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Seen09 エピローグ


 試作品の暴走を止めたのは何よりも湯澤の功績が大きかっただろう。
 綾雛が停止装置を手に入れてから、湯澤は利賀根〜菱戸間を休みなくかっ飛ばし、どうにかタイムリミットまでに間に合わせた格好だ。厳戒態勢が取られた菱戸港には既に試作品を爆破するための爆弾が運び込まれていて、一般人の人払いが徹底されていたという。
 ハートレイに設計図を手渡したあの日から実に二日が経過し、利賀根はカラッと雲一つなく晴れ渡った天気になった。
 そんな晴天の下、綾雛は湯澤と共に大学通りを利賀根技工大の正門目指して歩いていた。相変わらず人通りの多い場所ではあるものの、利賀根技工大の学食で昼食を取るつもりでもあるため、正門から大学構内に入る必要があるわけだ。
 綾雛の隣を歩く湯澤の携帯に着信が入ったのはまさにその時のことだった。携帯を取り出して誰からの着信かを確認する湯澤の顔が「これはまずい」と言う風に変わったのは綾雛の気のせいでもなかっただろう。
 綾雛が珍しくそんな顔する湯澤を珍しがって、携帯を覗き込もうとした矢先のこと。
 湯澤は慌てて携帯を開いて通話を始めた。
「はい、調査室の湯澤です。……えッ? 綾雛ですか? えぇ、あぁ、はい、判りました。……今、替わります」
 話しをしている段階にあって、見る見るうちに顔色を変える湯澤の様子を気にはしながらも、プライベートのもので「聞かれたくない電話の一本二本はあるだろう」と綾雛はそれに聞き耳を立てることはしなかった。
 しかし、次の瞬間には湯澤が綾雛の名前を呼んでいた。
「綾雛、棉柴次長から電話だ」
 心なしか声が上擦っている感じの湯澤から携帯を受け取って、綾雛は棉柴の応対をする。
「はい、お電話替わりました、綾雛です」
「臨時の検討会議が無事終了した旨を都合で参加出来なかった綾雛君にも一応きちんと報告しておこうと思ってね」
 開口一番、わけの判らないことを宣う棉柴の言葉に綾雛の表情は一瞬にして怪訝なものへと切り替わった。
「……はぁ? 私、都合で参加出来なかったんですか? え、と、それは今日の話ですか?」
 我ながら「頓狂なことを聞いているな」と思いながらも、綾雛は棉柴に臨時検討会議云々の確認をする。
 棉柴が「無事終了した」と言ったわけだから、この二日の間に臨時検討会議が持たれたことは確かだ。しかし、都合も何も綾雛はこの二日間、暇を持て余していた様なものだった。
「湯澤君から連絡を受けたという調整官からその様に聞いたのだけど、……違うのかね? 何でも、利賀根技工大学の方で綾雛君の調整があるとか何とか……」
「あぁ、それはちょい義足に無理を掛けたので一応チェックして置こうと言う話で、ちょうど今から……、うん?」
 綾雛は「話が噛み合わないし、おかしいぞ」と、ピンッと閃いた。
 綾雛の記憶が正しければ、この予定を入れたのは他ならぬ湯澤である。それも湯澤の勧めで「無理をしたなら、見て貰った方が良い」と真剣な顔付きで言われたわけである。臨時検討会議が本日行われているなど、綾雛に取ってまるっきりの初耳だった。そればかりか「臨時検討会議は試作品の暴走騒動でしばらく延期される」と湯澤には説明されたわけだった。
「湯澤さん、ちょい事情説明を……」
 ふいっと綾雛が横を向くと、ついさっきまでそこにいた居たはずの湯澤の姿は忽然と消えていた。突然の出来事に、一瞬、呆気に取られた綾雛だったが慌てて周囲に視線を走らせる。湯澤の懸命に全力疾走する後ろ姿を綾雛が遙か前方の雑踏の中に発見したのはその直後のことだった。
