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Seen02 Knight[ナイト]


 利賀根の街は夕闇の薄暗さに包まれ、街灯の人工的な白色がポツポツと灯り始めた頃だった。夕食の時間というにはまだいくらか早かったのだが、綾雛は湯澤を連れて利賀根のビル街まで出て来た格好だ。
 ビル街とは言っても、この下篠園(しもしのぞの)の区画はポツンポツンと高層ビルが立地する以外は数階止まりの雑居ビルが建ち並んでいるだけの場所だ。
 櫨馬(はぜま)や函深(はこみ)の都心に見る様な、本格的な高層ビル群街とはまた違った光景と言っていいだろう。
 また、ここには下篠園覆道などの特殊な名称で親しまれるデパート顔負けの地下アーケードもあり、高層ビルの最上層には小洒落た飲食店が多く入居している場所でもある。そう言った面を含めて、やはり同規模の都市に見る様な高層ビル街とは一風違った雰囲気を持っていると言って良いだろうか。
 利賀根は元々、所々起伏のある土地で、その起伏のある土地を平坦にし下篠園ビル街の土台を作った際の副産物が下篠園覆道という話である。大地を掘り起こし大量の土を運んでいってその起伏を平坦に整えたわけだが、そこには同時に利賀根で尤も等高線の低い低地が出来、そこに寄り集まる様に商店街が出来、これが下篠園覆道の先駆けとなったわけだ。
 下篠園覆道は覆道という本来の意味合いからいうと正しい使い方ではない。けれど、商店街が層をなして階層を増やし、それならばいっそのこと「上の高台と同じ高さに屋根部を調整してアスファルトで囲ってしまおう」と言う計画が生まれ、各階層に支柱などの補強が為されたことが始まりだった。珍しさが人を呼び活況が生まれ、高台と低地を繋ぐ階層型の商店街が生まれたわけである。そして、地下街の低地へ続く出口の箇所に私鉄駅が作られ、全体的な構造として覆われている様に見えるため覆道と呼ばれるようになったのである。覆道の呼び名が定着したのは私鉄駅が出来てからなのである。
 今でこそ覆道の上には交通量の多い幹線道などが走り、利賀根の発展と共にビル街が進出してきて無数の建造物が存在しているが、昔はこの覆道の屋根部にあたる場所には小さな博物館がポツンと存在していただけだった。
 覆道から線路を挟んだ向こう側には住宅街が広がり、利賀根にある私鉄駅の中で下篠園駅は群を抜いて利用客が多い駅の一つになっただろう。覆道の観光地化と利用客の増加に伴い、下篠園は活気のある場所の代名詞となったのだ。
 そんな下篠園覆道の屋根部に立地する十数階建ての高層ビルへと綾雛は湯澤を連れてやってきた。最上層には複数の飲食店が店を構えるこの高層ビルは深夜の時間になっても電飾の明かりが消えることがない。落ち着いた大人の雰囲気を持つ店から、若者が飲んで騒ぐタイプの居酒屋の様な店まで、ここには様々な種類の飲食店が存在する。
 そんな飲食店の中で綾雛が湯澤に紹介した店は眼下に雑居ビル群が展望出来るイタ飯屋だった。
 店に入ると案内の店員に促されるまま窓際の椅子の席へと座り、綾雛は白布にくるまれたタングステンカーバイトの長刀をレンガ模様の壁へと立て掛けた。途中、店員が綾雛に対して長刀を指し「こちらで預かりましょうか?」と尋ねたのだが、綾雛はそれをやんわりと断った。その綾雛の受け答えも、もう慣れたものである。少なくとも「失礼ですが、そちらの品は何でしょうか?」と尋ねられて戸惑っていた頃の綾雛はもういない。
 洒落た格好をした店員がテーブルの上へとメニューを置き、水の入ったコップを置き、去り際に一礼をする。
 テーブルの上には真っ白のレースのテーブルクロスが敷かれていて、湯澤の印象として悪くはない店だった。
「そうそう、忘れないうちにここで技工大でのことを一言忠告しておくけど、あれは駄目だよ、湯澤さん。佐土原教授っていうのは根っからの技術オタクなんだから、あそこで義足の説明なんかさせたら、もう一時間でも二時間でも喜んで技術について掘り下げた話をするんだよ?」
 今、思い出したと言わないばかりに綾雛が口を開いたのは湯澤がメニューに手を伸ばした矢先のことだった。
 綾雛の佐土原を評した言葉に、湯澤は「お前もだろ?」とツッコミを入れ掛ける。
 根っからの技術オタクとは綾雛にも十二分に当てはめることの出来る言葉である。
「いや、うん、……そうか、済まないな。途中でそんな気もしたんだが、お前の扱い方について少しでも理解を深めておこうと思ったんだよ。……まだ暫くはオペレータ兼の仕事をしなきゃならないみたいだからな」
