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Seen17 緑苑平フォレストコンコース異式錯落(上) -招現寺に封じられた厄災-


 レーテや遙佳達を乗せたSUVがゆっくりと発進し、平野守美術館前の駐車場を抜けていったのを目で追うと、笘居が溜息交じりに声を上げる。
「それじゃあ、……ノクトール君だっけ? 悪いんだけど手伝って貰っても良いかな?」
「何をすればいいんだ?」
 小首を傾げて指示を仰ぐノクトールに対し、笘居は茶褐色で中身を見通すことのできない小瓶を差し出す。
「中心部に咲いた禁呪の花は放って置くとドンドン勝手に成長・拡大するから、この中身の抑制剤を大体10〜15分間隔で振り掛けるのがまず最初にやることだね。量はキャップ一杯分ぐらい。抑制剤を一気に掛けても中和されてしまうんで、まどろっこしいけれどここは時間を掛けて回数を重ねるしか手がない。幸い、禁呪を発現させてからまだそう時間が経過していないから、正威君の見積もりだと2〜3時間で完全に朽ちた状態まで持って行ける見込みだ」
 2〜3時間という時間をノクトールはどう捉えただろうか?
 まして、ノクトールは禁呪の発現する場面に立会いその一部始終を目の当たりにしている。そして、正威はこうも言っていた。「この禁呪はまだまだ段階を追って強力なものにしていける」と。それは即ち、発現させてからまだ間もない状況で、しかも初期段階と思しきものを鎮めるにも関わらず、2〜3時間掛かるといっているわけである。
 ノクトールはこれが如何に危険な代物なのかを改めて認識せざるを得なかっただろう。
 そんなノクトールの驚きを知ってか知らずか、笘居は作業手順の説明をさらさらと続ける。
「この抑制剤を振掛ける作業を交互に行う。禁呪の影響を抑える錠剤を飲んでは貰ったけど、大輪の花が咲き誇る中心部ではそれでもかなりの影響を受ける筈で、一人の人間が10〜15分間隔で抑制剤を振掛けに行くのは危険を伴う。花さえ枯れさせてしまえば、禁呪から受ける影響も大きく減衰するんだけど、……それまでが勝負だね。できれば3〜4人の持ち回りで行きたいところだけど、そうも言ってられない」
 笘居は禁呪に対する説明をしながら、横目で壁際に横たえられた星の家の構成員を流し見ていた。
 本音を言えば、禁呪の後処理をこの2人だけでは行いたくない。せめて誰か1人でもいいから、奇跡的に軽微な影響度合いに留まってくれていて、後処理作業に加わってはくれまいか。笘居からはそんな思いが透けて見えもした。
「でもまぁ、良かったよ。咲き誇っている大輪の花はまだたった一輪だ。これが数十輪と咲き乱れるレベルにまで禁呪が進行していたりしたら、それこそ一週間程度掛けて、数十人単位で対策を行わなければならない大掛かりな作業になるからね」
 笘居の視線は正威が禁呪を発現させた平野守美術館の中心部へと向き、そこに根を広げた一輪の朱色の花へと向いていた。まだ幹も細く、背の高さも40〜50cmしかないそれは、簡単に手折れてしまえそうに見えるほど華奢だ。とてもそれが原因となって、星の家の構成員が壁際に横たわったまま行動不能に陥っているとは到底思えない程、……だといって良いだろう。
 何も事情を知らなければ「あぁ綺麗な花だな」と思った人達が、何の気なしに近付いて餌食になる恐ろしい呪いだとは決して解らない。
 笘居の視線を追って、ノクトールも禁呪の花へと目を向ける。
「過去に、そんな事態へ陥ったことがあるのか?」
 それは好奇心から、ノクトールの口をついて出た質問だったろう。
「ある。これは久和一門のみが扱うことのできる秘術といった類のものじゃないんだ。扱い方さえ知っていれば、比較的能力が低い術者でも簡単に発現させられる。でも、もうそれとなく解ってしまったかも知れないけど、鎮める方が簡単じゃない。鎮めたと思っても対処法が不完全だったりして気付いた時には広範囲に禁呪の花が咲き誇っていたなんてこともあったらしい」
 さも吐き捨てるかのような口調で、笘居は答えた形だった。
 そこにはこの禁呪に対する否定的な立場も見え隠れする。
「そういう難点があっても、手軽に発現できて、設備や術による妨害をものともせず、効果には即効性があり、即座に広範囲の対象を戦闘不能に陥らせることができるというメリットが大きいからか、禁呪と言われながらも度々使用されてきた過去があるし、今もまだ使用され続けている。さらにいうと、完全に影響を遮断可能な防御手段もないらしいから、ここぞという場面では切り札に持って来い……ということらしいよ」
 コントロールをするのは非常に厄介だが、有用に使うことができれば比類なき効力を発することができる。
 禁呪の有用性を説明した笘居のイントネーションには、それを肯定的に捉えている節は微塵も感じられなかった。禁呪に対する笘居のスタンスは「使用しないで済むならば、それに越したことはない」というものなのだろう。いや、それはもっと強く「使うべきではない」というスタンスかも知れない。
 ともあれ、苦虫を噛み潰したような顔つきを見せる笘居を前にして、ノクトールが不意に不穏な台詞を口にする。
「ふむ、では、ここであなたを行動不能にして、この場をこのまま放置するだけで、チーム・グレイタイラントが関わるこのプロジェクトに大きな大きな打撃を加えることができるというわけだ。その発端を神河が放ったのだとしても、チーム・グレイタイラントの霞咲での評判は辛辣なものとなるだろう」
 ノクトールの口をついて出た言葉は、笘居の表情を呆然としたものに変える。いや、それはノクトールが何を言い出したのかを、すぐさま頭で処理できなかったからこそだったろう。たっぷり数秒単位の思考停止の時間を挟み、ようやく笘居はノクトールから距離を取って身構える。
「……き、君は、そんなことを考えていたのか! チーム・グレイタイラントだか何だか知らないが同じ「星の家」だろう?」
 大慌てで距離を取る笘居の対応が滑稽に見えたのだろうか。
 ノクトールは口元に笑みを灯す形で破顔しながら、それがただのポーズで、あくまでただのジョークだったことを告げる。
「くく、今のはただの冗談だよ。……そんなつもりは毛頭ない。もし、こちらにその気があれば「状況を根底からひっくり返すことができるな」と、ふと思いついて口にしただけさ。正直、ここまで本気にされるとは思っていなかったけどね」
「質の悪い冗談を真顔で言うのは止めてくれよ。雰囲気から立ち居振る舞いまで、完全に迫真のそれだったよ」
 笘居の言葉は、ノクトールに向けて苦言を呈した内容となった格好だろうか。せめて、もう少し冗談だと解る立ち居振る舞いで付いて出たものだったならば、笘居の反応も異なった筈だ。その一連のやり取りで笘居は無駄にどっと疲労を蓄積させただけである。
 ノクトールは一頻り笑った後で、そこで一つ咳払いをして間を取り、自身のそんな冗談によって中断した作業手順へと話を戻す。
「一つ確認しておきたいが、取り敢えずは朽ちさせられればそれで終わりだと考えていいのか?」
