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Seen02 第三勢力の襲撃者


 北霞咲の新農園寺エリア東北東。
 それも主要幹線道を外れ山に沿って続くワインディングロードを総栄エクスプレスのロゴが入った小型トラックが走行していた。コンクリートによる舗装はされているものの整備は行き届いていないらしく、カーブに差し掛かるまでもなく小型トラックがガタガタと小刻みに揺れる様子が見て取れる道だった。向かって左手がなだらかな崖であり、そこにポツポツと木々が生い茂っており、向かって右手側が鬱蒼と木々の生い茂る森林である。
 それでも小型トラックはそんな整備の悪い道をかなりのスピードで走行していた。緩いカーブが連続する程度のワインディングロードで見通しがよいことと、対向を含めそもそもの交通量が少ないためだろう。
 車体をギシギシと鳴らしながらも軽快に走行していた小型トラックだったが、18号カーブの立て看板を過ぎ実際にその緩い18号カーブに差し掛かった辺りで急制動気味のブレーキを掛けることとなった。甲高い悲鳴にも似たブレーキ音を響かせてみるみる減速していくと、小型トラックはとうとうハザードを焚き路肩へと停車した。
 その先の道路のど真ん中に、通行禁止を知らせる看板が設置されていたからだ。
「到着?」
「いや、時間的にはまだまだ途中のはずだけど……。土倉君のスマホでここがどの辺りなのか解らないかい?」
 アルフの隣りでずっと携帯端末を弄り続けていた土倉は、言われて始めて気付いたのだろう。慣れた手つきで、GPS関連のアプリケーションを起動する。
 それまでスマホで何をやっていたのかという点について思うところは有ったのだろうが、アルフがそれを言及することはなかった。尤も、アルフが土倉に対して呆れた様な顔付きを隠そうともしていないので、毎回毎回土倉はそうなのだろう。そして、アルフがそれとなく態度を注意するような言葉を向けても、何も改善されなかったのかも知れない。
「えーと、目的地までちょうど後半分ってぐらいの場所っぽいな、ここ。地名は、……何て読むんだ、これ? あー、カリガネ、ダイラ?」
 顔を顰めてスマホの画面を注視し、自信なさげに地名を疑問系で口にする土倉では当てにならないと踏んだのだろう。アルフは後部座席から身を乗り出すと、運転席に座る総栄エクスプレスの社員の様子を窺う。
「おかしいな。ナビの情報を確認する限りでは、このルートが通行止めなんてことはないんだけどな……」
 総栄エクスプレスの社員も状況を理解できていないらしい。
 小型トラックのヘッドライトが照らし出す道の先には通行禁止の立て看板だけでなく、道の端から端に掛けて進入禁止を示す黄色の太いワイヤーが張り巡らされる徹底振りだ。仮にこの通行禁止が本物かどうかを疑うのならば、確認のために小型トラックをここに残して徒歩で道の先に進むしかない。
「直近で土砂崩れか何かが発生して、通行止めの情報がまだ反映されていないんじゃないのか?」
 総栄エクスプレスの社員の一人が備え付けナビの道路情報更新ボタンを押してみても状況は変わらない。ナビはあくまでこの通行止めの道を直進せよと表示するだけだ。そして、総栄エクスプレスの社員がこの通行禁止を不自然に捉えている風はなかった。この辺りの道路事情では良くあることなのかも知れない。
 それでも、アルフの脳裏にはバックスに指摘された「襲撃」の二文字が過ぎっていた。そして、この「通行止め」という状況が罠であることと襲撃がある可能性を踏まえ、すぐに今後の方針を模索していた。
 襲撃があると仮定した場合、敵勢力を相手に立ち回ることができる戦力は現状アルフのみだ。起脈を利用できる環境下であれば、土倉も戦力として頭数に入るものの、単純な近接戦闘に置いて土倉を頭数とするには無理があるというのがアルフの認識だからだ。
 当然、総栄エクスプレスの社員に被害が及ぶ事態は避けなければならない。
 そして、荷台に積まれた起脈石を誰かが襲撃に備えて守らなければならない。
 できることなど限られていた。アルフ一人で立ち回れる状況ではない。
 小型トラックから誰も離れず、通行止めが本物かどうかも確かめないという手が安全を考慮する上での最善策だと言えた。それを意識すると、こうしてただただ黙って路肩に停車しているという状況でさえも、好ましくないことであるかのようにアルフには思えて来る。
「脇道とかで、大幅なタイムロスを避けられる迂回路はないんですか?」
 アルフの言葉には「迂回路が存在しないわけがない」といった強い確信が伴っていた。
 総栄エクスプレスは櫨馬や霞咲界隈を専門とする運送のプロだ。櫨馬・霞咲界隈に置いては中〜小型の車両を駆使して、他の運送会社では対応できないような地域への運搬を担っている。もちろん、運送可能な荷物について危険物でないことや、社員が著しく危険に晒されることが想定される地域への運搬の禁止と言った便宜上の制限はあるものの、それでも一般的に想定される用途に置いて、総栄エクスプレスの提供するサービスが最上位層であることは間違いない。
 タイムロスを嫌うアルフの言動を前に、総栄エクスプレスの社員は申し訳なさそうに答える。
「脇道の迂回路もないわけじゃない。けど、山岳部に点在する集落を経由するルートで、道幅が狭くうねっていて場所によっては舗装もされていないような酷い道だ。走行距離自体はそんなに伸びるわけじゃないけど、とてもスピードを出せるような道じゃない。かなりのタイムロスになるし、荷台の荷物のことを考えてもあまり走行したい道じゃない。小型とは言え、そもそもこのトラックでは最悪通行できないという可能性もある」
 櫨馬・霞咲界隈におけるプロの運送屋を持ってして、大幅なタイムロスは避けられないという判断だった。
「それ以外の迂回路となると、幹線道まで戻る感じになりますか?」
「ああ。今来た道を幹線道まで戻った後、国道に合流して街中をぐるっと大きく迂回する形になるかな。ただ、その方が迂回路としては最善だと思う。集落経由の迂回路でも、大回りでもタイムロスは多分同じぐらいになると思う。街中を経由して迂回する方が間違いないよ」
 総栄エクスプレスの社員から選択肢を提示され、アルフはそこで一旦押し黙って瞑目した。
 時間的な部分もアルフに取って重要な判断材料だったが、それよりもアルフが気に掛けたものは脇道を選択した場合のリスクだ。仮に襲撃があることを想定するなら、スピードが出せないことといい、狭くうねった舗装のない道を走行することといい、相手に取って襲撃し易い状況を作り出すことに繋がる。まして、立ち往生なんてしようものなら思う壺だ。むしろ、そういう罠を仕掛けている可能性だってある。