 しかし、そこは喉元まで出掛かった言葉をググッと堪え、湯澤は神妙な顔をして頷いたのだった。実際、あそこで綾雛の助けが入らなければ、確かに長々と佐土原の説明が続いただろう雰囲気が感じられたからだ。
 そんな湯澤の対応を見て、綾雛は「ふむ」と合点のいった顔をする。
「ここは湯澤さんが奢りで持ってくれるんだよね?」
 ズイッと身を乗り出す様にして言った綾雛の言葉に湯澤は顔を顰めた。佐土原のことで救われたとは言っても、それとこれではまた別の話である。少なくとも、湯澤にはそのことで綾雛に一つ借りを作ったという意識はなかった。
「馬鹿を言え。一仕事終えた後だと言うならいざ知れず、どうして特別でもない一夕食の面倒を僕が持たなきゃならない? ……大体ここはお前の薦めで来た店なんだぞ?」
 そう、ここを頻りに勧めたのは綾雛である。「値段もリーズナブルで……」と事前に綾雛が説明した様に、確かにメニューに並ぶ値段も「高い」と感じさせる様なレベルではなかった。窓から見える眺めが格別良いとは言えないが、静かなジャズの鳴る落ち着いた雰囲気のイタ飯屋は食事を「楽しめる」店だろう。
「それはあれだ、メンテナンスに臨んだ私を労う意味を込め……」
「馬鹿を言え」
 自信満々と言う風に切り出す綾雛の言葉が言下のうちに、再度、湯澤はピシャリと言い放った。綾雛の期待に添うつもりがない意志を、明確に示し出したわけだ。大体が定期的に行う必要のあるメンテナンスを労うと言った綾雛の言葉は理不尽以外の何物でもない。
 湯澤の態度に綾雛はさも「面白くない」と言う風に頬を膨らませた。しかし、そんな表情もすぐに悪戯っ子のするそれに切り替わる。まるで「そう言うことを言うんだったら、こちらにも考えがある」と言わないばかりだった。
「それに湯澤さんだって、今日は良いもの見れたんじゃない?」
 頭上にハテナマークを浮かべた物怪顔で湯澤は綾雛を見返した。湯澤に思い当たる節がないからそれは当然だろう。
 しかし、そこに対する綾雛はついさっきのものよりもさらに意地の悪い笑みをして言う。
「湯澤さん、真っ赤になりながら私の下着姿を凝視してた」
 湯澤は驚きから目を剥いて綾雛を見る。心拍数が跳ね上がったことは言うまでもないだろうか。
 咄嗟に後退ろうとしてしまってガタッと椅子を鳴らしてしまえば、湯澤は完全に動揺を綾雛に知られた格好だ。
「凝視なんかしていない! 大体あれはお前がッ!」
 無意識のうちに切り返してしまっていたが、それがただの自己弁護にしかなりえないことを湯澤は嫌というほど理解した。ハッとなって途中で言葉を飲み込み、飲食店で声を荒げたことに湯澤は酷い自己嫌悪を覚えた。
「おっと、ムキになっちゃって。もしかして湯澤さん、……図星だったり? 嫌だなー、言ってくれれば、上も下着姿ぐらいにはなったのに」
 そこに綾雛が追撃の言葉を向け、湯澤は完全に反論するに出来ない状況に追いやられた。
 無理に反論をすれば、綾雛の言う様にムキになって逆にそれを肯定している様なものである。
「クソッ!」
 立てて加えて、ジャズの流れるこの雰囲気が言い争いの場として相応しくないと理解してしえば、舌打ち一つ湯澤は押し黙るしかなかった。そんな様子を「クスクス」と上品ぶって笑う綾雛の様子に湯澤の表情は自然と膨れっ面に変わった。
 イタ飯屋の店員が注文の確認に来たのは、……まさにそんな矢先のことだった。
 傍目から見ていると痴話喧嘩にでも見えるのだろうか、店員がそれを止めに入ろうと近付いてきた風はない。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
 洒落た格好の店員の確認に、綾雛は「どうする?」と小首を傾げて湯澤へ注文の確認をする。
「適当にお前の薦めで見繕ってくれ」
 まだ、横を向いた状態のまま「気分を害した」と言う態度を取る湯澤はぶっきらぼうに答えた。気分を害した云々と言うよりも、湯澤は綾雛とのやり取りを店員に見られた気恥ずかしさを感じている状態にあってメニューをどうのと言える状態ではなかったのだ。
「それじゃあ、湯澤さんには一味違うパスタとピザを堪能して貰おうかな」
 常連とまでは行かないのだろうが、利賀根技工大時代も含め綾雛は相応にこの店へと足を運んでいるのだろう。「これとこれと……」と言った具合に手早く注文を済ませてしまった。
「畏まりました」
 そう言って店員がメニューを下げて行き、後にはどちらが雑談を仕掛けるでもない雰囲気だけが漂っていた。ついさっきまでの言い争い寸前めいた雰囲気に水を差されたことがその主たる原因だろう。手持ち無沙汰と言わないばかり、湯澤は店内を流れるジャズに耳を傾ける。
