「異式錯落区画の未知標 -北霞咲新濃園寺コンフリクト-」のトップページに戻る。
俄にざわつきが収まり始めると、境内に張り詰める緊張感には確かな焦臭さが混ざりつつあった。それはまだここにはいない、これから境内に姿を現す星の家へと向いたものだったが、星の家と直接対面する親玉格も同じような雰囲気を伴っているかというとそうではなかった。崩れ落ちた社の前に位置する三体の親玉格は、少なくとも「まずは対話に応じる」スタンスで間違いないだろう。
三体の親玉格の一体は、崩れ落ちた社を眼前に置き向かって右斜め前に位置する「主窪峠の異形」に酷似した姿形の異形だった。細部や体格に差こそあれ、同系列に属する異形で間違いないだろう。
向かって左斜め前に位置する一体は、中背細身で上下をグレーのスーツで固めたパッと見「人間」の風貌を持つ異形だった。無地の真っ赤なワイシャツに、浸み一つない無地の白いネクタイを締め、革靴を履くというスタイルで、整えられた顎髭に短く丁寧に切り揃えられた黒髪という清潔感ある身なりだったが、目元は黒く抉れ目玉がない。目元には青白く燐火が灯っており、クイッと口の端を吊り上げるようにして佇む様子は、直感的に物恐ろしさを感じさせた。
そして、ど真ん中に位置する三体の親玉格の最後の一体は、地面にドカッと胡座を掻いて座る格好を取り、この親玉格のリーダーであることを強く意識させた。
特徴的なものは、鼻から上を隠す赤い鬼の面と、胸元まで伸びる手入れの全く為されていない長髪だろう。赤い鬼の面には二本の角が生えているが、面を付けた後の形相は所謂「おどろおどろしさ」を感じさせる類のものではない。遠目であるため正確な体格までは解らないが、精々が一般的な成人男性のそれを多少上回る程度だろう。到底「主窪峠の異形」の体格には及ばず、グレーのスーツを着込む異形と比較してもそう大差はないはずだ。パッと見、白地の作務衣のような薄い布地の服に身を包んでいるのだが、一目で筋骨隆々な体付きであるのが解った。
各々、一見して神々しさを感じる装いではないものの、容易に近付くことを躊躇う程度には異質な雰囲気を漂わせる三体だった。言い得て妙だが、それこそ八百万の神々の一つというよりかは、妖怪変化の類に近い気配を持っているといっていい。
三体の親玉格の様子を窺いながら、星の家に対峙する側の面子を遠目にぐるりと眺めていると、一際ざわつきが大きくなって、そしてそのトーンがドッと極端に落ちる瞬間が来た。長い参道の石段を登り、星の家がこの廃神社の境内に姿を現した瞬間だ。
主窪峠の異形がこの場に姿を現した星の家のメンバーの名前と役職を簡素に説明してくれる。
「中央の男が北霞咲に起脈を敷設するプロジェクトの責任者を名乗る、多成弘俊(たなりひろとし)だ。そして、向かって多成の左後方に位置するのが紅槻啓名(あかつきけいな)」
あっさりと紅槻の名に連なるものが出て来たことで、正威は拍子抜け様子だった。てっきり後方に控えていて、あーだこーだと指示を飛ばす役割にあるか、前線に出てくるとしてもその名を伏せるなり偽名を使用するなりするのだろうと踏んでいたのだ。
言ってはあれだが、情報収集面や記録・編纂といった能力で決して秀でているとは言えない久和に置いてさえ、紅槻は「各地を転々とし各地でいざこざを起こした」としっかり記録に残っている。久和以外では何をも況んやだろう。そんな紅槻性を前面に押し出したところで、好意的なスタンスを引き出すことに繋がるわけはない。まして、相手を威圧できるほどに轟く御雷名というわけでもない。
正威の目に映った「紅槻啓名」は、そういう意味でも能力を推し量り難いと思わせられる相手だった。そして、だからこそ、正威は俄然「紅槻啓名」に興味を惹かれる形になる。
「へぇ、そうなると、俺や萌とそう年齢の変わらないあの娘が、起脈を語る上で切っても切れない紅槻一門の血を引く術者ってわけだ」
「紅槻の名前に連なるだけで、そう大した能力も持っていないただの下っ端かもよ?」
不意に、萌が紅槻啓名を指して下っ端の可能性を言及した。その発言に、正威は驚きを隠さなかった。場が場でなかったなら、どうしてその発言に至ったかを直ぐさま問い直したかも知れない。鋭い目付きで紅槻啓名を見遣る萌を横に置いて、正威のスタンスは「現時点で相手を過小評価すべきでない」という視点に立ったものに終始する。
「八百万の神様との交渉の場に、わざわざ紅槻の名前を出して参加して来るんだ。仮に下っ端だとしても、それなりの下っ端なはずだ。今までの経緯を踏まえる限り、これは星の家に取って一方的に話を進められるような交渉じゃない。星の家には、北霞咲に存在する八百万の神様へ起脈参加を促すという目的がある。その起脈だって、これから整備して行こうかって代物だ。星の家に取ってこの交渉が捨て石でない限り、相応の交渉能力を持つ面子が出張ってきているはずだ」
正威の言葉には強い確信が滲んでいた。尤も、その全ては状況証拠に推測を混ぜたものでしかなかったが、大凡的外れであるはずのない推測だと言えた。
ともあれ、廃神社の境内に姿を現した三人の内の二人の紹介を聞き、正威と萌は必然的に残り一人へと目を向ける。しかしながら、そこに臣窪峠の異形の口から残り一人の人物紹介は続かなかった。代わりに、口を突いて出た言葉は驚愕と警戒が半々で混ざったものになる。
「右後方の男は、……始めて見る顔だ。少なくとも、今まで対話の場に顔を見せたことのない男だ。まさか、ここに来て初顔合わせになるものを引っ張り出してくるとは……」
「星の家のバックスだ」
主窪峠の異形が「今まで対話の場の中で見たことがない」と言った男の名前は、境内に居並ぶ異形の中からはっきりと発せられた。それは星の家の構成員について名前と立場を説明していた主窪峠の異形が言葉を詰まらせたから、その助け船として発せられたものではない。
それは驚愕と嫌悪を混ぜ合わせたような嗄れ声だった。そこには好意的な感情など微塵も含まれてはいない。そして、それが合図だったとでも言わないばかりに、あちらこちらでバックスの名前が反復される。
