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Seen04 DoubleBooking[前半]


 利賀根技工大東キャンパスに設置されたベンチに浅く腰を下ろし、綾雛は携帯を手に取った。
 家具の製作や設計に関する研究をしている著名な教授が大学設立当時に作ったもので、ずっと昔の人間工学に基づいて設計されたものながら、確かにそのベンチは絶妙の座り心地を演出していた。星の見えない闇の夜空を仰いで、綾雛はベンチに癒されるがまま、疲労が色濃く混じる大きな息を吐き出した。
 電話を掛けるべき相手は二人。それは言うまでもなく佐土原と湯澤である。
 気が進まない方からいうとそれは長刀絡みの佐土原で、手早く済ませてしまえる方は湯澤だ。急を要するものではないから、どちらを優先しなければならないと言うことはない。尤も、先になろうと後になろうと、時間的には数分から十数分の違いに過ぎないのだから、それも当然だろう。
 綾雛が意を決して掛けた番号は短縮登録された佐土原のものだった。
 もし、数回のコールで佐土原が電話に出なければ、夜が明けた早朝にでも、再度、掛け直すつもりだった。ホテルの番号を聞きはしたがチェックインを済ませたら、明日に備えていつもよりも早い消灯をすると思ったからだ。
 今回、佐土原が参加するディスカッションについては綾雛は何の情報も持ってはいない。しかし、それでも佐土原がそのディスカッションで壇上に立って論文を読み上げるなりすることは簡単に予測が出来る。そんな舞台を明日に控え、佐土原が夜更かしをするとは思えないわけである。しかし、コールが三度と鳴らないうちに佐土原は電話を取った。
 一瞬、綾雛は自分の耳を疑った様だった。しかし、呼び出しのコールが途切れたことを自分の耳で再確認すると、佐土原が口を開くよりも早く話し出していた。
「佐土原教授? 夜分遅くすいません」
「伊久裡……か? どうかしたのか?」
 佐土原の声の調子は至極ハッキリとしたものだった。
 少なくとも、これから眠りに就こうとする様な、倦怠感をそこから感じることは出来ない。
「今、移動中ですか? その、ちょい、話をする時間ありますか?」
「あぁ、構んぞ」
 佐土原の快諾とは裏腹にそれを要求した側の綾雛はと言えば、切り出し難いと言わないばかりの顔をしていた。
「その、……ちょっと問題が発生しまして」
 さらにはそこで言い淀む様に一度言葉を区切った。くっと唇を噛んで息を飲み、意を決すると綾雛は続ける。後に続けた内容は確かに綾雛に取って口にし難いものではあった。
「タングステンカーバイトの長刀を折られました」
 綾雛自身、意識はしていなかっただろうが確かにそれを口にした綾雛の声色は変化していた。そんな調子を前にして、佐土原が緊張を感じた空気が電話越しにもヒシヒシと伝わってきて、その当事者であるはずの綾雛も思わず息を飲む。
「……そうか。相手が何だったのかを今は聞かないが、……怪我はないんだな?」
 佐土原の自分を気遣う言葉に、綾雛は胸を張って答える。
「はい、もちろんですよ。加速のお陰で逃げ足だけは確かですからね」
 どこか戯ける調子で「怪我を負うわけないじゃないですか?」とでも、その大きな態度で綾雛は語る風だった。
 それは佐土原の真剣さに肩透かしを食わせるに足るものだった。一瞬、佐土原はその対応に困った様子で言葉に詰まった格好だったが、堪らず「はは」と笑い声を響かせてしまうと、電話越しにも解るほどの大きな安堵の息を吐き出した。
「ならいい。なら、……良かった」
 佐土原の緊張も上手い具合に解れた様だった。それら一連の結果は綾雛の戯けた調子が起因となった偶然の産物に過ぎない。しかし、そうやって佐土原がいつもの調子を取り戻してしまえば、後はトントン拍子にことが進むだけだった。
「それじゃあ、そうだな。……そのものズバリだ。用件を聞こう」
 佐土原は綾雛に率直な用件の確認を始める。
 ……先程までの戯けた調子は何処へやら。綾雛はくっと口を真一文字に結ぶと、すぐさま不必要の真剣味に囚われた。
「コンプレッサーだとかが並ぶ実験室を開けて貰って、工業機器の使用許諾を出して貰っても、長刀は私では修復出来ない状態にあります。しかも、折れて飛んでいった方を拾い忘れてきてしまって、そもそもタングステンカーバイトの材質そのものが足りない状況です。……派手に打ち負けましたから」
