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Seen11 対起脈同盟交渉


 時間の頃合いを見ながら、神河の二人が遅行しないよう指定された学園都市線・新濃園寺駅前のカフェ「軽食喫茶カラーアハート」に足を踏み入れると、そこには既に昨夜一悶着あった遙佳の姿が確認できた。
 学園都市線・新濃園寺駅の周辺は、その名前の通り学生向けに軽食や珈琲・紅茶といったフードを提供する店舗が密集する地域で、チェーン店から個人店までが豊富に揃う激戦区である。軽食喫茶カラーアハートはその激戦区の一等地にあって、既に昼食の時間を過ぎているにも関わらず相当数の客足が居る店舗の一つだった。
 メインターゲットは学生のようだが、利用客は幅広いようで幅広い年齢層の女性客の姿が見て取れる。
 外観・内装ともに名称からは想像も付かないほどの和モダンな雰囲気が演出されているものの、学生でも敷居の高さを感じさせない。所謂、お手頃感と高級感の間に位置する店舗のように見える。
 そして、少なくともこんな場所で言い争いを演じるわけにはいかないと思わせられる場所でもあった。それは、昨夜の一悶着を踏まえ遙佳サイドに取っても「怒りに任せた行動ができない場所」を、自制を働かせる意味合いで選んだ結果かも知れなかった。
 正威と萌が店内に足を踏み入れた瞬間、遙佳は熱心に目を落としていた冊子から顔を上げる。神河の気配を察したものか、それともただの偶然だろうか。
 ともあれ、その段階で神河と遙佳はお互いの存在を認識した形となる。そして、緩やかな空気が流れるカフェ店内に到底相応しくない表情で対峙した格好だった。
 尤も、そんな場に相応しくない空気は、横合いから割って入ってきたカフェ店員の陽気な接客を前にしてあっさりと霧散する。いや、霧散せざるを得ないといった方が適当だろう。
「いらっしゃいませ、二名様ですか?」
「ああ、いえ。ここで会う約束をしていた相手が既に来店していて、あの席に」
 カフェ店員への対応をしたのは正威だったが、萌も萌で遙佳を注視し続けるというわけにもいかない。
 カフェ店員に会釈をし遙佳の座るテーブル席を指させば、対する遙佳の方も「さも友達を待っていた」といわないばかりのフレンドリーな笑顔で手を振って見せる。当然、それは周囲に不要な不安を与えない為のただのポーズに過ぎないのだが、それは当初ややぎこちない表情だったカフェ店員を完璧な接客スマイルへと変貌させる。
 即ち、その「ポーズ」は、十分過ぎる程の効果を発したのだろう。
「そうでしたか。では、あちらのテーブル席へご案内させて頂きますね」
 カフェ店員は慣れた動作でメニュー表と布巾を手に取ると、後を付いてくるよう丁寧なジェスチャーで神河へと働きかけた後、遙佳が座るテーブル席へと二人を先導した。
 遙佳が座るテーブル席は店の奥まった場所にあるでもなく、メインストリートに面して居るわけでもなかった。ちょうど、店の中程の席だ。日の光が当たらず、空調が良く利く快適な位置取りで、冊子を読むというのが主目的ならば最適な場所だと言えただろう。
 カフェ店員に先導されるままテーブル席付近まで近づいていくと、遙佳がそのテーブル席でただ雑誌や文庫本といった冊子を読んで二人を待っていたのではないことが解る。テーブルの上へと、遙佳はノートと筆記用具を広げていたのだ。さらに近づいて行くと、遙佳の手にある冊子が「writingT」と表紙に記された英語の教科書であることも解った。
 カフェ店員と神河の動きをその目で追っていた遙佳は、パタンと英語の教科書を閉じるとテーブルに広げたノートをささっと片付け始める。尤も、片付けるとは言ったところで、遙佳は教科書とノートを閉じてテーブルの端へと寄せただけではある。
「失礼します、お連れ様がいらっしゃいましたのでお連れしました」
「ありがとうございます」
 正威と萌が遙佳に対面するようにソファーへ腰を掛けると、カフェ店員は遙佳に軽く会釈した後、テーブルを布巾で軽く拭きそこへメニューを広げた。
 ちなみに、座席の配置は正威が通路側で、萌が奥。反対側に座る遙佳はちょうど二人の真ん中辺りに位置する感じだ。
「英語の勉強でもしてたの? パッと見、その必要なんてなさそうな外見なのにね」
 ノートの中身や教科書の内容を見たわけではないので、この場で遙佳がしていた勉強のレベルは解らない。
 しかしながら、そう口を切った萌の感想も、ある意味尤もな内容だと言えた。
 遙佳の容姿は「英語の教科書」を手に持っているだけでも、誰もが何とも言い難い違和感を覚えるレベルだといっても過言ではない。何も、髪がブロンドで、瞳の色がやや赤味掛かっているというだけではないのだ。それこそ顔立ちから体型から、どれを取ってもパッと見で「日本人離れしている」と思わせるぐらいには、遙佳は外国人の風貌をしている。顔立ちで言えば、通った堀の深い鼻筋はまさにその代表格だろう。
 遙佳は困惑を混ぜたような曖昧な表情で笑うと、萌の感想を否定する。
「外国人ライクなのは外見だけだからね。こんな成りだけどミドルネームの類も持ち合わせていないし、寧ろ名前は純日本人だし、こうやって話をしている発音にもさ、所謂「外国人っぽい」引っ掛かりなんてないでしょう? イングリッシュの発音に必要な巻き舌だってできない。本当に外国人ライクなのは側だけよ」
 否定しながら、遙佳の態度はそう言われるのももう慣れたと言わないばかりだ。特に、イングリッシュのイントネーションはまさに日本人のそれで、中身が側と似通っていないことを表す体の良い指標になっただろう。
 そして、それは遙佳がここ櫨馬地方でどのような立ち位置にあるのかを俄に浮かび上がらせる。
 遙佳は櫨馬地方の経済特区化で日本に流れ込んできた移民とのハーフだろう。二世か、三世か……といったところの判断は難しいが、外国人の特徴が色濃く残るところを見るとそう代を重ねては居ないように見える。比較的新しい移民の二世・三世である可能性が高い。そして、純日本人の名前であるところを加味すると、少なくとも親のどちらかは日本人だと推測できる。
 櫨馬地方、とりわけ櫨馬市は移民受入のテストケースになった場所で、段階的に、そしてかなり大規模な移民受入を行った、……いや、今もなお行っている土地だ。最初期の受入からは既に十年単位の時間が経過しており、櫨馬市内、及び近隣地域には膨大な数の外国人とハーフが生活している。
 そんな櫨馬の背景を当然知り得る遙佳は、そこを踏まえた上で萌に問い返す。
「でも、日本生まれ日本育ちな見た目だけ外国人も、もう珍しくなんかないでょう? あたしが通うクラスなんて四割方そうだよ」
「そうだね、霞咲以西以南でも割と見掛けるようになったかも」
「櫨馬近隣地域では当たり前の光景なのに、霞咲以西以南ではまだ珍しい方なの?」
 遙佳は「割と見掛ける」といった言葉に、思わず聞き返した格好だ。櫨馬地方の地域差がまだまだ大きいことに、素直に驚いたようだ。