「バックス!」
「あれがバックスか」
「起脈に賛同しなかった櫨馬の神の眷属を、力でねじ伏せて回った星の家の罰当たり、大戯けの一つだ!」
ざわつきと共に、廃神社境内の一部のエリアからは憎悪にも似た激した感情がドッと溢れ出る。
尤も、バックス当人はそれを知ってか知らずか涼しい顔だ。いいや、それらを「知らない」なんて言えるわけがない。どれだけ愚鈍であったなら、それらの敵意に気付かないなんてことができるだろうか。だとするならば、その涼しい顔も、そこから滲む牽制の姿勢も、全て理解の上での態度と言うことになる。不遜、ここに極まれりと言ったところだろうか。
バックスの姿勢から透けて見えるのは、星の家とは「そういうスタンスを持つ組織」なのだろうということだ。
そんなものが北霞咲へと触手を伸ばそうとしていることを改めて認識すれば、神河サイドの「不遜」の代名詞(と正威が勝手に思っている)も不敵に笑う。
「櫨馬の事情なんかは知ったことじゃないし、正直、久和一門のテリトリー外だから文句付ける筋合いもないんだけどさ、星の家、櫨馬では相当無茶苦茶やったみたいだね。そして、それが霞咲でも同じようにやれると思っているんだから、笑わせてくれるよね! 霞咲以西以南のことを星の家がどこまで知っているかは知らないけど、一気呵成にことが運ぶ世界じゃないことを思い知らせてあげる」
萌の言葉の節々に滲むものは「ここでは決して星の家に好き勝手はさせない」という強い決心に他ならない。櫨馬で好き勝手やったという部分についても相当気に食わない節がある。
威勢の良い自身の言葉で攻撃的な感情の醸成を一気に進める萌だったが、冷や水は思わぬ所から向けられた。それは星の家という組織に対する新事実を一つ明らかにするという形で、主窪峠の異形によって行われる。
櫨馬から霞咲に掛かる星の家の動きを一気呵成といった萌の認識を「改めるべく」とまで言ってしまうと語弊があっただろうか。ともあれ、それは星の家の動きについての誤った認識を修正する内容だ。
「起脈を巡る星の家の行動は急進的な動きが最近になって出て来ただけで、実のところアプローチ自体は今になって突然出てきたものでもないのだ。以前から間接的に我々の眷属へアプローチを掛け続けていて、我々が関知している範囲だけでも十数年前という尺度になる。星の家が星の家と呼ばれる以前のものや、もっと上層へ働き掛けていた動きも含めたならば、それは軽く二十〜三十は前からとなるだろう」
「そんな昔から星の家は行動しているの? いくら櫨馬界隈が久和のテリトリー外だっていったって、起脈石なんてものをポンポン設置して回っているのに、星の家の動向を感知していなかったってこと……?」
動揺したというよりも、唖然としたといった方が適当なのだろう。眉間に皺を寄せる萌の言動は、自身が属する組織の余りにも御粗末な対応に呆れ返ったと言わないばかりだ。
一方、正威は正威で呆れを含みつつも、やや萌とは異なる視点でその新事実を分析する。
「感知はしていたのかも知れないけど、他勢力のテリトリー外での動きについてまではどうこうするつもりがなかったんじゃないかな。……霞咲へのアプローチなんてところを察知していたかどうかは正直かなり疑わしいけどさ」
正威のその見解は久和一門の行動指針や情報収集能力といったところを踏まえた上での、ただの推測に過ぎない。しかしながら、しまを拡大しようとかいった類の野心に乏しい久和という組織性を良く把握した上での見解でもあった。
例えば、既に霞咲のあちらこちらへ星の家が起脈石を設置したという事実はあるものの、警告で星の家が「霞咲きから手を退く」というのならば、久和一門が櫨馬の件に付いてまで深追いすることはないだろう。霞咲界隈を起点に全面衝突まで発展した後だとなればそれはまた別の話だが、仮に北霞咲で小競り合い程度の衝突を起こしたとしてもそのスタンスは覆らないはずだ。
久和のスタンスを熟知する正威の疑問は、自然と星の家に動きへ移る。
「それよりも、俺としてはどうして今、急進的にことを進めようとしているのかの方が気になる」
急進的にことを進めなければならない理由など、大概は碌でもないことだ。最近起こった事件を脳裏に浮かべて、様々な良くない可能性を考慮し始めた正威に、回答と思しき言葉は思わぬ所から出る。
「それは、星の家が櫨馬での目的にある程度目処を付けたからだろう。小耳に挟んだ程度の信憑性の薄い話にはなるが、星の家は櫨馬の主要な場所へと起脈石を設置し終えていて、後は辺鄙な地域を潰して回るだけという状態にあると聞いた」
主窪峠の異形が小耳に挟んだ話が本当ならば、急進的な行動に転換する時期へと差し掛かったのがたまたま今だったということだ。そして、周囲の異形達が櫨馬のことを引き合いに出して星の家に憎悪を向けるのを見るに、恐らくそれはその通りなのだろう。
「なるほどね。それで前々からアプローチを掛けていた地域へ進み出てきたってことか」
「櫨馬での成功を踏まえ、奴らは我々の意向なんぞもう気に掛けては居ない。我々の意思表示が拒否であっても受諾であっても、起脈石の設置を停止するつもりもなければ、霞咲での行動を自粛するつもりもないだろう。こういう言い方が正しいかどうか解らないが、例外なく力を失いつつある霞咲の八百万の神々を完全に軽んじている」
現時点では、まだ星の家と敵対すると決まったわけではない。しかしながら、数多の憎悪が向く星の家の面子を眼前に置いて、正威と萌の二人はそう遠くない内に星の家と衝突するだろう蓋然性の高さを意識しないわけには行かなかった。
少なくとも、星の家が霞咲で強引に起脈の敷設を続けるという選択をする限りそれは間違いない。
ちょうど、崩れ落ちた社の前に位置する三体の親玉格と、星の家が折衝を始めるという頃合いになり、正威と萌はその行方をやや緊張した面持ちで見守る。