「儂はここで、明日、明後日の午前中とディスカッションで足止めを食うことになる。今日は今日で会場設営中の大講義堂でディスカッションの進行説明を聞かなきゃならん。資料の確認や提出などもしなければならないから、一旦、利賀根に戻ることもむ不可能だ。さすがにディスカッションを不参加で通すというわけにもいかないしの。……ディスカッション後に行われる懇親会をキャンセルし利賀根に戻るとしても、かなりの間が空くな」
 佐土原でなければ既にどうにもならない状況を説明した綾雛に、佐土原から返った言葉はその要求を叶えることが難しい旨を伝えるものだった。綾雛としてはそこをどうにか「無理を承知で……」という頼みごとなわけである。
 一つの僅かな静寂の間を挟んで、綾雛に対して問う佐土原の真剣な言葉が漏れた。
「そんなには待っていられない状況か?」
「あー……そうですね、佐土原教授。私の率直な本音を言わせて貰うと、……今すぐにでも代替品が欲しい状況です」
 曖昧な切り出しで答えを濁す風でありながら、言葉の終わりに明白な綾雛の本音が混ざった形だ。
 佐土原は綾雛が言葉にして口にはしなかったところの、その言わんとする「もの」を敏感に察したらしかった。綾雛の拘わる事件が解決していないことだとか、長刀をへし折った相手と、再度、戦わざるを得ない可能性があることなどをだ。
 佐土原は携帯越しにも解るほどの大きな息を吐くと、取り得ることの出来る最善策を綾雛に説明する。
「函深工業大学にもタングステンカーバイトの長刀を作り上げるための機器ぐらいは揃っているだろう。なければ、適当に代用も利くだろう。……こちらに揃っている機器の使用許可を貰って、こちらで代わりを作ってしまうのが上分別だろうな。しかし、それでも今からタングステンカーバイトの長刀一本を作るとなると結構な時間は掛かる」
 その最善策はまず間違いなく強行軍だ。佐土原は一度、そこで沈黙を挟んだ。佐土原自身、悩んでいるのだろう。一度やると言ってしまえば「出来なかった」では済まされない。雑多に転がる「どうでもいい」口約束ではない。
 綾雛はただただその後に続く佐土原の言葉を待つだけだった。「どうしろ」などと言える立場にはなかった。
「……良いだろう。明後日の夕刻、儂が利賀根に戻るまでに、長刀一本、用意して見せようじゃないか。ディスカッションの最中に居眠りすることがない程度には無理をするさな、……余り老いぼれの身体に鞭を打たせるものじゃないぞ」
 時間にしてしまえば数秒に過ぎない長い沈黙の後、佐土原はそう明言した。
「すいません、佐土原教授。恩に着ます」
 真顔の綾雛とは対照的に電話越しにカラカラと笑ってみせる佐土原はどこか楽しそうな雰囲気を持っていた。もしかすると、無理を承知で佐土原自身が快諾したことで技術者としての魂に火が付いたのかも知れなかった。
 佐土原との通話を終えると、綾雛は続け様に湯澤へと連絡を入れる。
 操作し慣れた湯澤の番号にコールを掛けるのには数秒の時間さえも要しない。……すぐに湯澤との回線は繋がった。
「あぁ、湯澤さん? 私なんだけど……」
 湯澤に対し、綾雛はまずナイトの襲撃についての詳細な説明をした。それと併せて、綾雛が湯澤に対し口にしたものは「棉柴に対する報告の必要性」だった。その必要性を訴える綾雛の胸の内には同時に一つの強い疑問があった。その疑問の解消は困難かも知れない。しかし「無茶をするのは自分ではない」と言う背景が背中を押して、綾雛は一つ決心をした。
 検討会議の情報が非公開だったのかどうかを綾雛は知らない。
 しかし、導入を検討している兵器に対し、その詳細な情報を欲している連中が存在することだけは確かである。
 綾雛は無理を承知で湯澤へ要求した。……要求したとは言葉が悪いだろうか、必死になって頼み込んだ。綾雛が湯澤へ頼だ要求とはそういった背景を盾にナイトに関する情報について海上保安庁の面々に探りを入れることだった。もちろん、叩かずに埃が出るならそれに越したことはない。つまりは「簡単に尻尾を掴めない様なら……」という姿勢なわけである。
 綾雛はどうしても納得出来ないわけだった。
