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Seen00 彩座四上に生じた異常


「鷹尚(たかなお)、どうする?」
 そう声を向けられて、鷹尚と呼ばれたブレザー型の学生服姿の男は唸った。そうして、所々損壊している背の低い石垣に身を隠すように屈むと、続けざまに大きく息を吐き出す。「どうする?」と問われたことに対して、すぐに答えを導き出せないからだろう。その表情は硬い。
 時刻はまだ20:00になろうかという頃合いだが、既に辺りはとっぷりと暗闇に包み込まれていた。
 場所は、どことはなしに圧迫感を覚える古びた薄暗い路地である。
 そこは不規則な感覚で街灯が並んでいるとは言え、満足な光源が確保されているとは言えない場所でもあった。ポツンポツンと並ぶ街灯の設置間隔は、狭いところであっても優に50mは空いている形なのだから、その薄暗さも尤もだろう。さらに言えば、街灯の光源自体も宜しくない。都市部の繁華街に設置されているようなLED式の眩さを覚えるようなものではなく、半径10m程度を越えた辺りから一気に暗闇に蝕まれてしまうような心許ない明かりだ。
 そんな薄暗がりに目を凝らし、鷹尚が周囲の光景へと視線を走らせる。
 そこは長期間に渡って明らかに人が生活を営んではいないだろう木造建築物が軒を並べる区画だった。中にはあちらこちらが大きく損壊した廃屋然としたものもちらほらと見受けられる。ただ、そこに軒を並べる木造建築物は明らかに近年作られたものでは無い装いであり、近代施設が廃墟と化したような空虚感がそこに漂っているようなことはない。
 寧ろ、閉鎖的で、何かがそこに潜んでいて、侵入者を拒絶する排他的な空気に近い圧迫感がある。
 それら木造建築物群はどれも二階建てから成っていて、一階部に対して二階部の高さが半分も無い特徴的な作りをしていた。道路に面した二階部の窓には年代物を感じさせる障子が張られており、ぐるりと辺りを見渡してみた限りではガラス窓などに置き換わっているものはなかった。木造建築物の高さにしても、規則で定められてるかの如くどれも同じぐらいで統一されていて、良くも悪くも歴史を感じさせる雰囲気が漂っているといって良いだろう。
 道路にしてもそうだ。どうにかアスファルトで舗装されているとはいえ、あちらこちらに目に見える形で罅割れが走っていてきちんと手入れが為されているとは到底言えない状態にある。自動車二台、それも軽自動車であっても行き違えないだろう程の道幅しかないにも関わらず……である。道路の端へと目を向ければ、そう遠くない未来には雑草に浸食されてしまうだろうことが明白なぐらいの有様でもあった。
 その廃屋然とした木造建築物の中でも、一際損壊具合の激しい、……今にも倒壊しそうな家屋の方からずるずると何かを引きずる音が聞こえる。目を凝らしてみてもそこに何かの存在を確認することはできないが、鷹尚はそこに好ましくないものがいることを悟ったようだ。
 鷹尚は眉間に皺を寄せると、誰に向けるでもなく愚痴を吐く。
「つい2ヶ月前にこの辺りの塵は大掃除をしたばかりだぞ? どうしてこんな事態になっているんだよ?」
 その愚痴の内容から察するに鷹尚は二ヶ月前にこの場所を訪れていて、その好ましくない事態が生じないよう何らかの対処を行ったのだろう。そうして、少なくとも2ヶ月という期間に置いては、その好ましくない事態が生じない見込みだった筈だ。
 鷹尚自身、今それを言っても詮無いことだとは分かっているようだ。
 現実問題として「見込み」は外れ、今まさにその対処に当たらざるを得ない雰囲気が醸成されているのだからだ。
 そうして、その対処に当たって「どうする?」と問うたことに対して未だ答えを返せないことを、それを呼び掛けたもう一人はまずい状態にあると考えたのだろう。再び口を切って、こう提案を向ける。
「まずは街灯の下まで行こうぜ。どこまで成長した塵なのかは分からんけど、どれだれ成長していても街灯なんかには不用意に近付かないはずだ」
 クイッと顎をしゃくって見せたその先に街灯はある。
 距離にして40mはあるだろうか。
 街灯までは一直線。しかも、交差する道もない。ただ、道の両脇にある背の低い石垣は、一部区間で完全に欠損しているところが味噌だっただろう。特に、石垣の欠損している箇所は街灯の明かりもほぼ届いておらず、薄暗い上に見通しもよくない。欠損した石垣の向こう側に何が隠れていたとしても、そこに差し掛かって実際に何かが飛び出してくるまでは察知できない可能性が高いのだ。
 それでも、現状を確認しに来ている以上、ここで引き返すという選択肢も無いようだった。
 そして、ではそのまずい箇所を迂回しようにも、一本横にずれた通りはここよりも道がずっとずっと狭い上に街灯すら設置されてはいないのだ。場所によっては、軽自動車一台入っていけないぐらいの隘路である上、不規則に折れ曲がっていて見通しもよくない。まだ、欠損した石垣部だけが問題となるみの通りの方がマシというわけである。
 小さく息を吸い込みと、鷹尚は腹を括る。
「ああ、そうだな、トラキチ。まずは、そうしよう」
 鷹尚がそう答えるが早いか、先行したのはトラキチと呼ばれた男の方だった。
 上下共にブレザー型の学生服に身を包む鷹尚とは異なり、トラキチはパーカーにハーフズボンというラフな出で立ちだった。ただ、体格という点では鷹尚よりも軽く一回りは大きい。ハーフズボンから伸びる足もアスリート型のしなやかな肉付きをした筋肉質のものであり、見るからに「鍛えています」という風でもある。