「運送のプロである総栄エクスプレスさんがそういうのなら、その方が良いんでしょう。そうしましょうか」
 アルフがさくっと行動指針を決めてしまえば、後の対応は早かった。
 小型トラックを運転する総栄エクスプレスの判断は、その場での方向転換を狙わず待避場所のあるエリアまでバックするという判断をした。中央線のない幅の狭い道であり、且つ山側の道の端には排水の為の側溝が設けられていて、小型トラックとはいえ容易に方向転換ができる場所ではなかったからだ。
 しかしながら、バックを始めてすぐに小型トラックはやや荒々しい操作でブレーキを踏んで停車した。それは小型トラックに乗車していたアルフや総栄エクスプレスの社員が急制動によるGで、身体をガクッとつんのめさせるほどのものだ。尤も、アルフにしろ土倉にしろ「方向転換に手間取っているんだろう」ぐらいの認識で、そんな荒い運転を特に気に掛けた風はなかった。
 アルフは頬杖をついて後部座席の窓から外の景色をジッと眺めていたし、土倉は相も変わらずスマホの画面に目を落として常に何かをやっている。そんな車内の空気が一変し、一気に緊張感が張り詰めたのは総栄エクスプレスの社員が押し殺した声でアルフの名前を呼んだことがきっかけとなった。
「アルフ君、ちょっと良いかな? トラックの後方五〜六メートルの場所に、誰かが立ってる」
 アルフは小型トラックのサイドミラーに目を向けて、背後の様子を窺い見る。最初はバックミラーに視線を向けたのだが、荷台の荷物が邪魔で背後の様子を確認できなかったため、それは苦肉の策だと言えただろう。尤も、小型トラックが発するブレーキランプの赤い光だけでは、背後に立つ人間の輪郭と大凡の特徴を確認するのが精一杯だ。
 小型トラックの背後に立つ人物はバックパックを背負うような輪郭だったが、何らかの武器を携帯しているようには見えない。ただ、ブレーキランプの赤い光を前にして微動だにせず、小型トラックの方向転換を邪魔する風だった。
「荷台のライトを付けて貰って良いですか?」
 アルフからそのリクエストがあることを、総栄エクスプレスの社員は予想していたようだ。打てば響く反応が返り、すぐさまハンドル脇のスイッチは押された。
 荷台のライトが点灯すると、小型トラックを中心として周囲をぼんやりと照らし出すだけの光量がそこに生じる。尤も、それはトラック後方に立つ誰かを直接照らし出すような光源ではないため、視界良好と言えるようなレベルではない。それでも、後方に立つ誰かが、十代中後半のうら若き女であり、腕組みをしてそこに仁王立ちしていることが解るぐらいには視界は開けた形だった。
 女は肩下までのセミロングの毛先に緩いパーマをかける髪型で、日本人離れした彫りのある美人系の顔付きをしていた。ライトブロンドの髪色も、恐らく脱色や染髪したものではなかっただろう。
 ティーシャツの上に薄地のグレーのGジャンを羽織り、膝下までのハーフパンツという格好をしており、バックパックと思しき背中の鞄はネイビーグレーのスクールバックだった。武器は携帯していないものの、腕組みをして仁王立ちするというポーズ同様、小型トラックを眺める目付きは頑として道を空けるつもりがないことを語っていた。
「アルフ君、どうする? このままバックして接近してみようか?」
 総栄エクスプレスの社員の申し出に、アルフは直ぐさま首を横に振った。それは「襲撃の線がかなり強いもののまかり間違って相手がただの一般人であった場合、非常に面倒くさいことになる」という判断だ。
「僕が対処に当たります。が、もし、彼女に仲間が居たりする場合等、総栄エクスプレスさんに危険が迫るような事態に発展する場合には、荷台の荷物のことなんか気にせず逃げることを最優先にして行動して下さい。相手が荷台の荷物を渡すよう要求して来るのなら、渡してしまって結構です」
 総栄エクスプレスの仕事は、あくまで荷台の荷物を目的地まで運送し設置の手伝いをすることだけだ。悪い意味で、ニュース番組やニュースサイトに総栄エクスプレスの社名が出るような事態を招く行為は避けなければならない。
 襲撃されることを最初から視野に入れていたなら、その手の問題事でも対処可能な運送屋に起脈石の運搬を任せていたという思いはあったものの、既にそれは言っても詮無いことだった。
「土倉君も相手が人海戦術で来るようなら、僕が時間を稼ぐから逃げてくれ」
 結局、アルフは相手の全貌が確認できない状態で、実際に相手と対面することを決断した。後部座席のドアをゆっくりと開けば、ライトブロンド髪の女の一挙手一投足を注視しながらトラックから降車する。
 対するライトブロンド髪の女は、仁王立ちした体勢のまま微動だにしなかった。どうやら問答無用で襲い掛かって来るというつもりはないらしい。強いて言うなら、口元に笑みを灯して見せて対面を心待ちにしていたかのように振る舞って見せたぐらいだ。
 そうして、開口一番、ライトブロンド髪の女は不躾にも要求を口にする。
「やー、悪いね。荷台に積んでる荷物の確認をさせて貰いたいの」
「何の権限があって、荷物の確認を要求しているんだい? そもそも君は誰だ?」
 名前を名乗ることすらしないライトブロンド髪の女に対して、アルフは態度をあからさまに強めた。無駄にフレンドリーな態度で、有無を言わさず要求を突き付けてきた辺りも、アルフの気に障るところだったろう。
「しがないただの一般人なんだけど、所用があってその荷台の荷物を確認しなきゃならないんだ」
 名前を尋ねたアルフの言葉を無視するかの如く、ライトブロンド髪の女は名乗らなかった。自身を「ただの一般人」だと述べた上で、荷物の確認についてもその理由を明言しない。
「もし、君に正当な権利なく僕達を足止めしているというのなら、威力業務妨害で警察へ突き出すことになるよ?」
 アルフはかなり強めの口調で、ライトブロンド髪の女の要求を拒否する。同時に、要求には正当性がなく、且つその要求を押し通そうとすることは犯罪だというニュアンスで警告を混ぜて見せたものの、それでも対するライトブロンド髪の女は何処吹く風だった。
「そっか、総栄エクスプレスという会社の立場から見れば、依頼された荷物の運搬業務を妨害されたって格好だもんね。仮に、警察を本当に介入させる形を取ったとしても、相手がただの警察なら荷台の荷物なんてただの大きな石を運んでいるようにしか見えないもんね。君達は時間を取られるだけで痛くも痒くもないわけだ。そして、あたしは国家権力に睨まれることになる、と。素晴らしい脅し文句だね」
 ライトブロンド髪の女の立ち居振る舞いを前に、アルフの表情はこれ見よがしに曇った。その口振りがトラックの荷台に載せた荷物が何なのかを知っていると言及するかのようだったからだ。いや、ライトブロンド髪の女はそれが何なのかを知っていた。そうでなければ「ただの大きな石を運んでいるようにしか見えない」なんて言い回しは間違っても口を突いてでない。