本堂前の境内へと足を踏み入れた矢先のこと、啓名はくっと強く唇を噛みしめた。自然と、そこには苦虫を噛み潰したような表情が浮かび上がる。廃神社境内に横たわる雰囲気は余りにも重苦しく、そこへ踏み込んでいくのには骨が折れる。そんな思考が見え隠れする形だ。そして、恐らくそれはほぼ無意識の内に顔に出た仕草だったろう。
骨が折れる、だからといってプロマス多成の前をバックスと共に進み出るその足を止めるわけには行かない。そこが踏ん張り処だと解っていたから、付いて出た仕草というわけだ。
数十の石段から成る参道を登り切って開けた本堂前の境内は、かなりの広大さを持っていた。それこそ標準的なサッカーコートがスポッと一つ入るほどの大きさだ。そして、それだけの広大さがあるにも関わらず、境内には相応しくない圧迫感が漂っていた。優に五十を超える出迎えが居並んでいたことに加えて、境内の四隅に聳える大木もその圧迫感を増長する一役を買っていただろう。なにせ、それは大の大人が四〜五人手を繋いで輪を作っても、その輪の中に収まらない幹の太さを誇る大木で、開けた境内に蓋をするかの如く広々と枝を伸ばして境内の七割強を木陰にしてしまっているのだ。
ともあれ、星の家の面々が全員本堂前の境内へと足を踏み入れた瞬間に、周囲を漂う空気は輪を掛けて重苦しいものへと変化した。そして、星の家の気配を感じてトーンを落としていたざわつきは一転、星の家の登場に合わせ再びそのトーン一気に上昇させる。
そんな血の気の多い反応を前にして、再び啓名はこれ見よがしに顔を引き攣らせて見せた。ただ、啓名に取って大きなプラス要素だったのは、そのざわつきの矛先がほぼバックスへと向く憎悪や好奇・畏怖の言葉だったことだ。良くも悪くも注目をかっ攫ったのはバックスで、他所での悪行で知名度があり、且つ霞咲での交渉の場に今回初めて顔を出すというサプライズはかなりのインパクトを持っていたらしい。
しかし、例えそうであっても、実質啓名はその場の雰囲気に呑まれてしまったと言って良かった。星の家、八百万の神々サイドの双方がまだ一言も意思疎通の為の言葉を発してない段階にも関わらず、である。
実戦経験の不足がそうさせたのか、将又、余りにも酷い舞台状況によってその状態に陥ってしまったのかは定かではないが、一目でそれと解る啓名の緊張度合いは星の家に対する格好の「付け入る隙」であるかのように映ったはずだ。
では、憎悪を剥き出しにして血気に逸る八百万の神々サイドが、我先にとその好機に付け入ろうとしなかったのはなぜか。やはり、それは啓名の横でこれでもかと悠々自適に牽制の姿勢を取るバックスが居たからだろう。誰が見ても一杯一杯といった啓名とは対照的に、涼しい顔で牽制を随所に覗かせた不遜な態度のバックスからは場数を踏んで培った一種の余裕さえも見て取れるのだ。
もちろん、境内に横たわる敵意や警戒といった感情から侮蔑や好奇までもが色濃く混じる雑多な視線を前にして、バックスが内心どんな感情を内に秘めていたかは本人にしか解らない。それでも、廃神社境内の殺気だった雰囲気を前にして、気後れした様子一つ見せないところは肝が据わっていると言えただろう。
何一つ褒められたものではないが、啓名とバックスのそのコントラストは絶妙のバランスを取っていた。色気を出してバッサリやってしまおうとまでは思わせないし、だからといって弱点と思しき相手に付け入って強硬な態度で有利にことを進めようとも思わせないギリギリのあたりを持っていた。尤も、それが交渉の場に伴うべき雰囲気かと言えば、それを「そうだ」と肯定するものは居ないだろう。
完全に緊張した面持ちの啓名と、涼しい顔で牽制を混ぜるバックスいう余りにもアンバランスな二人が前衛として歩いている時点で、毅然とした態度で交渉に臨むタフネゴシエーターなんて威厳は微塵も感じられない。その後ろに続くプロマス多成が場の雰囲気など意に介した風もない堂々とした立ち居振る舞いを見せることで、星の家はどうにか交渉人としての体裁を保っているのが精々といった風なのだ。
「さすが、バックスね。あんたの悪名は、霞咲にも十分轟いているみたいよ?」
唐突に、啓名が悪態を吐いて横を歩くバックスをからかった。そんなやりとりを織り交ぜることで、場の雰囲気に呑まれてしまった状態からどうにか立ち返ろうとしたのだろう。いつもの調子で二〜三やりとりを交わせば多少なりとも緊張が解れる筈と思ったのだろうが、芝居めいたぎくしゃくとした言動はより一層アンバランスさを際立たせるだけだった。
さらに言えば、当の啓名に悪態を吐くに相応しい表情が伴っていなかった。随所に引き攣ったままの「表情の堅さ」を残す酷い顔だ。上手く表情を作ったとは到底言えず、そこには「無理をしている」感がありありと漂う始末だ。
そして、悪態を向けられた側の肝心のもう一方が、悪びれた表情一つ覗かせずいつも通りの受け答えをするからなお質が悪い。
「起脈の管理人様やら、プロマス様やらがそういう雑な仕事ばかりさせるからだろう? しかも、今回も例によって例の如く雑な仕事だぜ」
悪名を轟ろかせることに繋がった大元の理由。それを啓名や多成の所為としたバックスにも一理あるのは確かだろうが、その不遜な立ち居振る舞いを見ている限りその全てを星の家の「雑さ」の所為にするには無理があるのも間違いない。
その一方で、啓名と多成の立ち回りを雑な仕事と表現したのも、今回ばかりは間違っていなかったはずだ。百歩譲ってこの場を「交渉の場」だと言ったとして、そこに「対等な」という形容を付加するものは居ないと思って間違いない。これから交渉を進めるという状態にあって、既に星の家はその目的に相応しくない状態に置かれている。そこに牽制役として、それも初めての顔合わせという形で引っ張り出されたのだ。
ともあれ、いつもの調子で軽口を返すバックスが居て、相も変わらず涼しい顔付きをして無言のまま後に続く多成という構図は、ただだだ際立って度を超す啓名の緊張感を浮き彫りにしただけだった。
バックスは緩慢な動作で改めて境内をぐるりと見返し不敵に笑う。
