、再度そのまま急速先行しそうな勢いすらある。習性的な面で言うと覚醒レベルを含めてトラキチが絶好調と化すのはまだまだ後の遅い時間帯なのかも知れない。尤も、薄明薄暮性という見方をすると、今がまさに「薄暮」に当たり絶好調であって然るべき時間帯なのだが、化け猫にも習性をも上回る個性があるのだろう。
ともあれ、未だ眠気の片鱗に襲われるトラキチに向け、鷹尚はこう提案する。
「何か飲むか? いや、今すぐは飲まないにせよ、どうせ後で何か飲みたくなるだろ?」
そういうが早いか、鷹尚はトラキチの返事を待たずスマホを脇に置くとすっくとベンチから立ち上がる。腰に巻いたポシェットから取り出すものは、ポリエステル製の二つ折り財布だ。
しかしながら、二人の居るベンチを起点に周囲をぐるりと見渡してみても、徒歩でアクセス可能な範囲にコンビニなんて便利なものが存在しているようには見えない。道路を挟んだ向かい側には数件の土産物屋があるものの、こちらも既に全店シャッターを降ろしており営業時間は終了しているようだ。
そんな状況にあって、夕焼けに負けじと人工の灯りを煌々と照らし、且つ静かに機械の作動音を響かせるものがある。
自動販売機だ。
最新のラインナップには程遠いし如何にも「時代に取り残されています」という風貌で、側面に生じた錆の度合いが無残なことにはなっているものの、土産物屋の軒下に二つ隣接して設置された自動販売機は絶賛稼働中だった。
幾ら閑古鳥が鳴いているとは言え、この場所も彩座の観光地の一つということだろう。
トラキチは目を細めてそんな自動販売機のラインナップを確認しているようだったが、ベンチに座ったままではそこに何が並んでいるかまでは把握できなかったらしい。大きな欠伸を噛み殺しつつ、結局曖昧な注文を口にする。
「甘さ控えめのスポーツドリンクがいいな。それが駄目なら、何か苦くなくて甘くない奴。ああ、でもいつも通り抹茶系の奴は勘弁」
「オーケー。ちょっと待ってろ」
トラキチの要望を確認すると、鷹尚はそのまま道路を横断して真向かいにある土産物屋へと足を向ける。簡単に左右を確認すると、早足でささっと道路を横断した。
二人がベンチに腰掛けてからこっち自動車一台は疎か、人一人行き交っていないにも関わらず、足早になる辺りは鷹尚の性格が色濃く滲んだ場面だったろうか。もちろん、いくら交通量がないとはいえ、本来であれば横断歩道を利用して道路を渡るのが適当なのは言うまでも無い。しかしながら、四上下館という彩座の観光地と、そこに隣接する土産物屋との間にある道路だと言うのに、そこには信号機は愚か横断歩道すらなかった。如何にこの四上下館という場所が、観光地として力を入れて整備されていないかが解る好例だろう。
自動販売機のラインナップには、トラキチの要望であるスポーツドリンクも並んでいた。一昔前よりも熱中症対策やらなんやらが叫ばれる昨今、水分補給に重点を置いたスポーツドリンクがラインナップにない方が珍しいという見方もできるわけだが、如何せん、当の自動販売機は電子マネー未対応・昔ながらの現金オンリーの代物なのだ。商品の補充に合わせて定期点検こそ為されているだろうが、ガワは10年選手レベルの年代物であってもおかしくはない。
鷹尚はコイン投入口に硬貨を入れると、スポーツドリンクの500mlペットボトルのボタンを二回押す。
ガコン、ガコンと500mlペットボトルが取出し口に落下する異質な音が虫の鳴き声がけたたましく響き渡る中に割って入る。そうして、取出し口から500mlペットボトルを手に取ろうと鷹尚が屈んだところで、ちょうど夕焼けの時間の終わりが来た。真っ赤に焼けた夕焼けが山の稜線へと完全に吸い込まれて行って、そこを境として辺りがすぅっと薄暗さの度合いを格段に高めたのだ。
間隔が広く空いた薄暗い街灯が、四上下館という一隅の中で俄に存在感を強めたその矢先のこと。
黒く長い人の形をした影が二人に向かってずいっと伸びた。
四上下館のバス停留所前から山の麓へと続く上り坂には「通行止め」を示す赤と黄色のフェンスが設置されており、自動車による進入ができないようにされているのだが、それはそのフェンスの向こう側からゆっくりと道路を下ってやってきた格好だ。
鷹尚がゴクリと息を呑む。
辺りを漂う空気の中に、俄に異質なものが混ざる感覚。「こうだ」と言葉にしてしまうことのできない何とも気持ちの悪い感触ながら、確かに混ざったのだと解ってしまうから尚悪いのだろう。
尤も、鷹尚達に取って、その変化は待ち侘びていたものでもあったようだ。トラキチは「待ってました」といわんばかりに身構えるし、鷹尚にしてもそんな周囲の変化を前にして体を強張らせるもののそこから逃げるという体勢ではない。
鷹尚は見極めようとしているのだろう。
何がゆっくりと道路を下ってきたのか、だ。
鷹尚達がこの四上下館のバス停留所前に留まる理由が坂を下って来たのならば、良し。もし、そうでないならば……、見て見ぬ振りをしてやり過ごすのだろうか。もちろん、それは坂を下ってやって来るものが何であるかによって対応を変えるのだろう。