 どうやら店内を流れるジャズはピアノの即興が売りの弾き手の様で、落ち着いた雰囲気の中にいくつものユーモアを鏤めていた。一人身勝手に即興が前面に出るではなく、他のメンバーがそれに併せて強弱を付けることで一つにまとまる聴き応えのあるジャズだ。
 湯澤が外の景色に目を向けながらジャズを堪能する横で、対する綾雛は鞄の中から一つの封筒を取り出したところだった。それを目に留めた湯澤は何の気なしに綾雛へと問い掛ける。
「その封筒は例の、海保絡みの奴か?」
「んー、そう。新兵器導入に関して君なりの評価を下してみて欲しいって海上保安庁の人に頼まれてね。詳細な計画書とか見積書のコピーとかを手渡されたわけ」
 封筒から書類を取り出し、それに目を落とす綾雛は意識の半分を向けて話していると判る口調で切り返した。
「あ! そう言えば、名刺貰ったっけかな、……確か」
 一つ頓狂な声を上げ、綾雛はこのイタ飯屋に来て二度目となる「今、思い出した」と言う顔をする。そして、ジャケットのポケットをゴソゴソと漁ると検討会議の場で渡されたのだろう名刺を数枚取り出した。その名刺を一枚一枚確認し目的のものを見つけ出すと、綾雛はそれをテーブルの上へと放った。
「えーと、これだ。棉柴銀一(わたしばぎんいち)、海上保安庁の次長さんだね」
「棉柴と言うと、中央機構にいる痩躯中背、白髪のじいさんだな。ビシッと海保の制服を着こなして上座にいたはずだ」
 恐らく、湯澤は検討会議の場を「絵にして描け」と言われれば、描き説明出来るのだろう。頬杖を付いてテーブルの上の名刺を眺めながら、湯澤は棉柴の特徴について詳細に述べてみせた。トントンとテーブルを利き手の人差し指と中指で叩く湯澤の動作がその場面を思い出していることを証明する格好だ。それが記憶を手繰る場合の湯澤の癖である。
「さすが初対面の時に記憶力自慢をした湯澤さんだ、あの場に居並んでた面々の名前と顔、全部一致するとか?」
「それはもういい。……まぁ、人の顔と名前を覚えるのは当然のことなんだがな」
 何かにつけて綾雛に「記憶力自慢」云々を言われる湯澤は後悔を隠そうともしない疲れた顔をして言った。
「……と言うか、それなら佐土原教授の意見も聞いてみた方が良かったんじゃないのか?」
「いや、佐土原教授は専門分野が違うから、あまり役には立たないと思うよ。金銭的なことを度外視した本当の意味での技術オタクだからね。私が言うのもあれだけど、技術をある程度維持した状態で大量生産することを考えた時の適正な金額の算出だとか、そう言う経営・商業的な面は佐土原教授の知識の及ぶ所じゃないわけ」
 再度、佐土原についての客観的な認識を話した綾雛の言葉に湯澤はただただ頷くしかなかった。ただ、冷徹な目というか、評価をバサリと言って退ける辺りが技術者の視点という奴なのかも知れない。
「新兵器ってのはね、……何でも、陸地・海上のどちらにも設置可能な管制システムからの座標軸指定だとかそう言う高度な設定も絡められるらしくて、予算的にもかなり大規模な防衛計画みたいなんだよ。上に浮いてる静止衛星との連携も可能らしくて、海上での移動標的追尾機能は理論上ミサイルの推進力がゼロになるまで可能で、さらに追尾の精密度は現行のものとは桁違いの能力を持ってる」
「その分、金額も跳ね上がる、……と言ったところか?」
 この手のものは技術的に優れたものであればあるほど、高価なものと相場が決まっている。だからこそ、導入に関して「適正な評価をして貰いたい」という切実な要請も来ると言うわけだ。
 しかし、湯澤の問いに綾雛は「それは仕方がない」と微苦笑を見せた。そして、それでもなお新規にシステムを導入するメリットについて語ってみせる。最先端技術の導入こそが「素晴らしい選択」と、一足飛びに安易な結論に至らない辺りが綾雛の良いところである。技術屋一辺倒でない場合場合に併せた判断力を持っているといっても良いのだろうか。
「まぁ現行の防衛システムがかなり前の世代のものらしいからね、それも仕方ないよ。でも、旧来のものから抜本的に新兵器へと切り替えようって考え自体は正しい判断だよ。私も賛同出来る。現行品を整備し直そうだとか、そう言うことを模索する方が金額的にも跳ね上がるだろうし、今回に関して言えば、いつまでも旧製品にしがみつく理由もないわけだよ」
 言うが早いか、綾雛は封筒の中身をテーブルクロス上にぶちまけた。暇な待ち時間を有用に使って、大雑把な全体像を把握してしまおうとでも考えたのだろうが、その書類の中に思い掛けないものを発見してしまって綾雛は引きつった笑いを見せた。その書類の中に何でもない風に入っていたものは精密なミサイルの構造を図解した四つ折りの書類である。