「はは、遠巻きにこっちの様子を窺っている異形の連中の下図を見てみろよ。まるで客寄せパンダにでもなった気分だぜ。これはあれか? 遠巻きに様子を窺ってるから下手なことすんじゃねーぞっていう脅しのつもりなのかね。奴さんら、身を隠すつもりなんざさらさらねぇよ。しかも、仮に一戦交えるつもりでこの配置を敷いているっていうんなら、悪手を打った瞬間に俺達は袋叩きになる位置関係だ。仮初めにも「交渉」と銘打ってこの場に出て来た俺達を出迎える態度がこれだ。はは、楽しいね」
星の家が置かれるまずい状況は、大凡バックスが分析した通りだ。
星の家という組織は全く持ってが歓迎されていないし、これから行う交渉でそれを改善させ得る見込みは皆無に等しい。悪手を打った瞬間、袋叩きになる布陣で出迎えられて、既に激しい敵意を向けられる状況下に置かれている。
啓名の口からは、疲労の色が混じった大きく深い溜息が漏れ出た。尤も、この状況下で溜息を吐くなという方が無理があったかも知れない。現状を総括して「楽しいね」なんて台詞をあっけらかんと口にするバックスは、啓名の眼に到底「正気の沙汰」ではないかのように映っただろう。
「……」
「おいおい、随分と酷い顔だな? 寝不足が顔色に出ただけだっつーならまだしも、この程度で雰囲気に呑まれてどうすんだよ? 最悪の場合、この場で一戦交えることも想定の内だったろうが? まだ小競り合いの一つ起こしちゃいないんだぜ? まだまだいつもの澄ました顔をしていろよ、その方が大分様になる」
啓名が向けた憎まれ口に対する仕返しとでも言わないばかり、バックスからは啓名に対する辛辣な言葉が向けられた。そればかりか、ひょいっと握り拳を啓名の喉元に置くといった直接的な行動もそこには加わった形だ。尤も、啓名の悪態に意図があったように、バックスの言動も啓名に発破を掛けるためのもので間違いない。
発破の一撃はより一層啓名の表情を曇らせ、バックスの不敵な笑みを程度の酷いものに変えたものの、緊張を解すという意味合いでは一定の効果を発揮した。ここに来て、啓名がどうにか言われるがまま澄まし顔に見えなくもない表情を装ったのだ。
そうして、本殿前の境内の中程までゆっくりと進み出ると、啓名とバックスの二人はその足を止める。後ろに続く形を取っていた多成はと言えば、足を止めることなく二人の前へと進み出ていき、三体の親玉格まで後三メートル強という辺りので近付いて、ようやくそこで足を止める。
本殿前の境内に居並ぶ誰もが、交渉の始まりを意識しただろう。そして、まずはどうにか「踏み止まった」と言えたのだろう。双方一言も言葉を発することなく、小競り合いが始まるという事態は回避されたのだからだ。
親玉格の前へと進み出た多成は、上下ともに品の良さを滲ませる仕立ての良いグレー地のスーツに身を包んでいた。濃い目のブルーを基調としたワイシャツにはネクタイこそ締めていないものの、整えられた口髭といい、神経質そうな切れ長の目元といい、顔の随所に見て取れる皺の具合と言い、相手に威圧感を与える格好だと言って良かっただろう。
バックスよりも若干低い背丈であり、数値にすると180に届かないぐらいの身長だろう。どちらかと言えば痩躯寄りの肉付きで、年の頃は三十後半といった辺りが妥当な見た目だ。外見、雰囲気共に落ち着いた大人の風格を漂わせていて、星の家の三人の中では最も「ネゴシエーター」だと言われて納得できる立ち居振る舞いだった。
いや、語弊を恐れず言うのならば、後の二人が余りにも場にそぐわない格好だと言った方が適切かも知れない。
では、どう場にそぐわない不適切な格好かといえば、啓名とバックスについては次のようになる。
既に、交渉へ臨む啓名とバックスとの姿勢は「アンバランスさ」が際立つ点について触れたが、それは二人の服装のことについても同じ話だ。そこに多成のネゴシエーター然とした出で立ちを加えると、それは良くも悪くも三者三様となり、非常にちぐはぐさが際立つ形となる。
啓名について一つ一つ触れていくと、まずはその手にかなり大きめのトランクケースを携えている点が挙げられる。鞄の一つさえ携帯していない身軽な多成やバックスとは打って変わってというわけだが、そのトランクケースがまた小洒落た逸品なのだ。ダークブラウン色の皮張りで整えられていて高級感があり、各所には精緻なアンティーク調の装飾なんかがいくつも目を引く代物なのだ。
身を包む服装にしても、高級感漂うトランクケースに見劣りしない内容だ。膝が隠れる程度の黒が基調のスカートは全体に品を損なわない程度に華やかな刺繍が織り込まれており、肩から鎖骨に掛けて適度な露出のある赤を基調にしたワンピースにも同じように刺繍が随所に施されている。所謂セミフォーマルに近い格好で、砕けたタイプのパーティーにでも出席するかのような出で立ちなのだ。
さらにいうと、啓名の過剰な装備はそれだけではない。胸元にはごつごつとした角を持つ無骨な黒色の石を数個あしらったネックレス。右耳のイヤリングにも、杯をシンボル化したような金属製の装飾を複数個釣り下げており、パッと見、どの一部分を切り取って見ても交渉の場に挑む格好とは言い難い装いだ。
その一方でバックスはと言えば、(啓名や多成と比べて)品のない派手な模様の刺繍が入ったVネックのシャツにジーンズという非常にラフな格好だ。動き易さを主軸に置いているのだろうが、上下共に土気色に黒を混ぜたような暗色メインで、お世辞にも多成と啓名の二人と一緒の場にいて馴染む格好とは言えない。こういうとあれだが、間違っても上品なイメージを与えることのない「チンピラ風」というのが一番しっくり来る。もちろん、否応なしに多成や啓名と比較せざるを得ないからと言えば、それもあるにはあるのだろうが……。
多成を除き、とても交渉に挑む出で立ちとは思えぬ星の家のメンバーを前にして、しかしながら境内に顔を揃える八百万の神々は一斉に警戒感を露わにし身構えていた。
多成とバックス二人の装備はともかく、セミフォーマルライクな啓名の装備がとある「用途」に特化したものだったからだ。それも、見るものが見ればすぐにそれだと見抜くことができる逸品揃いで、当の啓名もそれを隠すための後処理をしていなのだから確信犯だったかも知れない。