鷹尚はその全容を把握するべく目を細める。しかしながら、赤い夕焼けが山陰に隠れたことと、目映い人工的な光を放つ自動販売機から薄暗がりへと目を向けて間もなかったことで暗順応が追いつかない。
そうこうしている内に、それは街灯の明かりに照らし出される範囲内まで歩み出てきて、いとも容易くその全貌を明らかにする。
それは、確かに人間の形をして、普通の人間と見紛う格好を身に纏っていた。
どこぞの夏祭り会場から、その足でやってきましたと言わんばかりの格好。紺一色の甚兵衛に、和風の突掛草履を履いたひょろりと細長く背の高い男だった。ただ、シンプルな装いで統一されているかと言うとそんなこともない。腰元にはジャラジャラと音の鳴る用途の良く解らないオブジェクトの束を携帯しているし、右耳にもシンプルな銀のピアスというアクセントがある。そして、何よりも目を引くものが髪の色だろう。どちらが地毛なのか解らない白と黒のメッシュの中に、さらにそこに褐色を混ぜる。
目を引くという点では、背負う特大サイズのバックパックもそうだろう。しかも、汚れやほつれがあちらこちらに見受けれられる年代物の上、特大サイズにも拘らずパンパンに中身が詰め込まれているのだ。
何も知らない第三者がその光景を都合良く解釈するならば、近所で地元の祭りがあり、そこに出店していた若くてチャラい商売人が商売道具を詰めたリュックを背に坂を下ってきたところに偶然遭遇した、……とでもなるだろうか。
遠目に見てもトラキチよりも頭一つ背は高いだろう。しかしながら、ひょろっとした細身の肉付きだからだろうか。大柄の印象はない。
男は能面のような顔つきをしてこの場に現れたのだが、バス停留所のベンチに二人の姿を確認すると片手を上げて自身の存在をアピールし、にかっと笑う。
「やー、待たせたね。悪い悪い。ちょっと身内の不手際で、バタバタしていてさー」
「遅刻だぜ、白黒篝(しろくろかがり)?」
鷹尚の第一声は、軽い調子で遅刻の理由を口にする甚兵衛姿の男・白黒篝を一喝するものだった。
尤も、鷹尚の非難の態度など何のその。白黒篝はそれを軽く受け流す。
「やー、ホントすまねー。受渡しの荷物にはきちんと色付けるんで、勘弁勘弁」
胸元で両手を合わせ「お願い」と言わんばかりの態度を取って、白黒篝はまじまじと鷹尚の顔を見返した。
一方の鷹尚の表情には、色濃く呆れが混ざった。尤も、そこに続く言葉からは非難が大きく削ぎ落ちたのも事実で「色を付ける」といった部分が有効的に働いたのも間違いないだろう。
「色……ねぇ。一体、何を付けてくれるっていうんだ?」
「ああ、鷹尚の喜びそうなものをばっちり付けとくよ。いつもの、よく眠れる冥吏秘伝の秘薬でどうだい?」
「何かというと「毎回」それを持ち出すよな……」
それは白黒篝の責で何か鷹尚に些細な迷惑を掛けた場合のお決まりのやりとりなのだろう。さらに言えば、それは既に片手で指折り数えられる程度の回数ではないのだろう。そうでなければ、鷹尚が「毎回」という単語を強調することなどなかった筈だ。
しかしながら、そのお決まりのやりとりをしてきた回数に対して苦言を呈する鷹尚に対して、白黒篝が気に掛けた点は斜め上の「色」の内容に関してだった。
「もし、これ以外で鷹尚がご機嫌になれる物があるのなら、それとなーく俺に伝えるのが得策かな。駄目だよー、仮に以心伝心があるのだとしても、言葉に出すべきことは言葉に出すべきなんだよ。誰かに対する要求だとか希望だとかいうものは特にそうだ。汲み取ってくれ、汲み取って欲しい……じゃ、駄目なのさ。言葉にすることに価値があるんだ。そうすることで始めて、相手ときちんと心を通い合わせることができる」
しかも、当初は色に対して触れておきながら、その後半部分は意思疎通の重要性を説く何だか良く解らない展開となる。もちろん、そんな主張を向けられた側の鷹尚は当惑を隠さない。
「いきなり、……随分と小難しい話になったな」
「いやいや、これこそ真理だよ。意思疎通の綻びは、後々致命的な問題を引き起こし兼ねないさー」
白黒篝は片目を閉じるウィンクの真似をして、改めて要求を口に出して伝えることが「大切」なのだと鷹尚を諭した。
鷹尚と白黒篝とのそんなやりとりは、見ての通り事務的な態度から成る形式張ったものには留まらないのが実情だった。そのやり取りは、仲の良い学生同士が道端で何気なく他愛のない雑談を交わす雰囲気にも似ている。
もちろん、そんな融和な雰囲気が醸成されているのには、鷹尚が荷の受け渡し役を請け負ってからこっち、ずっと同じこの白黒篝という下級冥吏が担当としているという背景があっただろう。そして、さらに言うなら、この白黒篝の性格的な面も多分にあった筈だ。見ての通り、良くも悪くもちゃらんぽらんながら雑談を好み人当たりが柔らかい。
「で、だ。俺が個人的に頼んで置いたものはきちんと手に入れてきてくれたかい?」
急にそわそわし出す白黒篝を前にして、鷹尚はベンチの裏に置いたコットン製の手提げバックを取り出す。それは無地に簡素な字体で「上代(かみしろ)」の文字が記された、カミシロマーケットにて購入可能な安価なエコバックである。