「……」
 ライトブロンド髪の女を見るアルフの目付きに鋭さが増しても、その視線に晒される側であるライトブロンド髪の女の態度は何も変わらない。相も変わらず緊張感のない立ち居振る舞いで、さもアルフの警戒なんてものがそこに存在しないかのように振る舞って見せるのだ。
「起脈石、こんな力業で運搬していたんだね。知らなかったよ。もっとスマートな手段があるのかと思ってた」
 ライトブロンド髪の女から「起脈石」の単語が飛び出して、アルフは観念した。
 これはバックスが危惧した襲撃で間違いない。恐らく、いや、確実にライトブロンド髪の女は星の家の事情をある程度把握した上でお喋りを続けていた。
 だから、実際には介入をこれっぽっちも望みはしない「警察組織への通報」なんて警告を口にして、ライトブロンド髪の女を牽制しても何の意味もないことをアルフは理解する。そして、ライトブロンド髪の女を星の家を知る敵勢力として対処しなければならないことを踏まえ、アルフは対応の切り替えを迫られた。
 そこまではっきりと意識した後で、アルフはすぅっと肩の力を抜いてしまった。ライトブロンド髪の女に問答無用で起脈石を破壊するつもりがないのであれば、対話による説得を試みるというのも有用な手段の一つだと考えたのだ。
「桂河、そして主窪峠の起脈石を破壊したのは君だね?」
「主窪峠?」
 アルフの追求を受け、ライトブロンド髪の女は真顔で聞き返してきた。さも、その単語を初めて聞いたという風だ。
 尤も、その「聞き返す」という行為を、アルフはライトブロンド髪の女の空惚けだと認識したようだ。やや強い口調で、アルフはライトブロンド髪の女に釘を刺す。
「しらばっくれても無駄だよ」
「そっか」
 その言葉は観念したと言うよりも、アルフの対応を目の辺りにして「何を言っても無駄だ」と呆れ返ったから口を付いて出たものに近かっただろうか。ただ、前置きを一つ間に挟んだ後で、ライトブロンド髪の女はそこに自身の関与を仄めかすようなニュアンスの台詞を続けて見せる。
「主窪峠の起脈石とやらの方に心当たりはないんだけれど、仮にさ、破壊したのがあたしだとしたら、君達はどうするつもりなのかな?」
 それは恐らく、アルフを含めた星の家の出方を窺うための対応だった。
 それこそ、有無を言わさず叩き潰すべき相手なのか、対話が可能な相手なのかを見極めるためのもの。そんな意図が透けて見える。
 肩の力を抜くというアルフの対話を試みる姿勢がその対応を引っ張り出したのなら、その流れに乗らない手はなかった。試すようなライトブロンド髪の女の視線に晒されながら、アルフはそれまで牽制のために身にまとっていた敵意をも緩める。
「まずは理由を聞きたいね。なぜ、起脈石を破壊するんだ? はっきり言って、僕は今とても驚いてる。君はどこからどう見ても、どこにでもいるただの普通の女の子じゃないか。どうして君みたいな子が起脈石を破壊して回る?」
 アルフに取ってこの対話の望むべく着地点は、起脈石が破壊されるという事態に陥ることなく、且つ遺恨なくこの場をやり過ごすことだ。欲を言えば、今後も踏まえてライトブロンド髪の女と対立しないよう約束を取り付けられれば最善だが、それは必達ではない。当然、アルフが試みる対話の内容は、星の家どうこうというよりも起脈石についての話になった。
 真っ先に起脈石を破壊する理由を問うたアルフだったが、求めた答えがライトブロンド髪の女の口をついて出ることはなかった。それは二義的なものだといい、より根幹にある起脈そのものについて言及したからだ。
「実は、起脈石の破壊それ自体が目的というわけじゃないんだよ。起脈石を設置するっていう星の家の行為を問題視しているというよりも、あたし達は起脈の整備が霞咲に取って有害だってことを問題視してる」
 起脈に対するライトブロンド髪の女の認識は、アルフが醸成した対話の雰囲気を曇らせるに足るものだった。なぜならば、対話の雰囲気を作ったアルフその人が、その認識に食って掛かったからだ。
「有害だって? 起脈が?」
 アルフはライトブロンド髪の女の認識を容認できないという態度を前面に押し出す格好で聞き返していた。そこには彼女に対して詳細な説明を要求する態度がはっきりと滲んでいたが、同時に彼女の言葉そのものに嫌疑を向け、そもそも彼女を信用できないとする姿勢も半々滲んでいただろうか。
 尤も、詳細な説明を求めるアルフの態度を受けたからといって、ライトブロンド髪の女がその答えを口にすることはなかった。そこに至って、ライトブロンド髪の女が星の家の行動指針について説明を求めたからだ。
「あたしも一つ君達に教えて貰いたいことがある。霞咲に起脈を整備して、あなた達星の家は何をするつもりなの? 何が目的なの? いいや、これは霞咲に限った話じゃないよ。君達の最終目的だって、霞咲に起脈を整備して「はい、終わり」じゃないでしょう?」
 起脈は有害なものだ。だから、起脈を拡大するために必要となる起脈石の設置は許容できないというスタンス。
 ライトブロンド髪の女はそれを踏まえて「そもそもどうして星の家が起脈を整備しようとしているのか」を問うたわけだ。アルフが求めた対話の内容から一歩踏み込み、その場凌ぎの起脈石の話ではなく「星の家」という母体についての話がしたいのだろう。そしてそれは、根幹的に「星の家」が敵かどうかを、その答えを持って見定めるといったに等しい。
 思いも寄らない質問が向けられ、アルフは咄嗟に言葉を返すことができなかった。全く想像だにしていなかった質問と言ってしまっても良かっただろう。
「答えられない?」
 ライトブロンド髪の女に回答を急かされ、アルフは完全に押し黙る。もしかすると、そうやって突き詰められるまでそんなことを考えたこと自体なかったかも知れない。
 せっつかれて、アルフは苦し紛れに自説を述べる。もちろん、それが星の家の総意になり得ないことを解った上でだ。
「……恐らくだけど、数多の普通の人々へ、起脈を通して魔法を使える環境を提供するためだ」
 十数秒に及ぶ沈黙を間に挟み、ようやくアルフが返した質問の答えは、アルフ自身「表面的」だと感じるものだった。
 当然、ライトブロンド髪の女からはその答えに至る根っ子の部分の深掘りを求められる。
「そっか。じゃあ、そこからさらに一歩踏み行った答えを求めるよ。起脈を通して魔法みたいな力を霞咲に暮らす普通の人達が手軽に扱えるよう提供することで、あなた達星の家は何をしたいの?」
 より深い部分を追求されて、アルフは腕組みをして押し黙った。今度こそ、完全にアルフは答えに窮した格好だ。