 どんな状態になれば作業が終了したといえるのかを問うたノクトールの背景には、笘居が如何に禁呪が厄介な代物であるかの話に触れたことが多分に影響していただろう。そして、笘居がそれをきちんと把握しているのかを確認する意味合いも含まれていたはずだ。
 笘居は首を左右に振った後、後処理が現状自己完結できない旨を説明する。
「いいや、それが一筋縄じゃいかない。完全に朽ちた状態まで持って行った後、禁呪を封印する作業が必要になるんだ。ただこれにはかなり高度なテクニックが必要になる。封印作業を行える人の手配を掛けてはいるけれど、現状目途は立って居ない。しかも厄介なことに完全に朽ちた状態からでも、抑制剤がなければこの禁呪は小一時間もすれば再び目を出す。一応、完全に朽ちた状態であれば抑制剤を振り掛ける頻度は30分に一度ぐらいまで落としても問題ないんだけど……」
 禁呪を完全に封じる手立てはない。その上で、当面の目標は「完全に朽ちさせること」だと笘居は告げた形だ。
 そこから先は、封印作業を行える人の都合が付かない限り、終結宣言をいつ出せるか見通しが立たない状態であるわけだが、笘居の様子にそれを不安視する面は見えない。久和一門という大きな括りで見れば、当然それを行うことのできる人材は「神河正威」以外にも無数にいるからだろう。
 そして、笘居自身も多少の時間は掛かったとしても、人の手配が難航するとは考えていないからこその態度だと言えた筈だ。
 その上で、自身が置かれる時間的な猶予についても笘居は言及する。
「当初は正威君が封印の後処理までを含めて対応する手筈で考えていたから、小瓶の総数は予備を含めて三本。小瓶は大体キャップになみなみと抑制剤を注いで10回分ぐらいの容量がある」
「つまり、禁呪の花が全く朽ちないと仮定して、10〜15分間隔で振り掛け続ける事態になったとしても最低5時間分は凌げる計算か。一応、かなり余力を持った状態にはあるわけだな。後は二人が交互に作業するという状況がどう影響をするか……か」
 聡しく現状を把握して見せたノクトールからも、現状を不安視する向きは見えなかった。
 最低5時間は凌げる。その事実は非常に大きな意味合いを持つ。
 それこそ5時間あれば、一部例外を除き櫨馬地方にある近隣の主要都市部へのアクセスが可能だからだ。それこそ、星の家のホームタウンである「櫨馬市」ならば、有料道路等を用いる等の手段を講じれば、ほぼ全域から問題なく泥峰へアクセスできる筈だ。さらに言えば、泥峰が僻地であることを加味しても、立木のような土地勘もあって小回りの利く運送屋を用いる等、様々な手の打ちようもある。
 まだ、慌てるような時間ではないわけだ。
「さて、作業に取り掛かろうか、ノクトール君?」
「了解した」


 それはノクトールと笘居が作業を開始して間もなくのことだった。
 笘居も、ノクトールも、平屋守美術館内の薄暗がり、しかも自身の背後に何者かの接近を察してその手を止めることとなった。いや、それは「接近を察知した」なんて生易しいものではかった。それは既に平野守美術館の館内、笘居とノクトールが作業をするフロアの中にいつの間にか存在していたのだ。相手がその気だったならば、笘居やノクトールが何か反応を返すよりも早く2人を襲撃できただろう。
 緊張で固まる笘居とノクトールに対し、それは全く何の前置きもなく徐に声を発する。
「放つは易し、ただ鎮めるには難あり。厄介な禁呪の発動を感じたから、ここかと思ってやってきてみれば、どうやら一足遅かったようだな」
 そこに敵意のようなものはない。ただ、好意的な口調かというとそうでもない。適切な距離を保たんとするやや事務的な態度と言えば、それが最も近かったかも知れない。
 禁呪の使用を察したと述べたそれは、続ける言葉でここには居ないその使用者たる神河の行方を問う。
「神河は、ここには居ないのか?」
 笘居は半ばその未知の相手に気圧される状態にありながらではあったが、そこで押し黙るわけにはいかないと感じたようだ。相手がそうであったように適切な距離を意識したやや事務的な態度で応対する。
「あなたがどのような立ち位置の存在なのかが解らないので詳細は話せませんが、神河は緑苑平フォレストコンコースへ向かいました。ここの後処理は、私、笘居が任されています」
「我は主窪。主窪主とも呼ばれるものだ。此度、神河へ星の家の対処を頼み、また起脈の対処を頼んだものだ」
 笘居の言葉にそれは自身を主窪主だと名乗った。
 相手が星の家の対処を神河に要請した依頼者だと知って、笘居は思わず驚きを隠さなかった。まさかそんなものがこの場に出張って来るとは想像だにしていなかったのだろう。
 ここで下手な応対をするわけにはいかない。そう腹を決めてしまえば笘居は慣れたものだった。社会人として顧客を相手に対する、当たり障りのない立ち居振る舞いを整える。伊達に西深海再開発事業団に勤めていないというわけだ。
「まずは、そちらへ向き直っても構いませんか、主窪主様?」
「くく、構わんよ。何、心配するな。我の容貌をその目に捉えたからと言って何があるわけでもない」
 まず苫居が主窪主へと向き直り、続いてゆっくりとノクトールがそれに続く。
 平屋守美術館に姿を表した主窪主とは軽く3mをも超える体躯に、全身を褐色を基調としたどこかの民族衣装のようなものに包んだ異形だった。
 御沼主神社の時とは異なる出で立ちであり、また頭部を隠す布切れも装着してはいなかった。
 その人で言うところの頭部に当たる箇所には、目や口といった器官はなくのっぺらで、代わりに黄を混ぜた白色で複雑怪奇な紋様が描かれている。
 腕が異様に太く長く、だらんと垂らした状態で床に付く程で、五本の指も30cmはあるだろうか。ゴワゴワとした体毛に覆われていて、腰から足に掛けてのラインは完全に地を駆け獲物を狩る肉食獣のそれだ。
 さすがの苫居もぎょっとした表情を隠せない程であった。
 主窪主に取って苫居のその反応は想像通りのものだったのだろう。外観からは読み解けないながら、声色に苦笑のそれを混ぜる。尤も、主窪主は口という器官も持たないのだが、どうやら頭部周辺の空気を振動させて「人の声の音」を生じさせているようだ。
 主窪主の頭部周辺に揺らぎが生じた後、僅かな間を置き意味のある言葉が音として生じる。
「自身の領域を離れ、こうして人の前にこの「力を行使するもの」としての姿を晒すのは、かれこれ数十年振りのことになる。神河からは「普賢に関することで話が聞きたい」とのことだったが、その名前が上がるところまで事態が進んでしまっているのならば必ず我の力が必要になる筈だからな」
「……そう、ですか。先程も申し上げましたが、神河は緑苑平フォレストコンコースへ向かいました。何でも、そこには既に件の招現寺へと通じる穴が開き、至急の対処が必要であるとの認識です」
 禁呪の後処理もせず神河がこの場を離れたことを主窪主がけしからんと思うかどうかはさておき、その理由は話しておくべきだと笘居は判断したらしい。
 しかしながら、主窪主の反応は意外なものだった。大凡、神河が緑苑平に向かったという情報を聞いた上で見せるものとして相応しくない対応である。