ずっしりと重さで撓んだそのエコバックを、白黒篝は「待ってました」と言わんばかりの表情で眺めた。
エコバックから鷹尚が取り出すものは、何の変哲も無いただの一升瓶だ。文字だけの質素なラベルには「室穂錦(むろほにしき) 純米」と記載があるため、その中身は日本酒だろう。
鷹尚は一升瓶を白黒篝に向けてずいっと差し出すと、要望通りのものを入手して来た旨をつらつらと説明する。
「地元の米と水とを使った純米酒……が要望の品だったよな? 米は南霞咲(みなみかすみざき)の田園地帯で栽培された五百万石(ごひゃくまんごく)、水は奥室穂(おくむろほ)山系の湧水で、使用酵母は未公開だけど上代醸造が作った地産地消の純米酒だ」
そこで一旦言葉を区切ると、鷹尚は腰に巻いたポシェットから手帳を取り出して付箋の貼ったページを手早く開き純米酒「室穂錦」の詳細に触れる。
「え……と、精米歩合が65%、日本酒度が+5、酸度が1.4で、アルコール度数が15%。で、謳い文句は「余計な味を足さないと評判の奥室穂山系の軟水を用いて、程よい酸味がバランス良く溶け合った飲み口の爽やかな純米酒を作りました。雑味のない酸味と辛さで引き締まった辛口純米酒をぜひご堪能下さい」だってさ」
その情報によって予測される味覚や意味といったものを、説明を口にする当の鷹尚は理解できていないようだ。もちろん、鷹尚の年齢を鑑みるにそれは当然であって然るべきなのだが、その説明口調は嗜好品たるアルコールが如何なるものなのかを飾り立てた言葉を紡ぐものとして余りにも抑揚のない薄っぺらなものに終始した。
それでも、対する白黒篝は露骨にテンションを上げてくる。
「純米辛口! パーフェクト! ……と言いたいところだが、酒米はもっと吟醸向けのがいいなぁ。まぁ、そこは次の楽しみに取っておくとするさな。あぁ、待ちきれねぇ。涎が止めどなく湧いて出て来るぜぇ」
にやけた白黒篝の表情を前にして、鷹尚は再び呆れの混ざった何とも言えない顔をする。そこにはアルコールに対する白黒篝のスタンスに正直「引く」面すら見え隠れする。
「なぁ、そんなにいいものなのか、日本酒?」
そんな鷹尚の様子を知ってか知らずか、白黒篝は受け取った一升瓶に頬摺りするとハイテンションのまま御高説を垂れる。
「こっちじゃ偽物しか手に入らないからなー。やっぱり全然違うのよ、そっちの本物はさ!」
自身の胸元に利き手を置いてゆっくりと腹部を撫で回しながら続ける白黒篝の言い分はこうだ。
「肉に浸透していって、まさに「五臓六腑まで染み渡る」っていうのかな。偽物は、所詮偽物さー。似通った感覚を味わせてくれるだけで、旨味もへったくれもあったもんじゃない。何もかもが薄っぺらいのさ」
そんな渾身のご高説を前にしても、鷹尚は「理解できない」という困惑の顔つきだった。いいや、正直げんなりした様子を隠そうともしていなかったので、尚悪かったかも知れない。
純米酒「室穂錦」の謳い文句の時同様、高校生である鷹尚の反応としてそれはある意味当然といえば当然だったのだが、そこは白黒篝としても納得の行かない反応だったらしい。そして、どうにかしてでも「伝えたい感覚」で熱い思いだったのだろう。
白黒篝は続ける言葉でこう提案する。
「そうさな。鷹尚がこちらに来る時に前以て一言連絡くれれば、こっちの紛い物を振る舞ってやるさー。表面だけ真似すりゃいいってもんじゃないのを身を以て味わえるぜ」
こちらとは、黄泉路を通して足を踏み入れる鬼郷のことを指したものだろう。死者の魂が輪廻転生を前に現世での思い残しややり残したことを、片付けたり忘れ去ったりするための場所でもある。
その言い分だけを聞くと、鷹尚が不慮の事故か何かで命を落とした際に鬼郷の然るべき場所で「偽物を振る舞ってやる」といったように聞こえるものの、白黒篝の意図はちょっと違う。その意図するところは「以室商会が取引のために鬼郷を訪れた時にでも……」とするのが正しい。白黒篝と言った下級冥吏が黄泉路を通って現世を訪れることもあれば、頻度こそ少ないものの以室商会側が取引のために黄泉路を通って鬼郷へと足を踏み入れる場合もあるのだ。
ともあれ、例え偽物ではあっても「酒を振る舞う」と言われた側の鷹尚の反応は、当然の如く当惑一色となる。
「……あのさ。知っての通り、俺はまだまだ未成年でお酒が呑めるような年齢じゃないよ」
「ははー、なに、所詮は偽物。本物のアルコールじゃないんだ。そっちの年齢制限を律儀に守る必要なんかないさー」
余りにもテンションが昂り過ぎたことで、白黒篝は十分に頭が回っていないのかも知れない。思考自体は鷹尚の年齢にこそ及びつつも、それが何を意味するのかについてまでは及んでいない。
だから、噛み合わない言葉を口にする白黒篝に対して、鷹尚は溜息交じりに吐き出していた。
「だから「偽物だから年齢制限なんて関係ない」とかいう以前の話で、そもそもこっちの本物の味を知らないっつーの」
「おお、そう言われりゃそれもそうか。本物を味わってないんじゃ、偽物がどんなにレベルの低い代物か判別つかねぇよなー。まぁ、祝いの場とかで、しれっと味わってみちゃったらいいんじゃない……ってな話の気もするけど、さ」