 ナイトほどの能力があれば、新兵器の設計図を入手する手段など無数にあるはずだ。
 わざわざ綾雛に手渡された設計図を強奪するといったややこしくて手の掛かる方法など用いる必要などないわけである。……にも拘わらず、棉柴から手渡された綾雛の設計図をナイトが狙ったのには何か理由があるはずだと綾雛は思ったわけだった。まして、棉柴が綾雛に費用対効果の算出依頼をし、設計図を渡す確証などナイトの側にはなかったはずなのだ。
 もし、棉柴が初めから綾雛にそれを依頼することが前もって決まっていたというのなら、綾雛の中で「人の良い初老のおじいさん」という印象の棉柴はかなりの食えない人物と言うことになる。そして、もしもそれが現実のものならば、検討会議への侵入者が自作自演の可能性も浮上するわけだ。
 ……さすがにそこまで一足飛びの仮定を綾雛が湯澤へと口にすることはなかった。
 しかし、海上保安庁はナイトそのものの存在を把握していなくとも「ナイトが属する設計図を欲する組織については何か情報を握っているはずだ」というのが、そこに至った綾雛の推察だった。少なくとも、ナイトの属する組織は海上保安庁の動きを追跡していたはずだと推測出来るのだ。なぜなら、新兵器の設計図という情報を持っていたのだからである。
 それらは全て綾雛の想像の域を出ないものながら、どうしても、綾雛が湯澤に探って貰いたいことだった。
 実際に綾雛がビジネスホテルへと戻って湯澤と会ったのは既に日を跨いでかなりの時間が経過した後だった。背景には「用心するに越したことはない」と考えて、複雑な移動ルートを経由してビジネスホテルへ向かったという経緯もあった。
 湯澤と綾雛が今夜から宿泊する予定のビジネスホテルはヘリポートを持つ高層ビルに隣接して存在する一際細長いビルに入居している。隣接とは言ったが長さという点を言うと、ずっとビジネスホテルの方が低い格好だ。液晶テレビにテーブル、ベットと最低限の装備を揃えた一人部屋を一つの階に六つ持ち、一階にはフロントと大浴場のある簡素な作りだ。
 どうやら、この大浴場を持つというのが湯澤のお気に入りの理由らしい。尤も、大浴場と言っても五人も同時に入れば一杯になってしまう程度の湯船である。それでも、湯を張った湯船に身体を浸し、疲労が和らぐその心地良い感覚を「なくてもいいもの」と切って捨てるつもりになれないのも確かだった。湯澤の贔屓の気持ちも解らないではない。
「棉柴銀一次長と連絡を付けた。大男に書類のことで襲撃を受けた点について、お前と直接会って話したいと言われた。面会予定日は二日後、時間の方は棉柴次長が丸々一日を空けてくれると言っている。……それもわざわざ次長の方から利賀根まで出向いてくれるらしい」
 ビジネスホテルに戻った綾雛に湯澤が向けた第一声はそんな内容だった。
 綾雛は予想だにしていなかった事態にキョトンとした顔をした。まさか「実際に会って話したい」と、そう言われるとは思っていなかったのだ。ポリポリと頬を掻いて対応に困る綾雛の様子を気に掛けることもなく、湯澤は言葉を続ける。
「お前との面会はあくまで棉柴一個人としてのものだそうだ。海保の中央機構に在籍する次長としての公式的なものではなく……な。だから、護衛の様な物々しいものを用意する必要はないし、面会場所についても畏まった場所ではなく軽食を楽しめるオープンな場所が良いと言ってきた」
 湯澤の口調は探りを入れるまでもなく、棉柴からその要求を受けたことを示唆していた。叩くまでもなかったというわけである。恐らくはナイトの話に触れた辺りで、既に棉柴から「実際に会って話したい」と言われたのだろう。
「つまり、棉柴さんが言いたいことはプライベートでの約束にしたいってことなわけか。……それは上に報告とかされると困るってことなのかな?」
「棉柴次長が何を考えて言ったものか、正直なところ、それは僕にも判らない。こちらが公式的に検討会議に参加している以上、ある程度の報告は上げなきゃならないわけだが、さて……どうしたものかな」
 首を捻る湯澤同様に、綾雛も自分の髪をクルクルと指先で弄りながらその事態に悩む風だった。ただ、その深刻の度合いは綾雛の方が、見た目に数段軽いだろうか。尤も、綾雛と湯澤のその「悩み」の内容は異なる別の二つのものである。