 捉えようによっては、それは配備や設置に関する金銭的な評価だけではなくて「製造コスト的な問題を含めた全体としての導入計画の評価を下して貰いたい」と言われているに等しい。よくよく書類の山を漁ってみれば、そこにはミサイルに搭載する電子チップや制御システムに関する詳細な設計図までもが発見出来た。
「ご丁寧に設計図のコピーまで封筒に入れてくれたんだ、……棉柴さん」
 言えば、機密にも匹敵するそれらの情報を綾雛に手渡したと言うことはそれだけ棉柴が信頼を置くに値すると綾雛を評価したに等しい。それは確かに綾雛に取って、名誉なことであり、喜ばしいことである。しかしながら、同時に「半端な気持ちではその評価を結論づけられない」という強いプレッシャーに成り得ることも確かだった。
 そんな綾雛の苦笑いをからかう様に湯澤は言った。
 本心で綾雛がそれを嫌がっていないことぐらいは湯澤にもすぐさま判る範囲のことだ。
「利賀根技工大と聞いて根っからの技術屋だと思われたんだろ、……逆に光栄じゃないのか?」
 少し考え込む仕草を見せた後、綾雛は腹を括った様だった。疲れを多分に含む息を吐き、綾雛は真剣な目つきをその書類の山へと落とした。技術屋としての誇りだとかそう言うものを刺激されたのかも知れない。
「まぁ、悪い気はしないんだけれどね」


 イタ飯屋での夕食を終え、綾雛はそこで湯澤と分かれることを選択した。
 それは義足のメンテナンスで利賀根へ戻ってきた際の、綾雛の中での恒例行事に出向こうと言う理由からだった。
「それじゃあ、僕は先に戻るが大丈夫だな?」
 湯澤はその恒例行事など知らないわけだったが、特に詮索するでもなく綾雛の行動を制限しようとするでもなかった。尤も、それは次の日、その次の日と仕事の予定がない状態だからと言うことも出来るだろう。現在の綾雛と湯澤の予定は次の海上保安庁の検討会議まで空白の状態にあるのだ。
「義足調整時に湯澤さんがいつも利用していたビジネスホテルでしょう? 判ってる、判ってるって。これでも利賀根滞在歴は技工大時代があるから湯澤さんよりずっと長いんだからね」
 そんな言葉でビジネスホテルまで移動する湯澤を見送って、綾雛はこれから本格的に夜の時間が始まる下篠園の街へと足を向けた。繁華街や歓楽街、引いてはビル街の方面へと足を向けるではなく、綾雛は郊外へ郊外へと足を向けた格好だ。
 下篠園から屈環(くつわ)へと抜ける交通量の多い幹の通りの途中から一本脇に入ると、そこにはバス停のある一方通行の道が存在する。言えば、ちょうど浅三谷から屈環へと続く幹線道が合流する地点でもある。
 そんなバス停のある一方通行の道からさらに歩行者専用の脇道へと入って進んで行くと、そこには三つ四つと踊り場のある手摺りが風雨で完全に錆び付いた長い下り階段がある。高さにして四メートル近くは下に降りることになるのだろうか。ともあれ、そうやって低地へと進んでいくと板金塗装や部品製造などを行う工場の並ぶ区画へと出ることが出来るのだ。
 そして、利賀根技工大、下篠園を通る私鉄の路線下に設けられた薄暗いコンクリート材質のトンネルを潜って進んで行くと、ようやく、綾雛が目的とする場所へと辿り着くことが出来る。トンネルには落書きがされる様なこともないほどに、ここは人通りの少ない知る人ぞ知る道だった。
 ちょうど綾雛から見た右手側には三メートル近い高さのある石垣がある。左手側には等間隔毎に街灯と街路樹が存在していて、膝上ぐらいの背丈がある笹藪を挟み緑色の見慣れたフェンスが存在している。
 街灯の色はオレンジ色の柔らかな光で、それに照らし出されるかの様に、この付近一帯の路地の複雑さを表しているかの如く縦横無尽に走る電線が目に付く場所だ。
 この通りはいつも人通りがないにも拘わらず、道幅だけは広く作られているのが特徴と言っていいだろう。特に線路下のトンネルを抜けて直ぐの場所に存在するコンクリートの下り階段を下ってからはグンと道幅が広くなるのが特徴だ。
 それはトラックや自動車などが通行することを想定した上で作られたからなのだが、もちろん、この場所は一般車両の通行が許された場所ではない。アスファルトによる舗装も成されていなければ、白線が引かれている様なこともない。先程述べた階段を自動車が上ることは出来ないし、恐らくコンパクトカーでもその先にある線路下のトンネルは通過出来ないだろう。それでも、この通りには所々に自動車が切り返しをするための空き地がある。