 尤も、ではアスリート風の好青年かというと、第一印象は大概そのようにはならないところが味噌だった。短いツーブロックのボサボサの茶髪に、鋭く切れ長の目元といった特徴が「好青年」という雰囲気と良くも悪くも相反しているのだ。
 トラキチはそんな切れ長の目をさらに鋭く細めると、一気にスピードを上げ疾走する。
 一部欠損した石垣の前で足を止め手早く周囲の気配を探ると、トラキチは鷹尚に手招きし再び走り出す。
 鷹尚は石垣の欠損した区画の前で足を止めず、トラキチの後を追ってその場を走り抜けた。結果として、難なくその場を走り抜けた形ではあったが、後者の鷹尚は肌にまとわりつくかのような嫌に重い空気に顔を顰めた形でもあった。
 そうして、街灯の下まで疾走し明かりに照らし出される範囲まで辿り着くと、鷹尚・トラキチはどちらからとも言わず大きく安堵の息を吐き出した。
 しかしながら、その街灯の下でホッと一息落ち着いて、周囲の状況を探ることができるかというとそうでもない。
 遠目には分からなかったのだが、街灯には明かりに誘われたのだろう無数の虫が集っていたのだ。殊更、光源の直下に当たる範囲にはポトポトと落下してきては再び光源に向かって突進するのを繰り返す雑多な種類の虫が無数にいて、もし鷹尚が極度の虫嫌いだったのなら状況を弁えずに頓狂な悲鳴を上げていたことだろう。
 それでも、そうやって虫という生物がきちんとその場に存在し、生命力著しく飛び回っているというのは朗報でもある。もしトラキチが塵と呼んだものの成長が著しく、本格的に周囲へ悪影響を及ぼすようになってしまっていると、恐らくこれらの虫もぷっつりと姿を消していた可能性だってあったからだ。
 周囲を色濃く漂う圧迫感と薄気味悪さはあるものの、まだここは塵の影響下に完全に飲み込まれてしまっているわけではないと分かる。
 そう、それだけでも状況把握をしている鷹尚達に取ってはこの上ない程に朗報だった。
 落下してくる虫を頻りに手で払いながら、鷹尚はそんな周囲の状況を五感で探った率直な感想を述べる。
「四上宿(しかみじゅく)の外れの外れで、いつも決まって人気の無い嫌な空気の漂う場所だけど今夜の気配はいつもにまして度を超してる。景観保護区だか何だか知らないけど、やるならやるできちんと整備して、やらないならやらないで更地にでもした方が良い。こんなんだから塵も溜まるんだ」
「塵が溜まる場所だからこうなったのか。それとも、荒廃した場所を放置しておいたから塵が溜まるようになったのかは分からんけど、それは確かにその通りだな」
 トラキチもその感想には全面的に同意した。尤も、その上でトラキチはこの区画についてこうも述べる。
「ま、塵さえ溜まらないなら、俺達に取ってはこういう場所も悪くはないんだけどな。人気がなくて、ガヤガヤと喧しくなくて、餌も山に入ればどうにかできる。落ち着いて眠ってられるし、何より雨風が凌げる。この家屋の崩れ具合も日光を取り入れるには持ってこいだし、日向ぼっこするのにお誂え向きなぐらいだ」
 廃屋に対する極々一般的なものから懸け離れたトラキチのそんな感想を聞き、鷹尚はポリポリと頬を掻いた。
 どんな言葉を返して良いか分からなかったのだろう。
 少なくとも、普通の極々一般的な感性を持つ鷹尚に、その感想が同意できないものであったことは間違いない。
 鷹尚から何かしらの反応がないことに対して、それをトラキチが気にした風はなかった。続ける言葉では、それはそれと言わんばかりにさらりと話題を変えてしまう。
「しっかし、嫌な感じだな。溜まった塵が結晶化して災禍に転じる一歩手前って空気だぜ。四上下館(しかみしもやかた)一帯を仕切るボスから申し伝えがなかったら、これを後軽く1ヶ月は放置した可能性もあるっていうんだからぞっとするよなー」
 トラキチが間延びした声で口にした可能性に、鷹尚は露骨に顔を顰めた。
 もちろん、トラキチの言葉に鷹尚を責める調子などはない。それでも、事実としてこうなっている状態をこのまま放置した可能性があるというのは、鷹尚に取って重く受け止めなければならないことのようだ。
 すると、鷹尚はその「申し伝え」がどんな剣幕だったのかを、恐る恐るトラキチに尋ねる。
「申し伝えってのは「どうなってんだ!」みたいな、怒りの声だった感じか……?」
「まさか。ここ最近、四上下館界隈なんかやばい感じでざわついてるぞ……みたいな、軽い世間話で突っつかれた感触だな」
 広義で括るのならば、四上宿の外れの外れ、木造建築物が軒を並べるこの区画も四上下館の界隈ということにはなる。正確にはもっと詳細な分類・地名などがある筈だが「四上下館の南東外れの区画」とでも言えば、この界隈を指すものとして適当だろう。正確ではないにしろ、彩座市(あやざし)・四上(しかみ)という土地についての知識を持っている相手ならば、場所を示すに当たって問題なく通用する言い方だ。
 ともあれ、当たり前のように「四上下館界隈からの申し伝え」とトラキチが言ってみせたことに対して、鷹尚は徐に首を傾げる。
「そういえば、四上下館なんて本店からも四上宿の支店からもかなり距離のある場所じゃないか? トラキチはこんな界隈にまで顔が利くんだな?」
 トラキチと一緒に行動を共にすることが非常に多い鷹尚ではあったが、さすがにいつも一緒に居るというわけではない。だから、普段トラキチがどの辺りまで遠征しているかについて詳しくは知らないし、当然の如く一部を除いて交友関係についても把握はしていない。
 だから、それはある意味、当然の疑問だったかも知れない。