「招現寺……? 招現寺、か。くく、随分とまた懐かしい響きだ。そうか、だから、神河は我に言付をしたのか。いくらかでも事前に情報を得られればとでも考えたわけか。しかし、櫨馬でそうあったように起脈はまたぞろ、霞咲でも厄介な封印に穴を開けたものだな。霞咲には櫨馬よりも厄介な封印が、数多く、しかも広範囲に遍在している。起脈なんぞを何の考えもなく敷設していけば、遅かれ早かれこうなることは明白だったろうに愚かなことだ」
 神河に向けた反応と、星の家に向けた反応がそれぞれ混ざったことで、主窪主の心中を占める大半の感情が何なのかは咄嗟に読み解けない。神河には感心、だろうか。そして、星の家には呆れや静かな怒り、だろうか。ともあれ、それらは表面に析出した感情の主成分ではなくて、それを包み覆い隠してしまう程の、昔を懐かしむ感情がその声色からは色濃く見て取れた。
 そこに因縁めいたものを感じて、笘居は因果を尋ねる。
「招現寺の封印には、主窪主様も関わっていたのですか?」
「同じ霞咲の名で括られる土地だとはいえ、主窪から遠く離れた場所でのこと。封印自体に関わったわけではない。だが、破戒僧・普賢が招現寺に封じたものの力を削ぐ手伝いをしたことは確かだ。共にあれを迎え撃ったこともある」
 主窪主からは「関わった」といった趣旨の回答が返ったわけだが、笘居が反応したのはそこではなかった。
「破戒、僧……?」
 笘居は招現寺の件について詳細を聞いていたわけではなかったが、それでも一通りの事情は正威から聞いていた形だ。だから、主窪主が普賢を称して言ったその単語には引っ掛かりを感じずにはいられなかったのだろう。まさか、その身を擲ってまで厄神を封じた高僧を、そんな名称で呼ぶとは思ってもみなかったのだろう。
 そんな笘居の動揺を察したからか、主窪主は普賢を「破戒僧」と称した理由を説明する。
「あれを招現寺に封じるとなった時、普賢は自身が属した東密の教えに背き、そして人の領域をも踏み外した。そうでもしなければ人の身であれを封じることなど適わなかったのだ。今更、何かもっと他に取り得るべき最善の手があった筈だといったところで詮無いことだが、……普賢は人の領域を踏み外してでも厄災を押し止める悪手を是としてこれを断行したのだ」
 主窪主の言葉は重苦しい。言葉としては詮無いことだといいながら、やはり思うところがあるのだろう。
 ともあれ、主窪主は招現寺に封じられたその厄災についても言及する。
「しかして普賢は破戒僧となり、招現寺には災禍が封じられた。招現寺に封じられた災禍とは、その名をアマツノクスオウという。アマは天、ツノは将棋の角、クスは虫を払う大樹・楠を指し、そして最後に翁(おきな)の綴りで天角楠翁。招現寺に封じられるまで、長雨と無数の大蝗を伴い霞咲に幾度となく疫病と飢饉をもたらした古い古い神だ」


 SUVは急制動を掛け、霞咲市緑苑平の駅前通りから二区画離れた場所にハザードランプを点灯させ停止した。その場所から駅前通りへと出るまでに、自動車では大幅なタイムロスが発生すると判断したからだろう。事実、そこから先の区画は片側三車線にも関わらず、慢性的な酷い渋滞が生じているような状態にあった。
 立木がSUVから降車するよう促す。
「ここからは徒の方が早い。……悪いな、緑苑平の駅前通りにまで辿り着けてない上、50分といったところを4分24秒オーバーした。ちょうど混み合う時間帯に差し掛かった上、見ての通りの混雑具合だからな。運賃は半額にまけといてやる」
「あんな運転で事故を起こさなかっただけで、十分。正直、生きた心地がしなかったわ」
 辛辣な感想が萌の口をついて出るも、誰もが内心では多かれ少なかれ似通った感想だったのだろう。そこにフォローといった類の言葉が続くことはなかった。そして、それは立木自身にしても思うところがあるのも間違いないようだ。
 萌の辛辣な感想に対して、立木はさも「仕方がなかった」と言わんばかりに肩を竦めて見せるだけだった。何より、そこに何かしらの言葉を返さなかったのは、そこまでして作った貴重な時間を無駄なやり取りで浪費したくなかったからだろう。
 立木は会話の相手をレーテに移すと、これだけは確認しておかねばならないということのみに絞って言葉を続ける。
「俺はこのまま櫨馬警察の相手をすることになるが、根回しは済んでいると思って良いんだな?」
「ええ、櫨馬市の交通局を通して「緊急車両の指定」が為されるよう手配はしてあります。とはいえ、ここまで交通法規を無視していたらさすがにお小言だけでは済まないかもしれませんけど」
「いいや、そこさえ押さえて置いて貰えばどうにかなる。相手が櫨馬警察だというなら尚更だ。奴らは良くも悪くも杓子定規で融通が利かない上に、ところどころ不正を平然と黙認するほど腐ってる。どうとでもなる相手さ」
 立木が侮蔑を混ぜて吐き捨てたその言葉の中から、櫨馬警察に対する思いを正確に拾い上げられたものはいなかっただろう。どうにか「抜け道はいくらでもある」といった内容を、ニュアンス的に感じ取るのが精々だった筈だ。
 ともあれ、立木がそう感じたように、余計なやり取りで時間を潰している暇は無かった。なにせ、立木が無理を押して作った時間だ。
 レーテ達がSUVから降車すると、すぐさまパトカーのサイレンの音が近づいてくるのが解った。バイパスの直線が長く続く区画でちらりとレーテがメーターを覗きこんだ時、針先が180kmを振り切っていたのだからそれも止む無しだろう。加えて言えば、赤信号での停止を嫌って、どう考えてもまずいタイミングで交差点へ少なくとも二回は進入している。あわや接触事故……という場面も二度あった上、追越禁止エリアでの車両追越は当然のこととして、クラクションとパッシングを駆使して前走車に道を譲らせた煽り運転の数に至っては数えきれない。
 レーテ達に合わせて、立木も運転席から降車したのは櫨馬警察の相手をする為だろう。
 立木はハンドル脇のドリンクホルダーから飲み掛けの缶コーヒーを抜き取ってSUVに背中を預けると、ここで分かれて自分の仕事に向かうレーテに対して簡素な檄を飛ばす。
「頑張れよ。健闘を祈る」
 立木の言葉を背に受けて、レーテは右手を挙げるというジェスチャーのみで答えその場を早々に後にする。
 サイレンの音が近づいてくるとあっという間に周囲のざわつきが大きくなる。時刻はまだ20時に届かないぐらいの時間であり、繁華街を行き来する人の往来もまだまだ捌け始めといった頃合いの為、それも当然といえば当然だろう。
「櫨馬ナンバーの白のSUV。警察だ、止まれ!」
 拡声器から怒声が響き渡るも、立木は怯む様子一つ見せない。
 SUVに背を預けた格好のまま、赤色灯を点灯させつつ渋滞を押し退けるようにして近付いてくるパトカーにひらひらと手を振って見せるくらいだ。
「はいはい、こちとら今し方一仕事終えたところだ。逃げも隠れもしないさ。というか、もう既に停車済みだって話だよな。はは、相変わらず一テンポ仕事が遅いぜ、櫨馬警察さんよ」