ルールの逸脱がある程度例外的に認められる場で、非合法的に味わうのも手としては有りの筈。
白黒篝としては、それが本物を半ばどさくさ的に味わう一つの方法だと指し示した形だろうか。いいや、寧ろその言い方は、そういう場で積極的に「飲んでみたまえよ」と、鷹尚を唆す類いのものだっただろう。
そういう場であるのならば「誰も咎めはしない」と言ったものか。それとも、咎めるような人達の目を盗んで「味わってみれば良い」と言ったものかはさておき、鷹尚さえその気になればいくらでもその機会はあると言いたいわけだ。
ひょいっと小首を傾げて見せて白黒篝はその仕草で「どうだい?」と同意を求めるも、当の鷹尚は沈黙を持ってそんな悪魔の囁きには賛同できない旨を示した。
そんな鷹尚の反応というものも、白黒篝に取って想定内のものだったのだろう。拒否の意思を示す鷹尚を、実に「らしい」といって苦笑する。
「誰が咎めるでもないルールに自ら縛られるのかい、真面目だねぇ。まぁ、その真面目さが鷹尚の良さではあるんだろうけれど」
白黒篝は両手を合わせてパンッと音を鳴らすと、そこですぱっと話題を切り替える。
「さて、そんじゃあ、以室商会に頼まれていた品物の引き渡しと行こうか」
背負ったリュックをベンチの脇へと降ろすと、白黒篝は鷹尚に中身のチェックを促す。
「以室商会宛ての荷でチェック漏れなんてことをやらかすとはそうそう思えないが、……こればっかりは申し訳ないことに間違いが無いなんて言い切れるような体勢を整えられてはいないからねぇ。そんでもって当初の取り決め通り、一度受け渡しが完了したら、抜け漏れを後から指摘するのはなしってことで頼むぜ」
散々、話が本筋から逸れた形ではあったが、ここに来てようやく本来の以室商会としての鷹尚の業務が始まる。
今夜、鷹尚が担う仕事は鬼郷の世界の物品を受領するというものである。場合によっては鷹尚が個人的に頼まれた日本酒を渡したように、現世の世界の物品をこちら側で冥吏へと受け渡す場合もある。地味な仕事ではあるものの、滞りなく実行できたかどうかが、直接以室商会の行う本来のビジネスに影響を及ぼす案件だ。
尤も、そうは言っても「塵を散らす」という作業が、この「荷の受渡し」という作業と何ら関係がないかというとそう言い切ることもできない。なぜならば、鷹尚が運び屋として荷の受渡しをする相手が「塵を散らす」作業の依頼者たる冥吏であるからだ。さらに付け加えるならば、ビジネス相手の冥吏を迎え入れること自体がその「塵」そのものをこちら側にばらまくことを意味する。
月の満ち欠けと、とある条件下で大きく蛇行を始める龍脈との関係性の中で、彩座市の一部地域が黄泉路と交錯する夜、以室商会は冥吏とビジネスを行っている。
以室商会はあちらの世界の植物に由来する薬品や、あちらの世界でしか析出しない物質などを冥吏を通して入手するのだ。その一方で、冥吏は対価として現の世界の様々な品物を要求する形だ。尤も、冥吏は品物の代わりとしてあちらの世界に起因する事象で有りながら、現の世界に影響を及ぼす厄介事の解決を求めたりもする。
そう「塵を散らす」という作業が、まさにその代表格の一つなのだ。
そして、誰かが意図的にそうするでもなく自然発生的に黄泉路と交錯する彩座という特異な土地に置いては、塵を散らすという作業は必ず誰かが担わなければならない仕事であるわけだった。
あちらの世界の物品がパンパンに詰まった大型リュックサックのチャックを開けると、鷹尚はすぐに中身のチェックを始める。手帳に付箋を貼ったページを捲り、そこに書き留めた今回の注文内容と中身を照らし合わせながらの作業である。
せっせとチェック作業を行う鷹尚に話を振って邪魔をするわけにも行かないと思っているのだろう。白黒篝は手持ち無沙汰と言わんばかりに夜空を仰ぎ見る。……と思えば、すっと手を上げるジェスチャーを合間に挟み、トラキチへと声を向けた。
「トラキチも何ら変わりなさそうで何より」
それまで黙って鷹尚と白黒篝のやりとりをただ眺めていたトラキチだったが、そう話を振られてしまっては対応しないわけにも行かない。一瞬、露骨に「ああ、とうとう来たか」と言わんばかりに顔を顰める表情を垣間見せると、白黒篝へと対する。
「前の受け渡しの時から1月そこらだぜ? どうなるもんでもないだろ?」
「おいおい、男子3日会わざれば刮目して相手を見よ……とか何とかいう諺も世の中にはあるぐらいだぜー? 1ヶ月、ざっと10倍? それだけ時間も空けば何事かあってもおかしくはないぜー。お互い、刮目して相手を見るべきだね」
そんな白黒篝の言葉に、トラキチは溜息混じりに答える。
「お互い、もう男子って年でもねぇだろ?」
「はは、それもそうかー。酒をかっ喰らうようにまでなっておきながら「男子」なんて立場じゃいられねぇか」
トラキチの指摘に返す言葉もないようで、白黒篝はからからと笑った。そうして、一頻り笑った後、ふと今思い出したといわんばかりにこう続ける。
「そっか、でもそっちの時間じゃ1月足らず、か。まー、確かにそんなもんか。あー、でも、そうか、そっちの時間じゃ1月足らずの間に立て続けに……ってことになるわけか。そいつは確かに良くない。早急に何とかしなけりゃならないなんて報告書も上がってくるわけだー」