 この通りの途中には完全にフェンスによって囲われ「私有地」だとか「危険」だとか看板の設置された土地がある。取り分け、平坦に埋め立てた土地の地盤や地質の変化などを行政機関がチェックするために保有している土地にはけばけばしいまでの色彩を持った看板が立てられている。その土地の中には掘削機や岩盤を砕いて地下を掘るための機械などが設置されていて、一際背丈の高いフェンスで囲われているのである。
 それは現在調査中というのではなく、定期的にチェックを行うために、その度、運び入れていては手間が掛かるという理由で放置されているものらしい。青色のビニールシートがはためくその現場で、実際に作業をしているのを綾雛は数えるほどしか見たことがないし、実際にこの通りをトラックなどが走行している現場を目撃したことはない。
 そういった行政機関の地質チェックのための土地がこの利賀根には利賀根の性質上あちらこちらに点在している。
 遠目に利賀根を横断する高速道が目に付くこの場所は綾雛に取って思いの深い場所の一つだ。義足のメンテナンスを頻繁に行わなければならず利賀根を離れられなかった頃、人気のないこの場所で一人「加速」の練習を行った場所なのだ。着地の際にバランスを崩しては大地に突っ伏し、土まみれになっていた。雨の日には泥濘が生まれ、天候によっていつも硬さの変化するこの舗装の成されていない大地は非常に義足を使いこなす練習に向いている場所だったわけだ。
 綾雛自身、その時のことを考えれば、思う様に「加速」を扱えなかったことに対して生来のものである負けず嫌いの気が出たと言っても良いのだろう。ただ、それよりも何よりも義足を「完全に扱わなければならない」と言う焦燥感があったことは否めない。
 ここに来ることでその焦燥感を思い出すことが出来ると言うのも、綾雛がここに足を運ぶ大きな理由の一つだった。「初心忘れるべからず」と、それを座右の銘と据えていると言ってしまっても過言ではないかも知れない。ここに足を運ぶことで、意識することなく綾雛の気が引き締まるのだからである。
 この場所は加速で義足を酷使した印象が強いからだろうか。綾雛は頻りに幻肢痛の様な痛みを脳が訴えるのを感じていた。血の通わない義足だとはいえ、義足から発せられる電気信号は綾雛の神経を通り脳に送られている。そして、義足の制御を行っているのは他ならぬ綾雛自身の脳であり、綾雛自身の思考である。
 だから、確かにその痛みは義足から感じる痛みと言ってしまってもいいのかも知れない。そう言った類の、強い痛みを義足が脳に信号として送ることはこの義足の構造上あり得ない話だとは言え、それを「失った右足による幻肢痛だ」と綾雛自身が感じていることも否定出来ない事実だった。そして、それはまるで義足から来る痛みの様に錯覚される。
 ふっと気付けば、綾雛はその感覚に酔うかの様に苦笑いを零していた。少なからず、そのビリッと電気が走った様な痛みに、心地よさを覚えているのだろう。……綾雛自身、それはおかしな話だと感じながら否定する気にはなれなかった。
 ここいら一帯にあるのは電化製品の部品を製造している工場がほとんどだ。高さのない全体的に平らな作りで、高さがあっても精々が二階から三階建ての比較的小さな工場である。恐らくはこの石垣の向こう側、フェンスの向こう側にある建造物も大手の下請けをする中小企業だろう。既に、そこに明かりは灯っておらず、物音も人影もない。この一帯が完全に静まり返っている格好で、耳を澄ませば街頭が時折電圧の関係から「ジジッ」と鳴る微かな音さえ聞き取ることが出来る。
 そんな寂静を楽しむかの様に綾雛は瞑目していた。
 そして「敢えて」左手に持つことでその重さを実感出来るタングステンカーバイト製の長刀を、今まさに、右手へと持ち替えようという時のこと。そう、まさに、それは白布を振り解こうと長刀を薙ぐ直前のことだった。
 綾雛は「誰?」と聞くことをしなかった。
 それは背後にある気配がすぐさま襲い掛かってくる気配を持っていなかったからである。仮にもここは誰もが行き来の出来る道であり、綾雛の背後に人がいたからどうだと言う場所ではないのだからだ。例え、その気配がその場に立ち止まっていて綾雛を注視していようとも、綾雛の側から何かしらのアプローチをするというのはおかしな話だった。
 双方が双方を窺う十数秒にも満たない拮抗を挟んで、先に口を開いたのは綾雛の後方に直立不動でいる気配の方だ。
「綾雛伊久裡情報調査員だな?」
 顔だけを向ける半身の姿勢で綾雛はその気配の方を向いた。
