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Seen05 DoubleBooking[中半]


 午前の通勤通学ラッシュがちょうど終わった内宮原のJR駅で、綾雛と湯澤は棉柴を出迎えた。内宮原の駅から表通りに出ることなく、駅構内を通って私鉄に乗り換え、綾雛が棉柴を連れて向かった先は下篠園だった。
 晴天の天気に恵まれた陽気の中を、一同は片道にして約三十分の時間を私鉄に揺られた格好だ。大体どの時間帯の利用でも相応の乗客のある私鉄ではあるが、通勤通学ラッシュが終わってしまえば座席を取るのに苦労はしない。
「優秀……かぁ、私は浪人一年と休学一年をやっているわけだから、ちょい聞いてて耳が痛いかな」
 それは車中の会話で「利賀根技工大の卒業を優秀だ」と棉柴に言われた綾雛が切り返した言葉だ。そのことに対して綾雛が劣等感を感じていると言うことはないながら、それは強ち謙遜とも言えない言葉だ。
 その「優秀ではない」綾雛発言に棉柴は教え諭す口調で言う。
「はは、ふむ、しかし、年数の問題ではないのだよ。もちろん、不用意に年を取り過ぎることは好まれないがね。窮極的にはそこで何を学び、何を吸収し、何をしてきたかと言うことが重要なのだ、綾雛君」
 棉柴という男は綾雛が先の検討会議で感じた「人の良い初老のおじいさん」という印象そのものだった。その綾雛の印象は私鉄の中での棉柴との会話を経てなお、一切変容することはない。見た目の体がその性格を言い表している、そんな人物なのだ。少なくとも、綾雛が棉柴を裏のある人間だとは感じることはなく、また、それは湯澤も同様だった。
 ナイトに関する今回の面会の核心に触れることのない雑談を車中で交わし、綾雛は棉柴をもてなした。棉柴にしてもその話をするべき場所が車中ではないことを理解していて、綾雛のもてなしに、終始、気分良く会話を楽しんでいた。
 綾雛が棉柴を案内した場所は利賀根にある観光スポットの一つとして有名な下篠園覆道だった。
 正直、案内というよりか、それは仮想追跡者を遠ざける意味合いが強かった。綾雛と湯澤の二人で一定の距離を保ちつつ、下篠園覆道という広大で土地勘のある場所を最大限に生かした複雑な移動でそれは行われたわけだ。
 覆道の中を歩いてみた限りでの棉柴の印象は、恐らく、どこにでもある様な地下街と相違ないと言ったものだろう。
 しかし、この覆道の階層の深さと面積の広大さは並ではない。全国レベルでも他に肩を並べる場所と言うのは指折り数えるほどしか存在しない。余すところなく飲食店などが店を構えるその様子はさながらデパートのそれである。本物のデパートなどに見る様な吹貫のフロアも存在していて、利便性の追求からエスカレータも数カ所に渡り整備されている。
 地下六階までの表記があるエレベータの地下五階層に私鉄の駅があり、そこがそのまま低地に開けた住宅地の続く覆道の出口でもある。ただ、地下六階層だけはある意味別物で、利賀根地方に置ける書籍のインターネット注文の、その発送のほぼ全てをカバーする大型書店が占有していて、大型書店というよりかは巨大地下倉庫といった雰囲気を持っているのだ。
 二日の猶予の間に検討した結果、棉柴との面会場所はこの下篠園覆道の上に存在する軽食喫茶を綾雛は選んだ。下篠園にあるオープンエアの軽食喫茶としてはかなり有名な店で、特に手作りサンドイッチなどが評判だ。昼時を過ぎても、しばらくは活況の続く人気の店で「相手が襲撃をする」といったそっちの面を考慮してもやりにくい場所なわけである。
 また、立地面のことを言っても下篠園覆道の上にあって、眼下に広がる低地の住宅街を見渡せる景観の良さがある。立てて加えて、いざと言う場合には逃走経路の確保も出来る最適な場所なのだ。それは相手を巻くという上でも、私鉄の利用が可能であり、さらに言うなら、下篠園という土地自体が綾雛の土地勘の利く場所だというのが大きい。