 思案顔のまま押し黙るアルフからどんな答えが返るのかを、ライトブロンド髪の女は楽しみにしている節がある。自身の腰に右手を当てる格好でその場にリラックスして留まり、お手並み拝見と言わないばかりの態度だった。即ち、アルフが何らかの答えを口にするまで、そうして「待つ」つもりがあるらしい。
 しかしながら、期せずして生じたそんな緩い膠着状態も長くは続かない。しかも、それはアルフが苦し紛れに自身の見解を述べると言った類の「好意的な」膠着状態の打破ではない。
 綻びのサインはライトブロンド髪の女が不意に目付きを険しくしたことだった。そして、その視線の先にあるものは、トラック後部座席から身を乗り出すようにし、アルフとライトブロンド髪の女との様子を窺いながらスマホで通話を試みる土倉の姿だ。
 基本的にそこはトラックのエンジンアイドル音以外は何も人工的な音のない場所だ。そのエンジンアイドル音は、土倉が誰かと通話をする内容を聞き取り難い状態にしていたが、だからといって全く聞き取ることができないかというとそうでもなかった。だから、そんな状況下ではあったものの、アルフは土倉と誰かとの通話の中からしっかりとその一文を耳にした形だった。
「襲撃者の写真を撮る」
 土倉がスマホを右手で構え直したその瞬間、ライトブロンド髪の女は咄嗟に右手で顔を隠した。刹那、スマホからは目映いフラッシュが焚かれたものの、土倉が写し取ったその姿は顔を右手で隠したライトブロンド髪の女で間違いない。
 そうするように土倉へと指示を出したのは誰だろうか。バックスや啓名が敵勢力から襲撃を受けたとだけ連絡を受けて、土倉に相手の顔をカメラに納めるよう要請した可能性ももちろん考えられる。例え、啓名やバックスの指示の下、土倉がその行為を実行に移したのだったとしても、アルフは「余計なことをさせるな!」と文句を言いたかっただろう。事実、その土倉の行為に対しアルフは嫌悪感を隠そうともせず舌打ちをした。
 せっかく対話の雰囲気を醸成したのにも関わらず、土倉のその行為一つで台無しになってしまったからだ。加えて言えば、対話を引っ張り出したアルフの姿勢といったものも、油断を誘って彼女の全体像をカメラに納めるためのものだったと勘繰られても仕方のない最悪のタイミングだ。
「いくらあたしが絶世の美少女だからって、断りもなしに盗撮しようだなんて感心しないね」
 口調に戯けた調子を残しつつも、既にライトブロンド髪の女の姿勢はアルフや土倉を牽制するそれだ。
「言ってな! そもそも一言断りいれたら撮影させてくれるとでも言うのかよ!」
 土倉の反論に、ライトブロンド髪の女からは思いも寄らない台詞が返る。
「考えてあげなくもないよ」
 もちろん、その台詞は土倉をからかうような調子を伴っている。それが本気の言葉ではないことなど一目瞭然だ。
 しかしながら、そこで土倉が何かしらの反応を返していれば、まだそこからお互いテンポを崩したかも知れない。それが良いか悪いかはともかく、俄に強まった一触即発の雰囲気を抑制する効果をもたらしてくれたかも知れない。
 即ち、ライトブロンド髪の女の言葉を土倉が無視したことで、場は一気に焦臭さをまとい始めていた。
 そうして、土倉の口からは続けざまに決定打となる台詞が紡がれてしまった。
「アルフ、起脈石を起動するぜ」
「待った! 桂河の起脈石も、主窪峠の起脈石も破壊されてるんだ。ここで起脈石を動かしてもどうにもならないよ、土倉君」
 アルフが口走った土倉制止の理由は起脈石の起動で得られる効力が微少であることを言及する内容となったが、本心では一触即発の事態へさらに一歩踏み込んでしまうことを嫌った風があった。
 もちろん、土倉にそんな微妙なニュアンスを読み取ることなどできるはずもない。
「俺は起脈の下級管理人だぜ? 中継点となる起脈石が破壊されていたからって、その下地になった補助体からネットワークを再構築するぐらいのことはできるさ。威力と効率は半減じゃすまないだろうけど、それでも足止めぐらいはできるだろうさ。記号で援護するからそのふざけた女を叩きのめしてしまえよ!」
 土倉は後部座席から降車すると、アルフに背を向ける形で起脈石へと向き直る。起脈の操作に当たって起脈の管理人が見せる「焦点のずれた目付きで何もない空に視線を走らせる」といった独特の仕草を見るまでもなかった。土倉はアルフからの返答を待たず、小型トラックの荷台にある起脈石の起動に取り掛かったようだった。覆い被せられた布越しでもはっきりと解るほどに荷台の起脈石が青白く発光を始めたからだ。
 アルフは表情を曇らせたまま戸惑いを隠そうともせず、ライトブロンド髪の女へと向き直る。
 アルフとしてはやはり「可能ならばまだ対話を続けたい」という考えだったのだろう。そうは言っても、既に戦闘体勢を整えようとする土倉を隣に置いて「対話を続けましょう」なんて宣うわけにも行かない。まして、ライトブロンド髪の女へとカメラを向けて撮影を試みるという悪手を打って状況を悪化させたのも土倉であり、良くも悪くもこの一触即発の事態を作ったのは星の家の側だ。対話を続けたいと要望したところで「はい、そうですか」と言ってくれるわけもない。
 しかしながら、起脈石を起動し自身を足止めすると言われた当のライトブロンド髪の女は、そこに慌てる様子一つ見せることはなかった。マジマジと起脈石の起動に取り掛かる土倉の様子を窺いながら、それを邪魔する素振りは一切見せないのだ。
 土倉が「足止め」ぐらいの効力は期待できると言ったように、アルフにしてもその認識は同様だった。
 起脈石の設置に関わってきた過去のアルフの経験から言っても、起脈の再構築さえ出来るのならば40〜50%程度の性能を発揮することが可能な状況であることは容易に推測できた。もちろん、桂河の起脈石を設置する時に設えた下地がまだ効果を発揮するかどうかはアルフが判断できることではなかったが、その点については起脈の下級管理人である土倉ができるというのならできるのだろう。
 だからこそ、ライトブロンド髪の女の反応はアルフに取って当惑せざるを得ないものだった。
 ただの身の程知らずか。この場で起脈を起動させたところで大したことができないと高を括っているのか。それとも、起脈を起動されたとしても、それをはね除ける実力を伴っているからか。そもそも、起脈がどれだけの威力を発揮するものなのかを把握できていないと言う線もある。
 ともあれ、ライトブロンド髪の女は小型トラックの荷台にある布の掛けられた起脈石に視線を向けた後、アルフに向き直ってこう宣言する。
「結論から言うよ。起脈石の設置は認められない。後、悪いけどその荷台の起脈石も破壊させて貰う」
 例え、対話を重ねることができても、ライトブロンド髪の女からは同じ結論を告げられたかも知れない。それでも、アルフは期せずして対話が途切れ、一足飛びにその結論に達したことを残念に感じていた。尤も、その結論が導き出されてしまえば、対立の構図まで一直線だ。