 身長にして190以上はあろうかと言う大男だった。レンズに薄いグレーの色が入った眼鏡を掛けていたが、その色の入った丸いレンズには頻りに赤い光が明滅していた。恐らくそれはナイトスコープか、簡易情報端末の役目を果たしているのだろう。丈の長いレインコートの様なものを着服していて、その色はモスグリーンと言う出で立ちだ。
 いや、レインコートでは適当ではないだろうか。
 少なくとも、見た目にそれは秋口に羽織るコートの様な厚みを持っていて、そして、頭を覆うフードがないものだ。
「お初にお目に掛かる、そして、不躾で申しわけないがあなたの手元にある海上保安庁が導入を検討中の新兵器、その設計図を譲り受けに来た」
 丁寧な口調で口を切りながら、大男のそれは無骨としたものだった。少なくとも、綾雛に対する敬意だとか、心配りと言った様なものは感じられない。威圧感さえ漂わせる大男の様子に「譲り受けに来た」といった言葉を綾雛が真に受けるのには到底無理がある。
「そりゃあ不躾だね」
 綾雛は大男の頭から足の爪先までをジロリと流し見た後、ついっと方眉を吊り上げる様にして切り返した。
「そちらさん、譲って欲しいって言うわけなんだから、身分はともかく、せめて名前ぐらい名乗ったらどうなの?」
 大胆不敵な綾雛の言動だった。教え諭すというよりかは説教をするといった物腰だといって差し支えない。
「……こちらの身分は明かせない。同様に、名前を明かすことも出来ない」
 大男はそんな綾雛の言動を意に介した風はなかった。恐らく、その口調に関しては大男なりに「紳士」を装って……という類のものではないのだろう。だからと言って、綾雛がそれを素の大男の対応だと思うことにも無理があった。
 大男は瞑目をして考え込む様な仕草を挟んだ後、自分自身の名称についてこう語る。
「しかし、そうだな、それでも敢えて名乗るのだとすれば、仲間内からはKnight[ナイト]と通り名で呼ばれている」
 呼び名がないと綾雛と会話をするに当たって何かと不便だと思ったのだろう。自身の通り名をナイトと言った大男の雰囲気はこれでもかという程にお似合いのものだった。仲間内から「そう呼ばれている」と言った様に何の違和感もない。
 僅かな間を挟み、ナイトは自発的に言葉を続けた。綾雛が用件の続きについて態度や雰囲気で促したわけではない。
「その設計図を手放すことがあなたのためになり、あなたの属する組織が重視している様な国益と言うものを得ることにも繋がる。そして、あなたがこの場で取れる最良の選択肢と言って差し支えないだろう。……あなたの上分別を望む」
 淡々とナイトが無遠慮にも言って退けるその途中で、再度、綾雛の方眉がついっと釣り上がった。明らかに「気分を害した」と言う風に、綾雛は棘をあちらこちらに鏤めた言葉を持ってナイトへと切り返す。
 どうして設計図云々のことをナイトが知っているのか?
 それを疑問に思っても既に詮無いことだと綾雛が理解したということもある。
「そっちの手の内を明かさないのに、それが私のためになるだとか、それが最良の選択肢だとか、そう言って持って回るやり口を私が嫌いなんだって知ってた?」
「それは申しわけなかった、謝罪しよう」
 言うが早いか、これ見よがしにナイトは小さく頭を下げて見せた。そこに謝罪の意図がないことは明白だ。
 形だけの謝意を見せ、そんなことは些細なことと言わないばかりにナイトは首を傾げて綾雛へと問い直す。
「……それで、早急にあなたの返答を聞きたいのだが?」
 丸レンズの端で明滅する赤い光に邪魔をされ、綾雛がナイトの瞳からそこに漂う意図を推し量ることは出来ない。
 狂気の色を持っているのか。自身の信念に基づいた故の行動なのか。それとも、新兵器導入に関する情報を欲する第三者に雇われただけの、……わけも解さぬ金の亡者か、……仕事を冷徹に完遂する喜びを欲するプロフェッショナルか。
 ともあれ、それらナイトに関する情報を綾雛がその瞳から推し量ることは出来なかった。
「せっかちな性格は女性には嫌われるんだよ?」
 頻りに話を脱線へと誘導する綾雛の言動に、再度ナイトはピシャリと要求を口にする。
「……申し訳ないがここに雑談をしに来たわけではないのだ。あなたの返答を求める」
 どうやら煮ても焼いても食えないタイプらしい。
 綾雛は両手を挙げて「お手上げ」のポーズを取ると、これ見よがしに二度三度と首を横に振る。
「愛想ってものがないよね、……そちらさんはここに交渉をしに来たわけじゃないのかな?」
 そんな掴み所のない態度を見せる綾雛に、ナイトはバサッと音を立ててコートをはだけさせた。そのコートの内側にはいくつもの留め具が付いていて、そこに固定される形で抜身の長刀が存在している格好だ。ナイトは手慣れた手付きで留め具を外し、そして、長刀を見せ付けるかの様に身構える。……痺れを切らしたと言うわけだろう。