 尤も、萌の「割と」の度合いはあくまで感じ方による個人差があるため余り参考にならない。そもそも、相手が「日本生まれ日本育ちな見た目だけ外国人」か、それともただの第一世代移民であるかどうかを注意して見ている場面がどれだけあるだろうか。
 それでも、実際問題「日本生まれ日本育ちな見た目だけ外国人」は霞咲以西以南でも確かに物珍しい存在でなくなっている。もちろん、経済特区の中心地である櫨馬市とその一部地域は最もその比率が高いのだが、時間の経過と共に徐々に櫨馬近隣地域へと拡大が続いている格好だ。
 そして、それは大きな社会問題を生み出している。
 移民として流れてきた上で、その土地に馴染めず貧困層として独自のコミュニティや区画を構築する割合が一定数いるからだ。これも経済特区の中心部の方がその割合が大きいのだが、霞咲といった櫨馬近隣地域でも徐々に問題が目立つようになって来ていることも紛れもない事実だ。
 ともあれ、霞咲に置ける「日本生まれ日本育ちな見た目だけ外国人」の話がそのまま継続されようかというところで、テーブルを拭き終えたカフェ店員が申し訳なさそうに割って入ってきた。本日のおススメメニュー告げるためだ。
「えー、ただいまランチメニューの時間帯なので、軽食一品とドリンクバーのこちらのセットが非常にお安くなっております、良かったらどうぞ。注文は後で伺いに来た方が宜しいですよね?」
「ええ、それでお願いします」
「解りました。それでは注文が決まりましたら、テーブルに備え付けの呼び出しボタンを押してください。失礼します」
 一礼をして去っていくカフェ店員を横目に眺めながら、場は仕切り直しの様相を呈していた。良くも悪くも、カフェ店員によって話が中断されたことで「このまま本題へと話を切り替えるか?」という様子見の雰囲気が漂った形だ。
 それでも、さすがにそのまま「では、本題に入りましょう」とはいかなかった。少なくとも何か飲み物をオーダーし、カフェ店員によってそれがテーブルに並べられるまでは、その流れに移行することはないだろう。まさか、喫茶店に入店してお冷やのみで居座るというわけにも行くまい。
 そして、正威にしろ萌にしろ、どんな話がここで展開される流れになったところで、ある程度会話が長引く可能性も考慮し喉を潤すものぐらいは欲しいというのも正直な思いだ。
 そんな背景を基にして、もうしばらくは差し障りのない会話を続けることになる。
 様子見の雰囲気を打破し、先に口を開いて差し障りのない話題を振ったのは萌だった。
「良く来るの、ここ?」
「さすがに霞咲のこの店舗に来たのは今回が初めてだけど、地元にある店舗には比較的よく行く方かな。値段も学生向きだし、何かと毎週毎週割引クーポンも発行してくれるし、ちょっとリッチにクラスメートと「雑談♪」なんて時には決まってここか榊屋カフェのどちらかだね」
「ふーん、じゃあオススメは?」
「コーヒーのオススメで良い? だったら、苦みの特選ブレンドあたりかな。これにミルクたっぷり、角砂糖二個で至福を味わえると思うよ。サイドメニューでビターテイストのスイーツをチョイスすると、さらに幸せになれるかも」
 遙佳はサイドメニューのオススメについて言及したのだが、さすがに和気藹藹とした雰囲気がこのまま続き、差し障りのない話が延々と来る広げられるわけではないのだ。どんな読めない展開になろうとも「スイーツを楽しみながら……」なんて場には成り得ないことは間違いない。
 そうすると、注文は最低限遙佳に配慮した上でのものに留まる。
「それじゃあ、苦みの特選ブレンドを一つと、……正威はどうする?」
「俺も同じ奴で頼むよ」
「オーケー」
 呼び出しボタンを押してカフェ店員を呼ぶと、オーダーの特選ブレンドが届くまでにそう時間は掛からなかった。ものの五分程度でテーブルにはコーヒーカップが追加で二つ並んだ形だ。ドリンク二つだけというのもあったろうが、何よりも備え付けのバリスタにカップをセットしてスイッチ一つでできあがりというのが大きかっただろう。
 マスターがいて手作業でコーヒーを落としてくれるような専門店ではないわけだ。尤も、格別の味わいは期待できないながら、ばらつきのないある一定レベルの品質を保った味わいは保証されていると言い換えることもできるのは確かだ。加えて、手早くコーヒーが運ばれてきたのには、ランチの一番込み合う時間ではなかったというところも大きいだろう。
 テーブル席に置かれた二つの特選ブレンドにそれぞれが口をつけたところで、遙佳が早速感想を尋ねる。
「どう? 価格の割には味・量ともにそこそこでしょう? 最新の抽出器を使って苦みをたっぷり凝縮してるらしいよ」
 正威と萌の両人ともに遙佳が勧めた飲み方をしてはいなかったのだが、それでも勧めた手前評価は気になるのだろう。
「そこで凝縮するのは、本来旨味じゃないの?」
「もちろん、普通のブレンドとかでは旨味を凝縮するみたいなんだけど、この苦みブレンドでは特に「苦み」を凝縮してるんだって。で、どうかな、あたしのおススメは?」
「……すっごい苦い」
「そこでミルクたっぷりに、角砂糖二個ですよ、神河一門のお二方」
 正威と萌の二人を指して「神河一門のお二方」という言い回しをしたことを境にして、俄かに空気が変わる。遙佳の方も、いつまでも差し障りのない会話をだらだらと続けるつもりはないということだろう。遙佳の表情は相変わらずにぱっと元気よく笑う類のものだったが、会話の主導権を握られまいとする確かな牽制の色も滲んだ。
「さて、と。喉を潤すものも揃ったし、そろそろ本題に移ってもいいよね?」
「もちろん」
 正威が頷いたのを確認すると、遙佳はキリッとした表情を作り自己紹介を始める。
「まず最初に、自己紹介をした方が良いよね? 昨日、多成さん相手に名乗ったから当然もう名前は知っていると思うけど、改めて。あたしの名前は久瀬遙佳、よろしく」
「……」
 萌に差し出した手を訝る顔付きでマジマジと見返され、遙佳の表情は出だしから大きく曇る。
「何?」
「凄く、……偽名っぽいなって。如何にも、本物っぽくないんだけど」
「酷いなぁ、明らかに外見で判断してるよね、それ? さっきもちょっと触れたけど、外国人ライクなのは外見だけなの。ミドルネームなんかも持ってないし、純日本人の名前だっていったでしょう?」
 萌はやや釈然としない顔でしばらく差し出された手を見返していたが、そこで改めてにぱっと笑って人当りの良い雰囲気をまとって見せた遙佳の圧力を前に、結局はその手を握り返す。
「神河萌よ、よろしく」
 何事もなく萌と遙佳が握手を終えると、その手は正威にも向けられる。
 正威としては、先日のスターリーイン新濃園寺でのいざこざがあったから、遙佳がすんなり握手を求めてきたことには「驚いた」という側面が強い。それでも「それぐらいのことならば」と、一晩でさらりと水に流してしまえる豪胆の持ち主なのかも知れないと思えば、まだ納得できなくもない範囲ではある。