 この下篠園覆道上の高台と低地の境には無数の複雑な抜け道が存在する。それは切り立った崖とまではさすがにいかないものの、基本的には人の通れない様な険しい坂がほとんどだという土地の構造上の問題があるからだろうか。ともかく、緩やかな高低差の移動が続く傾斜のきつくない坂道の大半は後から交通網を整備するために人工的に作られた道である。
 棉柴を連れての移動がきついことを考えなければ、ここには崖道を含めて無数の高台から低地へと抜ける抜け道が存在し「逃走経路を用意する必要性」という点から考慮してみても、下篠園は絶好の場所だと言えるのだった。
 綾雛が棉柴を連れて目的の軽食喫茶を訪れたのは昼時を過ぎて結構な時間が経ってからのことだった。昼食を取ると言うよりかは「三時のおやつを食す」といった方が時間としては適当だろう。ともあれ、そこは早朝と深夜の時間帯以外には自動車の通行が禁止されている歩行者専用道の中でも、一際、景観の良い場所だった。
 表通りに面した庇下のテーブルに腰を下ろして、綾雛は予約を入れておいた三人分の軽食を注文する。予約を入れておいたとは言っても、実際に軽食が運ばれてくるまでにはかなりの時間が掛かるはずだ。わざわざ、綾雛をそれを軽食喫茶側に要求しておいたのだからだ。
 ……ちょうど棉柴の座った位置からなら低地の景観が見えるだろうか。
 綾雛がその棉柴の斜め向かい、湯澤は表通りの往来に注意を払えるよう店を背にして椅子に座る形である。
 棉柴はその目を細め、利賀根地方でも最大規模の住宅街を眺めていた。外観は中級住宅街と言えば適当だろうか、広範囲の土地にギッシリと一軒家や背丈の低いアパート群の並ぶ光景は摩天楼とは一風違った趣がある。
 低地と一括りにされているとは言っても、実際にはあちらこちらに起伏の緩やかな隆起があり、また、その隆起している場所こそがこの場所から見下ろす景観の見所でもある。指定文化財に定められている様な古いお寺の門構えや全容などがこの喫茶店からは確認することが出来たりと、その道が好きな人間にはなかなかに楽しめる場所というわけである。
「お待たせしました。食前のコーヒーで御座います」
 ウェイターが食前のコーヒーを三人分運んで来て、テーブルの上には適度に食欲をくすぐる心地の良い香りが漂った。角砂糖の盛られた小皿をテーブル中央に添えると、ウェイターは一礼をしてその場を去っていった。それに真っ先に手を付けたのは湯澤で、次に綾雛、棉柴という順だ。
 しかし、三人の中で角砂糖へと手を伸ばしたのは棉柴だけだった。
 綾雛はブラックのままのコーヒーを一口含んで喉の渇きを潤すと、同時に核心となる本題へと移るために自らの気を引き締めた格好だった。コトンとコーヒーカップをテーブルに置き、綾雛は「では、始めましょうか?」と言う風に体勢を整える。大きく身を乗り出して両肘をテーブルの上に置き、表情を交渉用のものへと切り替えたのだ。
 綾雛はにこやかな笑みを見せると仕草を持って棉柴にコーヒーを飲むよう勧める。
 棉柴が勧められるままにコーヒーを飲んでいる間に、綾雛はまずザッと工場区画でナイトと話した内容などの説明を始めた。時折、頷きながら棉柴は口を挟むでもなく、ただ黙って俯きがちにその説明を聞いていた。
「……そうか、奴は君にナイトと名乗ったのか」
 綾雛の事情説明を一通り聞き終えて、棉柴が発した第一声はそんな言葉だった。
 棉柴は「奴」と表現して、ナイトの存在を確認していることをあっさりと認めた格好だ。しかし、棉柴は「ナイトについて自身が知り得る情報がほとんど役に立たないものだ」ということを続けた。