話したくて堪らないと言わんばかりのソワソワした態度を見せる白黒篝を前にして、トラキチはそれを華麗にスルーする。そんな話したがりの態度というものも、ここに来て突然表出してきたものというわけでもないようだ。トラキチの「またかよ」といった呆れ混じりの表情がそれを物語る。
「そっか、大変そうだな。まぁ、頑張れよ」
「おいおい、冷たいな! そこは「どうしたんだよ?」とか聞いてくれよ! 投げたボールをさ、投げ返してくれよ! コミュニケーションよ、コミュニケーション! せっかく投げたボールをその辺にぽいっと雑に放るのはどうかと思うなー、俺。取引先相手との談笑も運搬人の立派な仕事の一つだろー? 語ろうぜ! 楽しみの一つなんだよ、この語らいが!」
「あー、はいはい」
白黒篝はそんなトラキチの投げやりな態度が気に食わないようだ。露骨に拗ねた振りをする。
「あー、トラキチ君の冷めた雑にあしらう態度で、俺、やる気を失っちゃったなー」
如何にも態とらしい態度ではあるのだが、その一方でトラキチが何らかのアクションを取らない限りは白黒篝にその振りを引っ込めるつもりはないようだ。ふいっと横を向きつつも、横目でトラキチをチラッチラッと眺める辺りにその兆候が見て取れる。
トラキチは改めて「面倒臭い」という表情を一瞬そこに挟むものの、一つ「んんッ」と咳払いをすると、白黒篝に対する態度を改めた。これみよがしにカタコト口調で乗り気ではないアピールをしつつも、白黒篝の望んだ雑談の継続を促す形だ。
「キキタイナー、シリタイナー、カタッテホシイナー、ナニガアッタンダロー?」
傍から見ていると「いや、したいのかしたくないのか、どっちなんだよ!」と突っ込みたくなるような嫌々ながらの、強いられた上でのトラキチの言動だったものの、そんなやり取りも引っ括めて白黒篝の望むコミュニケーションだと言えなくもないようだ。
白黒篝の態度はあくまで「振り」であって、本気でトラキチの態度に辟易した風はないからだ。増して、そんなトラキチの態度を前にしても白黒篝は態とらしく声を荒げて怒りのポーズを見せるだけで、そこ彼処には「これで雑談ができる」といった類の嬉々とした雰囲気すら滲む。
「態とらし過ぎる態度がすげぇ気になるけど、まー、見なかったことにしてやるから耳かっぽじって聞きやがれ!」
トラキチもその声を荒げた口調がポーズだと解っているから「嫌々ながら」といったスタンスを微塵も撤回しない。白黒篝がそのまま長い世間話に移行すると踏んだ様子で、その場で腕組みをするとその背を古い木製の電信柱に預けてしまった。
お世辞にも雑談に望む姿勢として前向きなものとは言えないものだったのだが、それでも聞き手としての姿勢をトラキチが示したことで白黒篝は満足したようだ。
尤も、白黒篝の「声を荒げる」ポーズは、確認作業を続ける鷹尚の気を引くためのものでもあっただろう。確認作業を終えた鷹尚が、すぐさますんなりと「雑談へ混ざれるように」という気遣いが見え隠れもする。
「実はな、あまり大きな声では言えないんだが、冥吏の召し抱える憑鬼(ひょうき)って取調官が不正な手段でそっちへ失踪する事件が発生してるんだ。それも、1つや2つじゃない。ここ数か月の間に7〜8件、立て続けに起こってる。で、そっちの時間でつい数日前、今月2件目、しかも3つの取調官がそっちへと失踪したばかりなわけよ」
「……」
白黒篝とトラキチとの話を流し聞きするぐらいのつもりだった鷹尚だったが、気付けばその確認作業の手を止めてまでその話に耳を峙てていた。
聞き捨てならない内容だったからだ。何せ、それこそが短期間の内に四上下館で塵が溜まった原因に直結し兼ねない内容だ。
冥吏の召し抱える憑鬼が現世の世界にやってくるからには、十中八九黄泉路を介している筈だ。しかも、不正な手段で現世へ失踪しようなんて連中が、白黒篝を始めとする冥吏同様の入念な塵対策を行っていたとは到底考えられない。詳細についてまでは触れないものの、あちらからこちらへと渡ってくる時に伴う塵の量は魂魄の濃淡によって大きな差異が出ると聞く。
憑鬼と呼ばれる冥吏がこちら側へと移動するのに、どの程度の塵を伴うものかは分からない。もしかすると、四上下館の異常に繋がったのは、ある程度のスパンで憑鬼の失踪がいくつも重なったことによる影響だったかも知れない。それでも、冥吏の召し抱える憑鬼の失踪という直近の案件が四上下館の異常の原因である蓋然性は高いと言わざるを得ないだろう。
鷹尚はチェック作業の手を止めるに留まらず、白黒篝の方へ顔を向けてしまえば二人の会話に口を挟まずにはいられなかった。
「なぁ、白黒篝。これ昨夜の話なんだけど、想定していたよりも物凄く短い期間でここ四上下館に塵が溜まって急遽掃除をしなきゃならない羽目になったんだ。もしも塵の蓄積に全く気付けなかったら、下手すると塵の結晶化を許して災禍を招いていたかも知れないぐらいの短い期間での出来事だった。これってさ、もしかしてその件と関係があったりしないか?」