 ただ「それぐらいのこと」なんて簡単に言ってはみたが、萌のやったことは横合いから確信犯的に思い切り殴り付けるという卑劣な行為だ。しかも、一撃くれてやらないと「腹の虫が収まらない」というホントどうしようもない理由に端を為す犯行……。昨日の今日で腸煮えくり返っていてもおかしくはない。それこそ、握手の為に差し出した手から肘、襟首を掴み取り、体を入れて一本背負いの要領で投げ飛ばしていても何ら不思議はない。
 本当に人間ができているな。
 正威はそれを思わずには居られなかった。
 ともあれ、差し出された手を今の段階で握り返さない理由はない。自身にも向けられた遙佳の手を、彼女がそうするように軽い会釈を交えて握り返す。
「神河正威だ、よろしく」
 手は女性のものらしくきめ細やかな肌質で柔らかいが、見た目よりもしなやかな筋肉が多分にある。軽量化ハンマーを振り回す萌よりも握力・腕力がありそうだ。その僅かな握手の中で正威は、遙佳に対してそんな感想を抱いた。
「さてと、色々と話をしていく前に、まずは神河一門のスタンスを確認しておきたいかな。そこが根底から崩れると、あたしもこれからする話の内容を大きく変更しないとならなくなっちゃうし、……ね。だから、率直に聞くよ。神河一門は星の家がやろうとしている霞咲への起脈敷設を阻止する、阻止したい立場にあると思って良いんだよね?」
 率直と前置きした通り、遙佳はそのものズバリを聞いてきた。星の家に対する立場は昨夜の件である程度把握しているはずだが、それを当事者の口から確答として聞いておきたいというわけだ。
「Yes、例え彼らにどんな理由があろうともそこは覆らない」
「だったら! だったら少なくとも星の家の起脈敷設を阻止するという点に関して、あたし達は手を取り合うことができる筈だ。起脈敷設を阻止するため、あたしに力を貸して欲しい」
 起脈に対する神河の明瞭で確固たるスタンスを聞き、遙佳は一気にヒートアップした。きっぱりと断言をした正威相手に、ダンッとテーブルを興奮気味に叩いて立ち上がり「そうでしょう?」と同意を迫る勢いだ。
 いくつか間に挟むべき段階を、すっ飛ばしたことは間違いない。
 打って変わって、対する正威には冷静さが灯る。努めて冷静さを保持したというよりも、遙佳の加熱度合いによって手を取り合うに足る相手かどうかに疑義を持ったという方が正しかったかも知れない。
「なぜ、起脈敷設を阻止したい? 起脈敷設を阻止することで久瀬さんが得られる利益は何だ?」
「起脈は危険な代物なの。星の家は起脈がもたらす有用な面だけしか見ていないようだけど、霞咲では災禍を引き起こし兼ねない。……というか、このまま霞咲で敷設を続けると、必ず引き起こす。あたしはそれを未然に防止したい」
 正威と萌は互いの顔を見合わせた後、しっくりこないという表情を合間に挟んで遙佳に向き直る。
「遙佳ちゃんがどれだけ星の家や神河について理解しているかは知らない。だから、尋ねる。どうして星の家の起脈が駄目で、久和に属する「神河」なら大丈夫だと判断する? 星の家の起脈のような、霞咲に取って災禍を引き起こし兼ねない何かを、神河だって気取られないよう同じように張り巡らせようとしているかも知れない」
 判断基準の明示を求められ、遙佳の表情は曇る。
 実際問題、神河がそんなことを企てているかはともかくとして、神河に取って問題ないと判断していることが、遙佳ないし彼女の属している組織では問題視されるということは十分考えられる。また、久和という大きな括りで考えた時に、それが「ありえない」とは正威も萌も断言できない。
 これでもかと曇った遙佳の表情はそれを明示したくないか、もしくはそもそも明示できないことを如実に物語っていた。いや、それはできるできない以前の話かも知れない。ただただ、そんなところなまで思慮が及んでいなかっただけかも知れない。
 そうだ。そもそもが泥縄式の対応をしてきており、あくまでまずは直近の危険に対応しようとしているだけかも知れない。その過程で、直近の問題に対して手を取り合えそうな相手を見つけたから、それを提案した。ただ、それだけの話かも知れない。
 尤も、それならばそれで、正威や萌の側には遙佳に対する別の懸念も生じる形ではある。
 鋭く真意を推し量ろうとする正威と萌の視線に射抜かれて、遙佳はたじろぐ。
「予言といえばいいか、未来視といえばいいか、その、……先を見通す力があって、星の家が霞咲で災禍を起こすことを知っていて、だから、あたしはそれを……」
 どうにか喉の奥から引っ張りだしてきた言葉にしても、しどろもどろで要領を得ないものだ。ただ、答えに窮したとか、どうにか言い逃れをしようと試みたとか、そういったしどろもどろさではなく、自身の思いをどう表現するべきか解らないといった感覚に近かっただろうか。
 すると、そのしどろもどろさを受けて、正威や萌の中には次の疑問が生じる。
 では、その予言ないし未来視とういうものがどこまで正確で、どこまでその事象を見渡せているかのかという疑義だ。
「未来視は、遙佳ちゃん自身が視ることのできる能力として発現するものなの? それと、その未来視は、自身の行動如何によって変化を加えられるもの?」
「未来視は……」
 そこまでテンポは悪いながらそれなりに口を開いていた遙佳だったのが、そこを境にふいっと視線を外してその先を言い淀むということをした。そのまま未来視についての事実をありのまま話してしまっていいかどうか、今になって思い悩んだようだ。
 当然、その立ち居振る舞いは「手を取り合いたい」と働き掛ける側として、打診を受ける側に信頼をして貰うに足るものとは言い難い。何か隠したいことがあるにせよ、もう少し上手に振る舞うことを遙佳は覚えるべきだが、ことこの場に限っての話をするならば、それは正威と萌に「ああ、思っていることが態度に出るんだな」といった好意的な印象を与える方向に転んだ。
 年相応というか、実直さが現れ出た言動ままというか、パッと見裏表がなさそうだという印象は悪くない。
 仮に、対「起脈」で手を取り合いながら、神河と遙佳とで対立せざるを得なくなった時、遙佳が裏切る動きを感知し易い。尤も、裏切る時は裏切るで、あれこれと策を弄さずはっきりとその旨を宣言してから行動するタイプに見えるのは否定しないし、恐らくそうだろう。
 一度言い淀んだ後、遙佳は腕組みに小難しい顔をして押し黙る。明らかな防御姿勢を取って見せて、どうするかをまだ決め兼ねているようだった。
 それは好機である。
 正威にしろ萌にしろ、その判断が下るのを長々と待つつもりなどなかった。
 有利な条件付けを確保するべく、すぐさま正威が攻め手へと回る。
「今はまだ見えていないだけで、もしも起脈敷設阻止のため手を結んだ後、神河が星の家同様、霞咲に取って災禍を引き起こし兼ねないことをやっているのだと、久瀬さん達の未来視で見通してしまったらどうする?」
「それは、……止めるよう説得する」
「霞咲に降りかかる災禍なんてものは承知の上で、久瀬さんの説得に聞く耳を持たなかったら?」
「……」
 重苦しい沈黙を間に挟んだ後、正威を見る遙佳の表情には暗い影が差す。恐らく、今の今までその可能性について考えたことなどなかったことは間違いない。