「ナイトと名乗った男が誰と結託して設計図を欲しているかまでは判らない。そして、どうして設計図を欲しがっているのかも……だ。……私は君に謝罪しなければならないな。設計図を狙うものが存在することを知っていながら、君にその危険性を説明しなかったのだからな。……本当に申し訳ないことをした、綾雛君」
 言えば、最も根幹的で重要なことを棉柴は判らないと話したわけだった。綾雛に対して「申し訳ない」と言う気持ちが強いのだろう。棉柴はガタンと音を立てて椅子を引くと、テーブルに両手をついて深く深く頭を下げた。
 そんな棉柴の挙動に対して、綾雛は心底「いたたまれない」と言う顔をする。そして、堪らず言った。
「まぁ、はい、それはもう仕方のないことですからね。……それよりも事情の詳細な説明を願えますか、棉柴次長?」
 綾雛に促され、棉柴は深く下げた頭をゆっくりと擡げる。
「綾雛君、私はここに私用で来ている身だ。私のことは、……そうだな、棉柴さんとでも呼んで貰いたい」
 酷く真剣な顔をして言う棉柴に、その相違がどんなものなのかを綾雛は問わなかった。
 恐らくはこの面会を「プライベート」と位置づけることで、棉柴の認識の中の些細な何かが異なる程度だろう。次長と呼ばれてしまっては責任ある立場として、安易に海上保安庁の内情について話をすることが憚られるのかも知れない。
 あくまでそれは個人個人の認識の差に過ぎないことかも知れない。しかし、そう思えばこそ、綾雛の棉柴に対する印象はより良いものになった。背信を苛む感情があるということは即ち、仕事に対する忠誠があるに等しい。
 尤も、事情の把握がままならない現段階ではそれが敬われるべきものかどうかは定かではないわけであるのだが……。
「綾雛君が持つ回路設計図と実際にハードを走る実行命令プログラムがあれば、そこからカウンタープログラムの作成が可能なことが解っている。尤も、検討会議に顔を揃える連中の大半はその欠陥に付け込むことは不可能だと言って憚らないがね。本当にそう考えているからか、それとも、彼らの持つ利権構造を守りたいからか、それは私にも判らない」
 重々しく口を開いた棉柴の言葉は驚くべき内容だった。実際、湯澤なんかは棉柴のその言葉を聞き、コーヒーを吹きそうになったぐらいだ。そして、この面会の当事者でもないというのに湯澤は思わず棉柴をマジマジと注視した格好だった。プログラムを囓るからこそ「カウンタープログラムの作成が可能」という言葉の重大さがマジマジと伝わったのだろう。
「利権構造なんて、もう、そんな時代でもないでしょう?」
 湯澤の驚愕とは裏腹に、綾雛は苦笑いを含んだ呆れ顔でそう返しただけだった。
 綾雛が何ら驚いた顔を見せなかったことに棉柴は一瞬キョトンとした顔を見せる。
 湯澤の方も「何を見当違いなことを言っているんだ?」と綾雛を訝ったぐらいだ。
「……いやいや、この新兵器に置いても消耗品は大量生産とまでは行かずとも、ある程度の量を確保出来る状態を整えなければならない。その際にはそれらの生産を企業などに委託するのだから、そこで企業側として便宜を図って貰えれば長期的に収益の上がる仕事が手に入るわけだよ」
 苦笑いを混ぜて説明した棉柴の表情にはどこか影があった。棉柴自身、それを説明しながら「なぜ、そんな構造を看過しているのか?」と言う自責の気持ちがあるのかも知れない。
 一度、瞑目し、くっと口を真一文字に結んでみせた後、棉柴は続けた。
「既に大量生産向けの試作品は完成している。もしかしたら、彼らの利権を守る上で既に「後には退けない」状態なのかも知れない。新兵器導入に拘わる複数の企業側で、既に部品を大量に製造し納入を待っている状態なのかも知れない」
「それでも、欠陥の存在が判ったのなら作り直すしかないでしょう? 設計に携わった面々に頭を下げて貰ってでも、欠陥を修正する必要性はありますよ。既に存在の判っている欠陥を「実用面での問題がないものだから修正しない」とは考えが甘過ぎる。後々になって、そこから別の技術的な問題が浮かび上がってきたらどうしますか?」