 強い意志の籠もった言葉で「起脈石の破壊」を明言された以上、アルフも黙っているわけには行かない。再び、ライトブロンド髪の女へ向けた強い敵意を前面に押し出して見せて、悠然と牽制の姿勢を取らざるを得なくなる。
「そんなことを許すわけにはいかない。それでも君が起脈石を破壊するというなら、僕が相手をすることになる」
 アルフはゆっくりと深い息を吐くと、上着のポケットから拳を完全に覆う形のナックルダスターを取り出す。薄手の絶縁グローブのような下地に、拳打の威力を高めるための金属部が縫い込まれている構造で、一見するに特別なギミックを設けたタイプのものではないようだった。
「悪いことは言わない、止めておいた方が良い。黒雑食を葬るぐらいの能力は持ち合わせているのかも知れないけど、あの程度の戦闘能力しかないものばかりで星の家が構成されていると思ったら大間違いだ」
「黒雑食?」
 神妙な顔付きをして「こんな展開は不本意だ」という態度をアルフが示して見せたのにもかかわらず、ライトブロンド髪の女からはキョトンとした顔付きに合わせて頓狂な質問が向いた形だった。アルフは「やり難い」という表情を隠しきれないでいた。せめて、押し黙った神妙な顔付きを返すという形を取るならまだしも、アルフの敵意を前にして一切「ちょっとは気圧されてます」感が皆無なのだ。アルフはこれでもかと言うほど眉間に皺を寄せて見せると、一度後頭部を掻きむしって見せた後、黒雑食の特徴について身振り手振りを交え吐き捨てるように述べる。
「こう、黒色のパーカーをすっぽり被ったような風貌の奴だよ!」
「ふーん、そんなのが居るんだ。覚えておく」
「……」
 アルフの頭には「黒雑食を葬ったのがライトブロンド髪の女ではないのかも知れない」という考えが一瞬過ぎったが、戦闘態勢で身構えてしまえば、そんな思考はそこで一旦シャットダウンと相成った。
 アルフから迷いが消えたことを知ると、ライトブロンド髪の女は背負うスクールバックをすとんと落とした。そうして、スクールバックの下端がアスファルトで舗装された道路の面に当たるか当たらないかの位置で落下を堰き止めると、スクールバックの中身を取り出した。
 中から出て来たものはメイスとか戦棍とか呼ばれる類の武器だった。長さは70cm程度で、片手で扱うことを視野に入れた大きさだと言えただろうか。握り手部分から対象物に打撃を加える頭の部分までが一体化されており、全てが金属で構成されている。頭部は鈍角を持つ菱形をしており、殴打することに重きを置いた作りだろう。パッと見、長さを調整する仕組みは存在しておらず、かなり重量のある武器に分類されるだろう。尤も、打撃具としてはその重量も相手にダメージを与える上で重要なファクターで間違いない。
 スクールバックの変形具合を見ると、中にはまだ何かが収納されている節がある。しかしながら、ライトブロンド髪の女が残りの何かを取り出すことはなかった。そのままスクールバックを背負い直してしまえば、アルフに向かって戦棍の頭部を向け「臨戦状態は整えた」という風だ。
 このままでは衝突不可避という際に至って、アルフは目一杯の迫力を伴う。
「最後に確認しておくけど、退く気はないんだね?」
 その牽制がアルフに取っての最後のラインで間違いなかった。そこを踏み越えれば、いつアルフが先制攻撃に打って出てもおかしくはない。そんな不穏な空気が場に醸成されているにもかかわらず、それさえもライトブロンド髪の女に素知らぬ顔ではね除けられる。
「起脈石は破壊する。それは絶対」
 アルフの引いたラインを無遠慮にもさも「大したものではない」と言わんばかりに踏み行って、こちらはこちらで譲れないラインはこれだと頑として突き付ける。
 アルフは仰々しく溜息を吐き出すと、心底呆れ果てたといわんばかりに吐き捨てる。
「病院送りになるかも知れないけど、恨むなら君自身の浅はかさを恨むんだね」
 その言動だけからは中々想像できないものの、アルフが内心相当苛々していたことは間違いなかった。そして、そんなアルフの煮えくり返る胸中を知ってか知らずか、アルフがそうして見せたようにライトブロンド髪の女も自信たっぷりに吐き捨てるのだ。
「今回の目的はあくまでも起脈石の破壊だから、あたしも君達に怪我させるつもりはないけど、何かの拍子で痛い目を見ることになっても喧嘩吹っ掛けてきた君達自身の浅はかさを呪ってね」
 もう我慢できないと言わんばかりに、アルフは唇をくっと噛んで押し黙る。
 次の瞬間、先に仕掛けたのはアルフだった。タンッと勢い良くアスファルトの道路を叩くように踏む込む。あれよあれよという間に、アルフは目にも留まらぬ速度でライトブロンド髪の女の胸元まで切り込んでいた。それは足音を響かせることもなく一瞬の内に胸元へと飛び込んだ形で、初見で反応することなど不可能な攻めのように端からは見えた。
 事実、総栄エクスプレスの社員の二人は疎か、土倉でさえ何が起こったかを理解してはいなかっただろう。
 しかしながら、アルフが繰り出すナックルダスターを伴った右拳での一撃は、ライトブロンド髪の女が身構えた戦棍の柄で止められ、そのまま綺麗に受け流される。
「僕の速度に反応するだって! それも、反応した挙げ句に僕の攻撃を完璧に受け流す……?」
 アルフは攻撃を受け流されたという事態を前に、信じられないといった驚愕の表情を隠せなかった。どうにか驚愕の色が薄れた後も、次にその表情を支配したものはこれでもかと言うほどの動揺だ。自身の能力、特に速度に関していうのならアルフは絶対の自信を持っていたのだろう。
 アルフが見せる動揺とは対照的に、ライトブロンド髪の女はしてやったりの表情だ。そして、その余裕綽々の顔付きがまたアルフに追い打ちを掛ける形だ。尤も、その余裕の顔の裏側には、内心では肝を冷やした一面が隠れていたかも知れないが、少なくとも表面的な部分にそれは滲み出て来ていない。即ち、ライトブロンド髪の女が見せた受け流しはただの偶然の産物ではなく、程度の差こそあれどある程度しっかりと当たりを付けて狙ってやったことだというわけだ。
「アルフ君、だっけ? 早いね、早過ぎるよ。その動き、文字通り、人間業じゃないね?」
「君は、一体何者だ!」
 態とらしくも人間業ではないことを驚いて見せたその様子の端々からもやっぱり微かな焦りの色一つ拾い取ることはできず、アルフは込み上げてくる感情そのままに声を荒げて問い質していた。
 ここに来て、一際際立つものは、二人の対照的な色合いだ。
 アルフの側で言えばそれは「動揺」で、ライトブロンド髪の女で言えばそれは「余裕」だった。
 怒号にも似た荒いアルフの言葉を前にして、ライトブロンド髪の女はその調子に戯けた様を覗かせる。
「いやだなー、さっきも言ったじゃない? しがないただの一般人だってさ」