 立木は缶コーヒーを飲みながら誰に向けるでもなくそう口を切ると、からからと笑いながら櫨馬警察を出迎える。


 SUVから降車して走り出したはいいものの、遙佳達の動きはそこからすんなりとは運ばなかった。
「どっち? どっちに向かえばいいの?」
 向かうべき方向を尋ねたレーテの問いに、遙佳は緑苑平フォレストコンコース内見取図看板前で足を止める。
「ええ……と、前来た時は緑苑平の駅から向かったから、ここからだと……」
 見取図看板前で顔を斜めにして地図を確認する遙佳の様子を見るに、方向感覚は余り優れていないのだろう。前回も、恐らくは緑苑平の駅から目的地までの道程を頭に叩き込んでおいただけで、途中で道を外れたりした場合はすんなり水先案内とはいかなかったのかも知れない。
 ともあれ、見取図を前に唸る遙佳に代わり正威が目的地を明示する。こんなこともあろうかと、場所を一意に特定できる情報を前回訪問時に抜け目なくメモっている。
「緑苑平西地区十一丁目通り、ACAビルヂィング前通路だ。そこが穴の開いた場所だ」
 尤も、名前を挙げてみたところで、それが案内掲示板のどこに当たるかをすぐに読み解けるわけではない。レーテや萌が道案内アプリなどを起動するも正威がメモった名称は登録されておらず、一意にそこへとは案内してくれないようだった。それでもどうにか一行は案内掲示板の大まかな地図を元に緑苑平フォレストコンコースの中地区から北地区へと続く地下道を進み、見覚えのある西地区の区画まで辿り付く。
 その過程で迷わなかったのは、やはり緑苑平フォレストコンコース内の雰囲気や環境と言ったものが明らかに「おかしい」と思えるように変貌を遂げて行ったからだろう。
 喧騒やざわめきといったものが徐々に減り始め、ある場所を境にがくんと途切れる。尤も、それが無意識的に人を遠ざける人払いのようなものを星の家が展開していたからか、緑苑平フォレストコンコースに件の「穴」が開いたことによる影響なのかは定かではない。
 さらに進んでいくと、さらに空気が一転する。誰も口にはしなかったものの、それが良くない類のものであるのは本能で解った。御幣を恐れずに言うのならば、それは空気がぬめり気を持つような感覚だ。肌にまとわりついて何とも言えない動き難さを演出したり、感覚を研ぎ澄ましても周囲の異変を感じ取れない曖昧な距離感を醸し出す。まだそれは「顕著に感じられる」という程のレベルには達して居ないながら、既に本能が異変や危険を訴え掛ける「良くない空気」だった。
 すると、周囲の光景というものも、ついさっきまでとはがらりと打って変わってしまうのだった。道端には力なく座り込んだり、壁に寄りかかったまま微動だにしない人の姿がちらほらと目につくようになった形だ。まだ周囲を飛び回る黒蝗の姿なんかを確認することはできないが、目的地に近付いていることを察さずにはいられなかった。
 そんな変貌を遂げる光景を尻目に先を急いでいると、不意に制止の言葉がレーテの口をついて出る。
「ストップ! その十字路から先がRFになってる」
 遙佳達以外には全く人影のない西地区十字路前で立ち止まると、看板にはそこが緑苑平西地区五丁目通りであることが解った。
 早く先を急ぎたいという思いを態度に表す遙佳を前に、レーテが西地区五丁目から先へと先に進むにあたっての注意事項を口にする。
「ここから先、具体的に言うとあの十字路から向こう側は、侵入は容易だけどそこから脱出するのが困難な空間に仕立て上げられている筈。先へと進む前にやっておくべきことがあるなら今の内だよ?」
 しかしながら、その「注意事項」に対しては遙佳によって別視点からの指摘の声が上がる。
「侵入が容易って……、それ星の家の運用おかしくない? 同時に人払いをしているのかも知れないけれど、何も知らない一般人がRFの中へ迷い込んだらどうするの? 完璧な人払いなんてできないでしょう?」
 一方で、この場でRFを展開した当事者ではないレーテはその指摘に対し当然の如く明確な答えを返せない。寧ろ、そんな指摘が向くことなんて想像だにしていなかった様子で、目に見えて当惑の表情を滲ませる。さらに言うなら、遙佳の剣幕は相当な物で、それが当事者でない自分に向いているのだから尚更だろう。
「……そんなことにまで気を回している余裕はなかったんじゃないかな、多分」
「もしかしたら、RFの中は既に無数の人が昏倒している状況かも知れないってことだよね、それ? そんなの馬鹿げてるよ! RF、ぶち破ろう!」
「待った! その判断はRFの中に入ってからでも遅くはないよね? ぶち破ったことで取り返しのつかないことになる可能性もあるわ。内部の状況を確認した上で、必要ならばぶち破るという形にした方がいい!」
 RFの破壊を主張する遙佳に対して、レーテは可能な限り維持すべきという立場を見せた。
 具体的な例を挙げはしなかったものの、RFがこの場で何らかの効果を発揮している可能性を危惧したからだ。
 それならそれで、今度は正威がある種の懸念を口にする番だった。
 RFがこの場で何らかの効果を発揮しているのならば、それは当然、そうなるように仕立て上げられていて然るべきで、簡単に思い当たることのできる「懸念」でもある。
「RFとやらが持つ特徴として、外からは発見し難い代わりに破壊し易く、中からは構造的に破壊し難いように作られているとか言うことはないんだよね?」
 正威が横合いから口を挟んだRFの構造に対する質問に、レーテは口籠る。それも、RFの仕組みに詳しくはないレーテに取って答えられない質問だと言えただろうか。
「それは……、破壊しようと思ったことがないから解らないけど……」
 そうして、招現寺へと続く穴が空いただろう場所を目の前にして「ああだこうだ」と紛糾しながら二の足を踏む状況に、とうとう萌が苦言を呈する。
「こんなところで導き出せもしない正解を模索している時間なんてないんじゃない? 出たとこ勝負なんてやりたくはないけど、RFとやらの中に進入してみて、もし中が死屍累々なら内からぶち破る方法を探るし、そうじゃないなら維持したまま啓名ちゃんの救援に向かうでいいんじゃないの? それなりに時間を要するかも知れないけど、ここに展開されたRFとやらが主窪峠とかに展開されたものと同様なら神河で破壊できる」
 萌の提案に正威、レーテ、遙佳の三者が黙る。お互いがお互いの出方を窺ったという言い方が正しかっただろうか。それは即ち、この場で最終的な決定権を持つものが不明瞭だったからこそ起きたものだ。
 正威の懸念も何もかも全部ひっくるめて、誰もが「それでも良い」と言えなかったことも大きい。萌は「神河で破壊できる」とまで言い切ったが、全く同じ構造を取っていたとしてもアクセスするポイントが異なることでそれが不可能となる可能性だってある。
 RFの中が死屍累々で、いきなり「苦境に立たされました」と言わんばかりの事態が展開していたにも関わらず、実をいうと「中からは容易に壊せませんでした」なんて状況に陥ったら、それこそ責任問題になり兼ねない。もちろん、面と向かって「お前の所為でこうなった」と非難を向けるものはいないだろうが、例えばそれが啓名の救援などに致命的な影響を及ぼさないとは言い切れない。