 綾雛は「その程度の企業側の損害は問題ですか?」とでも詰問する風な鋭い口調だった。
 間髪入れずに棉柴へと切り返したそれは完璧なものなど作れるはずがないと判っているからこそ「今出来る最善を尽くさないでどうするのか?」と問い掛けた風にも聞こえた。
 カウンタープログラムの作成が可能と宣った時点で既に、綾雛の中でそれは修正して然るべき、当然のことと認識されていたらしい。つまりは「まさか、修正しない」旨を棉柴の口から聞くとは思わなかったと言うわけだ。
 棉柴は慌てて、そのカウンタープログラム云々までの経緯の説明を始める。
「この新兵器の設計チームは既に解体されているんだ。……いや、正確には初めから設計チームはチームなどと呼べるものではなかった。チームの参加者は他の参加者が誰かも解らず、また設計に関して自分が関わる以外の部分は完全なブラックボックスのまま、手渡される様な状態にあった」
 一度、そこで言葉を句切ると棉柴は食前のコーヒーを口に含んだ。綾雛との質疑応答にはかなりの熱が入っていたから口が渇いたのだろう。客観的にそのやり取りを見ている格好の湯澤としてはそんな風に思える一コマだった。
 棉柴から見れば綾雛など自分の年齢の半分ほども生きていない、それこそ本当の「雛」である。……にも拘わらず、湯澤が客観的にその場を分析すると、棉柴の方が著しい緊張を感じているのは否定出来ないことだった。
 再度、くっと口を真一文字に結んだ後、棉柴は意を決して言葉を切り出した。
「趣旨だけを言うなら、完全なものを作ろうとしたのだ。簡単には乗っ取られることのない、安全性の極めて高い防衛プログラム。……だが、その寄せ集め体勢が仇になった。回路の作成にあたりミスが出た。いや、個々に分ければそれらは我々の要求を満たす高いレベルにある」
 棉柴の言葉は暗に「設計チームの面々を一つの所に集められないこと」を説明するものだった。「ブラックボックスの状態のまま手渡される状態にあったった」と言うことは実際の設計チームの中にこの新兵器の全体像を把握する者がいないことを言ったに等しい言葉だ。
 完全なもの。
 海上保安庁はその完全さに「実際の設計者にも弱点を見出せないこと」を求めたわけだ。
「ミスが出たのはそのブラックボックスを結ぶパイプラインに当たる箇所だった。それも根幹的な設計上の問題だ。はは、つまりは我々の技術者がそれら設計チームに出した指示そのものに既に問題があったという話だよ、綾雛君。初めから彼らに全てを任せて作っていたなら、そんな初歩的なミスは起きなかっただろう」
 全ての事情を把握してから改善策を模索するつもりなのだろう。綾雛はただただ険しい顔をして、棉柴の説明を黙って聞いてる格好だった。
 事情がこれ以上ないほどにややこしい状態であること、それは既に聞いてきた通りである。特に、厄介なことは海上保安庁の求めた「完全さ」に他ならない。何よりも、これが最大の制約になるだろうことは明白だった。
「彼らとは情報の保守義務を含めた契約のやり取りをした。けれど、チーム参加者のうちの数人を、我々は結局、最後まで信用出来なかったのだ。全てを任せることは危険だと判断した。チームのうちの数人は契約などあってない様なものだと切り捨てる可能性があると勘繰ったわけだ。保持していた技術力の高さだけに注目した人選をした結果がこれだよ」
 自嘲気味な含み笑いを見せる棉柴の様子は「自分を咎めてくれ」とでも言わないばかりだ。
 そんな自嘲は含み笑いに留まらず、とうとう形を取って棉柴の口から声として漏れ出ることへと繋がった。