「お、おぉー……、それ、何だか関連しているっぽいな」
そこに言及されて、白黒篝は始めて現世に対する影響に気が付いたのかも知れない。いや、それは白黒篝に限った話では無いかも知れないし、そもそもここに姿を現した時に言っていた「バタバタしてる」という台詞もある。まだ、冥吏全体として、その「憑鬼が現世に不正な手段で失踪して……」といった案件に対する対策を打てていないのだろう。
自身の雑談が思わぬ話に波及した当惑を隠しきれない白黒篝を、鷹尚はマジマジと注視する。
「もしこの推測が的中しているなら、……色々とまずそうなんだけど?」
白黒篝としては「いきなりそんなこと言われても……」という思いだろうか。ただの雑談のつもりだった筈だから、当然心構えなんてものは何もできていなかっただろうし、鷹尚に対してどんな情報を提供すべきかもすぐには判断できなかっただろう。
何かしらの反応を返せないでいる白黒篝を前にして、鷹尚からは催促が口を付いて出る。
「なぁ、その話、もうちょっと詳しく聞かせてくれないか? それと、憑鬼がまた疾走する事件が発生した時は、それとなく教えて貰いたい。そうして貰えると、こっちもそれなりに対処ができる」
何をして欲しいかを鷹尚が明確に提示したからだろう。
白黒篝は当惑の色合いを薄め、軽いノリで答えた。
「あぁ、良いぜー。……と、ちょっと待てよ」
途中までは何でも無いことを安請け合いするぐらいのノリだったのだが、白黒篝は不意に声色を変えるとそこで一旦小難しい顔を挟んでピタリと制止する。憑鬼失踪事件の詳細を語るにあたり、何か気掛かりとなる案件を思い出したのかも知れない。
そこに白黒篝が覗かせる表情は、葛藤。
「あー、うん、いや、でもなぁ」
鷹尚の見ている前で、眉間に皺を寄せたり、瞑目して片眉を釣り上げたり、徐に天を仰いだりと百面相の様相を呈する白黒篝だったのだが、最後の最後は再び軽いノリで締め括られる。
「んー、まぁ、いいかぁ」
白黒篝は箝口令が敷かれているような内容であっても、ぺらぺらと話してしまいそうな危なっかしい雰囲気がある。……というか、何なら前科もある。過去に冥吏のちょっと偉い人が以室商会の本店を訪問するという機会があったのだが、開示日まで他言無用と言い渡されたのにも関わらず、今回みたいな鷹尚との雑談でぺろっと喋ってしまったことがあるのだ。
あちら側「鬼郷」の世界では不用意に喋り回ってはいけないが、こちら側「現世」の世界では箝口令も効力を為さない……みたいな認識が白黒篝の意識の中に根付いている可能性さえある。
そんなこんなで箝口令が敷かれているのなら話さなくても良いと鷹尚が口にしようとした矢先のこと。
白黒篝は口元に笑みを灯すと、鷹尚にこう聞き返す。
「……気になるかい?」
「それはそうだろ? 憑鬼の失踪事件とやらが短い期間での塵の蓄積に繋がったのなら、その事件が解決されない内はまた同じことが起こるかも知れない」
「ふむ」
そんな鷹尚の主張を前にして、白黒篝は態とらしく大きく頷く仕草を見せた。
続けざま、勿体振った仕草と前のめりの姿勢を取って白黒篝が口にする内容はこうだ。
「実は、鷹尚に持ってこいの良い話があるんだ」
「持ってこいの、良い話?」
怪訝な顔を返す鷹尚に、白黒篝は説明口調でこう熱弁を振るう。
「知っての通り、冥吏は現世に対してあまり積極的に介入できない。一部「そんなん知るか、ヒャッハー! 俺、天上天下唯我独尊!」って感じでとち狂ってる奴らも居るには居るが、基本はそうだ。塵を散らすって作業だってそう。鷹尚みたいに請け負ってくれる相手が居ないと、冥吏に取って厄介極まりない骨折り仕事になるぐらいだ」
そこで一端言葉を句切って溜めを作ると、白黒篝は鷹尚の瞳をじっと見据える。
「今、冥吏の上層はそっちに失踪した憑鬼の対処を請け負ってくれる面子を探してる」
そこまで白黒篝が言ったところで、鷹尚はピンと来たようだ。この流れで「鷹尚に良い話を持って来た」なんて宣うのだから、それはほぼほぼ間違いないだろう。
白黒篝が本筋へと触れる前に、鷹尚は確信を持って推測を口にする。
「こっちに逃れた憑鬼の対処を以室商会に請け負って欲しい。そう言いたいわけだな?」
まじまじと白黒篝を注視しながら述べた推測だったのだが、当の相手は両手を広げて見せるジェスチャーで「その言い方はしっくりこない」と言いたげだった。ふるふると左右に首を振った後、その対象はあくまで鷹尚であると言い直す。
「以室商会に……というよりも、俺は鷹尚にこの話を持って来たつもりさー。さっきの「短い期間に」の件じゃねぇけど、これはあくまで塵を散らす作業の延長線上にある話だと思っている。しかも塵を散らすなんて地味な作業とは違って、がっぽり報酬も出る。地道にコツコツ旨味の薄い塵を散らす作業をしてくれている鷹尚に、たまには美味しい思いをして貰いたい」
美味しい思いをして貰いたい。
そう言った白黒篝の態度には、どこか態とらしさが滲んだ。一方で、件の「良い話」を鷹尚へと持ち掛けた理由をつらつらと述べた言葉自体は概ね表裏のないもののようにも聞こえた。
では、鷹尚はその「良い話」にどんな反応を返すのだろうか?