 そんなものをナイトが隠し持っていたことに対し、綾雛は「はー……」と疲れた顔で溜息を吐いてみせる。しかしながら、恐怖に顔を引きつらせるでもなく、驚いた風でもない。ただただ、疲れた表情をしてナイトを見返したのだった。
「否応なく相手しなきゃならないって、露出狂の変態とそちらさんだったら、気分的にどっちがマシだったと思う?」
 綾雛の問いにナイトは答えなかった。そして、顔色一つ返ることはなかった。「雑談をしに来たわけではない」と口にした様に、その言葉がナイトの態度の全てを物語っているのだろう。
「殺すつもりはない。……が、大人しく設計図を渡して貰えない場合、相応の怪我を負うことになると思って貰いたい」
 喜怒哀楽のない顔をしてナイトは言ったわけだが、そこに灯る迫力は相応のものだ。押し殺した声がその迫力をより度合いの甚だしいものに変えているのだろう。そして、怪しく明滅する丸レンズの赤い光がそこにさらなる輪を掛ける。
「それは脅迫と取って良いわけだよね?」
 小首を傾げてナイトにその真意を問う綾雛に、相も変わらずナイトは何かしらの言葉を返さなかった。真意を探る綾雛の注視にも例によって顔色一つ変えないナイトの様子を、綾雛は「Yes」の意と受け取った。
 くっと唇に切り上げて笑みを灯して見せれば、それを境に綾雛の雰囲気は一転する。
「んふふ、ははッ、ははははー」
 唐突に笑い声を響かせた綾雛の不可解な言動に、ナイトはどう対処して良いか解らない風だ。けれど、綾雛のその笑みの中に、これでもかと言うほどの大胆不敵な気配があることをナイトが看過することはなかった。一頻り笑い声を響かせた後、口許に軽く握った拳を置き、その笑みを隠す様にした綾雛はゆっくりと見せ付ける風にその口を切る。
「売られた喧嘩って言うのはさぁー……買わなきゃ駄目だよね!」
 俄に勢いを擡げた口調に呼応するかの様、綾雛はキッと目を見開きナイトを睨み据えた。
 ナイトもナイトで、まるでその綾雛の動きを待っていたかの様だ。バサッとコートを翻すと、手に持つ長刀を綾雛相手に印象づける様に身構えて、その間合いを整える。
 漂うは緊迫感。そして、睨み合いはぷつりとその終焉を迎える。
 先に動いたのは綾雛だった。ジャケットの下に隠れたホルスターから右手で銃を抜き、銃口が定まるか定まらないかの段階でその引き金を引く。それはカスタムサイズの「CZE Vz83」を収納することを目的として作られたホルスターであり、このカスタムだけしか収納出来ない完全な綾雛専用品である。その分、弾丸を撃ち放つまでに掛かった時間は瞬く間もないほどの一瞬だった。
 それは完全な流れの動作と言って良い。「トタタタタタタ……」と独特の、高音成分を多く含んだ銃声が鳴り響き、それは完全にナイトの意表を付く格好になった。両脇を石垣とフェンスで挟まれ、また身を守るための障害物が著しく少ないこの場所は距離を取って銃撃戦を展開するというのなら、先制攻撃に打って出た方が優勢になる場所だ。そう言う観点から言えば、綾雛は戦闘の主導権を握ろうとしたと言って差し支えない。
 銃撃の音を聞くよりも早く、ナイトはコートを翻す。まるで銃撃が来ると踏んでいたかの様な動作でだ。バサッとコートを翻し、身体を丸める様にしたナイトの動きは一見不可解に見える類のものだった。
 しかし、次の瞬間、綾雛はそのナイトの挙動が身を守る上で正しいものであることを理解する。パンッ、パンッ、パンッ、……と、一度聞いただけでは「何の音か」と首を傾げる部類の高音が鳴って、弾丸はナイトのコートに弾かれた。いや「弾かれた」では語弊がある。その衝撃の大部分をコートに吸収されたのだ。
 それでも、ナイトにダメージを負わせることは出来ただろう。しかし、それが相手の行動を不能にする様な決定的なものである可能性はゼロだった。それを証明するかの様に、ナイトの挙動は僅かにさえも機敏さを失わない。
「音の種類から察するに、弾丸はパラベラム相当のものか。……どんな場合に置いても、武器の携帯を怠らないのはさすがだ、だが、この威力では牽制の役目も果たせはしない」
 冷静に状況と綾雛の武器について分析をするナイトの様子は綾雛が戦闘の主導権を握れなかったことを意味したと言って良いだろう。事実、銃を身構える綾雛に対し、ナイトはいつ飛び掛かってもおかしくない雰囲気を持っている。
「……対衝撃、対弾丸用途の衝撃吸収素材製品か。最近、開発されている様な新繊維だとかも物凄い衝撃吸収率らしいじゃない? それ、衝撃吸収材と衝撃吸収繊維の複合品? アーファルリミド系列の化学合成素材?」