 三者が押し黙る中、それを打開したのは遙佳だった。
 遙佳はぐっと下唇を噛むと、ここが腹を括るべき分岐点だと判断したのだろう。
「いいよ、それでいこう。多分、考えてたって萌ちゃんのいうように最善策なんて導き出せないんだ。大丈夫、RFとやらが例えどんなに中から破壊し難いものであっても、……心配しなくていい! 最悪、あたしが神河の禁呪並みに好ましくない手段を用いてでも叩き潰して見せる! 白状するよ。あたしは例えそれがどんなものであっても、ぶち破ることのできる奥の手を隠し持ってる」
 遙佳の言葉は非常に力強く、そして自信に満ち溢れていた。「神河の禁呪並みに」なんて言葉を敢えて用いて見せた辺り、その「奥の手」とやらも各所に影響を及ぼし兼ねない程に厄介な「好ましくない手段」なのだろう。
 それを問うても「それが必要だ」と判断されるまではきっとはぐらかされるだろうから、正威も萌も質問を向けることをしなかった。
 そして、遙佳がそこまで大見得を切って胸を張るのならば、星の家が展開したこのRF内にこのまま飛び込み侵入しないなんて手は有り得ない。
 先陣を切ったのは萌とレーテ、そうして正威が続き、最後に遙佳がそのラインを踏み越える形となる。尤も、どこがラインだったのか。どこを境に脱出が困難になったかをはっきりと明示するものは何もなかった。
 滑らかに、継ぎ目なく、遙佳達はRFの中へと移行した格好だった。
 ただ、それでもそこに何らかの「境」があったことを否応なくも理解させる「違い」も、確かにそこには存在していた。それは、ついさっきまでは聴覚によって捉えることのできなかった「もの」を、聞き取れるようになったことだ。
 具体的にいえば星の家が展開したRFの中には、読経のような低く重苦しい言葉と、凛と耳の奥に強く残響として残る鈴の音が延々と鳴り渡っていたのだ。
 そして、変化は徐々にやって来る。
 聴覚が読経と鈴の音を捉えてからこっち、遅れて体のあちらこちらに重しが付けられたかのような感覚が加わったのだ。いや、その言い方は正しくないのだろう。まるで周囲の空気の密度が増して、液体にでもなったかのような感覚だ。動く度に抵抗が生じ、あらゆる動作に対して思うような速度で行動できなくなるようなものだ。当然それは水中で感じる程には顕著ではなく、また激しい抵抗ではないが、突然思う通りに身動きできなくなったことによる消耗は著しいと言えた。
 何より「別のテリトリー」に侵入したという認識は、精神的な消耗にも繋がる。
 立てて加えて、明白な違いはもう一つある。
 それは、ついに件の「黒蝗」を視界に捉えられるようになったことだ。尤も、その数はまだまだ数匹程度がはためくのを確認できるレベルで、遙佳の用意したあの未来視の中の光景とは比べるべくもない。
 よくよく周囲に視線を走らせると、相当数の黒蝗があちらこちらに点在していることも確認できるのだが、その動きは鈍重で到底活発的であるとは言えない。
 何よりも、緑苑平フォレストコンコースの脇に横たわったままの人達がいて、そこに黒蝗が群がるといったおぞましい光景はまだ存在していないのだ。もちろん、招現寺と繋がったであろう穴の場所へと近づく過程で、その光景へと差し替わってしまう可能性も多分に残っていはいるのだが、もしそうであるのならば被害拡大防止に全力を尽くすまでだろう。
「良かった。まだ、あたし達が予見したあの事態にまでは至っていないみたいだ。まだ、あれは変えられる段階にある! だったら是が非でも、この手で変えて見せる!」
 遙佳は気を吐き、萌・レーテに代わって先導役に躍り出ると、一目散に穴の開いた場所を目指し始める。ここに来てギアを一段上げたと言える遙佳の言動からは、行き過ぎた「過熱」感もやや否めなかったものの、それを今の段階で制止するものはいない。
 遙佳が先導役へと躍り出て、かなりのハイペースで先頭を疾走する形がしばらく続いたのだが、その状態もレーテが再び先導役へと躍り出る形で切り替わる。いや、レーテがそうして先頭へと進み出たのは、先導役を奪い返すためなどではなかった。既にレーテの目に遙佳など入っては居なかったのだからだ。
 抜かれた遙佳がやや困惑気味にペースを緩め、自身を追い越したレーテを何事かと横目に捉える。その時点では遙佳はなぜレーテがスピードを上げたのかを理解していなかっただろう。レーテの進む先に視線を向けてようやく、そこに目的の人物がいることを認識した形だった。
 レーテが一際大きな声を上げる。
「啓名!」
 レーテの動きを目で追うと、その先には確かに「紅槻啓名」の姿が見て取れた。
 啓名はフォレストコンコースに点在する支柱の一つに寄り掛かり座り込む体勢で、真っ青な表情をしたまま虚ろな目付きで虚空を眺める格好だった。
 レーテの呼び声にハッと我に返った様子だったが、かなり体力や精神力をごりごり削ぎ落とされた状態であることは一目瞭然である。
「随分と、遅かったじゃない? 待ち草臥れたよ。でも、どうにか持ち堪えられたで良かったのかな?」
 お世辞にも覇気があるとは言えない口調ながら、意識は明朗なようだ。少なくとも、その受け答えにおかしな点は微塵もない。
 そんな啓名をレーテは半ば強引に抱き起こし、そして抱き留める。
「良かった! 生きてる!」
 強く強く抱き留めるレーテの様子を前にして、啓名は苦笑しながらその肩をポンポンと叩いた。
「レーテ……、勝手に人を殺さないで貰える? それに、さすがに生きるか死ぬかって際まで行っていたら、言われたようにここから脱出してるわ」
 そんな感動の再開に水を指したのは、他でもない遙佳だった。
 泥峰で対話をした時の刺々しさをまとったままの立ち居振る舞いは健在で、啓名に向かって棘を混ぜた嫌味を向ける。
「人の忠告を無視して突っ走った挙句、フォレストコンコースで厄災を発現させた気分はどう?」
「あなたが久瀬遙佳……ね? 初めまして。見て解るかも知れないけれど、これ以上ないぐらいの最悪の気分だわ」
「色々と聞きたいことがある。この件が片付いたら覚悟しなさい」
「そう。でも、それはぜひともお手柔にお願いしたいわ」
 啓名が拒否を示さなかったことで、遙佳はまずは良しとしたようだ。それ以上、この場で今後のことを言及することはなかった。もちろん、そんなことをしていられるような状況ではないというところが大きいのだろうけれど。
 そうして、遙佳と啓名のそんな応酬などなんのその、レーテは自身のペースを崩さず言葉を続ける。
「啓名、他のメンバーはどうしたの? まさか啓名を残して脱出した……とか?」
「起脈制御の為に中心部へエンジニアの2人が残って、起脈石そのものの防衛の為にバックスが踏ん張ってくれている筈だけど……」
 啓名がバックスの名前を口にしたその矢先のこと。穴の空いた緑苑平西地区十一丁目通りへと続く通路から、レーテの名を呼ぶ声が響き渡る。
「その声、レーテか?」
 レーテがバッと顔を上げる。そこに声の主を心配する様子はない。良くも悪くもいつも通りの声色だったからだろう。