 何せ鷹尚の口にした件の「本店」からここまで、公共交通機関を用いて軽く1時間強は掛かる場所だ。わざわざこんなところにまで足を伸ばしているとは考え難い。四上下館からならば支店の方が近いとは言え、トラキチが寝泊まりしているのが本店であることを考えると、この近隣にまでに顔が利くことは驚きだというのが本音だったのだろう。
 そんな鷹尚の疑問に対して、トラキチは自信満々に胸を張る。
「はっはー、俺の人徳の成せる技だね! 俺の交友関係もなかなか捨てたもんじゃねぇだろ? そうだな、この件についての情報料は最高級缶詰でいいぜ。情報提供者への差し入れ分も含めて二つな!」
「あー、はいはい」
 人徳の成せる技なんて辺りの内容を話半分に受け止めた……という程でもないが、そのトラキチの盛った口調を前に鷹尚は呆れた調子を隠さない。
 そうやって調子の乗る癖があるのがトラキチで、それを鷹尚が分かっているからこそのおざなりな対応だろう。
 そして、その「おざなりな対応まで」が何度も繰り返してきた一連のやりとりであるかのように、トラキチは再び何でもなかったかの如くがらりと調子を切り替える。
「なんてなー、ここいら一帯で、この手のことに片足突っ込んでいれば「以室商会(いむろしょうかい)」を知らない奴なんていないぜ。そうなると、俺はその「以室商会」のところのトラキチだからな。そりゃあもう、覚えも目出度いわけだ。否が応でも一目置かれる。ま、俺の背後に継鷹(つぐたか)が居るからこそ……だけどな」
 ボソリとトラキチが呟きだした名前に、鷹尚の表情が若干硬くなる。
 佐治継鷹(さじつぐたか)。
 鷹尚の祖父で有り、彩座市酒居町(さかいまち)に本店を、彩座市四上宿に支店を置く以室商会の現当主。
 トラキチが「この手のこと」という言い回しをしたが、実際にはこうやって異形や怪異と言った類いのモノに対して現場に赴き対処に当たるというのは本業ではない。以室商会の本業は、その手の異形や怪異と言った類いのモノの対処に従事する勢力などに、必要となる物品を提供する裏方側となる。
 もちろん、完全に裏方側に回っていられるかというとそんなことはなく、今まさに鷹尚・トラキチの二人が対処に追われているように、現場側の仕事も付随業務として対応したりもする。
 ともあれ、継鷹の名前が出た辺りで何とも微妙な空気が漂ったところを仕切り直すべく鷹尚が口を切る。
「さて……と、この感じだと成長した塵の危険性は中程度ってところだろうから、次にさっさとお社の状態の確認と行こうぜ」
「なぁ、間違いなく塵にやられてるぜ?」
 トラキチは「確認するまでもない」と言わんばかりに断言した。
 尤も、そんなことは鷹尚も承知の上のようだった。腰を下ろしたまま動こうとせず、抗議のスタンスを見せるトラキチに向けてその真意を告げる。
「一応、そのやられ度合いを確かめに行くんだよ」
 それでもトラキチは、辺りを指さして見せてそれさえも無意味だという。
「既に近隣がこの有様なんだぜ? 確認するまでもないだろ? 手短なところから塵の対処にあたって、ぐるりと四上下館を練り歩いて回った方が早い」
「駄目だ、トラキチ。比較的この辺りがまともなだけで局所的にもっとヤバいことになっているところもあるかも知れない。ただでさえ、普通では考えられない短い期間でこんな状態になってしまったっていう事実がある。お社に行けば、この近隣に関してはその全容が把握できる」
「ま、鷹尚がそう言うならしゃーないか」
 鷹尚の主張を前にして、あっさりとトラキチは自身の意見を引っ込めた。
 ただ、その上で、トラキチは手っ取り早い方法に拘った理由を鷹尚へと確認をぶつける形で示す。
「一つ確認して置くけど、こんな状態にあるこの場所に誰かがふらっと迷い込んでくるなんてことはないでいいんだよな?」
「恐らく」
 鷹尚が返したその「多分」の色合いは「自信がない」とまでは言わないながら、確信は持てないとった本音が見え隠れした。言い換えるなら「十中八九は……」といった言葉が適当だっただろう。そして、それは確率的に言ってもそうだったろう。100%誰も訪れないということはあり得ないが、四上宿の外れの外れという場所が場所なだけに9割方は誰も来ない。そんなニュアンスがそこには含まれる。
 一応、四上下館も彩座市の観光地の一つである「四上宿」に含まれる区画だが、四上宿の中心部ならばまだしも外れの外れにあたるこの近隣に見るべきものはない。前述したが、この辺りの木造建築物は手入れが行き届いておらず、廃屋と見紛うほどの損壊具合のものが多数あるぐらいの廃れ具合なのだ。
 それでも、日が高い時分にはカメラやスマホを片手に足を運ぶものもいるのだろうが、日が落ちてしまえば人影などないに等しい。
 けれど、トラキチはそんな鷹尚の認識に対して、さらに一歩踏み込んで一つの疑問を向ける。
「確かこっちにも、石仏だか何だか観光客が良く見に来るものがあるんじゃなかったっけか?」
「それって、山越えルートになる旧道に点在している奴のことか?」
 今でこそ、四上下館の外れの外れは三方を山に囲まれたどん詰まりに位置する場所だが、昔はここから山越え可能な道があり、そこを介して他の地域にアクセスできたらしい。その旧道の各所には製作者不詳の石仏が点在していて、確かにトラキチが指摘したようにそれを目的とする人達が一定数いるのも確かだった。
「旧道にある一番有名ななんたら磨崖仏も、基本的には四上宿の本宿の方からアクセスする人達が大半の筈だよ。わざわざ街灯もないこっちの旧道入り口から、アクセスする人なんか居ないとは思うけどね」