「はは、中には金銭的な報酬はいらないから、代わりに中古の対空ミサイルを一基解体させてくれと言った奴もいる。自分が絶妙の高感度回路を組み上げるから、それを自立型無人掃討戦車に組み込んでみて欲しいという奴もいた……。そんな彼らを我々が信用するのは難しかった」
「でも、技術屋なんてそんなものでしょうね。……基本的には自律で動いている様な部類の人種ですからね。自分の技術に誇りがあればあるほど、正否・適否は自分自身の中にある基準で判断しようとするわけですよ」
 教え諭す風に棉柴へと向いた綾雛の言葉には言い様のない説得力が伴った。なぜならば、それは「自分を含めて」と、話したに等しい言葉だったからだ。曲がりなりにも技術屋の経験を踏まえ、その上での行動原理を説いた格好だった。
 神妙な顔をして頷いた棉柴がその綾雛の言葉をどう受け止めたのかは判らない。
 しかし、棉柴は仕切り直しという風に切り出した。
「工学系の総合大学、利賀根技工大の出身者である綾雛君にはその欠陥に付け込むことが可能であることを証明して貰えると思った。そして、私が君に惚れ込んだというのもある。君ならどうにかしてくれるだろう……とね」
 真直に綾雛を見る棉柴の目に嘘偽りの混ざる余地はない。それは紛れもなく棉柴の本心だった。
「それは買い被りすぎですよ、……棉柴次長」
 全く唐突に、横から口を挟んだ湯澤の言葉に、一瞬、棉柴も綾雛もキョトンとした顔をした。しかし、その内容を理解してしまえば、すぐさま、綾雛は色を作して声を荒げた。「ドカッ」とテーブルを叩いて立ち上がる勢いだ。
「湯澤さん!」
 しかし、カラカラと笑い声を響かせた棉柴の様子に、綾雛はそこで踏み止まる。「ふぅぅ……」と大きな息を吐いて気を落ち着かせると、心なしか不機嫌な横顔を残して椅子に座り直した格好だ。せっかく良いこと言って、話もまとまり掛けたというのに、横合いから場を茶化されてしまったことにはさすがの綾雛も「頭に来た」らしい。実際、綾雛が怒りに任せ右手でテーブルを叩いていたなら、このテーブルは中央からひび割れるなりして損壊していたことだろう。
「それでは、プライベートとしてこの場に赴いてる棉柴さんに問います。一体、この事態をどうして欲しいんですか?」
 それは「仕切り直し」の言葉だった。同時に、棉柴の要求を綾雛が確認するための言葉でもある。
 棉柴の要求がない限りは綾雛としても行動を起こすことは出来ない。ここまで聞いてしまっておきながら、それでもなお棉柴が「費用対効果の算出をして欲しい」と宣うのなら、綾雛は立場的にもその見解を述べることしか出来ない。
 尤も、綾雛は「自律」で動くことを明言をしている。棉柴からの依頼がなくとも自分自身の判断を持って、新兵器の導入停止に向けて勝手に行動することはあるかも知れない。後から叱責、ないし、お咎めを受けると判っていてもだ。
 綾雛が棉柴の要求を確認しようとするのには棉柴本人が「どうしたいのか?」を聞く意図がある。
 棉柴は重苦しい顔付きだった。額に手をつき俯くと、口を真一文字に結び、険しい視線をテーブル中央へと向けた。
 そこに注視出来る様なものは何もない。即ち、棉柴はここにはない別の何かを見ているのだろう。
「可能ならば、欠陥の証明を頼みたい。欠陥に付け入る方法があることを理論的に立証して貰いたい。このまま新兵器の導入をすることは望ましくない。いや、停止させなければならない。そう、私は考えている」
 額にポツポツと浮かんだ汗を拭い、辿々しく言葉を切り出してしまえば、後は問題ではなかった。棉柴は自身の見解をはっきりとした口調で明言した。絡め取られていた様々な柵を棉柴は棉柴自身の手で吹っ切ってしまったのだろう。
「これで……、これで臨時の検討会議を開く必要が出来た形だね? 今のまま、導入計画を走らせることの危険性を説明する道筋も出来た。……私は可能な限り早急に臨時の検討会議を開会するつもりだ。もちろん、君らに参加して貰わなければ導入計画の停止に漕ぎ着けるのは難しいだろう。……頼めるかな、綾雛君?」