 アルフは思わず声を荒げて「馬鹿を言うな!」と言いかけて、咄嗟に言葉を飲み込んだ。戯けた調子に飲まれてしまえば、相手の思う壺になると考えどうにか踏み止まったのだろう。何せ絶対的な自信を持っていた速度面で張り合ってみせる相手なのだ。冷静さを欠いてしまえば、それこそ本当に勝ち目を無くしてしまうだろうことは明白で、ぐっと唇を噛んで見せるアルフもそれを嫌と言うほど理解している様子だった。
 雲行きの怪しくなってきたアルフとライトブロンド髪の女とのやりとりを横目に見ながら、土倉は起脈石の状態に確かな手応えを感じていた。
「中継点となる起脈石本体がなくても、桂河への起脈石設置でばらまいた補助体はまだまだ十分効果を発揮可能な状態だ。行けるぜ。百は無理でも、四十〜五十程度の力で記号を発動させられる! はは、牽制には十分だろー? アルフ、助太刀してやるんだからちったぁ感謝しろよー」
 起脈の再構築に目処が立ったことを、土倉はアルフの耳にもライトブロンド髪の女の耳にも届かない程度の声で興奮気味に喜びガッツポーズを見せた。そして、青白く発光していた起脈石がその徐々に色を失い始めた当たりで、アルフの方へと向き直る。
 土倉は振り向き態に左の掌を眼前へと突き出す形で身構えていた。その掌の先には淡く青白く発光する記号が浮かび上がる。「記号」という言い方が正しいかどうかはともかく、それは文字とも抽象的な図形とも取れる複雑な図柄の組み合わせで構成されていた。ともあれ、そうやって星の家が「記号」と呼ぶ現象が浮かび上がった次の瞬間には、土倉の掌の先に直径二メートル強の青色とも紫色とも取れる光球が発生していた。
 記号とは、起脈なしには発動させることができない代物だ。即ち、そうやって記号を発動させたと言うことは、イコール、起脈のネットワークをその場に構築したことに他ならない。
 起脈の下級管理人としてそれをやって退けた土倉はどうだといわんばかりに得意げな表情をしていた。それはライトブロンド髪の女に対しては形勢逆転だと息巻くもので、アルフに対してはいつでも加勢できると胸を張るものだ。
「へぇ、中継点となる起脈石が無い状態でも、本当に起脈のネットワークを構築することができるんだ……。今夜は一つ良い勉強になったよ。起脈のネットワークを構築させないためには、補助体とかいう奴もばらまかれないようにしないとならないってわけだ」
 しかしながら、形勢を逆転されたはずのライトブロンド髪の女は、鼻息荒く息巻く土倉とは対照的だった。
 眼前で起脈を通して記号を発動されたにもかかわらず、記号を発動されたこと自体は然したる問題ではないとでもいわんばかりの対応を見せるのだ。それが強がりか、ただの自信過剰なのかは解らない。中継点となる起脈石が無い状態でも起脈のネットワークを構築できるという事実に対しては、眉間に皺を寄せる形で驚いて見せたものの、今まさにその身に迫る光球について言うなら「どうとでも対処できる」といわないばかりなのだ。
 事実、今まさに土倉が撃ち放たんとする光球に対して、ライトブロンド髪の女は身構えることすらしていない。
 その態度や口振りを目の辺りにして、アルフは「起脈石を起動する」と宣言した土倉を邪魔することなく放って置いたのは態とだったのかも知れないと思わざるを得なかった。
 意気揚々と土倉が気を吐く。
「起脈の管理人様がお前のためにわざわざ誂えた特別製だぜ! 遠慮なく食らっておけよッ!」
 土倉が突き出す掌の先に再度記号が生じ、光球が勢い良くライトブロンド髪の女目掛けて放たれた。
 ライトブロンド髪の女は真っ直ぐ自身目掛けてハイスピードで接近してくる光球から、真横に飛び退く形で距離を取る。尤も、特別製だと土倉が大々的に宣って見せた光球がそんなに容易く回避できるはずもない。
「はッ、そんなに簡単に避けられると思うなよ。そいつは自動でターゲットを追尾することだってできるし、俺がコントロール下に置いてお前にぶつけることだってできるんだぜ!」
 一際大きな声で土倉が揺るがない優位性を口にするや否や、光球は大きくその進路を変更する。それは土倉が述べたように、ライトブロンド髪の女へぶつかるためのルートへ軌道を修正していた。
 ここに来て始めて、ライトブロンド髪の女の表情が曇った気がした。尤も、僅かに右眉を吊り上げた表情に滲む感情は「焦り」だとかいった類の切羽詰まった物ではなかった。一言で言うのなら、それは自ら手を下すという面倒な事態に陥ったことに起因する苛つきだろう。
 土倉のコントロールによるものか。それとも、自動追尾のなせる技か。ライトブロンド髪の女に二度三度と突撃を回避されながら、光球の方も器用に障害物を回避しつつ軌道修正を続け執拗に突撃を続けていた。道路脇に自生する木々と言った類の障害物への衝突を誘うライトブロンド髪の女の際どい回避に揺さ振られながらも、光球も絶妙のコントロールを持し続けた。
 そのままでは埒があかないと思ったのだろう。不意に、ライトブロンド髪の女が地面に向けて右掌を突き出すように身構える。
 瞬間、アルフの背筋を何か冷たいものが駆け抜けた。何か凄まじいものがその場に生じていると第六感が告げていたのだ。ライトブロンド髪の女が記号をどうやり過ごすのかについて静観を決め込んでいたアルフが思わず身構えた程だったから、土倉も第六感による警告を感じていただろう。それでも土倉が防御の姿勢を取らなかったのは、攻める立場にあったことで高揚感が物恐ろしさを抑圧したためか。
 ライトブロンド髪の女の掌の先には、うねりが見えた。そこにシュリーレン現象が発生しているかのように、景色が揺らいで見えるのだ。そして、何か目に見えない重量のあるものを慎重に持ち上げるかのように、ライトブロンド髪の女がゆっくりとその右掌を胸元まで持ってくる。掌との距離を保ったままうねりも胸元付近まで持ち上げれて、ようやくその正体が片鱗を覗かせた。
 ヒュォォオオオと鳴る一際低い地鳴りのような音から始まり耳を、あっという間にその場は劈く程の風切り音が響き渡るようになっていた。そして、ライトブロンド髪の女の、セミロングの髪が無秩序にふわりと空に棚引いたのだ。それは風を発生させる類のうねりなのだろう。では、第六感が警告を発し、思わず身震いするほどの「風」に起因する力とはどれほどのものか。
 土倉がそうして見せたように、ライトブロンド髪の女もうねりを携えた掌を突き出してみせる。次の瞬間、猛烈な強風が突き出した掌の直線上に生じていた。縦に伸びる竜巻を人為的に横方向に打ち出したかの様と言えば適当だろうか。地上から巻き上げた塵が確かな渦を形作り、視覚的にもそこに猛烈な強風が生じていることを理解させられる。