 強いて言うのならば、四上宿の中心部方面から旧道に進入した観光客がいざ帰宅するとなった時に誤って四上下館方面へと下ってきてしまったというパターンが考えられるぐらいだろうか。ただ、それを危惧するならば旧道のルートがある山の中腹を確認するだけで事足りるのも事実だ。街灯のない旧道を月明かりを頼りに下るというのは無理筋な話で、必ず光源を用意している筈だからだ。
 だから、鷹尚は顎をしゃくって見せて、暗闇の中に浮かぶ山の稜線を指して言う。
「見ての通り、この時間でさえどこに道があるのかすら解らないぐらい真っ暗なんだぜ。あそこにある山道を四上下館方面に向かって下るのは、手元に明かりがあってもやりたくないだろ?」
 月明かりによってどうにか稜線に到るまでの山々の起伏度合いなんかは見て取れる。しかしながら、旧道がどう通っているかを遠目に視認するのは困難極まる。さらに言えば「旧道」という言葉で覆い隠されてしまっている感もあるが、山越えルートは獣道に毛が生えたような酷道でもある。一部ルートによっては上級者向けハイキングコースとそう大差ない道もあり、急斜面をロープ片手に上り下りさせられるような場所もあると聞く。
 さすがに街灯もない中、暗闇が横たわるそんな山道を下山コースとして好き好んで歩く観光客がいるとは思えないし、仮に迷い込んだとしても道を間違ったことに気付いて引き返すだろうというのが鷹尚の言い分だった。
 続いて、鷹尚は旧道を経由する以外の方法で、トラキチの危惧する無関係の誰かが四上下館を訪れる可能性についても触れる。
「付け加えておくと、旧道経由以外でもこの時間に四上下館に来ようなんて人はまずいないと思う。一応、有名処としては厳灯院(げんとういん)だかなんだかいうそこそこ歴史のあるお寺もこの区画にはあったらしいけど、今は廃屋と見分けが付かないような状態だし、それこそまともな明かりもないから心霊スポットと見紛うレベルだよ」
 一応の売りである歴史ある宿場町としての風景も、前述した通り街灯の設置もままならないため夜間は見るべくもない。改めて、四上下館の外れの外れたるこの界隈についての認識は、当初の鷹尚の言葉通りであるのだった。きちんと整備し直さないと人を呼べるような場所ではないのだ。
 つらつらと四上下館の一般的な認識を聞き、トラキチはようやく満足そうに頷く。
「だったら、仮に何かあっても誰かを巻き込む心配はないってわけだな。間違いなく一体は、結晶化した塵が居るんだ。何事もなく終わるってのは無理筋だろ?」
「……だな」
 申し伝えを聞き四上下館を訪れてその現状を確認した結果として「何事もなく終わるのは無理」としたトラキチの認識は、鷹尚も完全に同意する内容だった。
 もう、何事もなく「良かった良かった」では終われない。そうすると、その対処のための準備というものも自然と変わってくる。
 トラキチは大きく伸びをして体の調子を整えるぐらいだったが、鷹尚の方はブレザー胸部の裏ポケットからジッポライターを取り出したりもする。それは以室商会の屋号が刻印され、底部には「以室商会」のロゴが入ってはいるものの、取り分けパッと見で何か特別な代物という感じはなかった。
 鷹尚がキャップを開けてホイールを回し問題なく着火することを確認する一連の作業の中でも、何か特殊な動きをして見せるでもない。それでも鷹尚は、その状態を「問題ない」と言う。
「ジッポの方は万全だ。いつでも行ける」
 続いて、鷹尚は腰に巻いたポシェットから麻でできた巾着袋を取り出し、それをトラキチに向けて放る。
「ここへ来る途中、バスの待ち時間でカミシロマーケットによって白米を買っておいた。何の処理もしてないけど、足止めぐらいには使える筈だ」
 巾着袋を受け取った瞬間、トラキチは拍子抜けしたような顔付きを隠さない。
「随分軽いな。何グラムだ?」
「300」
「300、か。一カ所ばらまいたら、それで終わりの量だな」
 トラキチは苦笑いの表情だった。その裏にある本音としては「どうせ買ってくるならもっと量を用意すればいいのに……」といった感じの内容だろうか。
 しかし、そんなトラキチに対して鷹尚としても言いたいことはあるようだ。
「話が急過ぎて、量を用意している暇がなかったんだよ。高校から帰宅する途中にシロコから連絡貰って、その足でここに向かってきたからな。大体「四上下館の方で塵がまずい感じになってるかも」なんて連絡だけじゃ、量を用意するべきかどうかも判断できないっつーの! つーか、トラキチ! シロコ経由じゃなくて、直接俺の携帯に連絡しろよ」
 一気に勢いを増した鷹尚に、トラキチはげんなりした顔で言う。
「携帯ってあれだろ。184なんちゃらかんちゃらかんちゃらちゃん……っていう長ったらしい数字の羅列だろ? 普段全く使わないんだし覚えられねぇよ、あんなの」
「……なんで大前提が非通知連絡なんだよ」
 溜息混じりにそう声を絞り出すと、鷹尚はガクッと項垂れた。それ以上何を言っても無理だと思ったのだろう。
 一応、連絡が取り合えるように以室商会として携帯電話を一台用意しているはずなのだが、トラキチは持ち歩いていないのだろう。
 シロコとトラキチで共有している1台であるとはいえ、主に店番をしているシロコが携帯電話を持っている必要はない。それこそ、以室商会の店先にある固定電話を使えば良い。
 店に繋がる電話番号だけは継鷹が無理やり覚えさせた形だが、鷹尚の携帯番号は何度言っても覚えてくれないのだ。
 鷹尚はふと以前も似たようなやり取りをしたこと思い出した。