「そんなことが有り得るの?」
 非難するかのような鋭い遙佳の視線に見据えられて、正威は首を傾げて見せて曖昧に笑う。
「どうだろう、久和や神河が自発的、且つ直接的にというのはないとは思うけどね。ただね、久瀬さん達が何を危険視しているか解らないから何とも言えない部分があるというのも本当かな。さっきもちょっと触れたけど、久和、神河について久瀬さん達はどこまでの知識・情報を持った上で手を組むに申し分ない相手と判断しているんだろうね?」
 正威から逆に質問を向けられて、遙佳は答えに窮する。
 尤も、その顔付きからは問いの答えが「解らない」となるのは明白で、正威自身「これがその拠り所だ」となる明瞭な何かが明示されるなんて端から思ってはいない。
「自発的、且つ直接的にはないとしても、久瀬さん達と神河の利害はきっと異なっている。霞咲での星の家の行動を阻害するため、神河は霞咲に取って「災禍」に及ぶ行為を行うかも知れない。久瀬さん達が神河を危険と判断する可能性がないとは言えない。例えば、……そうだね。霞咲に対する一時的な、ある程度の起脈敷設を神河が容認し傍観する、とかね」
 正威から畳み掛けるように一つの例が提示されると、その「例」は到底許容できないと遙佳は目の色を変えて食って掛かる。まさに、今の今まで「霞崎への起脈敷設は容認できない」なんて立場を取って置きながら、どの口が「それを言う?」と戸惑った色が見え隠れする立ち居振る舞いだ。
「霞咲への起脈敷設はとんでもない災禍を引き起こすんだよ? 曲りなりにも霞咲の八百万の神様から星の家の対処を要請された神河がそんな対応をするの!」
 そうやって、目の色を変えて非難交じりに捲し立てたのも一瞬、遙佳の表情はすぐさま「しまった」といった類のバツの悪さに支配された。
 神河が霞咲の八百万の神様から星の家の対処を要請されていたことを「知っている」と口にしてしまったからだろう
 しかしながら、正威や萌に取っては「どうしてそれを知っているのか?」という疑問こそあれ、その事実を知られているか否かはさしたる問題ではなかった。
 即ち、その差で動揺するのなら、それは遙佳の側に何かしら思うところがあることを意味する。そして、それは同時に、正威が遙佳に対する認識を改めた瞬間でもあった。どうやら遙佳ないし彼女が属する組織は、神河が「霞崎で何をしようとしているのか」を、少なくともある程度は情報として収集し知り得ている。
 気まずそうな面持ちを前面に押し出し、遙佳はまたも押し黙る。そこには動揺すら見え隠れする始末だった。
 口を滑らせた……と、遙佳は思っているのだろうが、問題はそれよりも神河と協力を築きたいと言いながら「手の内をなるべく明かしたくない」という思いが透けた点だろう。
 そして、そこまで露骨に弱味を見せてしまえば、この対話の中で「そこを突いて下さい」といっているようなものだ。
 当然、正威は調子を上げて攻勢を強める。
「それは災禍の度合によるんじゃないかな? それと、敢えて言わせて貰うけれど、曲りなりにも対処を要請されているからこそ、そういう判断もできる」
 八百万の神様から星の家の対処を要請されていることをあっさりと肯定すれば、それこそが霞咲へと降り掛かる災禍を看過し得る根拠足り得ると言い切った。
 そして、その具体例をつらつらと論うのは、正威ではなく、その場で横から口を挟んだ萌だ。
「起脈敷設を泳がせることによって、星の家の目的や星の家の息が掛かった協力者・協力組織を炙り出すことができるからね。今回、星の家を追い払って「はい、終わり」ならいいけど、今後も霞咲への起脈敷設を企て暗躍することが考えられる以上、それは有用な情報を収集する為の戦略として十分ありじゃない? 何せ、神河は霞咲での「星の家」の対処を要望されているんだ。それは少なくとも、星の家の実働部隊レベルに、霞咲での活動を諦めさせるレベルである必要がある。まして、起脈によって生じる災禍の程度がそう大したものものでなく断続的に続くのならば、神河がことあるごとに対処に当たり霞咲での実績を積み上げるのにも役に立つよ。久和と神河の霞咲での立ち位置を盤石のものにするという意味でも非常に有用だよね。一石二鳥で、最大限の利益を享受できる素晴らしいやり方だと思わない?」
 見る見る内に遙佳の表情は萌を訝るものへと変貌していった。そして、到底許容できない例がただただ具体性を帯びただけなのだから、そこに遙佳から返る反応なんてものも決まっていた。
 それは、反発だ。
「それ、正気で言ってるの? もし、それが本気の言葉なら、あたしは神河を軽蔑するよ」
 軽蔑という強い言葉ではっきりと言い切ったのは「災禍を踏み台にして」という部分が心底癪に障ったからだろうか。どうやら、遙佳はビジネスに立ったその立ち居振る舞いがしこたまお気に召さなかったようだ。
 災禍の程度の如何によらず、罪なき人々に災禍が降り掛かるのを許容するのは気に入らないようだ。まして、罪なき人々に災禍が降り掛かると解っていながら、利益を最大化するためそれを看過するなど言語道断と言いたいわけだ。それは感情的になって一気にヒートアップする言動からも見て取れる。
「星の家なんて連中が馬鹿やって、彼らが痛い目を見るだけならいいんだ。……いや、それも良くはないんだけど、今回星の家が霞咲への起脈敷設で引き起こす災禍はそんなレベルの話じゃない。ただただ霞咲で毎日を平凡に、平和に暮らしているだけの人達がたくさん巻き込まれることになる。しかもそれは生死に関わるレベルの話だ。是が非でも、それだけは避けなきゃならない!」
 正威も萌も、大凡遙佳という個人が何を達成したいと考えているかについては理解できたと考えた。遙佳に対する「嘘が不得手そう」「表裏がなさそう」という印象も、少ない時間ながら実際に対峙しその言動・立ち居振る舞いを見る限り、大きく外れることはなさそうだ。
 では、正威と萌がそれを踏まえて確認すべきことは何か?
 遙佳という個人が居て、その背後に何が介在しているのかだ。
 正威が遙佳の喉元に鋭く質問の刃を突き付ける。
「うん、立派だ。久瀬さんは立派な志を持っている。人助けがしたい。清々しいほどに立派な志じゃないか。じゃあ、最初の質問をもう一度投げかけようか。起脈敷設を阻止することで久瀬さん「達」が得られる利益は何だい? 久瀬さんの背後に居て「久瀬さんに」か「久瀬さんが」かは解らないけれど、協力者がここで達成しようとする目的は何だ。彼らもただの自己満足を求めているのか、違うんだろう? 率直に聞くよ、君の背後にいるものは何だ?」
「……そういう話じゃないはずだ!」
 やや言葉に詰まりながらも、重視しなければならないもの・重視すべきものをあくまで「災禍」へと向ける遙佳の感情的な言動は、自身の背景にあるものを関係なくして個としてことに当たりたい節を強く窺わせた。「目的が正しければ手段は選ばない」とまでは言わないものの、災禍を回避するという正しい目的の為に利害関係や敵味方の垣根を越えて手を取り合うべきと言いたいわけだ。後は神河サイドがその意を汲んで正威・萌という個人に立って行動してくれるならば、その関係は成立するだろう。