意図的にそうしたものか。後処理に対する知識を持っていなかったから結果としてそうなったものか。それは啓名のみぞ知るという状況だったが、例えそのどちらであっても「とある用途」に特化した装備一式は、啓名の意図に沿った効果を発揮していたのだろう。
即ち、それはパーティーやフォーマルな格好を求められる場での戦闘を視野に入れた術者の為の装備である。境内に顔を揃えた八百万の神々から危害を加えられる状態に陥った場合、直ぐさま対処可能な装備をトランクケースの中身にずらりと取り揃えられているはずだ。
バックスの「一戦交えることも想定の内」といった言葉は、蓋然性をかなり高く見積もった上でのものだろう。そして、臨戦態勢を取る啓名の格好からさらに邪推をするなら、有無を言わさず先制攻撃に打って出るという可能性さえ星の家は視野に入れていたかも知れない。
そういう意味では、星の家が想定していた「最悪の事態」とやらにはまだまだ程遠い状況なのかも知れない。なにせ、境内には負の感情が荒々しく入り交じるだけで、星の家の首を刎ねようと行動を起こすものはまだ一つも見当たらない。
仮に最悪の事態をそこまで想定していたとするのならば、度を超したも啓名の緊張というものも十二分に頷けるものがある。それこそ、八百万の神々が有無も言わさず死角から襲い掛かってきた場合、真っ先にその対処に当たるのは臨戦体勢を取る啓名となる。「失敗は絶対に許されない」というプレッシャーが、その度を超した緊張の所以だったというのなら何もおかしくはない。
ともあれ、パッと見、がちがちに緊張し星の家の「付け入る隙」であるかのように見えた啓名がほぼ臨戦態勢とも取れる装備に身を包んでいると解れば、自然とその緊張の理由を邪推するものも出てくる。いいや、邪推するなと言う方が、土台無理な話だろう。
星の家の第一声を待つ八百万の神々がその一挙手一投足を注視し、境内には針の筵のような緊張感が張り詰める。
そんな重苦しい空気の中、星の家は一番ネゴシエーターらしい格好に身を包んだ多成が、まずはそのまま交渉に当たるらしい。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」
多成は慇懃な物腰で深々と一礼した後、大仰な身振り手振りを交えながら眼前に居合わせる三体の異形に向け型に嵌った言葉で切り出した。その第一声は友好的な物言いというよりかは、事務的な口調と表すのが適当だろう。ただ、事務的ではありながら、そこにバックスのような目に見える牽制や警戒の姿勢はない。少なくとも、多成には強硬手段に打って出ざるを得なくなるような事態を望む好戦的な姿勢はない。まだ、対話を望み交渉に挑む温和な態度を汲み取ることが可能だ。
では、霞咲にある八百万の神々サイドはどうか。残念ながら八百万の神々から滲む姿勢といったものは、端から交渉のテーブルに着こうなどとは思っていないだろう内容である。
三体の親玉格の中で、中央に座し赤い鬼の面を付けた異形が多成の一礼に答える。
「何度交渉の場を用意しようと結論は変わらぬよ。我らは起脈に取り込まれるつもりはない」
異形が発した嗄れた酷い声は、多成の第一声よりもずっと事務的な調子に徹していた。そこには明確な敵意といった類のものが滲みこそしなかったが、相手を拒絶し突き放す意図がはっきりと介在している。話を聞くには聞くが、同じ内容が繰り返されるだけならば進展など望めないと星の家を突き放した形に等しい。
尤も、多成に取っては一礼に返る意志が「拒絶」であることなど、端から想定の範囲内の出来事だったようだ。態とらしく眉を顰めて見せた後、多成はするりと論点をずらして半ば強引に話を続ける。
「私共も実際にどういう利点があるかを実体験して頂いてもいないのに、起脈への参加を促したところで快い回答を頂けるとはそもそも考えておりません。……なので、今回の交渉に当たっては起脈がどういう代物なのかを実際に体験して頂こうと思っていたのですが、残念ながら起脈の整備を予定通りに進めることができませんでした。そこは本当に申し訳なく思っている次第です。次回の交渉の際には快い返答を頂くべく起脈を実際に体験して頂けるよう準備を整えて参りたいと考えています」
多成の言い分は、今回は十分な準備が出来ておらず、前回からの進展を望める状況ではないことを明示したものだった。そして「起脈を実際に体感して貰えさえすれば起脈の参加に対して快い回答が返ってくる」かのような口振りだ。
もちろん、八百万の神々が起脈を実体験することを求めた事実はなく、実体験云々については星の家サイドが勝手に提案している内容に過ぎない。
必然的に、八百万の神々からは語気を強め声を荒げた反発が挙がる。
「そもそも、我らは起脈の実体験など求めておらぬ! 例えそれが小規模のものであったとしても、霞咲への起脈敷設を容認した覚えもない!」
「起脈を敷設することに対して、誰かの許可が必要になるとは知らなかった。強いて言うなら、土地所有者の許可がいる形にでもなるのですかな?」
多成は相変わらずの態とらしい身振り手振りで大仰に驚いてみせると、返す言葉で暗にそもそも起脈施設の許可を八百万の神々サイドに対して求めるつもりが無いことを口にした。大凡、その態度は友好的な姿勢とは言い難い。飄々さを身にまとって空惚けて見せているからどうにか一触即発の事態まで状況が悪化することはないながら、八百万の神々相手に微塵も敬意を払おうとしない多成の態度は相当だ。
ともあれ、既に星の家は手詰まりだ。
一方的に体験を押し付けるにせよ、その準備が出来ていないのであれば星の家がここで八百万の神々相手に交渉できる材料などないのだ。八百万の神々から「許可なく霞咲で起脈敷設を進めた」という材料で非難されるだけの場になるというのならば、そもそもこの交渉は延期するなりした方が適切だったと言わざるを得ない。
星の家は、この場で一体何をしたいのか?