 真横を高速で電車が通過したような轟音が鳴り響くと、土倉が記号を用いて生じさせた光球は霧散していた。いや、その猛烈な強風の威力は光球を霧散させるに留まらず、道路に面して直立していた樹木に直撃し中程からへし折って見せた。
 もし、その猛烈な強風が土倉目掛けて放たれていたなら、土倉はばらばらに引き裂かれていたかも知れない。
「……何だよ? まさか、今のをお前が意図的にやったっていうのか?」
 唖然とする土倉を眼前に置いて、ライトブロンド髪の女はしてやったりという表情だ。
 ライトブロンド髪の女がその猛烈な強風を発生させたと得意げに口にしたわけではない。しかしながら、偶然それが発生したと言うには余りにもでき過ぎだった。仮に、その猛烈な強風をライトブロンド髪の女が発生させていないのだとしたら、何らかの神懸かり的な力が外部から働いたと言う他ない。
 起脈を介して外部から力を供給し神懸かり的な力を生じさせる「記号」という仕組みがそうであるようにだ。
「嘘だろ? 今の記号じゃないぞ……? 記号も用いないであんな力を行使できるっていうのかよ」
 土倉の表情は「唖然」を通り越し、ライトブロンド髪の女に対する恐怖が滲むレベルに達していた。思わず、怯んで一歩後退ったのは、土倉自身意図したものではなかったはずだ。
 そんな土倉の恐怖をわざわざ煽るかのように、ライトブロンド髪の女が白状する。
「わざわざ君に被害が及ばないところを狙ったんだから、感謝してよね?」
 ライトブロンド髪の女が意図的に「猛烈な強風を発生させた」ことを理解した瞬間、土倉はあっと言う間に恐怖に呑まれたのだろう。
「何なんだよ、こいつ!」
 自身を奮い立たせるかのように声を荒げたものの、一度喪失した戦意を容易に土倉が取り戻すことはなかった。
 にこやかに微笑んで見せるライトブロンド髪の女に対して一度及び腰になってしまえば、土倉はもう何もできない。戦棍を手にするライトブロンド髪の女がトンッと地を蹴って小型トラックへと接近を始めても、土倉は身体を強張らせてその場に留まるだけだった。
 アルフが慌てて、対処しようとするももう遅い。アルフよりかは身体能力で劣っていたが、ライトブロンド髪の女もそこいらの一般人を遥かに凌駕する脚力を持っていた。
 土倉はぎゅっと目を瞑り、身体を襲うだろう衝撃に備える。それは戦棍を横に薙ぎ、土倉をそこから吹き飛ばすような攻撃を想定したものだったろうか。
 しかしながら、いつまで立っても土倉の身体を強烈な衝撃が襲うことはなかった。ライトブロンド髪の女がするりと土倉の横を通り過ぎた辺りで、アルフも足を止めていた。ライトブロンド髪の女が戦棍による痛烈な一撃を繰り出さんとする対象が土倉ではないことを理解したからだ。
 土倉の脇を擦り抜けたそのままの勢いを維持して小型トラックの荷台まで飛び乗ってしまえば、ライトブロンド髪の女は一際大きな挙動で戦棍を振り上げ渾身の一撃を繰り出すために気合いを込める。次の瞬間、起脈石の横っ面には戦棍がめり込むように叩き付けられていた。
 起脈石は大の大人が中心部にハンマーを叩き付けた程度では簡単に破壊できないぐらいの強度を持つ。端の脆い部分からハンマーを打ち付けていけば、破壊できないことはないが少なくとも人の手で、それも一撃で粉砕するというのは至難の業だ。にも関わらず、ライトブロンド髪の女の渾身の一撃によって、起脈石は大小入り乱れる無数の欠片に形を変え、粉々に吹き飛んだ。
「はっはー、勝利条件達成かな。君達の負けだね」
 目論見通り起脈石を叩き潰したことを無邪気に喜び、ライトブロンド髪の女は得意げにしてやったりという表情を見せる。尤も、意気揚々と気炎を上げるライトブロンド髪の女とは対照的に、アルフと土倉は完全に戦意を喪失し絶句する格好だ。土倉に至っては悔しがるかのような表情すらそこにはなく、茫然自失の体だった。
 アルフはアルフで辛うじて敵意を向ける形だけのポーズを維持しているものの、ライトブロンド髪の女がその気になるようなら唇を噛んですぐにそのポーズを引っ込めただろう。それ程までに起脈を用いず神通力を行使して見せたライトブロンド髪の女の行為は、並々ならぬインパクトを伴っていた。
「どうする、これでもまだやる?」
 勝敗条件を変更し延長戦をやるかどうかを問うライトブロンド髪の女の口調からは、アルフ達さえその気なら「付き合ってあげても構わない」といった好戦的なスタンスもちらほらと覗いていた。
 当然、アルフと土倉にこれ以上の戦闘行為を続行するつもりなどない。既に、起脈石は破壊されている。では、見方を変えてアルフと土倉の二人掛かりでライトブロンド髪の女を捕獲できるかと問えば、それも困難極まりないことは明白だ。延長戦をやったところで、何も得るものがないことなど火を見るよりも明らかだった。
 だからと言って、素直に負けを認めるというのもアルフは我慢ならないらしい。くっと下唇を噛み、爪の跡が赤く滲むほど強く拳を握り締めながら、ライトブロンド髪の女を鋭い目付きで睨み据えたまま微動だにしなかった。尤も、ではそこにどんな言葉を続けるべきかについては、アルフ自身まとめ切れていない様子だった。威勢の良い言葉も、苦し紛れの負け惜しみも口を付いて出ることはなく、一向に口を開こうとはしなかった。
 そんなアルフの苦渋に満ちた表情を尻目に、ライトブロンド髪の女はしてやったりという顔付きの度合いを甚だしくする。口元をニィと切り上げるかのように歪めてみせれば、一つ間違えれば挑発とも受け取られかねない台詞を続ける。
「あはは、言葉も出ない感じ?」
 そうして、一頻り楽しそうに笑った後で、ライトブロンド髪の女はふっと闇夜を仰ぎ見るのだった。
「それじゃあ、良い月も出てるし今夜は仕舞いかな」
 もしも、そこにあるものが良い月でなかったのなら「仕舞いでなかったのか?」といった疑問がアルフの脳裏を過ぎったものの、当のアルフに無駄口を叩いているだけの余裕なんてものはなかった。そもそも何を持ってライトブロンド髪の女が月の善し悪しを判断しているのかも不明だ。
 ライトブロンド髪の女の仕草に釣られるように空を仰ぎ見たアルフが見た月は、後数日で新月に差し掛かろうかという薄く細い三日月だった。皎々と輝く以外は「良い」の表現が適当とは到底思えない。
 アルフがそこに何とも言えない不気味さを感じたのは、ライトブロンド髪の女が限りなく赤色に近い虹彩でじっと薄く細い三日月を捉え続けていたからだろう。何かを待ち望むような、それでいて同時に何かを恐れるような、そんな何とも言えない目元が印象的だった。
 不意にライトブロンド髪の女がふいっとアルフの方へと向き直る。マジマジと横顔を注視されていることに気が付いた、というわけではないようだ。身にまとった不気味さを上書きするかのように柔らかな雰囲気を伴ってみせれば、ライトブロンド髪の女はアルフへ星の家上層に対する伝言を言付ける。