 しかしながら、神河サイドは組織対組織の関係性を、遙佳のようには無視できない。その拠り所が「未来視」という、現時点で共有できていない情報源であるところも頂けない。正威・萌ともにそうとは疑っていないながら、遙佳自身が何者かに騙されて行動している可能性だってないとは言えない。
「あたし達も正直に胸の内を伝えようか。あたし達はあなたが恐ろしい。恐ろしくて恐ろしくて、堪らない。あなたは手を取り合いたいというけれど、とてもじゃないけど、恐ろしくて恐ろしくてそんなことはできそうにない。では、なぜ恐ろしいか? これ以上ないご立派な大義名分を抱え上げておきながら、背後にあるものをひた隠しにするからだ。自身の身を危険に晒してまで、霞咲に住む人達を災禍から守りたい。そう話す口で、霞咲に暮らしている多くの普通の人達に、生死に関わるレベルの災禍が降り掛からんと知りながら、それでもなおひた隠しにしなければならない何かを持っているからだ。それも、それは霞咲の人達の命を天秤にかけてなお、隠し通したい何かなんでしょう?」
 わざわざ「恐ろしい」という形容を二回続けて強調する萌の言動は、当の遙佳の眼には全く自身を恐れていないようにも映ったわけだが言わんとすることは痛いほどに伝わった筈だ。語弊があることを承知で一言に噛み砕くならば、それは「信用できない」の言葉に集約される。
 事実、正威も萌も遙佳に対する恐れなど持ち合わせてはいなかったのは間違いない。あくまで、遙佳が隠すものを暴かんとする為の方便に過ぎない。ただ、本当に霞咲の住人の命を天秤に掛けてまで隠し通したい何かを遙佳が持ち合わせている場合、その背景こそが「恐れ」の対象となり得るし、実際にそうなる可能性がないともいえない。
 遙佳が一個人として動いている可能性は皆無だ。霞崎での神河の立ち位置を把握している点や、星の家の内情を把握している点を踏まえて、それは間違いない。久瀬遙佳は必ず背後に協力者を有していて、今回の件に関してもその協力者から援助を受けているだろうと推測できる。
 遙佳は自身の背後にあるものを「恐ろしい」と責め立てられて、さぞかし「そんなことはない」と声を張り上げたかったのだろう。一挙手一投足からままならない歯痒さや苦しさが透けて見えた。
 両の拳を赤を通り越して肌が真っ白くなるまで握りしめ、くっと下唇を噛む遙佳に、正威がここぞとばかりに追い打ちをかける。
「なぜ、手の内を明かせない? 久瀬さんから手を組む提案をすることに対して何ら問題がなくても、久和や神河に取って久瀬さん「達」は必ずしも味方だと言えない相手だからではないのかい? それを知っていて話さないというならそれでも構わないが、大義名分を掲げ挙げて押し切ろうなんて手でどうにかなるとは思わないことだね」
 押し切ろうなんて意思が遙佳にあったかどうかは定かではない。しかしながら、結果としてそう受け取られたことを踏まえ、遙佳は観念したようだ。それまで、積極的に触れないよう、そして、あわよくば語らずに済ませようとした彼女の背景部分について言及を始める。
「まず、あたしは霞咲に災禍が降り掛かることを未然に防止することで利益を得る組織に属していると言える。未来視で見通した災禍や危険っていうのは、そのまま放置しておくと今のところ必ず発生していてほぼ未来視通りの結果になってる。未来視の内容は関係者間で共有されているから、災禍で被害を受ける人達はそれを取り除くことを嘆願するし必要となる費用も工面してくれるの。そして、積極的に災禍を取り除くよう働きかけもしてくるし、未来を見通す為に必要となる資金も用立ててくれる」
 その弱弱しい口調は、あれだけ大義名分を強く掲げ挙げておきながら結局は背景に相応の利益が絡んでいることを恥じたからだろうか。遙佳当人としてはそんな利益の柵などどうでもよくて、言葉通り「災禍は全て取り除きたい」と思っているのかも知れない。尤も、何をするにも資金は必ず必要で、善行だから「収支度外視」といかないところは言うまでもない。パトロンがいるのなら、ある程度はパトロンの意向に左右されるし、平等とはいかない。
「未来視はあたしが持つ能力じゃない。けど、そのヴィジョンを共有する術があって、あたしを介することでそのヴィジョンをより明瞭なものにすることができるの。何ていったら正しく伝えられるか解らないんだけど、ぼんやりした部分があるものを、より細部まで見通せるようになるっていうのかな、……そんな感じ」
 腹を括って遙佳が口を切った内容は、拍子抜けするほど大した内容ではなかった。大凡、推測できる範囲のことで、正威や萌に取って驚きのある内容でもない。まだ未来視の内容といったような核心部分に触れていないとういうのもあっただろうが、弱弱しい口調の遙佳は観念しておきながらまだ踏ん切りがついていないようにも見えた。
 そんな遙佳の独白だけに任せていたら、核心に触れるまでまだまだ時間が掛かると思ったからだろう。熱を失いぬるくなったコーヒーを一気にグイッと飲み干すと、萌が一歩二歩と踏み込んだ質問を向ける。
「その未来視は確定した「変えられない未来」を見通すものなの?」
「まさか。だったら、降り掛かる災禍は全て取り除くことができないものになっちゃうでしょう?」
 首を横に振り「未来を確定させるものではない」という遙佳に、萌は未来視の種類について目で問うた。即ち、どこまでを見通すことができて、どこまでを見通せないかの確認だ。遙佳は災禍を未然に防止するという視点に立っているが、その如何によっては影響を受ける人達を強制的に避難させる方が適当かもしれない。
 ヴィジョンを共有する術の下りで見せたように、どうしたら上手く表現できるかを遙佳は模索しながら話し始める。
「基本的には、いつ、どこで、どんなことが起きるのかっていうのが視えるんだけど、その、直接的な解決策までは示されないんだ。それを変えるために必要となることもはっきりとは解らない。ただ、あたし達が持つ過去の経験から言えることは、あたし達だけの力、あたし達の勢力だけの力では未来は変化させられないということ。未来視を視た時点ではあたし達の側にいない、あたし達に力を貸してくれる未知の誰か・未知の何かが必ず必要になる。今回でいうのなら、それが星の家の誰かなのか、神河なのか、まだ登場しえていない未知の誰かなのかはわからない」
 ようやく一つ、正威も萌も合点がいった形だった。
 自分一人で起脈石を破壊して回っても災禍が防止できないと考えているから、遙佳は神河、そして星の家に働き掛けをしているわけだ。そして、起脈敷設に関して、まずは第一目標として星の家と折り合いをつけようとするのだろう。言ってしまえば、遙佳の目的は起脈敷設の阻止ではなく、今のまま星の家が霞咲へ起脈を敷設を続けることによって生じる災禍の防止なのだ。
 では、もし仮に神河が災禍を引き起こす要因足り得るとしたらどうか?
 起脈敷設を阻止する神河の行動・行為が何らかの形で霞咲の災禍を引き起こす要因になるのだったら?