最初バックスが言ったようにこの場で星の家と八百万の神々が衝突する事態になれば、圧倒的に不利な立場に置かれるのは星の家の側だ。「袋叩き」という認識は的を射ていて、星の家は多勢に無勢で万に一つも勝ち目はないだろう。それなのにも関わらず、多成がそうして不敵な態度を前面に押し出すことには、その場の誰もが違和感を覚えていた。
この交渉まで顔を見せたことのなかったバックスが今回始めて姿を見せたということも、猜疑心を増幅させる。
誰もが「もしかしたら」と疑いを持ち始めたこと。
それは「星の家が強硬策に打って出るつもりなのではないか?」という疑いだ。
俄に漂い始めた不穏な空気は、八百万の神々サイドから星の家へと向く強い警戒感へと変化する。そうして、あれよあれよという内に、本殿前へ顔を揃える面子の大半が迎撃の姿勢を露わにした。いや、それは迎撃のための姿勢というよりも、何か些細な切欠一つで喉笛を掻き切らんと臨戦態勢を取る、振り上げられ、今まさに振り下ろされんとする握り拳のようだった。導火線には既にはせりはせりと火の粉が舞い落ちている段階で、何時ロケット花火のように飛び出していってもおかしくはない。
バックスが待ってましたと言わないばかりに口元を歪めて不敵に笑い、多成が僅かに両手を広げるようなジェスチャーを取って八百万の神々サイドへ「衝突を望むのならば、そうしろ」と無言の態度を取る。ただ一人、啓名が額に大粒の汗を浮かべた真っ青な顔付きで、トランクの取っ手を両手でしっかと握り締めれば、いよいよ全面衝突は避けられないかと思われた。
一触即発まで後一歩というところまで進んだ状態を堰き止めたのは、三体の親玉格の一つであり主窪峠の異形と似通った格好をした巨躯の異形だった。主窪峠の異形よりも優に二回りは大きく濃紺のゴワゴワとした毛で覆われた右腕を、真横にピンと伸ばすジェスチャーを取って「留まる」ようその場の空気に水を差したのだ。ただの一言も発しはしなかったものの、それ故の無言の圧力が伴い場が俄にざわつく。
尤も、その制止のジェスチャーに真っ向切って反発するものもなければ、それを不服とし振り切って先陣を切るものもいないのだから、巨躯の異形は相応の影響力を持っているのだろう。そうして、水が差され、熱気が引くのを待っていたかといわんばかりのタイミングで、赤い鬼の面を付け胡座を掻いて中央に座る異形が口を切る。
「星の家の認識から察するに、星の家はこれからも霞咲に起脈の敷設を続けると言うことか?」
それは静かな口調ではあったが、質問と言うよりも問い質すといった方が適当なニュアンスの言葉だった。
多成は居並ぶ異形の前ではっきりと断言とする。
「その問いの答えは、ずばりイエスだ」
多成という男は、一体どれだけの能力を持っているというのだろう。そうやって強気に「挑発」とも取られ兼ねない姿勢を貫き通す様は、居並ぶ八百万の神々などまるで眼中にないと言っているかのようだ。
目に余るほどの不快感を露わにされながら、多成は起脈の敷設を続ける理由についてこう持論を展開する。
「新濃園寺でこの流れを一時的に堰き止めることができたしても、今度は代栂町と隣接する地区から起脈の敷設が試みられるだけの話だ。星の家の方針が少し、それもほんの少し変わるだけの話でしかない。この流れはもう止められない。大勢は揺るぎようがない。そもそも、仮に今、起脈の敷設を押し止めようとも、何れ必ず衰退を続けるあなた方から起脈への参加を切望する事態になる。櫨馬でそうであったようにね。遅いか、早いかの違いでしかない。だったら、早い方が良いと私は思いますよ」
相も変わらず大仰な身振り手振りを交えて持論を口にした多成の拠り所は、起脈の敷設が止めようのないものだという点だった。そして、それは櫨馬という経験則をベースに同じ道を辿るだろうという推測に立ってのものだ。さらに言えば、例え多成が北霞咲への起脈の敷設を一旦諦めようとも星の家に属する別の誰かが別の側面から起脈の敷設を続け、何れ北霞咲にも起脈のネットワークが必ず敷き詰められると、星の家の行動指針についてまで言及した。
多成が櫨馬の下りに触れたあたりで赤い鬼の面を付けた異形はわなわなと全身を振るわせ、ついには多成の言葉が終わるか終わらないかの内に、怒気の籠もった声で反論を返す。
「櫨馬と霞咲は事情が異なる。例え、櫨馬でそうだったからと言って、霞咲でも同じような流れになると思うな!」
尤も、赤い鬼の面を付けた異形のその反応は、お隣の「櫨馬市」でそういう事態に陥ったことが事実としてあったことを明示したものでもある。いいや、現在進行形で多成のいう切望を請う事態とやらは拡大の真っ最中だったかも知れない。そんな背景があるからこその、星の家の強気のスタンスというところが期せずして見え隠れするやり取りになった。
そして、声を荒げて反論するという赤い鬼の面を付けた異形の反応は、結果的に星の家の立ち位置をより明確なものにした。即ち、多成に自身が取るべきスタンスは「より攻撃的で高圧的なもの」と判断させたのだろう。霞咲にある八百万の神々が、どの段階まで櫨馬と同じように疲弊しているかはともかく、少なからずその状態に置かれていると確信したのだろう。
そして、多成の口からは宣戦布告とも受け取られ兼ねない言葉が漏れ出る。
「同じような流れにならないのならば、同じような流れになる潮流を私共が作り出すことも厭わない」
右眉を吊り上げ薄ら笑いを浮かべて見せて「起脈への参加を切望する」事態に陥ることを望むと言ったに等しい多成の言動には、啓名が思わず眉を顰めた。バックスにしても、その余りの対応の酷さに舌打ちしたぐらいだ。即ち、多成の発言は身内であるはずの啓名とバックスに取っても、聞き捨てならない言葉だったらしい。
見ようによっては、ついさっき全面衝突まで後一歩というところまで踏み込んだ時と何ら変わらない状況にも見えたが、その前後二つの相違はなんだったのか?