 その際、トラキチはなんて言っていただろうか。確か「絶対無くすから、持ち歩きたくない」だとか何とか宣っていた筈だ。割と束縛されることを嫌うタイプでもあるので、体の良い言い訳を口にしているだけの可能性も多分にあるのだが、こればっかりは何とも言えないのが難しいところでもあった。
 何でもない只の人のように振る舞って見せてはいるが、如何せんトラキチはそうではないのだからだ。
「準備は良いな? だったら、さくさくっと行きますか!」
 そう口を切るが早いか、トラキチはすぐさま行動を開始する。またも、先行するのはトラキチだ。
 道沿いに進んでいくと、次の次の街灯に辿り着く前に脇へと逸れる小さな道がある。その脇道を突き当たりまで進んだところに、鷹尚の言うお社はポツンと存在している形だった。
 尤も「お社」とは言っても、人一人がどうにか屈んで中に入って身を隠せるぐらいの小さなものである。お社の周りには背丈のある木々が鬱蒼と生い茂っていて、そこで行き止まりとなっている場所だ。すぐ手前に街灯が設置されていて、辛うじて光源が確保されているとはいえ、決して夜間に好き好んで近付きたい場所ではない。
 トラキチの後をついて走り、お社付近に到着しても周囲の雰囲気が大きく変わることはなかった。程よく不気味で薄気味悪さが漂うのは変わらないが、お社前の街灯にも雑多な種類の虫がこれでもかと無数に集っていて環境的には差異がないように感じるのだ。
 尤も、前述した通り、それは朗報であり、お社前に到着した鷹尚とトラキチを安堵させる要因でもある。
 ただ、そうは言ってもお社前で再び一息付いているだけの余裕があるかというとそうではなかった。
 通りから外れた行き止まりに当たる場所だ。ここで襲われでもしたら逃げ場はない。
 鷹尚は手早くお社の前へと進み出ると、すかさずスマホのライト機能をオンにする。
 お社の引戸の高さに合わせて屈み鍵の掛かっていない引戸に手を伸ばすと、鷹尚はそれを半ば力任せに開ける。途中、ギギ、ギギ……と軋む音を立てて、お社は引戸の開放を拒むものの鷹尚にそれを意に介した風はなかった。元から、そういう立て付けなのだろう。
 そうして、立て付けの悪い扉を破壊せんばかりの勢いで強引に解放すると、鷹尚はすぐにスマホを翳して中の様子を確認する。
 お社の中には、お盆のような木製の器に一枚の紙を敷き、そこに10cm程度の高さに盛られた盛り塩があるだけだった。寧ろ、他には何もない。そもそも、お社の前には賽銭箱は愚か、お供え物を置く台すらないのだ。即ち、神様を祀る類のものではないのだろう。
 そして、そんなお社の中に配置していた盛り塩の状態はと言えば、鷹尚が想定していたよりもずっとまずい感じであるのは一目瞭然だった。
 周囲の穢れを払うためのその盛り塩は、金属に赤錆が生じているかの如く全体が赤黒く変色し思わず鼻を覆いたくなるような異臭を放っていたのだ。木製の器に敷いた紙にもところどころ赤黒い染みが滲み、既に穢れ払いの役割を十分に担えていないことは言うまでもない。
 その盛り塩の状態を前にして、鷹尚は呆気にとられた様子を隠そうともしない。
「たかだか2ヶ月程度の時間で、ここまで塵の結晶化が進むことがあるなんて……。実際にこの目で見ても、まだちょっと信じられない」
 トラキチは鷹尚の後ろからひょいっと盛り塩の状態を覗き込むと、ここに来て四上下館の対処を上手くやれていなかった可能性について言及する。
「もしくは、前回・前々回と、隅々まで大掃除した気になっていただけで、掃除できていなかった場所があったのかも知れないな。これを片付けたら、もう一度塵が集り易い吹き溜まりだとかの見落としがないか、入念に見て回った方が良いかもな」
 トラキチの言うことも尤もだったろう。
 ただ、今後のことはさておいて、差し当たってはこの状況をどうにかしなければならない。
 盛り塩の状態をその目で確認しても、トラキチにはその「やられ度合い」は判別が付かないらしい。「予測はできているけれど……」とでも言わんばかり、お社へと足を運んだ当初の目的の結果がどうであったのかを軽い調子で尋ねる。
「で、どんな案配?」
 鷹尚は盛り塩の様子を改めてマジマジと注視した後、ポシェットから手帳を取り出し付箋を貼ったページを開く。そこには盛り塩の状態から周囲の状況を読み解くための方法が手書きされていて、鷹尚はそのページと実際の盛り塩の状態をスマホのライトで照らしながらまざまざと何度も見返した後、四上下館に吹き溜まった塵の状態についてこう述べる。
「穢れ払いの盛り塩は見ての通り満遍なく駄目になってるっぽい。それでも、四上下館の区画の中で局所的にヤバくなってるようなところはないみたいだ。恐らく、広範囲に渡って全体的にこんな感じになっているんだと推測できる。で、結晶化した塵は多分一体のみ」
「そいつは朗報!」
 トラキチの「朗報」という認識が、局所的にまずいことになってる部分がない点を指したものか。それとも、結晶化した塵が一体のみしか居ないだろうと言う認識を示したものか。或いはその両方を指したものなのかは定かではない。しかしながら、鷹尚の口から溜息しか出なかったのと比較すると、その認識は非常に対照的だと言えただろう。
 まだ「その状態に留まっているのだからどうにでもなる」という認識が強いか。「想定外の速度でこんな状態にまで陥ってしまった」という認識が強いかの差なのだろうが、こと「これからその対処に当たる」というからにはトラキチの認識の方が良い傾向であるのは言うまでもなかった。
 盛り塩の状態を目の当たりにしてからこっち、未だに低いテンションのまま回復しない鷹尚の尻を叩くようにトラキチが急かす。