 恐らく、遙佳は神河を排除する。そこに至る長々とした過程は介在するだろうが、それはきっと翻らない。遙佳がその可能性を考慮に入れているかと言えば、恐らくそれは「NO」となるだろうがないとは言えない。
 ともあれ、萌はお互いが敵同士になる可能性を、具体例を用いて遙佳に突き付ける。
「その話が本当なら、やっぱり神河があなた達の敵に回る可能性もあるというわけだし、神河があなた達を敵と見做さざるを得ない場面だってあるかも知れないってことだ。そうとははっきり語らなかったから聞くけれど、霞咲から星の家を追い払った後、あなたの属する組織が星の家の様に霞咲へ触手を伸ばさないと約束できるの? 本当に、あなた達の目的は霞咲から災禍を取り除くことだけ? 霞咲から災禍を取り除いたという成果を足掛かりに食指を伸ばさないと本当に明言できる?」
「……」
 萌の推察は的を射たようだ。
 即ち、遙佳自身、自身が属する組織のことをしっかり把握できていないという内容だ。
 これは今回関わっている星の家の面々にも言えることだが、自身が属する組織体が最終的に達成しようとしていることを把握していない。遙佳でいうと、それは遙佳自身の目的と、組織が目指すところが一致しているかどうかを把握できていないと言い換えることができるかも知れないが……。
 ともあれ、当惑し俯く遙佳を前に、萌はしてやったりの顔だ。大凡、遙佳の立場や背景にあるものを理解し、どうするべきかの見通しを立て終えたからだろう。
「今回、星の家が起脈敷設の強行で引き起こす災禍はどんなものなの?」
「未来視の内容までは、今は語れないよ。だって、それを知ったら、災禍が放置可能のものだと判断して「霞咲で実績を積み上げる為の踏み台にしてしまおう」なんて判断を下す可能性が、あなた達にはあるんでしょう? 星の家に肩入れするなんてことはないのかも知れないけど、あたしの行動の邪魔をされたりするようになったら堪ったものじゃないわ」
 それは遙佳の精一杯の反論だったろうし、散々責め立てられたことで「神河」が敵になる可能性を視野に入れた警戒の姿勢でもある。言ってしまえば、遙佳が学んだ結果だ。
 神河サイドから提示した具体例を引っ張り出されて反論されては、正威としてもそこは頷くしかない。
「うん、御尤もな意見だ」
 そこですぱっと話が途切れると、粗方やりとりすべきことはし終えた雰囲気が漂った。
 萌は背凭れに寄り掛かるように体勢を取って足を組むと、遙佳から視点を外し正威へと視線を向ける。
「さて、神河としては敵になる可能性のある久瀬遙佳ちゃんをどう扱おうか。起脈によって引き起こされる災禍を霞咲から取り除くって目的に対して、手を取り合わない理由はないよね。その後に、何かを企んでいる可能性があることを踏まえても、ね。少なくとも、起脈敷設の阻止で星の家を相手に回すことに関しては利害が一致してる」
 わざとらしく内々の話であるべき内容を声に出す萌の言動は、遙佳に対しても状況整理をするよう促したからだったろう。いくらか懸念はあるものの、手を取り合うに足る状況が揃っていて、後は「どこを落としどころにしましょうか?」というのを遙佳にも前持って探らせたかったのだ。
「じゃあ、提案だ。同盟という形で契約をしよう。しかも、神河がクライアントを「久瀬遙佳」にして雇われるという形だ。これならば対価が支払われていて、且つ君が久和や神河に対し敵対行為を行わない限り、神河は君を裏切らない」
 落としどころの提案は、神河からという形が取られた。顧客を相手にする営業マンの顔付きをして、しっかりとした発音と迷いのない口調で、正威はさもそれが最良であるかのよう遙佳に提示した。
 対する遙佳は、突如出てきた普段余り聞きなれないだろう単語を聞き、頭にはてなマークを付けた渋い顔で聞き返す。
「同盟? 契約? 対価?」
 正威はにこやかな柔らかい物腰を取ると、その意図を噛み砕いて説明する。
「立場が曖昧な「協力者」なんて代物じゃない。契約という形を取れば、君は俺達を縛ることができる」
「……あなた達がそれを一方的に破棄して敵に回ることだってあるんじゃないの?」
 遙佳から向いた疑惑を前に、正威はさも当然だと言わないばかりにそれが「あり得る」ことを答える。物腰が全く変わらない辺り慣れたものだ。
「もちろん。但し、それは既に述べたように君が対価を支払わないか、久和や神河に対し敵対行為を行う場合だ」
 ついさっきまで攻めに攻め立てられた遙佳は、正威の話の内容に疑惑を向けることを躊躇わない。少しでも、疑問に思う点は根掘り葉掘り確認し兼ねない勢いをまとう。
「何が敵対行為に当たるかなんて、結局あなた達の匙加減一つだと思うけど?」
「まあ、言わんとするところは解るよ。でも、契約という形を取る以上、裏切る、もとい同盟を破棄する場合はその理由は前もって明言するし、君が納得するまで説明するよ。誰が見ても君の裏切りが一目瞭然の場合はその限りではないけれどね」
「なぜ? なぜ契約という形を取るだけで、そこまでスタンスを変えられるの?」
「神河、惹いては久和の沽券に、信用に関わるからさ。君がどれだけ久和や神河について知っているかは知らないけれど、久和はとある大命を授かってこの土地で行動しているんだ。だから、俺達が良しとして受けた契約を、途中で、それも理由なく破棄することは自身の信用を棄損するだけでなく、大命にも泥を塗ることに繋がる」
 淀みなく自信に満ち溢れた顔で答えを明示され、怯んだのは遙佳の方だった。
「まあ、実際そこは個人差あるよね」
「茶々を入れるなよ」
 話の腰を折りかねない萌の茶々に、正威は頬を掻き苦笑しながら非難を向けたが、それは俄かに緊張感を帯び始めた雰囲気をぶち壊す絶妙のタイミングのものだった。怯んだ遙佳の、強張りを解すのに一定の効果を発揮した形だ。結果として、久和や神河の仰々しいスタンスの話に及んだ雰囲気は、萌の茶々によって良くも悪くも台無しになる。
 方向性の定まらないややきまずい雰囲気の中、萌は遙佳が質問を続けた「契約と同盟」について身も蓋もない形で噛み砕く。
「まあ、詰まるところは、裏切る時にはフェアーに裏切りましょうってことね。いや、裏切りって言葉は印象が悪いかな。同盟を破棄する時はフェアーに、……の方が適当だね。立場上、お互い敵にならざるを得なくなった時は、きちんとそれを宣言してから敵に回る。そこの線引きをしっかりやっておいて、手を取り合って対処すべきことには手を取り合って対処しましょうってわけ」
 契約と同盟という形を取って「どうしたいか?」を聞いた遙佳はやや引き攣った顔で萌に言い返す。
「それをあなたがいうの、神河萌ちゃん? 昨夜、一言声を掛けるとか言って置いて、いきなり横合いからあたしを殴り付けたあなたが?」
 顔や声には出さなかったものの、正威が「御尤も」と膝を打ったのは言うまでもない。
 さて、では当事者である萌はどう対応するか。しれっと「約束は守った」という体で、些細なことでもしっかり契約に明記しようと提案する。
「一言声は掛けたじゃない? でもあれがお気に召さないのなら、それも契約事項にしっかりと書こうか。同盟を破棄してお互い敵同士となる場合には破棄直後の攻撃(一分以内)を禁止する、とかでどう?」
「……」
 今の今まで押し殺していた、昨夜の怒りが沸々と首を擡げてきたのかも知れない。無言で萌を見据える遙佳にはやや迫力が伴い「ふざけるな」と言わんばかりの抗議の態度も透けえ見えたが、それを理由にここまで進めた交渉を台無しにする気はないようだ。萌を見据えたまま腕組みをして押し黙る遙佳は、どうするべきかを熟考していたのだろう。
 萌を睨み据える鋭く切り上がった目元もゆっくりと瞼を閉じて、遙佳は眉間に皺を寄せて「うーん」と唸る。
 まだまだ長い葛藤が続きそうだと正威は判断したらしい。遙佳に向けて、答えを急ぐ必要がないことを告げる。
「信用できないのなら、提案を飲む必要はないよ。決定権は君にあるんだ。今すぐに答えを出す必要だってない。じっくりと調べられる範囲で、久和や神河について徹底的に調べた上で改めてという話でも構わない」
 遙佳はぱちっと目を見開くと、提案者である正威をまじまじと見る。恐らく、その提案に乗り「保留」という態度を返すのだと思われた。遙佳の背後にも、遙佳が属する組織の柵があるのなら、これは彼女の一存で決められることではないかもしれない。
 では、遙佳が「保留」という態度を取った時の問題となることは何か?