「バックス! 救援に来たよ!」
 バックスは人間を2人肩に担ぐ格好で、すぐ先の十字路に姿を現した形だ。2人は完全に意識を喪失してしまっている様子で、だらんと両手両足を力なく投げ出していてさすがのバックスも運搬に苦慮している様子だった。
 すぐさまレーテがバックスに駆け寄ってその内の1人を引き受ける。そうして、二言三言やりとりすると、意識のない2人をフォレストコンコース通路脇へと細心の注意を払って横たえた。
 その後、レーテとバックスはその場に留まって何やら真剣な顔付きで会話のやりとりを始める。
 恐らくは、緑苑平フォレストコンコースで「星の家がどんな状況に置かれているのか?」ついての情報共有を始めたといったところだろう。ことの発端は、啓名同様に「どんな状態に置かれているのか?」が心配な星の家のメンバーについて、レーテがバックスに尋ねたことだったかも知れない。しかしながら、今はそれすらもこの場に居る全員が共有しておくべき情報で間違いない。
 そのまま長々と二人で会話を続けられても困るわけで、まさに啓名がそれを危惧して声を掛けようとした矢先のこと。レーテとバックスが啓名の方へと向き直り、ゆっくりと歩き始めた。
 バックスは啓名の顔色がはっきりと伺える距離まで足を進めてくると、そこでぐるりとこの場に顔を揃える面子を流し見る。
「この連中は?」
 バックスのその問は啓名へと向いたものだったが、その答えを口にするのはレーテである。
「この事態を解決するまでは、手を貸してくれる」
「そいつは有難いね。霞咲に出張ってきてる星の家だけじゃあ、もうこの事態を火種レベルの内に鎮めることは多分できない」
 現状をばっさりと「星の家だけでは手に負えない」と評したバックスに、啓名の表情は大きく曇る。それが意味するところは、星の家ご自慢の今の起脈システムでは「普賢」の対処ができないと認めたに等しいからだ。そして恐らく、バックスのいう「星の家」の範囲とは、ここにいる面子だけを指していったものでもなかっただろう。
 それでも、バックスの認識は「星の家」の範囲を拡大さえすれば、まだこの問題に対処できるという内容だった。即ちホームグラウンドである「櫨馬」までをも視野に入れて人材を掻き集めさえすれば、星の家はこの手のことにも十分対処できるだけの組織足り得るということだ。星の家の呪術的な能力値を「紅槻啓名」という術者の技量で図ってしまいがちになるが、神河が想定して居るよりもそれはずっと高いレベルにあるのかもしれない。もちろん、あくまでバックスの見立てが検討違いであるという可能性がないわけではないのだが……。
 バックスは自身が普賢と小競り合いを展開した経験を踏まえて、現状を遙佳達に説明する。
「今のところ、緑苑平に存在する敵と思しきものは三つだ。一つは白髪・白髭で、全身のあちらこちら至る所に黒い斑模様を持つ赤鬼。次に、穴から這い出てくる大小様々の無数の蝗。そんでもって最後に、呪詛をばらまき続ける僧衣のミイラだ」
 遙佳が提示した未来視の光景の中で確認できなかった存在が一つ、バックスの説明の中には含まれていた。
 白髪・白髭で、全身のあちらこちら至る所に黒い斑模様を持つ赤鬼……とやらだ。
 その説明に対して遙佳やレーテと言った救援者の誰かが口を開くよりも早く、啓名が重々しい雰囲気をまとってバックスへと言葉を向ける。
「起脈石は、……駄目そう?」
 バックスの表情を窺う啓名の表情は優れない。いや、そればかりか大きく曇ってしまったといって良い。
 それは、啓名の居るこの場へとバックスが後退してきた、イコール、件の「起脈石防衛を諦めた」と受け止められ得るからだろう。
 そんな悲壮感すら漂わせる啓名とは対照的に、バックスはそれがイコールではないとつらつらと語る。
「実はそうでもない。てっきり起脈を狙い撃ちしてくるかと思ったんだが、奴さんら、起脈石には目もくれやがらねぇよ。なんで、最初は起脈石に近付かせまいと赤鬼やミイラの気を引き戦ってたわけだが、無駄だと思ってここまで退いてきたわけだ。何より、サポート相手があっさり呪詛でやられちまったからな。このまま起脈石付近で無理をする必要はないと判断した。実際、俺達が場を離れても、赤鬼もミイラも起脈石には近づく素振り一つ見せなかったから、奴らの標的に起脈石は含まれていないと思うぜ」
 サポート相手の下りでバックスが目を向けた星の家の構成員は、完全に意識を失ってしまっている例に二人だ。時折呻き声を上げる以上の反応を返すことはなく、真っ青の顔色であることなんかを加味すると、啓名よりもまずい状況にあるのかもしれない。少なくとも、早期の復帰を期待するのは困難だろう。
 普賢と赤鬼の狙いが起脈石ではないという認識を示した後で、バックスはこうも続ける。
「……というよりも、奴さんらが何をしたいのか、正直理解できていないというのが正しい状況分析結果だな。ミイラは余り動き回らず一カ所に留まって周囲に呪詛をばらまき続けていて、積極的にこちらへと襲い掛かってくるわけじゃない。こちらから手を出せば迎撃して来るし、ある一定距離まで近付けば問答無用で攻撃してくるが、逆に距離を置くと追ってはこない。これは赤鬼も一緒だ。赤鬼を狙えばミイラが、ミイラを狙えば赤鬼がタッグになって掛かって来るんだが、双方から距離さえ取れば、再びこちらを攻撃する意欲を失う」
 バックスが示した普賢と赤鬼の行動パターンに対する疑問について、萌はその方が「合理的」という推論を口にする。
「積極的には攻撃してこないにしろ、ばらまく呪詛の威力は広範囲に絶え間なく継続しているにも関わらず相当高位なものだよ。積極的に打って出る理由がないからそうしているだけじゃない? ばらまく呪詛で片が付けばこれ幸い。寧ろ、一つ所に留まって呪詛をばらまくことに専念した方が、より広範囲に強い影響を行使できるのかも知れないよ? 遙佳ちゃんが見通した未来視の中では、呪詛で動けなくなった無抵抗の人達を黒蝗が群がって襲うという地獄絵図が展開されていた。この区画で動くもの、黒蝗が襲うものが居なくなったら、次に移るというような行動パターンを示すのかもしれない」
 萌の見解を受けて、一際その存在感を増したものが黒蝗だ。
 今はまだ、さらりと辺りを見渡すと、そこそこいらにちらほらと目に付くに過ぎない存在で、こちらへと襲い掛かってくる様子は微塵もない。寧ろ、こちらを避けるように距離を取っている嫌いさえある。しかしながら、弱った頃合いを見計らって牙を向くというのであれば、無視できる存在だと言ってしまうこともできない。
 バックスは、フォレストコンコースのあちらこちらに点在する黒蝗を再びぐるりと流し見る。
「……今のところ、黒蝗はたまに飛び掛かってきて噛み付いたりしてくるだけで、基本的には鈍い動きで活発に動き回ったり飛び回ったりはしないんだが、そっか、動けなくなった奴を集団で襲うのか。振り払おうが叩き潰そうが、ミイラも赤鬼も気にした風がなかったから、それこそ些末な存在なのかと思えば、実のところこいつらが一番厄介ものだったわけか」
 黒蝗に対する認識を改めたバックスの表情は、一気に険しさを増していった。