「さっさと結晶化した塵を焼き払っちまおうぜ。ここから塵の状態だけが一気に悪化することなんてそうそうないとは思うけど、こんなん放ったまま今夜は解散なんてあり得ないだろ?」
「あぁ、……そうだな。さっさと対処してしまおう」
 そう声を絞り出したものの、鷹尚の表情は未だ優れない。
 四上下館に溜まる穢れとは、誤解を恐れずに言ってしまうのならば、黄泉路のそこ彼処に漂う淀んだ空気や、黄泉路を漂う穢れそのものである。
 彩座市(あやざし)という土地は、一定の条件が整った時にそのあちらこちらが黄泉路と交錯することのある特異な場所の一つであるのだ。古い宿場町を有する彩座という街が、古き時代の為政者によってそういう風に作られたのか。それとも、そういう風な場所だから、特異な文化が発展したのかは定かではない。しかしながら、彩座は古い昔からその手の様々な伝説や風習が残る土地でもあった。
 即ち、ここで「塵が溜まる」が意味することは、彩座市が黄泉路と交錯したことを意味する。
 もちろん、昔からそういう場所なのだから、彩座に置いてそれ自体は何ら異常なことではない。しかしながら、それまで3ヶ月間隔での掃除でどうにかなっていたものが、それよりも1ヶ月も短い間隔で塵が顕在化するようになるからには何か特異な事態が発生していると考えるのが普通だろう。
 そんな風に小難しいことを考えていた鷹尚の手を取って、トラキチがお社を離れる。
「多分、さっきの崩れた石垣の向こう側の薄暗がりの中だ。一番、あの奥から例の嫌な臭いが漂ってた」
 トラキチの感覚がそう告げているのならば、恐らく間違いないだろう。
 もし、相手が複数個体居るとなると、もっと「背後を突かれることがないように……」だとか諸々考えなて動く必要が生じる。けれども、相手が一個体だけであると解れば、こそこそ隠れながら動き回る必要は無い。一気に慎重さを欠いたトラキチの行動は、そうすることで塵の側から姿を見せてくれれば「これ幸い」とでも言わないばかりだ。
 程なくして、先程の欠損した石垣の前へと到着すると、鷹尚にも確かに盛り塩が発していた臭気が仄かに感じられるような気がした。トラキチには到底及ばない鷹尚の嗅覚だったが、それでもそれを感じ取れるのだからもう間違いない。
 そして、欠損した石垣からひょいっと向こう側を覗き込んだところで、目論見通りそれをそこに発見する。
 それは、人の形を模してはいない。言ってしまえば、真っ黒な岩のような塊だった。大きさにして、思っていたほどでは無かった。高さ・幅共に1mもないぐらいだ。
 目も鼻も耳も持たないが、それでもそれは鷹尚とトラキチという存在を認識したようだ。恐らく、塵の塊を中心として周囲に漂う靄のようなものが、それの一部であって感覚器官のような役割を果たしているのだろう。
 塊のちょうど中央部分をぱかっと口のように開いて、低い唸り声のような「音」で牽制する。じりじりと滲み寄りながら、その口と思しき穴を大きく開くと、丸呑みにでもしようというのだろうか。
 尤も、塵の結晶化が進だ結果として、それが突き詰められた最終型として人の形を模すかどうかを鷹尚は知らなかった。大きく結晶化の進んだ塵を、まだ目の当たりにしたことがないからだ。
 知識として分かっている範囲でその構造をいうのなら、それは黄泉路の穢れを核として、その周りにこちらの世界を漂う穢れを集めまとって肥大化した存在である。肥大化するその最中にあって、同じように黄泉路の穢れを掻き集めて核自体を肥大化させていくのだが、それがある一定規模に達すると周囲に「災禍」をもたらすものへと変質する。
 ともあれ、四上下館で結晶化したその穢れは、鈍重ながら自律的に動き回ることができるレベルにまで達していた。
 そして、既に鷹尚とトラキチという他者が「自らに危害を加えようとしている」という状況を認識できるようでもあった。それは即ち他者と区別された「個」という意識を持ち合わせていることを意味するだろう。そこまで進化しているのならば、災禍として「我」を持ちあちらこちらと彷徨い歩く存在となるまで後一歩と言ってしまっていいかも知れない。
 その事実に、鷹尚は苦々しい顔付きを隠さなかった。
 それは「穢れを払う」という役目を担っている鷹尚に取って何よりも忌避すべき事態だったからだ。
 その一方で、ここに来てトラキチは一際高いテンションを見せる。こうして実戦に至る機会なんて滅多にないことだから、闘争本能をこれでもかと言うほどに刺激されているようだ。
「見つけたぜ! 鷹尚! 俺が先行するでいいな?」
 そう聞いておきながら、トラキチは鷹尚からの返事を待たない。トラキチが持つ本来の夜行性の習性も、多分にその言動に影響を与えていたかも知れない。
 トラキチは明らかに人のものを凌駕する動きを伴って、塵の塊を圧倒し翻弄する。塵の塊がどんな攻撃を仕掛けて来るのかを引き出すため不用意に距離を詰めたり、周囲に漂う靄を頻りに拡散させたりした。
 しかしながら、当の塵の塊は大きく開いた口の向きをトラキチの動きに合わせて変えるだけで、他に何かを仕掛けてくるわけでもなかった。いいや、現在の結晶化の進行度合いでは、それ以外何もできないのかも知れない。
 それを把握すると、トラキチの動きは塵の塊に対すて実際に攻撃を繰り出すものへと変わる。
 トラキチは、自身が備える鋭利な爪によって、子供の胴体ぐらいの太さを持つ角材をバターのように切り裂くこともできる。もちろん「鋭利な爪」なんて表したところで、実際に鋼のように高質化した、どこかのアメコミのヒーロー宜しく長さ数10cmの「爪」を持つわけではない。そして、それは実体を持たない霊体といったような相手にも、問題なくダメージを与えることもできるらしい。