二つの対応の中の明確な相違はといえば、どちらが衝突の主要因と成り得たかの差だろうか。どちらが明確な「敵対」の意志を示しているかだったろうか。
ともあれ、敵対する意志を示してしまえば、もう交渉などというものは成立しない。
啓名の懸念は現実のものとなりつつあった。さもそれをある程度コントロールすることができるかのように匂した多成の言動は、霞咲にある八百万の神々がまとう気配を落胆と憤怒によって大きく歪ませる。それは「険しくなった」などというレベルの話ではない。熾烈な敵意を見て取ることが出来るほどの緊迫感を伴う程になる。
廃神社での交渉の場で、星の家として八百万の神々との交渉事を進めるのは基本的に多成の役割で間違いなかった。しかしながら、それ以上の挑発、もとい失言は、この場で一戦交えることに直結し「まずいことになる」と啓名は咄嗟に判断したようだった。その場に割って入る形で、慌てて口を開き弁明する。
「も、もちろん、その様な手段に頼ることは本意ではありません。まずは前回も説明させて頂いた通り、起脈に参加することのメリットを理解して頂き、その上でお互いに利益を共有できる関係を構築したいと考えています」
多成の前に躍り出る格好で三体の親玉格との間に立てば、啓名は星の家が融和的なスタンスをきちんと持っていることを示すべく柔らかな物腰で丁寧に説明を続ける。若干、事務的な印象を与える立ち居振る舞いだったかも知れないが、それでも多成の後では融和のスタンスとして際立ったのは間違いない。
「何度も説明させて頂いていますが、起脈に参加して頂くことで私達は衰退を続ける八百万の神様相手にメリットを提供することが可能です。人間が力を必要とする際に起脈を通して力を貸して頂くことで、私達はその力の利用者からエネルギーをあなた方に対価として直接的に支払います。あなた方の衰退を堰き止める上でも非常に大きな効果をもたらしますし、何より私達もあなた方に衰退され退場されるわけにも行かないのです! 私達は霞咲にある八百万の神様にぜひとも起脈に参加して頂きたく思っています。……なので、起脈の効果を実際に体感して頂きたいと思っているわけですが、その上で、どうしても起脈石の施設は必要なんです。桂河と主窪峠の起脈石は設置後すぐに破壊され、昨夜、新濃園寺へ運搬中の起脈石も襲撃を受け破壊されました。これでは、実際に起脈の効果を体感して頂く場を提供できません」
ここに来て、啓名の訴えには北霞咲にある神の眷属達へと向く非難も混じった。
長々と熱の籠もった訴えを口にした啓名の言葉の、どこまでが本音でどこまで建前かは定かではない。しかしながら、「衰退され退場されるわけにも行かない」といった台詞がある程度本心だからこそ、起脈石設置に対する妨害への非難があったのは間違いない。
端から起脈の設置を快く思っていないという背景があるにせよ、起脈の設置に対する啓名の思いには北霞咲にある八百万の神々の衰退を堰き止めたいという考えがあるからこそ、実際の行動を伴った妨害に対して思うところがあるわけだ。
「だから、起脈の敷設を容認して欲しいと?」
「……」
熱の籠もった訴えを長々と説いた上での対応が「冷たく突き放される」という身も蓋もないものだったことで、啓名はくっと下唇を噛んだ。本音を言うのなら「そうだ」と返したかったことは言うまでもない。それを啓名が口に出来なかったのは、やはり敵意にも似た激しい嫌悪の感情を向けられていることをまざまざと感じ取ったからだろう。
面の皮の厚いバックスだったならそれでも首を縦に振ったかも知れないが、啓名には押し黙るのが精一杯だった。
それを口にしなければ、起脈の効果を実体験して貰うための道筋を立てられないと半ば解っていながら、ここに来て啓名はまたも雰囲気に呑まれ口を噤んだ形だ。
「我らの方針は変わらぬ、霞咲での起脈敷設は容認できない」
間に割って入られた多成は啓名の対応を静観するスタンスを取っていて、助け船を出す気はさらさらないようだった。
そうなると、啓名が押し黙ってしまったことで、そこには気まずい静寂だけが漂う空間が生まれる。そこには多成に変わって最前列に立った啓名に向く矢のような鋭い無数の視線があり、冷たく突き放された後の啓名の次の一手を待つ気配が漂う。しかしながら、とうの啓名は眉間に皺を寄せ額に大粒の汗を浮かべて押し黙る、完全に進退窮まった格好である。
良くも悪くも多成と啓名のスタンスの違いが際立った場面が終わり、星の家の次の一手がどう転ぶかを静観する雰囲気が境内には醸成されていた。
尤も、そのまま誰もが拱手傍観していたところで、今の啓名に上手く事を運ぶだけの交渉能力や余裕があるはずもない。多成が傍観を決め込んでいる以上、では誰がそこに割って入れるか?