まず最初に表出したものは、これでもかという程の当惑だった。
「何度も言ってるが、俺はただのしがないアルバイトで荷物の運搬・受渡し役だぞ?」
「今は、だろー? 大体、そう言いながら今までだって雑用を片すのに奔走してくれたじゃないか?」
その白黒篝の言葉の指すところは、件の塵を片す作業だったり、遺失物の探索だったりする。他にも、黄泉路と接する場所の一時的な拡大に合わせて「絶対に誰も訪れないだろう」と思しき彩座の平原の傍らに立入禁止を示す黄色のテープを張り巡らせる作業だったりした。
そして「いつまでもそんな雑務ばかりに追われる状態に甘んじるつもりはないんだろ?」と、はっきりとせっつく形でもあった。さらに言えば、鷹尚が担当する以室商会の業務の幅が拡大することを「望んでいる」と、はっきりと明示した形でもある。
そこに至って、鷹尚の表情が俄に曇る。
ふいっと一度横を向くも、それも一瞬のこと。
鷹尚は白黒篝へと向き直ると、その「良い話」がそれまでの雑用とは一線を隠すレベルにあることを楯にとって拒否感を表出させる。
「だからって、これは今までに軽く手伝ったようなレベルの話じゃない」
「まあまあ、聞いてくれよ、相棒。今までのそういった積み重ねがあるからこそ、正式に御触れが出る前のこの話を鷹尚に持ってこれるんだぜ?」
そんな鷹尚を前にして、白黒篝は落ち着き払った穏やかな態度を崩さなかった。そして、この「良い話」へと繋がったのが、まさにその雑務を鷹尚がせっせと片してくれたからだと述べた。
加えて、なぜ今この「良い話」を鷹尚に持ち掛けたのかについても触れる。
「それに、この話をいち早く鷹尚に持ってきたのにもちゃんとした訳があるんだ。何せ、もしも鷹尚がこの話の対処を請け負わないとなった場合、この事態の解決には間違いなく以室商会の同業者が名乗りを上げることになるぜ? 鷹尚的にそれは……」
「解った」
白黒篝が言下の内に、鷹尚はそれを遮るかの如く口を切っていた。
皆まで言う必要は無いと言わんばかりの鷹尚に、白黒篝はにんまりと笑う。
良くも悪くも白黒篝は鷹尚の意図を最大限汲み取って、この「良い話」を持ちかけたと言いたいわけだ。
鷹尚がほぼ反射的に声を上げるに至った引っ掛かりは、言うまでも無く「他の同業者が声を上げる」という部分だ。
今の以室商会は「良くも悪くも大きく衰退している」と、鷹尚は認識しているのだ。
嘗ては、本店、そして四上宿の支店の他にも2つの別の支店を構えていた点からも規模が縮小していることは明らかであるし、以室商会が影響を及ぼす範囲といったものもそれに比例するかの如く狭まっているのが実情だ。もちろん、どの時点と比較してそうなっているのかといった観点も確かにあるだろう。しかしながら、鷹尚が最も苦々しく思っているのは、それが以室商会の長い歴史の中でもトップクラスの実力者である祖父の継鷹以前と今とを比較してでさえそうなっているという点だった。
それが経営的な理由によるものか、継鷹の体力的な理由によるものかだとか言った部分は解らない。しかしながら、如何なる理由があるにせよ、鷹尚が今の「以室商会」の現状に納得していないというのは紛れもない事実だった。
もちろん、以室商会に打診される全ての依頼を余すことなく対応したいなんて宣うつもりはさらさらないだろう。しかしながら、それでも新規案件をほぼ取り込むことをしない今の以室商会の現状は鷹尚に取って酷く寂しく映るし、そもそもどうして「打診のある複数個の新規案件を断って今の規模に留まることを継鷹が良しとしている」のかが、鷹尚には全く以て理解できなかった。
打診される新規案件が経営的に旨味のないものならば、今の以室商会の姿勢は正しいのかも知れない。
しかしながら、もしも人手が足りないことを理由にそれを甘んじて受け入れているのであれば、人手を確保するべく手を打つべきだし、必要ならば人を育成するべきかも知れない。
まだアルバイトながら、自分が手伝うことによって将来的に少しでも「その状態を覆せるようになるのなら……」と、そんな思いが鷹尚の心の中には強く燻っているのだ。
鷹尚のそんな胸中を知ってか知らずか、白黒篝は得意満面の顔で胸を張る。
「な? 俺は基本的に鷹尚が喜ぶ話しか持ってこないぜ。そんで持って、鷹尚に取ってちょっとでも良い思いができたのなら、俺から頼まれてくれる個人的な物のレベルを少しずつでも良いものに引き上げて貰いたいね。そうなってくれればお互い「これ以上はない」って話だろー?」
この話を鷹尚へと持って来たことに対する白黒篝の思いにドロドロとした欲望渦巻く「裏」なんてものはないのだろう。つらつらと語った言葉の節々には、白黒篝の現世の酒に対する熱い思いがこれでもかという程に鏤めてられていたからだ。いや、一応欲望は欲望なのだが、もっと直情的で短絡的で、簡単に見透かしてしまえる「裏」といった方が適当かも知れない。
そして、純粋にお互いが少しでも良い思いができれば「これ幸い」という思いなわけだ。
あの態とらしさの裏にあるものがこんなものならば、可愛いものだろう。
しかしながら、良い話を持ち掛けた筈の鷹尚の表情に不安の色を見て取った白黒篝は、続ける言葉であくまで「無理強いするものではない」とも述べる。
「ああ、でも、無理なら無理って遠慮なーく言ってくれて構わないぜ。確かに今までの「塵を散らす」なんてものとはちょいとレベルが違う話だとは、俺も思ってる。まぁ、それでも、俺は鷹尚なら十分やり切れる話だと思っているけどなー」
鷹尚ならば、問題なくやりきれる内容。
白黒篝はそんな認識を示して見せた一方で、そこに但し書きを続けもする。