 返答を期待しない綾雛の質問に、その期待に添うかの如くナイトが返答をすることはなかった。
 音から察するに、それは対弾丸用の衝撃吸収材を羽毛の様にコートの生地の合間に敷き詰めたものなのだろう。そして、コートの裏地に吸収した衝撃を打ち消すための硬質の繊維を用いているのなら、大口径で貫通力のあるハンドガンか殺傷能力の高いマシンガンぐらいでしかダメージを与えられないはずだ。少なくとも、携帯性を重視したサブマシンガンや、衝撃吸収素材として敵対相手の使用が想定されるハンドガンではまともなダメージは望めない。
 最近の衝撃吸収材の性能には目を見張るものがある。機動性を重視しない様な、ゴツゴツとした厚みを許容するのなら45口径の衝撃をも吸収する様なものはざらにある。立てて加えて、この手の用途以外にもあらゆる分野で需要があることもあって新繊維の台頭も著しい。顔面を保護するヘルメットのシールドを強化ナノガラスで固めれば、この分野は既に相手が重火器での武装であろうとも問題なく張り合えるぐらいのレベルにはあるのである。
 綾雛の手にある銃の、現在のマガジンの弾数ストックである45発でこの事態をどうにか打開出来るとは思えなかった。攻撃を続けるにしろ、動作を後退に切り替えるにしろ……である。しかも、今の射撃で既にマガジンの三分の二近くは撃ち放った格好だ。ナイトが言う様に、下手をすれば足止めの効果さえも期待出来ない。
 綾雛がいくら思考で義足を制御しているとは言っても、走る速度は常人のものより一回り二回りは遅い。逃げに徹するなら加速を応用して、石垣やフェンスを越えてしまうのが上分別だろう。問題は綾雛の加速などの能力について、このナイトがどこまで情報を持っているかと言うことだった。
 綾雛が周囲の気配を探ってみても、ナイト以外のものは感じられなかった。但し、相手は気配を消していて、綾雛がそれを感知出来ないだけの話かも知れない。正直なことを言えば、綾雛は相手の力量を図れる段階まで達してはいない。
 綾雛がそんな思考を巡らせていた矢先のこと。その巨体からは想像出来ない速度でナイトは踏み込んだ。
 綾雛は「まずい」と直感的に認識する。それは綾雛の想像以上に、言えば、想像よりも二回り三回り速い動きだった。
 利き手で身構えていた銃を手放し、綾雛はトンッと一歩後退る。
 刹那「ガァァァギキィィィィン……」と鳴る激しい金属音。
 ナイトの一撃を綾雛は逆手に構えた抜き身の長刀で受け止めた格好だ。
 左手には鞘だけが残る形で、握り持っていた長刀を右手へと持ち替えたのだ。
 長刀の剣先は大地の表面へと突き刺さる様に密着していた。しかし、そこに剣先が大地を抉った跡はない。その剣先はナイトの一撃を受け止めてなお、微動だにしていないのだ。
 綾雛は逆手に束を握った状態のまま、所得顔をしてナイトを見返した。
 一つ遅れて「ガシャンッ」と銃が大地へ落下をした音が鳴る。
「やっぱり、スコーピオンじゃあ牽制程度にしかならないものなんだね」
 しれっと衝撃吸収材をサブマシンガンで相手にすることについての感想を述べる綾雛にナイトは動揺を隠さなかった。動揺とは言ってもナイトはそれ自体を顔に出したわけではない。立て続けに踏み込み攻撃を続けることを躊躇い、そして、綾雛の前から飛び退く格好で距離を取ったのだ。
 ナイトの一撃を受け止めたとは言え、綾雛がその衝撃と威力を綾雛の体格で押し殺すなど到底不可能な様に見える。
 綾雛とナイトでは見るからに体格差もあり、ましてナイトは力押しで戦闘を展開するタイプに分類されるのだ。
 そう、ナイトの長刀の使い方は抜刀だとかそう言った類の、日本刀を扱う場合に見る技術云々のそれではなかった。足の踏み込み、間合いの取り方、それらは紛れもなく力押しで戦闘を展開するタイプのものなのだ。……にも拘わらず、ナイトは綾雛を力負けさせられなかったことにかなりの動揺を覚えている風だった。
 綾雛の平然とした顔付きのこともあるだろう。
 ナイトを見返した綾雛の所得顔は決して強がりから作られた表情ではない。女というのは「化粧を崩したくない」と言う決意の一心から冷汗をも掻かない身体構造になれる場合もあるらしい。しかし、綾雛の顔付きにその「無理をした」痕跡を見ることは適わないのだ。尤も、想像以上の速度で踏み込まれたことで綾雛の心拍数も上昇はしていた。ただ、ナイト同様にそれを顔に出すことがなかっただけの話ではある。




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