「はッ、取り付く島もねぇな」
廃神社境内に生じたそんな何とも居心地の悪い膠着状態を打ち破ったのは、残りの一人であるバックスだった。吐き捨てるかのように声を荒げたその対応は、啓名のものよりも多成の不敵な言動に似ていただろう。
予想だにしない方向、予想だにしない立ち居振る舞いで割って入ったバックスを目の辺りにして、啓名と多成がそこに滲ませた表情は喫驚だった。いや、啓名と多成ほどではないにしろ、八百万の神々サイドにも大なり小なり喫驚があったのは間違いない。
バックスは大仰に両手を広げて見せるというジェスチャーをもって矢継ぎ早に言葉を続ける。
「啓名。多成さん。ここは、まずは交渉決裂という形でこちらが退こうぜ。どうせ、このまま話し合いを続けたって、どこまで行ったって平行線だろ?」
それは啓名と多成に対しては提案という形を取り、眼前の八百万の神々へは仕切り直しを宣言するという形を取った。態と大袈裟に振る舞う大仰な身振り素振りは衆目を集めるためのもので、声高々と交渉打ち切りを宣言したのは強引にこの場をその形で押し切ろうとしたからだろう。
背後に隠した意図の透けて見える立ち居振る舞いではあったが、直ぐさま何らかの反論が付いて出ることはなかった。自身が属する星の家、そして、八百万の神々双方の意表を突いたことがまずは功を奏したようだ。
そして、ここに来て、一つ際立つものがある。それはバックスの抜け目の無さだ。
高らかと「交渉決裂」を宣言した後、バックスは八百万の神々の動向へと目を光らせていた。それは押し黙る三体の親玉格の動向を注視するというよりも境内に居並ぶ異形へと向けたものだった。
巨躯の異形が一度全面衝突を回避するべく場に水を差したは差したが、刃を収めて退く意志を見せたものに色気を出すものが居ないかといえばまた別の話だ。霞咲にある八百万の神々が星の家という組織を「次回、まだ交渉の余地がある相手」と判断するか、話し合いの余地などはなく以後は敵対するのみと判断するかの匙加減は絶妙のあたりだったはずだ。
三体の親玉格が後者を選択するなら、星の家サイドは何も遠慮することなどない。この場から五体満足で離脱することに全力を掛け、離脱後は星の家の総力を持って全面衝突という形と相成る。
バックスに取って、今想定され得る最悪パターンは「廃神社境内での衝突」が偶発的に引き起こさ、その気がないのに後へと退けなくなることだ。
「起脈を体感して貰うっていう当初の目的を妨害され、達成する術を持たない現状で何を言っても無駄だろうさ。そもそも今回描いた成功ストーリーは起脈を実際に体感して頂いて、態度の軟化を引き出そうって腹だったはずだ。だったら、起脈石を用いない方策で起脈の効果を体感して頂くなり何なり、まずは別の手を模索した方がいいんじゃないのか?」
未だ唖然とした表情のまま固まる啓名と多成に向かって、バックスは「仕切り直し」を提案した理由についてそう言及した。そして、恐らくそれを声に出して口にすることで、今回星の家が交渉の意志を持って平和的にことを進めるべくこの場に赴いたことを、眼前の八百万の神々に改めて明示する意図もあったはずだ。
尤も、たった今平和的にことを進める意志を明示したその口で、バックスは舌の根も乾かぬ内に強攻策にも含みを持たせる。
「まぁ、起脈石の設置をゴリ押しして、起脈の素晴らしさを実体験して頂くっていう手もあるっちゃあるがね」
そこに灯る件の不敵な笑みも健在であり、自身の好戦的な態度を持ってバックスはそれが口先だけの虚仮威しではないことを明示して見せた。まるで「強硬策の方に打って出る」のを心待ちにするかのようなバックスの態度だったが、それをはっきりそうだと口にしなかっただけ多成よりかはいくらかマシな立ち居振る舞いだろう。
「このまま懐柔策を続けるのか、それとも強行策に打って出るかはともかく、何をするにも今は手詰まりだ。退き時だぜ。大概、引き際を間違えるといいことなんて一つもねぇからな。この場はすぱっと引くことにしようぜ、なぁ?」
啖呵は切るだけ切った。引き際を心得えよう。
改めて、バックスから仕切り直しを提案されるも、当の多成と啓名は「はい」とも「いいえ」とも見解を示さない。「示せない」と言った方が良いかもしれない。
強硬策に言及し反発を招いた多成だったが、啓名に割って入られる形で話の腰を折られたままで途中は途中だ。その啓名にしても、懐柔策を振り翳しはしたものの結局口を噤まざるを得ない状態に陥ったところをバックスに助けられた形だ。そこが引き際だと、両者が納得した節は微塵もない。
しかしながら、そんな最中にあって八百万の神々サイドからの反論や反発は未だなく、仕切り直しはほぼ済し崩し的に許容されてしまっていて、且つバックスが声高々と説明して見せたように快刀乱麻の打開策など存在し得ない。
下手に口を開いてどつぼに嵌まるぐらいならば、バックスに押し切られるという形を持って不承不承「仕切り直しを受け容れる」というのが一番様になっている。「はい」とも「いいえ」とも見解を示せないのは、それを嫌と言うほど多成と啓名の二人が頭で理解しているからだろう。
同意も否定も示されない中、バックスは自身に不興顔で向き直る二人を心得顔で眺め見た後、廃神社本殿前に居並ぶ三体の親玉格へと交渉打ち切りの是非を問う。
「そっちもそれでいいな? 何か俺らに今ここで確認しておかなきゃならないことはあるかい?」
そこまで言い終えると、バックスの目は廃神社本殿前に居並ぶ三体の親玉格以外にも向く。その仕草は廃神社境内に顔を揃える八百万の神々にも是非を問うたというよりも、血気に逸って三体の親玉格の制御を離れるものが現れないかを再確認したに近い。
「起脈の敷設は容認できない。起脈石の設置を続けて、只で済むと思うな」
制御を離れて暴走するものなどはなく、そこには一段低い声量で淡々とした口調の、しかしながら、どこまでもはっきりと通る赤い鬼の面を付けた異形の警告が返されただけだった。
「オーケー。警告は理解した」
到底「警告を理解した」などとは思えぬ不敵なバックスの受け答えは、警告に対する「星の家」のスタンスがどのようなものであるかを容易に想像させたことだろう。即ち、起脈敷設を強行することも辞さず、八百万の神々と事を構えることさえも何ら厭わないというスタンスだ。
但し、それは星の家に取っても取り得る最悪のパターンであるはずだ。
八百万の神々に起脈の効果を実体感させるに辺り、バックス自身が「起脈石を用いない方策」という含みを残した辺りからもそれは間違いない。加えて言えば、同じ「星の家」の中でも、八百万の神々に対し起脈参加を要請するという啓名のスタンスもある。啓名と同じスタンスに立つものが星の家で大多数を占めるかどうかは不明確だが、少なくとも敵対を望まないものがある一定数はいるはずで、星の家自身が強硬策に対する抑止力を内包しているのも間違いない。
ともあれ、そうして交渉中断と仕切り直しが決定してしまえば、そこにバックスの出る幕はなかった。すいっと多成がバックスの一歩前へと躍り出て、仕切り直しの後についてを言及する。
「次回の交渉の場については、使いを通して日時を連絡させて頂きます。良い回答を頂けるように最善を尽くしたいと考えていますので、星の家から良い報告が出来るよう北霞咲での私共の動きに御加護を頂ければ幸いです」
例え、建前を前面に押し出した口上だったとしても、あれだけの不遜な態度を取っておきながらよくもまあそんな口が聞けたものだと誰しもが思ったことは言うまでもない。巨躯の異形に至っては「呆れ果てて、返す言葉もない」といった雰囲気すら滲ませていたぐらいだ。
「それでは失礼」
去り際に深々と一礼すると、多成はくるりと踵を返した。それに続いて啓名も頭を下げ、バックスが軽く会釈を返すと、場の空気にはいくらかの安堵が混ざった。