 曰く、実体を持つものも持たないものも切り裂ける。ただ、本人にも原理は分からないとのことだった。鎌鼬のようなものを伴っているのか。それとも、念力のようなものをともなっているのかは分からないながら、ともかくそうしようと思えばそうできるらしい。
 トラキチは塵の塊が機動力や攻撃手段を持たないことを十分に確認した上で、麻の巾着袋を取り出し白米をその場にぶちまける。
 塵の塊はトラキチが白米をばらまくことで大きく怯み、大きく開けた口を慌てて窄めた。白米をぶちまけた効果としては主にそれだけだったのだが、言ってしまえば「それだけ」で十分でもあった。
 トラキチが大仰な動作で腕を振ると、周囲に充満した靄のような気配が一時拡散する。すると、靄の切れ目を縫って、瞬時に塵の塊へと接近し迷うことなく鋭い爪による一撃を加えた。
 塵の塊は、その一撃がヒットした場所を中心に大きく抉れた。塵の塊の後方で、つい先程まで塵の塊だったものが落下しボチャッと嫌な音を立てる。
「いいぜー。今だ、突っ込め、鷹尚!」
 トラキチが作った靄の切れ目を抜けて、鷹尚は塵の塊へと突進する。
 一撃を加え塵の塊の一部を剥ぐように抉り取ったことで、もう零距離まで接近する必要もない。
 塵の塊まで後3mといった辺りで、鷹尚はジッポライターに火を灯す。
 どんなに現世の穢れを寄せ集めて身に纏って見せたところで、所詮は付け焼き刃に過ぎない。その根幹が、あちらの世界の穢れが結晶化したものである限り、こちらの世界の「火」に対する抵抗力は皆無に等しいらしい。まして、周囲に影響力を行使できる状態に移行しつつあるとは言え、まだそれ自身では広範囲に動き回ったりできない存在だ。動きも鈍重で、まだ如何様にでも対処可能なレベルであることは幸いだった。
 塵の塊は眼前に灯された現の世界の火に対して、何かしらの防御態勢を取ることすら適わない。
 次の瞬間、寄せ集めた現世の穢れやガラクタの隙間から濃緑色の煙を吹き出し始め、あっという間に黒煙と真っ赤な炎に包まれてしまった。パッと激しく弾けるように火勢を強めるところまで行くと、そこから後は一気に下火になって燻るかのように延焼を続ける。
 周囲を漂っていた靄も、そこを堺に一気に薄れ始めた。
 もし、もっと事態が著しく悪化してしまっていれば、この靄も所謂「瘴気」と呼ばれる類いのものに化し、厄介なものになっていた筈だ。
 そういう意味では、やはりまだまだどうとでもなるレベルに留まってくれていた方だったのだろう。
 尤も、例えこのレベルであっても、鷹尚はここまで「成長」させてしまうつもりなど毛頭なかったのだ。
 だから、これは明らかに異常であった。
 根本的な原因を追及して、再発防止をしなければならない「異常」である。
 四上下館という場所は、確かに鷹尚が認識している「穢れ」の溜まる土地の一つだ。そうして、定期的に巡回しながら、その溜まる穢れを散らしている場所の一つでもあった。
 問題は明らかで、今の今まで3ヶ月に一度の周期で「定期的」に穢れを散らしていれば良かったにも関わらず、それよりもずっと短い期間で穢れが大きく成長したことだ。
 例え、これが例外的な事象なのだとしても、原因を突き止める必要があることを鷹尚は意識せざるを得なかった。
 もし原因を突き止められなければ、鷹尚は四上下館の巡回頻度を大きく増加させる必要がある。
 ともあれ、塵の塊だったものは火勢を強めて大きく燃え上がった後、その形態を維持できなくなってその場に崩れる。
 ごろんと前のめりに崩れた後はぼろぼろと細かな破片へと変わり、後には何も残さなかった。
「ある程度しっかりした形を為すぐらいまで結晶化が進んでいたとは言っても、こんなもんか。呆気ないもんなんだな」
 ぼそりと呟くトラキチの言葉に、鷹尚は驚いた様子を隠さない。てっきりトラキチは、もっとしっかりとした形を為した塵の塊を目の当たりにしたことがあると思っていたからだ。
 その口振りから察するに瘴気を撒き散らす「災禍」となってあちらこちらを徘徊するレベルにまで結晶化した塵の塊を相手にしたことはないのだろう。
「じいちゃんについて回っていた時に、もっと結晶化の進んだ塵の塊を相手にしたことがあるんだろうなって勝手に思っていたよ」
 率直な鷹尚の感想を前にして、トラキチは呆れたように答える。
「もし塵の掃除を以室商会が請け負っていたら、あの継鷹がそんなんなるまで塵を放置すると思うか?」
 トラキチは「あの」という形容を用いて、継鷹をそう評した。
 そして、そう言われてしまえば「それは確かにその通り」で終わってしまうのも、件の継鷹だった。
 それでも、トラキチはこれ以上の塵の塊を目の当たりしたときのことをつらつらと語ってくれる。
「一番ヤバげな結晶化した塵の塊を目の当たりにしたのは、冥吏(めいり)が「塵の管理でやらかした」って継鷹に泣き付いてきた時だな。もう三年くらい前の話……になるな。まぁ、その件は俺の出る幕なんかなくて、気付いたら継鷹がささっと事態を鎮めちまった後だったけどな」
 トラキチの口から「冥吏」という単語が出て、鷹尚は何とも言えない表情を見せる。
 何を隠そう、今こうして四上下館で塵の対処に当たっているのも、その冥吏の依頼によるものだからだ。
 冥吏とは簡単に言ってしまうのならば、生物の輪廻転生を管理するあの世の存在である。だから、広義で言うならば、死神や地獄の鬼といったものも「冥吏」と言ってしまえるかも知れない。
 ともあれ、鷹尚はトラキチの言葉に首を傾げる。