 フォレストコンコースの店先の下ろされたシャッターの側面に、所々に点在する支柱の根元の暗がりに、そして、フォレストコンコース両脇の排水溝に……と、探していくと黒蝗の姿は次々と浮かび上がってくる形だ。気をつけて辺りを見渡していかなければ見落としてしまうが、黒蝗の総数は遙佳が持つ未来視のイメージよりかは少ないとは言え、一斉に飛び掛かられて対処に困る程度にはフォレストコンコースのあちらこちらに存在している形だ。
「どうする?」
 黒蝗の存在を確認した後、ぐるりと一同を見渡しながら問うバックスに対し、真っ先に声を上げたのは遙佳である。
「まずは呪詛の影響下にある一般人を退避させることが最優先だよ」
 バックスに取って、そんな意見が一番最初に提案されることはやや想定外だったようだ。
 呪詛の影響を取り除くにあたり、それは酷く回りくどいやり方だからだ。
 呪詛の影響を取り除くにあたり、何よりも即効性があるやり方は発生源を取り除いてしまうことで間違いない。即ち、普賢を黙らせれば良い。遙佳のやり方では、呪詛の影響範囲内から逃れるまでは、一般人も救出する側も継続的にダメージを追い続けるやり方となる。しかも、どこまで退避すれば影響下に置かれないのかも明確にはなっていないのだ。ひとまずRFの範囲外では、この読経や鈴の音は聞こえなかったものの、だからといって影響をシャットダウンできているのかどうかは解らない。
 そこを理解した上で、遙佳が一般人の退避を優先させるという判断をしているかどうかは非常に疑わしい。
 そして、それをバックスが確認するよりも早く、遙佳からはここから一般人を退避させることを最優先として念頭に置いた言葉が続く。
「星の家が緑苑平フォレストコンコースに大穴を開けた区画に、どれだけの数の一般人が取り残されているかは把握できているの?」
 バックスは首を横に振る。
「フォレストコンコース内でパッと見目に付いた一般人は、こことは大穴の空いた場所を間に挟んで真逆に位置する大台公園(おおだいこうえん)下休憩場の広場に退避させてある。……が、フォレストコンコースに軒を並べる店舗群の中を隈なく見て回れているかと問われると、その答えは「No」だ。なにせ、ここには施錠が為された関係者スペースなんかも無数にある。悪いが、短時間でそれらを網羅するのは不可能だと思うぜ」
「随分なものいいじゃない? 自分達が仕出かしたことだっていうのにさ」
 遙佳の言葉付きには「それでもやるべきではないの?」といわんばかりの迫力が伴ったが、実際にその言葉が口をついて出ることはなかった。
 現実解として、バックスの言うように今この環境下でそれを実行するだけの時間的な余裕はない。それこそ、遙佳達が呪詛によって著しく生命力を奪われるような状態に陥り兼ねないし、それによって既に広場へと避難させた筈の一般人の命を危険に晒す可能性だって生じ兼ねない。
 頭では嫌という程分かっているのだろう。遙佳はバックスに向けた非難の視線を一旦外すと、そこに続ける言葉をこう切り替える。
「大台公園下休憩場の一般人を、RFの外へと退出させることは可能?」
「起脈石にアクセスしてRFをコントロールする必要はあるが、可能は可能だ」
 バックスから返ったその回答に、遙佳は再度、非難めいた態度を噴出させる。引っ掛かった部分は、今に至ってまだRFの維持に言及したことだろう。
 遙佳に取っては、それが一般人の退出を最優先として認識しているとは言い難い口振りに聞こえたわけだ。
「今の今に至ってRFとやらを維持しなければならない理由が何かあるの? RFをぶち破って退出させるのが一番手っ取り早いやり方だと思うけど? もしかして、今になってまだ起脈の敷設とやらに拘っているのなら、その姿勢は是が非でも改めて貰わなきゃならないよ!」
 一方で、疑惑を向けられた側のバックスは、その起脈について言及する。
「厄介なことにRFは既に展開済みで、しっかりと効力を発しているんだ。RFがただただ脱出に対する足枷になっているっていうんならぶち破っちまえばいいが、引っ込めることで生じる弊害ぐらいは確認して置いた方が間違いないぜ?」
「弊害? RFとやらは空間を区切って人の流出を制限しているだけではないってこと?」
「そこらの詳細な説明は、起脈の専門家にやって貰うことにしよう。啓名、どうだ?」
 起脈の専門家としてバックスがその名を挙げたのは、他でもない「紅槻」の名を有する啓名であった。
 各々から視線が向くと、啓名は眉間に皺を寄せる小難しい顔を隠さなかった。突然話を振られたことで、どのように説明したものかについて考えをまとめていたのだろう。
 問いに対する回答をすぐさま切り返すことのできない啓名に対し、バックスはRFがもたらす恩恵の一つについてすぐにこう言及をする。
「少なくとも、今フォレストコンコースでちりんちりん鳴ってるこの散らし鈴の効力は大きく減衰する筈だ。……違うか?」
 啓名が背中を預けていた支柱を始め、フォレストコンコースのあちらこちらに鏤められたその鈴は星の家の手によってばらまかれた代物であるようだ。どういう原理で自動的に鈴の音を響かせているかは解らないながら、それはこのフォレストコンコースにあって定期的に澄んだ音を響かせ何らかの重要な役割を果たしているらしい。
 正威は最も近隣に設置されたその散らし鈴とやらに目を凝らす。
 最も近隣の散らし鈴は、啓名が背中を預けていた支柱の側面へと設置されたものなのだが、パッと見何か特別なものには見えないというのが正威の正直なところだったろう。実際、うっすらとライトグリーン色に発行する金属製のその鈴を指先で小突いて、リンと清らかに鳴るその音を周囲に響き渡らせてみても、正威はそれが何かに作用していることを感じ取ることができない。
 散らし鈴の大きさは子供の握り拳程度で、玄関にあって来客を知らせるノッカーみたいな作りと言えば分かり易いだろうか。誰がそうするでもなく独りでに揺れて音を鳴らす様子を見る限り、支えもなく支柱の側面へと張り付いている点と合わせてRFとやらが関係しているのかも知れない。
 ともあれ、思慮に伴う沈黙を間に挟み、啓名がRFを解除することによって生じる影響について言及を始める。
「そうね。バックスの言うように散らし鈴の効力は大きく落ちるわ」
 まずはバックスの指摘を認め、次に効果を落とすその「散らし鈴」がどんなものかを説明する。
「まず今この場所は、RFを介することによって様々な影響を緩和させている状態にあるの。その一つが散らし鈴によるもので これによってミイラが放つ呪詛の影響を大きく緩和しているわ。これはRFなしでも作動するけれど、RFとセットで効果を底上げしているから、RFを解除するとミイラがばらまく呪詛の影響をより強く受けることになる。後、これは断言はできないのだけれど、もしかしたらこの「散らし鈴」は、蝗の動きも抑制しているかもしれない。穴が開いた直後、そこから無数に這い出てきた蝗はもっと活発に動き回っていたけれど、この散らし鈴をばらまいてからは著しく動きを鈍らせた」