 左手に握り持った携帯が「ギリッ、ギシッ」と音を立てていた。無意識のうちに綾雛の手には力が入ってしまっていたらしい。もしも、携帯を持つ手が右手だったなら、力任せに握り潰してしまっていたかも知れない。
「すいません、棉柴次長、ちょい音声が乱れるかも知れませんが気にせず続けて下さいね」
 沸々と込み上げる怒りを押さえ込むためにニコリと笑って、綾雛は携帯越しの棉柴に言葉を向ける。そのまま「すぅ」と息を飲むと、綾雛は衆人環視の中だと言うことを気に掛ける様子もなく声を張り上げた。
「ちょい、湯澤さんッ! ……コラァッ! 何逃げてんの! 後で酷いよッ!!」
 湯澤に綾雛の声が届いていないと言うことはないだろう。その湯澤の周囲にいる人達が声を張り上げた綾雛の方へと向き直っているのだからだ。綾雛は完全に「カチン」と来た格好だった。
「……あのひょろ眼鏡、体力勝負で私と張り合おうなんて良い勝負じゃないよ!」
 怒りに任せてボソリと呟いてしまえば、綾雛は既に走り出していた。
 左手に持った携帯を耳に当てて、棉柴の話を聞くことも忘れていない。
「あぁ、それでだ、綾雛君。例の新兵器の導入検討の話はお流れになったよ。多少、はは、かなり罵詈雑言が飛び交う事態になったがね、色々と言ってやったさ。結局、設計の面から新たに作り直すことに決定した。問題がなければ、その、綾雛君に技術屋の選定を頼みたいわけだが、……どうだね?」
 綾雛の咆哮が聞こえなかったのか、それとも、聞こえていない振りをしているのか。棉柴は特に取り乱す様子なく、電話越しに会話を続ける。……棉柴というのは見た目以上の大物なのかも知れない。
「海保絡みの交渉でしか、あんたの声を聞いたことがないし、あんたの姿を見たことなかったけど、一発であんたの声だって判ったぜ。……あんた、日常生活でも割と飛んだ性格してんだな」
 湯澤と棉柴の平行タスクを頭で処理しているところに第三の声が向き、綾雛は思わずその足を止めた。
 既に、湯澤を追いかけている場合などではなくなった格好だった。
 ゆっくりと声をした方を向けば、そこは前に出会したのと同じ場所だった。例の趣味の悪いバンダナを頭に巻いて、ハートレイはベンチに腰を掛けていた。手には約束の品だろうか、割と厚みのある便箋を持っている。
「……あぁ、ちょうど腕の良い技術屋を一人紹介出来ますよ、棉柴次長! それも、上手く行くと一から設計図を書き起こさずに済んで、さらに上手く行くと前の設計図を加筆修正していく形で新しいコンセプトを持った新兵器の開発が出来ちゃったりするかも知れません。……見た目はちょいあれですが、腕と性格は保証出来ますよ」
 棉柴の要求を満たす人材が目の前にいるのである。これを確保しない手はない。
 綾雛はニコリと意地の悪い笑みをして、ベンチに腰を下ろしたままのハートレイを見下ろした。
「一応、修正すべき箇所に手直し入れた修正版を持ってきたぜ、約束だからな……って、通話の最中だったか。あー……、タイミングの悪い時に話し掛けたか? 別に急がなくても良いぜ、ゆっくり話してくれよ」
 プラプラと便箋を揺らしながら、ハートレイはすまなそうに言った。
 ニンマリと笑う綾雛の顔が目に入らなかったわけではないだろう。もしかすると、そう言う相手と携帯を通して会話していたとでも思ったのかも知れない。……何にせよ、それがハートレイの運命の分かれ道になった。
「えぇ、あぁ、はい、それじゃあ、確保しておきますよ」
 ベンチに座ったまま、見上げる様にしてマジマジと綾雛を注視するハートレイは、そこに至ってようやく怪訝な顔で首を傾げる。そのハートレイの腕を綾雛の手はガシリと掴んだ格好だった。
「は? ……確保?」




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