 眉間に皺を寄せる様にして思案顔を見せると、一度「うーむ」と唸った後、綾雛は湯澤へ確認する。
「それで、……二日後って言うのはやっぱり、今日の明日ってことではないよね?」
 一瞬、湯澤は綾雛が「何を言っているのか」理解に苦しんだ様だった。湯澤は「何を当たり前のことを言っているんだ?」とでも思ったのだろう。そして、特別深く考えることもなく聞き返した格好だ。
「……あぁ、そうだな。指定の日付は明後日だ。何か、……問題があるのか?」
「いやぁ、まさか指定の日が重なっちゃうとは夢にも思わなかったからね」
 ばつが悪そうに切り出した綾雛に、湯澤は心底怪訝な表情をして問い返した。
「指定の日?」


「湯澤さん。今日、明日と何を企てるにしろ猶予が生まれたわけだけど、何かすることはある?」
「お前と違って僕の方は色々と山積みだ。そのナイトとか言う大男を誘い出すために偽情報をあちこちにばらまいてみるつもりだし、棉柴次長と面会する場所や移動ルートなどを事前に確認しておきたい。必要なら護衛に人員を派遣して貰って……と言いたいところだが、棉柴次長の要求がある以上はそうもいかないからな」
 猶予の初日に交わしたそんなやり取り通り、基本的に湯澤はビジネスホテルの部屋に籠もりっきりになってノートパソコンと格闘をする日々を送った。棉柴を案内するコースの選択や面会場所の下見に、綾雛と共に部屋を出たぐらいである。一日三食の食事も綾雛がコンビニに出来合のものを買い出しに行き、近隣の飲食店へと食事に行く様なこともしなかった。
 綾雛は綾雛でへし折れた長刀の残りの部分を回収しに昼間の工場区画へと赴いたりもしたのだが、そこで目的のものを見つけることは出来なかった。その代わりというのもおかしな話なのだが、工場区画で綾雛は放電によって一際赤黒く焼け焦げ変色した土を踏み締めた。その痕跡だけがこの場所でナイトと争った形跡を残していただけでナイトの関係者と思しき連中が姿を現すこともなく、綾雛は昼間の時間帯で相応の人通りがあるその場所を後にした格好だった。
 二日の猶予は、気付けばあっという間に過ぎてしまった。
 期間中、特に問題が発生しなかったというのは外出を控えたからだけではないだろう。
 棉柴に報告を入れている以上、海上保安庁の方に襲撃などの問題が発生すれば相応の連絡もあるはずだ。
 湯澤が投下した偽情報の件にしても、そう。ナイトに限らず、食い付くものがあれば動くことになったはずなのだ。
 二日の猶予、利賀根という街は何の問題が発生するでもない平穏を過ごした格好だった。
「……駄目だな」
 ボソリと湯澤が呟いた言葉に、綾雛は目を落としていた書籍から顔を上げた。
 綾雛は綾雛でこの二日間、手持ち無沙汰な時間の全てを新兵器導入に関する費用対効果の算出に当てていた。ナイトの話は別にして、棉柴にそれを依頼されたことは事実なのだ。元々、こういったことが嫌いじゃないと言うこともあって、綾雛に取っては割と充実した時間だったといっても過言ではないのだろう。
 綾雛は書籍に栞を挟むと、それを「パタン」と閉じる。そして、腰を下ろすベットから立ち上がると、ノートの液晶画面を湯澤の背後から覗き込んだ。時刻の確認をすると、湯澤が定めた偽情報のタイムリミットが来た格好だった。
 湯澤は綾雛へと顔を向けることなく、袋小路に迷い込んだ現状の説明を始める。
「偽情報を流し続けていたわけだが、正直なところ食い付きは悪い。仕掛けた罠に食い付いてきた中にお前のいう「ナイト」の特徴に見合った大男もいなかった。もちろん、僕が利賀根の事情に精通していないと言うのもある。でもな、もしかすると、相手はこちらの動きを追跡出来る様な大掛かりな連中じゃないかも知れない」
 綾雛は判った様な顔をして「ふむ」と相槌を打った。確かに「ナイト」が情報を云々言うタイプではないことを思い浮かべた格好だった。しかし、そうなると、やはりナイト以外に情報を探る別の仲間がいないと辻褄が合わないことになる。ナイトの属する組織が広範囲に情報を集められない組織であればあるほど、綾雛を狙う理由がぼやけるからだ。
 何よりも、海上保安庁そのものを狙えない理由でもない限り、ナイトが設計図の情報を持つだろう棉柴や他の次長を狙わない理由の説明が付かない。
 ……ナイトが属する組織は海上保安庁そのものには手を出すことが出来ない?