 四上下館の塵の管理は、最近になって鷹尚が冥吏から依頼を受けて対応することになった「付随業務」だ。
 少なくとも、過去に一度そうやって冥吏が塵の管理でやらかし以室商会に泣きついているのならば、それ以後の塵の管理を依頼されていても何らおかしくない。
「じいちゃんは「塵を散らす」って冥吏の依頼を請け負わなかったのかな……? 向こうが泣き付いてきたなら営業し掛けるまでもなく、以室商会の仕事の一つにできただろうに」
 その辺りの事情について、トラキチは詳しくないようだった。
 鷹尚が抱く疑問に対して、当てずっぽうの推察を口にする。
「折り合い付けられなかったんじゃないか?」
 尤も、その推察は完全に当てずっぽうというわけでもないらしい。トラキチは続ける言葉で、そう推察したに到る理由について触れる。
「だって、そうだろ? 塵を散らすって作業に対してさ、当の依頼主である冥吏は大した対価を支払うでもないだろ? 労力に見合うだけの対価が貰えないなら、当然それを請け負わないっていう選択肢もある。俺はそこんとこ詳しくないけど、以室商会として請け負う商売として成り立たないなら、受けないっていうのも当然のことなんじゃないのか?」
 トラキチにそう同意を求められると、当の鷹尚も思うところはあるようだった。現に、今「塵を散らす」という作業に対して、鷹尚は到底労力に見合う報酬を貰えているとは思っていなかったからだ。
 しかしながら、冥吏から「彩座の各所に溜まる塵を散らして欲しい」と持ち掛けられた時、鷹尚は継鷹に対して「どうしたら良いか」をきちんと相談した上で、今こうして塵を散らすという作業に当たっているのも事実だ。
 但し、その時の継鷹の回答は「鷹尚のやりたいようにやればいい」という内容だったことも確かだった。
 今思えば、継鷹は「塵を散らす」という作業を通して利益がどうのこうのではなく、あくまでそれを鷹尚の勉強のために使ったという線が濃厚だったろう。
 適切な間隔で対処に当たるならば基本的に危険性は低い。実際に発生する作業内容も比較的容易な内容だし初心者向けだが、如何せん手間だけは掛かる。その上でこの作業を通して「冥吏」という以室商会の商売相手と雑多なコミュニケーションが取れるのだ。勉強には持って来いの案件だと、言えなくもない。
 さらに言えば、継鷹から「塵を散らす」という作業に対して「これぐらいの対価を要求しろ」だとか「この程度の対価が妥当だ」といったような指示や情報を与えられているわけでもなかった。塵を散らすやり方も、頻度も、依頼主に対して求める対価についても、鷹尚の裁量によって決定可能な状態だった。
 以室商会が召し抱える「トラキチ」という猫の妖かしを駆り出すのさえも鷹尚の自由だ。
 尤も「トラキチ」とは「召し抱える」なんて大層な表現を用いるような存在ではないのも事実だ。こう言ってしまえばそれまでなのだが、飼い猫であったものが妖かしと化したのだ。もちろん、継鷹がそう仕向けるべく、迎え入れ育て上げたのかも知れないが、子猫の時分から一緒に成長してきたトラキチが鷹尚の手伝いを文句たらたらではありつつも厭わないのは言うまでもない。
 時折、それなりに「ああ、面倒だ。億劫だ」と思っている節もあるにはあるが、食い意地の張った性格と生来の好奇心の強さもあって、好物を引き合いに出されるとまず鷹尚の手伝いを断らないのがトラキチだった。
 そうして、塵の塊が周囲に延焼することなく完全に鎮火し後には何も残さなかったことを確認すると、トラキチは鷹尚にこの後のことについて尋ねる。
「どうする? このまま塵の溜まり易い場所を見落としていないかどうか、今から一通り見て回るか?」
 その口振りに、それを面倒くさいと思っている節はない。まだまだ元気は有り余っている様子であるし、何よりあっさり終わったとはいえ塵の塊相手に闘争心を開放をして、未だ興奮醒めやらぬといった感覚なのかも知れない。
 その一方で、心底げんなりしているのは鷹尚の方だった。なにせ、高校終わりに連絡を受けて、その足でここ四上下館へと足を運んでいるのだからだ。
「いや、急場は凌いだんだ。日を改めようぜ。あんまり根を詰めて張り切りすぎると明日に響く。ただでさえ、ここ最近、授業中に寝落ちする頻度が上がっていて、先生に目を付けられているんだ。親に連絡が行って以室商会のアルバイトに影響が出たら元も子もないよ。しかも、アルバイトって言ったって、とどのつまりはただの家業の手伝いだから、あっさり「じゃあ、明日から高校での生活態度が改善するまで手伝いは週一に減らす」とか言われ兼ねない」
 肩を落としながら、鷹尚はつらつらと自身が置かれる以室商会アルバイトとしての現状をトラキチに語った。
 鷹尚自身、それをトラキチに言ったところでどうなるものでもないのは分かっていただろう。なにせ、トラキチがそれを聞いたところで「そうか、頑張れ」ということしかできないような内容なのだ。
 それこそ、鷹尚自身が気張るしかない問題であるけれど、そうやって口を切ってしまえば弱音も続く。
「実は、じいちゃんには前も言われたんだ。学生の本分は勉強だって。両立できないのなら、以室商会の手伝いをする必要なんてないとも言われた」
「そっか。じゃ、仕切り直しだな。日を改めよう」
 どよんとした空気をまとい始めた鷹尚だったが、対するトラキチは当然といえば当然の如くそんな様子など気にした風も無く、さっぱりと「一仕事終えた」モードに気分を切り替えてしまうと、そそくさと帰り支度を始めたのだった。




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