 萌が「たった今、それを思い出した」という体で、場を改めて回答する際の注意事項についてこう釘を刺す。
「ああ、でも、徹底的に調べ上げた結果として久和本家や他の門家に話を持っていくとかやられたら、ちょっと嫌がらせを嗾けるに足る私怨には発展するから、そこで軽はずみなことはしない方が良いかな。これ、警告ね。霞咲でご入り用の際は、ぜひとも神河を宜しく!」
 にこやかな表情でラフに言い放ちはしたが萌の警告は割と本気のそれだ。神河を宜しくといった際に、胸の内ポケットから名刺入れを取り出して、遙佳へ名刺を一枚差し出した辺りからも、その度合いが計り知れる。霞咲の案件で「久和本家や久和一門の他の門家に連絡するんじゃねーぞ」と念押ししたわけだ。
 尤も、対する遙佳はぽかんとした表情で差し出された名刺を受け取る格好だった。久和本家や他の門家との、神河の繋がりが良く解らなかったのだろう。神河だろうが他の門家だろうが「結局は久和一門ではないか?」と問えば確かにそうで、警告の言わんとするところは確かに解り難い。とどのつまりは、同じ久和一門下でも柵やシェア争いみたいなものがあるのだろうということだが、遙佳にいきなりそれを汲み取れというのも酷な話だった。
 遙佳は萌から受け取った名刺をまじまじと眺めた後、一段低いトーンと覇気のない声で口を切る。
「一つ残念なお知らせがあります。雇うって言ってたけど、あたしには、その、余りお金がありません。というか、多分、あなた達が二つ返事で頷いてくれる金額を提示することは不可能、……です」
 申し訳なさそうに上目使いを見せるのは、それでも何とかならないかを相談したかったからだろう。
 正威と萌は顔を見合わせた後、溜め息交じりに遙佳へと向き直る。
「そっか、じゃあまあ、今回は御縁がなかったってことで……」
 笑顔ではありながら縋り付く余地が一つもない冷たさでやんわり萌に「無理」と突き放されて、遙佳は慌てた。加えて、続けざまに萌が席を立とうとしたことで、遙佳の焦りは目に見えて酷いものになる。
「ちょっと、ちょっと待って!」
 借金の用立てをするかの如く腰の低い態度で萌の袖を掴んだはいいものの、いざ勢い任せに口を開きかけた遙佳から二人の足を止めるに足る名案が出てくることはなかった。水面の鯉のようにパクパクと口を動かしてはいたが、目は泳ぎ切羽詰まって意味のある言葉も発せられなった様子だ。頭の中は真っ白だったかもしれない。
 袖を引っ張られてややバランスを崩しながら、萌は「もう我慢できない」という風に吹き出した。
「ぷ、ふふ、あははは、……なんてね、冗談、冗談だよ」
 悲壮感すら漂わせる困惑の表情の遙佳の肩をばしばしと二回叩き、萌はしてやったりという顔付きで続ける。
「さっきはああいったけど、起脈の敷設を泳がせる気なんてさらさらないんだ。対「星の家」で手を取り合わない理由はないし、星の家を叩く上でも昨夜の立ち回りを見せた遙佳ちゃんの協力が望めるのは正直言って心強いよ。今回の契約に置いては、対価はおまけみたいなものだよ。お金である必要はないよ。まあ、なしというわけにはいかないけどね。なぜなら、あたし達を契約で縛る為には必要だから」
 正威が「ああ、またやらかした」という諦めの表情だったから、尚更に萌の悪ふざけの態度が際立つ。
 きりっと真面目な顔を装って、真面目な話をしたのも束の間のこと。萌はぽかんとした遙佳の顔をまじまじと眺めた後、再び吹き出す。
「あはは、駄目だ、おっかしーの。さっきの必死の形相、ホント様になってたよ。タイトルを付けるなら「The 債務者の懇願」って感じ。写真コンクールとかで上位に食い込めそうなぐらい迫真に迫ってたね! 借金返済期日の延長を初めて懇願する債務者の人って感じが完璧だったよ、遙佳ちゃん」
 正威はプチッと何かが切れる音を聞いた気がした。
 遙佳は表情のない顔で瞑目すると、二度三度と首を横に振る。その挙動は込み上げる怒りを抑え込もうとしているようにも見えたが、カッと目を見開き萌を睨み据えてしめば、そこには喧嘩に挑む雰囲気がこれでもかと伴っていた。何だかんだいって、やっぱり昨夜の一撃は今もなお尾を引いていたのだろう。
「喧嘩売ってるよね? その歪んだ性格に外見が沿うよう、頭かち割って歪めてあげようか?」
「あー、売られた喧嘩は買うよ? 昨夜はちょっと舐めて掛かって後れを取ったけど、今回は全身全霊を以てぎったんぎったんにしてあげる」
 ちょっと歯車が掛け違うだけで一気にこんな事態へ陥ることに正威は愕然としただろう。そして同時に、その場に割って入って仲裁できる存在が自分以外には存在しないという残酷な事実を前に、きりきりと胃の痛みを感じていたかもしれない。しかも、歯車が掛け違うきっかけとなったのは、他でもない萌の言動が発端で間違いない。厄介だった。
 ともあれ、機先を制して場を収拾すれば罅は小さく少なくて済む。あたふたしている時間などなかった。
「ストップ、ストップだ。せっかく後ちょっとというところまできた交渉を、こんなことで台無しにするつもりか。お互い、頭を冷やそう」
 正威が合間に割って入ると、萌・遙佳の両者からは「頭なら冷えていて冷静である」旨の言葉が向く。
「手は取り合うよ」
「あなた達を雇うという形で同盟を結ぶことに異議はないし、十中八九そうすることになるとは思う」
「でも、それと白黒付けるのは別の話だ」
「でも、力関係ははっきりしておかないと! 雇い主サイドが力量で勝るか劣るかは、今後の協力関係の上でも大事じゃない?」
 思考や言動に置いて、正威に萌と遙佳が似たもの同士という認識はなかったが、割とシンクロする部分はあるようだ。
 特に負けず嫌い、やられたらやり返すといった辺りのスタンスは似通ったものがあるのかも知れない。
 ともあれ、こんなところで殴り合いの喧嘩に発展する事態を許容するわけにはいかなかった。人目に付かず周囲を巻き込まないような場所さえ確保できていれば許容したのかという話もあるが、今それを言っても詮無い話だ。
「一先ず落ち着け。それとも、コップの水を頭から被る形で文字通りお互い頭を冷やしたいか? コップの水では頭を冷やす量にも温度にも足りないっていうのなら氷がたっぷり入ったピッチャーでもいいぞ?」
 萌・遙佳の両者から怒気の籠った鋭い目つきで睨まれて、正威は怯みそうになるのをどうにか堪える。毅然とした態度が重要だ。
「回りを良く見ろ、ここはどこだ?」
「まあ、こんな衆人環視の目がある場所で色々ぶっ放すにはいかない……か。仕方ない。白黒つけるのは、別に機会にしましょうか?」
「……」
 萌がふいっと喧嘩腰を止めてしまえば、遙佳は遙佳で怒りの矛先を完全に失った形だ。喧嘩にそぐわない場所だということを認識し、色々と飲み込んだ萌を眼前に置いて、遙佳だけが聞き分けなく捲し立てるわけにもいかない。
「最悪、ホンット最悪。良くこんなになるまで誰もこの娘の性格矯正しようとしなかったね?」
 そんな嫌味とも呆れとも取れる台詞を正威へと向けたのは、矛先を失った怒りを吐き出す為の苦肉の策だったろう。
 一方、非が萌にある為、正威は下手に出るしかない。
「すまない」
 素直に頭を下げた正威だったが、ふと思い出したかのように口を切る。
「いや、でもね、萌が傍若無人に育ったのにもわけがあってね。後、こう見えて……、ッッ!!!!」
 さも「名誉のためにこれだけは言っておかねばならない」という顔で切り出した内容は弁解だった。尤も、その弁解は途中で、正威が押し黙るという形を取って停止する。当の正威は、右腹部を押さえて前屈みの姿勢を取り、声にならない呻き声を挙げる形であり「強制的に黙らせられた」と言い換えた方が良いだろう。
 ちなみに、正威の右腹部に、萌が左握り拳で繰り出したジャブがめり込む格好だった。
「何喋ろうとしたのかは知んないけど、余計なことは話さなくて宜しい。OK?」