「でも、それだったらどうして、私が棉柴さんから設計図を手渡されたことを知っていたと思う?」
「検討会議以前から重点を置いて海保の動きをチェックする体勢を整えていたと言うなら、それも説明出来ないわけじゃない。尤も、その考え方をすると「お前が設計図を受け取った」という情報をそいつらは偶然知ったという説明になるわけだけどな。ただ、その場合にはこっちが流した情報に食い付かないのにもある程度の合点はいくことになる」
 綾雛は思案顔で、正答の判らない謎解きをしていた。尤も、綾雛にしても本気でその答えを見つけようとしているわけではない。いくつか答えとしての可能性が高いものを選び出し、そこから生まれる様々な危険を前もって念頭に置いておこうとするわけだ。
 それは「予想だにしない一撃以上に怖いものはない」という綾雛の考え方に基づいたものだ。
 特に、臨機応変の対応で対処が利かない様な事態を綾雛は何よりも危険視する傾向が強い。
「それはお相手さんが海上保安庁の動きだけしか、確認出来る状態にないってこと?」
「……判らない。まぁ、何にせよ、勝負が明日に持ち越されるのはもう確定した様なものだ」
 延々と続きかねない綾雛の疑問を湯澤はそこで打ち切った。
 湯澤自身、将棋やチェスの様に展開の先読みをして、いくつもの可能性に対処法を予め用意する綾雛の構えを悪いというつもりはなかった。しかし、それも度が過ぎると問題なのだ。実際には盤上の駒を読むように現実は進行しない。
 湯澤は備え付けのリクライニングチェアに、一度、もたれ掛かる様にして伸びをする。ノートパソコンの液晶画面を見続けていたのだから、綾雛のものとは違った疲労があるのだろう。
「冷蔵庫にさっき適当に選別して買ってきたジュースが入ってるから、一息入れたらいいよ」
「あぁ、そうさせて貰うかな」
 湯澤は冷蔵庫の方を向くと、足下に置くアタッシュケースを片手に立ち上がった。
 綾雛は「うん?」と不思議そうな顔をして、アタッシュケースを見た。それは確かに、ついさっきまでそこに存在していなかったはずのものだった。尤も、ついさっきとは言ったものの、前回、綾雛が湯澤の様子を確認したのは二時間以上前のことだ。費用対効果の算出に集中していた綾雛が気付かないうちに、湯澤が一度部屋を出た可能性も十分に考えられる。
 湯澤は無造作にアタッシュケースの留め具を外すとバラバラと音を立てて、その中身をテーブルの上へと放った。その中身とは銃のマガジンである。綾雛は目を丸くし首を傾げて「何、これ?」と、その挙動で湯澤へ問い掛けた。
「おいおい、お前のスコーピオンにカスタムされた拡張マガジンだろ? タングステンカーバイトの長刀がないんだ。……装填弾数45発の拡張マガジンのストックがないとお話にならないだろ」
 湯澤は「当然だろ?」と、そう言わないばかりの態度で説明をする。「お話にならない」と言われたことに、不服の顔付きをして見せるも、綾雛が口に出して反論することはなかった。
 右手の腕力や握力が常人のものを凌駕するにも拘わらず、綾雛は義足による重心のズレの関係から格闘を不得手とする。それを長刀で補い、また長刀があるからこそ高い戦闘能力を発揮する綾雛には、現在、近接戦闘の手段はないとさえ言えるのだ。そう、綾雛の放電にしろ加速にしろ、長刀があってこそ活きる能力とさえ言っていい。
「ホルスターに収納出来ない分はジャケットの内ポケットにでも忍ばせておけ」
 湯澤は上着の収納スペースの中からハンガーに掛けられた綾雛のジャケットを手に取ると、それを丸める様にして綾雛へと放り投げる。そのまま腕時計に視線を落とした湯澤の挙動は「用意を調えたら仮眠を取るぞ」と言ってるかの様だった。「明日の朝には利賀根入りする」と連絡してきた棉柴を出迎えるため、今夜は早い時間に眠りに就く必要があるのだ。