「君達の上の人達に伝えておいてよ。あたしは星の家が起脈を整備することで、何をしたいのかが知りたいって」
 星の家上層に対する言付けの内容を聞き、アルフは眉間に皺を寄せた。
 それはアルフが答えに窮した質問だ。その答えを星の家の上層に求めると言うことは即ち、ライトブロンド髪の女が近い内に星の家の構成員か上層本体に接触を試みることを明言したに等しい。どういう風に回答を回収するつもりでいるかについては、現時点でライトブロンド髪の女自身まだ考えていなかったかも知れない。しかしながら、例え再びアルフという星の家の構成員に接触するという形を取らなくても、その「答え」は星の家の中で共有するべきものだと続ける。
「それに君達だって、知っていて然るべきことだとあたしは思うよ」
 それはまるで諭し教えるかのような口調だった。そして、そこには起脈を危険だと述べた自身の認識について、その事実関係を理解さえすればアルフ達も必ず同意するといった自信さえ窺える。
「……」
 黙ったまま自身を睨み据えるアルフを尻目に、ライトブロンド髪の女はすぱっと対話を切り上げる。言いたいことは言い終えたのだろうし、そのまま時間を掛けたからと行ってこの場に生じた対立構造を打開する術もない。
「では、失礼」
 そう言うが早いか、ライトブロンド髪の女は小さく会釈をして見せた後、小型トラックの荷台からさっと飛び降りる。そうして、通行禁止の立て看板がある方へと走っていくと、道の端から端に掛けて張られた太い黄色のワイヤーをひょいっと飛び越え、振り返ることもなくあっという間に薄暗がりの中へと姿を消してしまった。
 茫然自失の体を見せる土倉とは対照的に、ライトブロンド髪の女を険しい顔付きで睨み付け威嚇する形を取っていたアルフだったが、追撃しようとかいうつもりはさらさらないようだ。その後ろ姿を目で追いながらも、闇夜にその姿が完全に溶けて消えたところで大きな溜息を一つ吐き出した格好だ。
 もちろん、気配を消して後を追うという選択肢も僅かに脳裏を過ぎったのは間違いない。しかしながら、少しシミュレーションをしてみれば、身体能力でアルフを上回るライトブロンド髪の女に気付かれることになく尾行し続けるというのは困難だとすぐに判断した形だ。
 もしかすると、起脈の整備によって何を為そうとしているのかを「知っていて然るべき」といったライトブロンド髪の女の指摘に対し、確かにそうだと感じる部分があったというのも影響していただろうか。
 ともあれ、ライトブロンド髪の女が紛れた薄暗がりを、アルフは溜息を吐き出した後もずっと注視していた。
「……大丈夫かい、アルフ君?」
 不意に名前を呼ばれて、アルフはハッと我に返る。
 いつの間にか、総栄エクスプレス社員の二人はトラックから降車していて、アルフの横に立っていた。荷台の荷物の状態を確認するためだろう。当然「無事ではない」と解っていながら、その状態を確認しないわけにも行かないのだろう。
 ドアを閉める音や、総栄エクスプレス社員の気配にも気付かなかったことでアルフは若干吃驚した顔付きを合間に挟んだものの、そこに襲撃されたことに対する怒りや焦りの残滓は窺えない。襲撃を受け起脈石を破壊されたということに関しては、既に割り切ったようだ。
 総栄エクスプレスの社員に危害は及んでいない。最低限死守すべきラインは守られている。尤も、ライトブロンド髪の女にその気があれば、アルフ達が受けた打撃はこの程度では済まなかっただろうことは間違いない。
 その思考が脳裏を過ぎると、アルフの口からは自然と深い溜息が口を付いて出ていた。
 そうだ。好戦的な性格とはいえない襲撃者「ライトブロンド髪の女」に因るところが大きいものの、まだまだ最悪の事態には陥っていないのだとアルフは改めて理解する。
「ええ、ちょっと小競り合いをしただけで、本格的にやり合ったわけでもないですしね」
 総栄エクスプレスの社員に対して、アルフが返した言葉にも強くその思考が尾を引く形だった。
「起脈石を破壊されてしまったが、……どうしようか、アルフ君?」
 見るからに落胆の色をその顔色に見て取ることのできるアルフに対し「起脈石を破壊されたことを踏まえてどうするか?」をこのタイミングで問うのは、余りにも忍びないと思ったのだろう。総栄エクスプレスの社員が後の対応をアルフに尋ねた言動は、非常に申し訳なさそうだった。
 尤も、どんなに気まずい状態だったとしても、総栄エクスプレスの社員はその旗振りをアルフに尋ねざるを得ない。その判断を下せるのは、この場でアルフだけなのだからだ。
「今日のところは持って帰って倉庫にでも保管しておいて貰えますか? 廃棄も含めてプロマスに判断を仰ぎます。合わせて、今後の対応についても明日連絡させて下さい」
 総栄エクスプレスの社員に対して、アルフはそう答えるのが精一杯の様子だった。
 そんなアルフの状態を知ってか知らずか、総栄エクスプレスの社員に続いて土倉が問い掛ける。
「なぁ、何なんだよ、あいつ? 記号なしで記号みたいな、いや、記号以上の力を振るって見せたぜ? こんなことがあり得るのかよ?」
 土倉は未だに動揺を色濃く残す状態にあった。その質問だって、土倉自身、アルフには答えようのないものだと内心解っていただろう。恐らく、それでも土倉はそれを口に出して誰かに問わずにはいられなかったのだ。そして、何らかの明瞭な答えをアルフに返して貰うことさえ期待していなかった質問だっただろう。
「解らない。解らない、けど、一つだけ確かなことは、星の家にとって霞咲には厄介な敵が居るってことだ」
 尤も、アルフが律儀にその質問に答えてしまうから、場には何とも言えない気まずい雰囲気が立ち籠める。
 その気まずさに耐えきれないとばかりに、アルフは土倉へと簡素に提案する。
「今夜は、もう戻ろう。色々と厄介なこと、面倒なことを考えるのは、取り敢えず後にしないか?」
「あぁ、そうだな」
 一つ声のトーンを落とし心底疲れたという顔で頷く土倉を尻目に、アルフは再びライトブロンド髪の女が姿を消した薄暗がりへと視線を向けた。まざまざと思い起こされて来る苦い記憶は、絶対の自信を持つスピード面で容易な堰き止め受け流されたことだ。
 アルフの思考の中には「あの時だって、追撃を加えようと思えば加えられたはずだ」といった類の、手加減された屈辱が残る。そして同時に、この襲撃によってアルフ達の受けた打撃がライトブロンド髪の女の胸三寸でどうとでも拡大したことを否応なくも理解させられる格好だった。
「人間業じゃないだって? それはこっちの台詞だ」
 静まり返った薄暗がりにそんな言葉を吐き捨てて、アルフも土倉に続いて小型トラックの後部座席へと乗り込む。




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