 青い顔で「うんうん」と頷く正威の様子を前にして、ようやく萌は腹部にめり込ませた握り拳の力を緩めた。
 正威を黙らせた手前、自分が話題を切り替えなければならない。萌はそう考えたのだろう。ゴホンと咳払いをすると、先程までの喧嘩腰とは打って変わり、遙佳に対して契約関係を締結するかどうかを問う。
「それで、どうするの?」
「手を取り合う方針に変わりは無いし、間違いなくそうなるとは思うけど、……回答は今日の夜にさせて」
 もしも、契約関係締結に対する問題点が金銭的なものだけであるのならば、障害はなくなった筈だ。
 しかしながら、遙佳は回答を先送りにするという決断を下した。しかも、自らその決断を下すとした期日は余りにも短い。少なくとも、久和や神河のことを多少なりとも調べて回るのに足る時間とは言い難い。
 そんな短い時間の間で、何を決断できるというのか。萌はそう訝ったようだ。
「回答までのリードタイムは、そんなに短い時間で良いの?」
「実を言うと、あんまり悠長に事を構えて居られる時間はないんだ。手を取り合うとなったら、そこは詳しく話すことになるけどね」
 本音を言えば、もっと猶予が欲しい。遙佳の言葉からはそんな思いが透けて見えた。もちろん、それは神河に関することを決断するのに限った話ではないのだろう。
「多成には三日のリードタイムを与えてたみたいだけど、そんなに時間がないわけ?」
「あれはあたしが待てる最大限のリードタイムだよ。星の家相手なら本当のギリギリになってしまっても、起脈設置を諦めさせればそれで片が付くかもと思ったからギリギリを提示したの。でも、星の家の説得が無理だった場合、力尽くで起脈設置を阻止しなきゃならないからね。ただ、この三日という時間はあたしに取っても渡りに船。その時間でやって置きたいこともある」
 今から三日以内。
 霞咲で起脈を起因として引き起こされる災禍は、その期間内に発生するようだ。
 ともあれ、自身の回答期日を今夜に区切り、遙佳はその決断を下すために必要となる条件の確認を始める。
「それよりも、契約で神河を縛るとなった場合、あたしは何を対価にすればいい?」
 真顔でそう問い掛けて来た遙佳に対して、萌は正威と顔を見合わせた後で逆に何を提示できるかを確認する。
「率直に聞こうか、遙佳ちゃんは何ができる? 何を対価に支払える?」
 遙佳は一度言葉に詰まった後、それに価値があるかどうかを疑う節を見せつつも口を切る。
「あたしの力量を褒めてくれていたみたいだから、必要とする時に力を貸してあげたりとかはできるけど……」
 尤も、尻切れ蜻蛉にトーンを落とした言葉の節々からは「これでどうにかならない?」と懇願する思いが透けて見えもした。
 そんな遙佳の態度は対照的に、萌は非常に軽い調子で切り返す。
「いいんじゃない、それで。ああ、後、こちらが望む時に、遙佳ちゃんが知る星の家の情報を提供して欲しいかな」
 余りにも呆気なく対価の提案を神河が呑んだことで、遙佳は拍子抜けしたようだった。
 言ってしまえば、そう提案したはいいものの、まさかそんな内容で神河が首を縦に振るとは遙佳自身思っていなかったのだろう。即ち、通れば儲けものとでも思っていた提案だったのだ。
「……そんなもので良いの? 本当に? 後でこんなんじゃ足りないとか言い出さない?」
 疑って掛かる遙佳に対し、萌は溜息交じりに答える。
「対価はおまけだっていったでしょう? ないというわけには行かないけど、今回それは重要じゃない。……とは言っても、遙佳ちゃん的にも無制限にっていうわけにも行かないだろうから、回数ぐらいは交渉と行きましょうか」
 にやりと笑う萌はここからが本当の交渉だと言わないばかり。確かに、ここで遙佳が神河相手に手を貸す回数が膨大となれば、それは対価として必要十分以上の契約になってしまう。
 萌に首を傾げる形で回数提示を要求され、遙佳は回答に窮した。
 遙佳に取ってしてみれば、正直なところ、それは何回だって構わなかっただろう。もちろん、膨大な回数でさえないのならば、という但し書きは付くのだが。いや、だからこそ、どの程度の回数制限が適当なのか、遙佳は全く想像できなかったのだろう。
 答えに窮し「うーん」と唸った後、遙佳は苦し紛れに回数を提示する。
「じゃあ、その、五回でどうかな?」
 遙佳はプルプルと手を震えさせながら、五本の指を立てた手のひらを神河に向けた。例え根拠がなかろうと、もっとピシッとした態度で臨めば様になるのに、それでは遙佳自身、対価として足りるかどうか解らないと宣言したに等しい。
 神河としては、その気になればいくらでも回数交渉を吹っ掛けられそうな態度だと言えた。
 尤も、萌は二つ返事で遙佳のその提案を呑む。
「オーケー。それじゃあ、神河が星の家についての情報提供を受ける回数ないし、遙佳ちゃんに肉体労働を要する協力要請を出せる回数は五回としよう」
「え? いいの? 本当に?」
 またも、遙佳は拍子抜けしたようだ。
 対する萌は苦笑いである。
「何? 自分で提示しておきながら、もっと問合せ可能回数や協力要請可能回数を増やせと要求して貰いたいの?」
「そんなことはないけれど……」
「その回数は、遙佳ちゃんがあたし達に求めるだろう協力の内容に見合うものを、遙佳ちゃん自身が推し測り提示した数字でしょう? そういう反応をされると、遙佳ちゃんがあたし達をやっすい対価で扱き使おうとしている風に見えるよ」
「いや、そんなつもりはないけど、その……」
「では、その対価を踏まえて正式に神河と契約を結ぶかどうかは、本日24:00まで回答をくれ」
 萌に突っ込まれてしどろもどろな遙佳に、助け船を出したのは他でもない正威だった。
 ピシャリとそう言い切ると、遙佳を置き去りにして条件が決まる。
 そして、そこが固まってしまえば遙佳としてももうああだこうだという余地はない。
「……解ったわ。回答は、名刺の携帯番号に電話すればいいよね?」
「それで問題ないけど、もしこちらから連絡を取りたい状況が生じた場合はどうすればいい? 伝言録音サービスに「連絡しろ」って一言入れておけばいい?」
「伝言録音サービス、……かぁ」
「携帯電話ぐらい持っているんでしょう? 手を取り合うには、信頼関係が大事だと思うけど?」
 信頼という言葉を用いた萌は、暗に「携帯番号という手の内ぐらいは明かしたら?」と詰め寄ったに等しい。尤も、その気になれば携帯番号一つからでも、行動エリア範囲や契約者情報などを調べ上げることができるのも事実だ。特に、霞咲を含めた櫨馬界隈では個人情報が記された名簿リストなんかが横流しされる頻度が高く、公然と売買されている背景もある。手を組むと決めた神河相手にも自身の背景をぼかしておきたいと遙佳が考えているのならば「携帯番号ぐらい」という認識は正しくない。
「……考えて置くわ」
 たっぷり数秒間にも及ぶ思案の為の沈黙を合間に挟み、遙佳が導き出した答えはこれまた「保留」だった。
 探られてもいいように、それ専用の携帯電話を用意しようという腹かも知れない。


 そうして、軽食喫茶カラーアハートでの対起脈の同盟交渉を終えた後、遙佳から神河に契約という形での正式な同盟要請があったのは、夜を待たずそれから二時間も経過しない内でのことだった。
 猶予が無いといった言葉通り、それだけ遙佳が置かれる状況は切羽詰まっているようだ。
 また、同盟要請に合わせ、遙佳はある場所への立ち会いを神河に要請した形でもあった。メールでの要請には、同時に複数枚の画像ファイルが添付されており、そこには起脈が引き起こす災禍を写し取ったのだろう状況が表示されていた。
 立合要望日時は、同盟要請の次の日の17:00。
 場所は、霞咲市緑苑平。新農園寺から電車で三駅ほど離れた、より霞咲市の都市部寄りの場所である。





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