 綾雛は拡張マガジンをその手に持つと、そこに複数もの複雑な感情を含んだ瞳を落とした。すっと拡張マガジンから顔を上げると、綾雛は終了処理を施さない状態のままノートパソコンを畳む湯澤へその目を向ける。
「ねぇ、湯澤さん? やっぱり、射撃能力を鍛えてハンドガンを使った方が良いのかな?」
 神妙な顔で湯澤に問う綾雛の言葉は力無いものだった。
 それが「冗談」や「雑談」の雰囲気を持っていないから、湯澤も畏まって助言をする態度になる。真顔の湯澤は綾雛に向けるべき言葉を一つ一つ選ぶつもりだったのだろうが、実際に口に出た言葉は雑感の様な大雑把なものになっていた。
「お前の右腕の性能を余すところなく発揮しようと思えば、……そうだろうな。命中精度さえ鍛えて置けば、その腕は大口径のハンドガンを自由気ままにぶっ放せるだけの性能を持っている。口径にもよるが対衝撃、対弾丸用途の衝撃吸収素材製品が相手でもスコーピオンよりかは戦えるだろう。ただ、……何だ、それを言ってしまえば、レールガンでも持ち運んでぶっ放す方がお前らしいんじゃないのか?」
 湯澤が言葉の最後に口にしたレールガンとは冗談以外の何物でもなかった。
 簡単に言えば、レールガンとは膨大な電力を用いて物体を超音速で撃ち放つシステムである。弾丸となる物体に送る電力量によって初速度をコントロールする、構造としては単純な仕組みで、威力の調整も困難ではない。
 現行のものは一昔前に理論上必要と考えられていた長い砲身を必要としないとはいえ、それを持ち運ぶなど到底無理がある話だった。既に兵器として実用化されてはいるものの、それを持ち運ぶと言うことを考えると、膨大な電力消費を補うための巨大な蓄電器を必要とすることがネックなのだ。
 問題点は他にもあるが、基本的に現行のレールガンは対人殺傷兵器に「向いている」とは言えないものなのだ。
 それはレールガンの弾丸を射出する仕組みにしてもそうである。マシンガンの様に広範囲の目標に対してダメージを与えるというよりかは貫通能力に優れ、戦車の装甲などを撃ち抜き撃破するのに向いていると言えるだろう。
 尤も、では、それを対人兵器に応用出来ないのかと言えば、その答えは「いいえ」である。例えば、撃ち放つ弾丸の絶縁体処理に手を加え、さらに弾丸となる物質の融点を上手く調整して、人に直撃する際に破裂し飛散する様なものを選択すれば、十分に対人殺傷兵器としての利用は可能であるのだ。
 湯澤の言った「右腕の性能を余すことなく発揮する」とはそう言うことかと、綾雛は呆れ顔をする。つまりは綾雛が持つ切り札の放電を「それに応用出来るんじゃないのか?」と冗談めかしていったわけだ。
「湯澤さん、あのね、私は本気で……」
「怒るな。威力重視に徹すればそうなると言う極端な話をしただけだ」
 ムッとした顔で切り返す綾雛の言葉を遮って、湯澤は冷静に言い放った。
「スコーピオンの携帯性は何より、流体力学の教授さんと佐土原教授の設計によるそのサイレンサーの消音能力、そこに装填弾数をカバーする拡張マガジンと来て、今のお前がこなす仕事の上で必要とされるサブウェポンに、それ以上の何を求める必要がある? ……尤も、こと装填弾数に関して言えば焼け石に水の感も否めないがな」
 必要性を確認する湯澤の言葉に綾雛は反論を見せなかった。
 尤も、綾雛は「でも」と言葉を返し兼ねない表情をしていた。そこには「食い下がるつもりはない」と言った類の表情がある。だから、綾雛が反論しなかったのは「必要性」に対する綾雛自身の見解が固まらなかったからだろう。
 確かに、その威力重視の綾雛の思考は衝撃吸収素材製品に対処することを第一に考えたから故に出た言葉だと言えた。
 あくまで綾雛の「CZE Vz83」は補助として使うことを目的とするサブウェポンだ。湯澤の言う様に、それを威力重視のハンドガンに変えることは必ずしもメリットとは言えない。いや、綾雛がそうすることはデメリットの方が多いといってしまうことさえ過言ではないかも知れない。