「判りました、お任せ下さい棉柴次長。正直なところ、欠陥の証明を論理的に立証するっていう方は一筋縄ではいかないと思います。でも、新兵器の導入停止の下地作りを含めて全勢力を注力させて頂きます」
 綾雛は胸を張ってそう明言をした。
 再度、湯澤がコーヒーを吹き出しそうになった辺りが二人の考えの相違を明確に現しただろうか。
 テーブルに隠れた下の、棉柴には見えない部分で湯澤は綾雛の足を手の甲で強く叩いた。音を立てない様に細心の注意を払ってだ。せめて、ひとまず「検討します」なりなんなりに「言葉を抑えろ」と要求したわけだったが、既に事態は「時遅し」である。綾雛の明言を取り消せる雰囲気など、既にどこにもないのだからだ。
 湯澤は頭を抱え込む様にして表情を歪めると、綾雛の暴走ぶりに嫌気が差した風だった。もしかすると、胃の辺りにキリキリと来る「締め付ける様な痛み」を感じていたかも知れない。
「綾雛君、私はここに……」
 改めて綾雛が「次長」と呼んだことに、棉柴は軽い注意を促しておこうと思ったのだろう。しかし、その言葉は強い意志の灯った綾雛の目によって遮られた。綾雛の表情は微笑だったが、棉柴は確かに綾雛のその目に気付いたことで言い淀んだのだった。
「いいえ、これで良いんですよ、棉柴次長。今のは次長として責任を負う立場にある、棉柴「一個人」による情報調査室調査員、綾雛伊久裡への正式な依頼だったんですから」
 棉柴は複雑な顔をして、自分を言い聞かせる様に小さく二度三度と頷いた。
 呼び方を変えたところで責任の所在が変わるなんてことはない。出来ることなら考えたくはないその事実を、少し考えれば当たり前のことだと判ってしまうそんな単純なことを、再確認していたのかも知れない。
「設計図を欲している連中が暗躍していると言っても彼らを説得するのは難しいだろう。例え、欠陥を付く方法があると説明をしても、実際にその証明が眼前で為されなければ彼らの重い腰を上げることは難しいかも知れない」
 綾雛は「ふむ」と思案顔を見せた後、ジャケットの上着からステッカーを取り出した。
「では、そんな棉柴次長に、私、綾雛からのプレゼントです」
 綾雛はパンッと指で弾く様にして棉柴へとステッカーを放る。棉柴に放ったステッカーにはナイトのものと同じく「破邪顕正」の文字が書かれている。ステッカーは綾雛の絶妙のコントロールを持って、棉柴のコーヒーカップの上に落ちた。
「破邪顕正とは誤った見解を打ち破り、正しい見解を打ち出すことです。さらに言えば、邪悪を打ち破り、正義を表すことです。棉柴次長がそれを為そうとする限りは私は私の持てる全ての知恵と力を持って棉柴次長をサポート致します」
「そうか、……彼らは誤っているか。そうか、はは、君から見れば当たり前のことなんだな」
 本当に楽しそうに笑い始めた棉柴の横で、一人、今後の事情について気が気でない人物がいた。
 それは言うまでもなく湯澤その人である。その表情は不機嫌というよりかは心底呆れ果てたという顔だ。
「導入の停止が決まったらあれですよ、棉柴次長。利権連中の顔面にそれを張り付けちゃってですね、正義の鉄拳でも一発二発と食らわせてやれば良いんですよ。もちろん、必要とあれば、私、綾雛、その時のサポートもさせて頂きますよ」
「良い、……本当に心地が良い。君を見て、君に感化されていると本当に何でも出来そうな気がする」
 妙に息の合い始めた綾雛と棉柴を交互に眺めながら、湯澤はこの時、……決意をしたとかしないとか。
 新兵器の導入停止の道筋が完全に確立した後、綾雛をその後の検討会議には出席させないことをだ。




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