 ちりんちりんと鳴る散らし鈴の音色から、正威同様に何かを感じ取るこことができないからだろう。
 萌がその効果の程について確認を向ける。
 もし、それが微々たるものならば、まだ「RFを破壊してでも……」という案を選ぶこともできるものの、これが大きく威力を削ぎ落としているとあれば、RFに帯する認識が大きく変化する要因たり得る。
「散らし鈴っていうのは、RFによってどれぐらい効果を底上げされているの?」
「一概にどの程度と定量化することはできない。ミイラの放つ呪詛の影響度合いが人によってまちまちであるように、散らし鈴も利き易い人と利き難い人がいる。ただ、個人的な体感で言わせて貰えるなら、あるのとないのでは利き易い人で影響度合いを半分程度は削ぎ落とせていると思うわ」
 啓名の回答は、人によって差異があるという前提条件が付くものの、大凡RFを安易に解除するというやり方を躊躇わせるには十分だった。
 遙佳は眉間に皺を寄せて瞑目すると、大きな溜息を吐く。
 RFは破壊できない。そう思考を切り替え、最善策を探るためだろう。
「解った。だったら、まずはRF内部に居る人達を救う為に起脈石を確保しましょう。その上でRFをコントロールして、まずは彼らをRF外に脱出させる」
 起脈石を押さえる。
 遙佳が提示したその案は、すぐさまバックスによって「問題がある」ことを指摘される。
「悪い知らせがある。RFをコントロールできる星の家のメンバーは三人居るんだが……」
 そこで一端言葉を句切ると、バックスは先程フォレストコンコース脇に寝かせた二人の内一人へと視線を向ける。
「一人は、そこでグロッキー状態になって横たわっていて」
 次にバックスが視線を走らせ、その目に捉えるのは啓名である。
「もう一人はどうにかその状態にまでは陥っていないながら、青い顔して柱に寄り掛かっていた啓名で、見ての通り大分呪詛でやられてる」
 そうして、バックスは小首を傾げる形で、遙佳へと向き直ってこう続ける。
「で、最後の一人も足を負傷していて、一般人を寝かせてある大台公園下休憩場で待機している状態だ。起脈石の制御には問題ないだろうが、こっちに連れてくるには時間が必要だ」
 言ってしまえば、それを踏まえて「どうする?」を、バックスは遙佳にボディランゲージで問いかけた形だ。
 一方、星の家が置かれた状況を知らされた遙佳は、ただただバックスを睨み見る。
 バックスに遙佳の意見を最初から拒否する意図があったかどうかはともかく、それは結果的に「一般人を退避させることが最優先」とした「酷く回りくどいやり方」が困難であると言ったに等しい。
 遙佳としては、だったら最初から「そのやり方は困難だ……と、言ってくれた方が良かった」と言う思いだったろう。もちろん、遙佳が有無を言わさず「酷く回りくどいやり方」で進める前提の動きをしたことも多分に影響していたのだろうけれど。
 ここで、遙佳・バックスの双方に取って誤算だったのは、その険悪な雰囲気を察してRFをコントロール可能なメンバーとして二番手に挙がった人物がその気になったことだろう。
 啓名がゴホゴホと咳き込みながら、立ち上がった格好だ。
「起脈石の制御は、わたしがやるわ。ここで待機していて、嫌という程解ったもの。距離を取って安静にしていても呪詛の影響からは完全に解放されることはない。今のままでは、間違いなくジリ貧になる」
 回りくどいやり方を完遂するために、啓名は自分が起脈石の対応をするという。しかしながら、誰の目にも啓名が無理を推している印象は拭えなかった。
 この事態を引き起こした星の家の一人であるのだからそれも自業自得ではあるのだが、だからといっていざ起脈石をコントロールして貰うという間際になって倒れられては元も子もない。
 本当に、ここが啓名に無理を推して踏ん張って貰うべき場所だろうか?
 まず一般人を待避させてから普賢の対処へ当たることに執着した遙佳だったが、ここにきて小難しい顔をして押し黙ると、酷い葛藤を間に挟みつつもその執着を切り捨てる。
「……駄目だ。起脈石の制御を啓名ちゃんにやって貰うにしても、まずは呪詛を放っている普賢を止めてからだ。起脈石へのアクセスを試みることで普賢がどんな動きを取るかは解らないし、予測も出来ないけれど、万が一普賢の抵抗があって啓名ちゃんがやられたら元も子もない」
 尤も、そう口にしながらも、遙佳の表情は険しい。心情的には納得できていないのかも知れない。しかしながら、まずは「呪詛の根源を絶つ」案について萌が別の観点から言っても望ましい旨見解を述べると、その険しさも影を潜めた。
「まず普賢を黙らせる案、それ、賛成だね。起脈石へのアクセス云々を置いておいても、この呪詛はかなり危険で厄介だよ。ただただこの場所に留まっているだけでも、もりもり力を奪われていくのが解る。根源を絶てるなら、できる限り早い段階で絶った方がいい。長引けば長引くだけ、圧倒的な不利に繋がる」
 そこまで意見が出たところで、すとんと会話が途切れる。
 そのまま誰かが反対意見を口にしなければ、大まかな方向性は固まるのだろう。
 三勢力がそれぞれ相手の出方を窺う中で、不意に会話の成り行きを見守っていたレーテが口を開いて小声で正威へと問い掛ける。
「普賢っていうのは、バックスの言うミイラのことで良いんだよね?」
「ああ、フォレストコンコースに僧衣のミイラが何体も居るっていうんじゃない限り、十中八九、それは普賢と呼ばれる、嘗てこの地で厄神を封じた高僧の成れの果てだ」
 良くも悪くも、そんな疑問を正威に問うたレーテの言葉が決定打となった。
 出方を窺う俄に張り付いた雰囲気が霧散し、大まかな方向性が固まったのだ。
 そうして、まずは普賢を倒すという流れになったことで、バックスが徐ろに口を開く。
「そっか、ミイラの名前は普賢っつーのか。一応言って置くと、その普賢とやら自身も大概厄介だぜ。物理攻撃が利いている節がない。何度も攻撃を当ててはみたがミイラの本体を殴っているという手応えがないんだよ。どこを狙ってもそんな感じだ。何か、こう……、間に衝撃を吸収するフィルターか何かが存在しているかのようだった。まさに暖簾に腕押しって感じだ。実際に戦ってみた上での感想だが、普賢は恐らく普通のやり方じゃ倒せねぇと俺は感じた」
 それは「普賢を相手にするに当たって、今述べて置かねばならない」という内容だった。
 既に普賢と小競り合いを展開したバックスが、その小競り合いの中で感じた点を率直に注意事項として並べたものだ。
 そうして、バックスは続ける言葉で「赤鬼」とやらについても言及とする。
「それと、赤鬼の方も「倒す」ってのは多分骨が折れるぜ。あちらは動きも鈍く行動パターンも酷く単純だが、恐ろしくタフでその上傷が再生しやがる。物理攻撃は利いているみたいだが、それが大きなダメージになっている節がない」
 神河、そして遙佳がまだ目の当たりにしたことのない赤鬼ついても、バックスは「一筋縄ではいかないだろう」と注意を向けた形だ。





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