 綾雛の右腕は射撃や裁縫と言った器用さを要求される作業を行う場合に、細かな精度を欠く傾向が強い。右手を移植し使い始めた頃と比較すれば、ずっとずっと改善されてはいる。しかし、失った元の右腕と同じように「扱う」にはまだまだ程遠いレベルなのだ。
「脳の中で、移植した右腕を扱う神経の命令系統がまた完全には確立されていない」
 佐土原と共に右腕の移植に携わった教授はそんな表現をしていたのを綾雛は覚えている。
 確かに、大口径ハンドガンの反動を気にも留めずに押し殺すことは可能だろう。しかし、現在の綾雛ではその命中率が惨憺たるものになる可能性は否めない。ナイトの時の様な状況ならばともかく、もっともっと無数の標的が四方八方に移動スペースのある様な広大な場所で、自由気ままに相手が動き回る場合の命中精度は目も当てられない結果になるはずだ。
 確かに「CZE Vz83」はナイトを相手に牽制の役目を果たせなかった。それは確かに事実だ。しかし、それがタングステンカーバイトの長刀をへし折られる直接的な原因となったわけではない。まして、ナイトの側は長刀による攻撃だけで遠距離攻撃を可能とする武器を使ってはいないのだ。
「大体、そのスコーピオンだって技工大の技術を駆使した様なものなんじゃないのか? あの佐土原教授が解体して一から部品をリメイクしたものがただの超高精度化ってのは考えられない話だぞ?」
 剣戟でナイトに負けたのはあくまで綾雛自身が内包する問題から故だと理解した。いや、そんなことはとっくの昔に綾雛自身理解していたことだ。ただ、綾雛は湯澤の言葉でそれを嫌と言うほど改めて実感した格好だった。
 あの時、もっと攻撃力のあるハンドガンを持っていたら……だとかいう思考はただの甘えでしかない。「CZE Vz83」は消音能力と精度が極限まで高められた携帯性のある、綾雛が綾雛の仕事をこなす上で適した銃である。そう、射撃に置いて細かな精度を欠く右腕の欠点を埋めるべく選ばれたサブマシンガンである。威力重視の話にレールガンを持ってきた湯澤の表現は「案外、的確なものなのかも知れない」とさえ、綾雛は受け止めることが出来た格好だった。
 湯澤は「ふぅぅぅ」と息を吐き出し間を置くと、神妙な顔付きをする綾雛に向けて話題を切り替えた格好だった。
「明日は途中から別行動になる。長刀のことでお前は明日の夕刻には利賀根に戻ってくる佐土原教授に会う必要があるだろ。僕が棉柴次長を内宮原(うちみやはら)のJR駅まで護衛を兼ねて送ってゆく。……別行動に移るまでは予定通りだ」
 そうやって気を遣った湯澤に、綾雛はニィと意地の悪い笑みを見せて言った。
「湯澤さん、一つ腹割って話そうか? 実際、……どう思う?」
「ハッキリ言ってくれ。「どう思う?」とは一体、僕に何を聞いている?」
 湯澤にはその曖昧な綾雛の問い掛けに対し思い当たる節がいくつかある。
 ついさっきまで神妙な顔をして綾雛が離していたハンドガン云々のこと、明日の棉柴のこと……などなどだ。
 綾雛は「あぁ、そっか」と合点のいった顔で、そんな湯澤の疑問を理解した様だ。改めて、問い直す。
「何かこう、怪しい匂いがしてこない? 明日、わざわざ棉柴さんが出向いてくれるって辺りもそうだし……」
「まぁ、それをただの邪推と切って捨てるつもりにはなれない。……僕も何となくそんな感じがする」
 湯澤は苦笑いの表情で綾雛の言葉が言下のうちに切り出した。
 今その議論が意味を持たないことを湯澤は言いたいのだろう。
 何を言っても推測の域を出ない上に、お互いこの二日間で嫌と言うほど様々なパターンを考えさせられた格好だ。
「何にせよ、明日は長い一日になりそうだな」
 まだ色々と尾を引いている雰囲気を残しながらではあったが、綾雛の思考は既に明日のことに向いたのだろう。




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