「何にせよ、まだ正式に御触れが出た話じゃない。こいつが正式なものになった時、どんな「依頼」の形になるかについてはまだ何とも言えない部分もある。今は憑鬼がこっちから持ち出したものがないかどうか徹底的に洗っている段階なんだー。もし、何かやばい物が持ち出されていればそいつの奪還とかが必須の成功条件に加わったりするかも知れない。そうなると、駆け出しひよっこには荷が重い案件になるかも知れないし、以室商会現当主クラスに白羽の矢が立つかも知れない」
鷹尚が「やりきれる」範囲はあくまで憑鬼の対処という部分を示したその言葉は、同時に事件の全容を冥吏がまだ把握できているわけではないことを如実に示唆していた。尤も、「こっちから持ち出したものがないかどうか徹底的に洗っている」と言うからには、……どのような形になるにせよ、この依頼は近く正式に受託者を探す段階に進むのだろう。
「俺が所属するところにも大号令が飛んできて、もう上を下への大忙しなわけよ。こちらへの持出しが厳禁となるやばい品々から、なんてことはないちょっと曰く付きの大量生産品の備品まで洗い浚いの総チェックだぜ? 以室商会との取引があるのを口実に、頃合いを見てささっと抜け出して来たっつーわけさー」
心底「堪ったものじゃない」という疲労の色の混じる顔付きで、白黒篝は溜息を吐いた。
待ち合わせ時間に遅れた件の話は、ここに繋がるらしい。
そういう理由があって待ち合わせ時間に遅れることになったんだ。今回はやむを得なかったんだ。だから、今回は大目に見てくれよ。白黒篝としては、そう言う話に続けたかったのだろう。
失踪した憑鬼の対処うんぬんの件を語っていた時の雰囲気から一転。既に白黒篝は親しい相手と歓談を交わすモードに切り替わっている。
そこに到る経緯はともかく、イマイチ乗りの悪いトラキチではなく鷹尚が会話に混ざって来たことで「楽しい会話のキャッチボールが始まるぜ!」とでも思っていたのかも知れない。
一方で、モードを切り替えた白黒篝とは対照的に、鷹尚の方は心ここにあらずと言った状態だった。
白黒篝が持って来た「良い話」は、鷹尚の心をがしりと掴み、これでもかと葛藤を生じさせたようだった。
当初は、その様子をつまらなさそうに眺めた白黒篝だったが、鷹尚が「良い話」に心が揺さぶられる様をマジマジと眺めると、満足そうに頷く。するとキリッとした真顔を整え、鷹尚に対しこう打診する。
「どうする? エントリーだけでもしておくかい? まずは話を聞くだけでも良い」
「それが正式なものになった時「やっぱり自分には対処できない案件です」が、通用するのか……?」
白黒篝に打診され、鷹尚は不安を隠そうともせず質問を返した。
そこに恐る恐るという雰囲気が滲んだのは「そこを踏み越えてしまったら後戻りできないのでは無いか」という不安が脳裏を過ぎったからだろう。
白黒篝はあからさまな不安の色を伴う鷹尚の肩を両手でポンポンと軽く叩くと、エントリーをすることに対して「なんら心配することはない」と笑う。
「はっはー、もちろんだとも。難しく考え過ぎなんだよなー、鷹尚は。塵を散らす作業と一緒だって。誰かに無理強いするようなものではないのさ。鷹尚が断れば、鷹尚以外の候補に話を持って行くだけさ」
「……解った。まずは、話だけでも聞いてみたい」
葛藤に揺れる片鱗を随所に滲ませながらもそう口を開いた鷹尚からの要望を取り付け、白黒篝は再び満足そうに頷いて見せた。
もしも、この良い話を持ち掛けて来た相手が白黒篝ではなかったのなら、鷹尚の口からこの結論は導き出されなかったかも知れない。それぐらい、この「白黒篝」という下級冥吏は、ビジネスパートナーとして受け入れられていた。
恐らく、鷹尚自身が考えているよりもずっと……だ。
そもそも、鷹尚が冥吏の雑務を受けるようになったのも、やはりこの下級冥吏との出会いが大きかっただろう。
関係性を深化させたい。
荷の受け渡しをする相手として、今回一度のやりとりだけで終わらせたくない。
そう思わせる相手だったからこそ、鷹尚も「塵を散らす」という作業の打診を受けたのだ。
「さすが、相棒! そうこなくっちゃ!」
からからと笑う白黒篝を横目に、トラキチはふらりと鷹尚に近付いていきその脇腹を肘で軽く突いた。
「良いのか、継鷹に相談もなく話を進めちまって」
トラキチが耳元で指摘した内容に、鷹尚はびくっと体を震わせる。
それでも、鷹尚は平静を装ってこう切り返して見せる。
「まずは、……話を聞くだけだろ?」
根底にあるものは、少しでも将来的に以室商会の勢力拡大となる芽を育んでおきたいという前のめりの思いだろうか。
ともあれ、今この場で「待った」を掛けて、継鷹の判断を仰ぐというワンステップを挟むまでもないと、トラキチも思ったようだ。
「ま、それもそうか」
簡素な言葉で「話を聞くだけ」という認識に納得した素振りを見せると、すっと鷹尚から離れた。
尤も、とても「そう思ってはいないだろう」鷹尚を横目に捉えボリボリと頭を掻くトラキチからは、不承不承という体が滲んだことも確かだった。トラキチなりに何か思うところはあるようだったが、ふいっとそこに滲んだ小難しい顔を引っ込めてしまえば現時点で何かしらのアクションを取るつもりはないようだ。
白黒篝がビジネスパートナーでなかったのなら……といった辺りの事情は、鷹尚だけでなくトラキチにも当て嵌まることなのだろう。
「この件が正式な依頼になると決定した際には、どこよりも、誰よりも早く、鷹尚が話を聞けるように根回してしておくぜー。任せておきなー」
曖昧な相槌しか返していない鷹尚を相手に、全力でサポートする旨を高らかに宣言する乗り気の白黒篝をトラキチはただただ黙って横目で見ていた。